徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

最近の日本人の不寛容さについて

2019-08-30 22:30:00 | 日常
 ラジオ番組でマレーシアから一時帰国した女性の話をやってました。
小さい子を連れて日本に戻って、辛い思いをしたというものです。
生後10ヵ月の子どもを連れて電車に乗っていると、子供がぐずり出しました。
すると、同じ車両に乗っていた年配の女性から迷惑だから出てくれと言われた。
それから数年後、下の子が生まれて乳児と幼児の二人を連れて帰国した際には、
「自分は疲れていて寝たいから指定席を買ったのに、後ろで赤ん坊に泣かれると大迷惑だ。
あんたみたいな子供連れは指定席に乗らずに自由席に乗ってくれ」と言われた。
 最近、下の子も小学一年生になったので、迷惑をかけることもないだろうと思っていたら、
スーパーで自転車置き場でもたもたしていたら、大声で怒鳴られました。
ベトナム、香港、カナダ、オーストラリア、インド、そして今のマレーシアでは
経験したこともないし、見たこともない。
それどころか、ベトナムやインドで公共のトイレでおむつを替えていると、まわりの
人がどんどん手助けをしてくれたと。日本に帰ってきて悲しい思いをしたと。
 そして、その女性の考える理由は
「日本人は人に迷惑をかけるなと教育されてきたからではないか。でも、
どこかの国の人は人には迷惑をかけて生きていくのだから、まわりの人が
迷惑だと思うようなことをしても、許す気持ちを持ちなさい。」と教えるそうです。
アナウンサーは最近の日本人はどこか余裕をなくしているように思う。と言っていた。
考えさせられる放送だった。
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富士山について

2019-08-30 22:19:04 | 
 1981年夏に涸沢~穂高にのぼってから、38年。
山に親しんで来ました。
僕の人生の中の大きな存在です。
北アルプスを中心に随分いろいろな山に登りましたが
富士山はまだ登っていませんでしたし、これからも
登ることは考えておらず、どこか他人行儀でこれまで
富士山を見てきました。
 他の山から富士山を見た回数は数えきれませんが、
常に一定の距離をおいて見てきました。
富士山ガイドブックの前置きに書いてある通り、
「富士山は見る山」だとずっと思ってきました。
それが、今日テレビに偶然映った富士山を見て、
なぜか親近感を覚えました。温かい目で見ることができました。
やはり、一度登ると意識も変わるものだなと思います。
しかも、家族みんなで達成したチャレンジなので、
その気持ちもより深いものがあります。
テレビに映る富士山を見ながら、あああのてっぺんに行ったんやと
しみじみ思いました。
富士山、ありがとう、そしてごめんなさい。
やはり、あなたは日本一の山なのかもしれません。
メジャーになりすぎたスターのようですが、そういう立ち位置なのでしょう。
ただ、登山の対象としての富士山は決して親しみやすいものではなく、
きちんとした覚悟で登らないとえらい目に逢うと思います。
そういう意味でも、一目おくべき山なのかもしれません。
五合目から頂上まで約6時間かかるのだから。
頂上まで6時間かかる山なんてなかなかないですよ。
まあ穂高は確かに上高地から7時間かかりますが。。。

 今回の富士登山は成功しましたが、残念ながら富士山を「見る」ことが
できませんでした。近いうちに身に行きたいものです。
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家族で富士山完全登頂!

2019-08-20 23:16:31 | 
2019年8月19日(月) 我が家の三人で日本最高峰富士山登頂!
 娘が何気なく言い出した今回の富士山。
実は数年前に友人と富士山を目指した娘ですが、
ツァー登山の苛酷な日程の前に無念の敗退。
リベンジしようかなとぼそっとつぶやいたのが始まり。
連れ合いも行こうかなと言い出して、あれよあれよと現実的な話に。
それならと僕も協力するみたいな形で参加することに。
僕自身は富士山には一生登らない可能性も高かったので、
娘のおかげで行く気になりました。
 まずは娘と連れ合いが近所の小山にトレーニング山行。
靴が異様に重いということがわかり、急きょ自分の靴を買いに街へ。
それが8月初旬くらい。
それから、生駒山、飯盛山、交野山などに何回かトレーニングに出かけ、
主に靴の履き具合を試しに。
装備の不足は僕の長年の山友達から調達し、なんとか3人分揃いました。
初日 午前2時起床
     3時には出発。
     5:39 長篠設楽原PA
     水ヶ塚公園駐車場に到着したのが、午前8時
     準備を整えていざ出発。
     10:10シャトルバスで富士宮口五合目に到着。
     10:55五合目で小一時間高度順化をしていざ出発。
     11:25六合目 11:30
     12:38新七合目 到着直前にいきなり雨が降り出し、思わず小屋に駆け込み、ついでに昼食 うどん 富士宮焼きそば 13:17
     14:06 休憩
     14:29 3000m通過
     14:35元祖七合目 15:00
     15:57 3250m 八合目到着 受付を済まし、解説されながら別棟奥2階の個室へ。
     部屋で休憩 真穂が気分悪くなり、外へ 少しましになる 衛生センターで検温 36.9℃0
     夕食の呼出 17:10 夕食 カレー お茶は一人一杯  17:41 外で撮影大会
     18:50 就寝
二日目  1:00 起床
     2:30 出発
     3:30 九合目 3:44
     4:42 九合五勺 4:47 少し上がった所で夜が明ける ご来光
     5:02 ご来光 しばらく撮影大会 5:13
     6:15 富士宮口頂上着 お疲れ様!
6:53 火口を見ながらカップヌードル
     7:10 頂上を目指す
     7:35 頂上直下行列 
     8:00 ついに頂上に立つ
      頂上の休憩所を目指す
         休憩所で休憩 おみやげ 
     8:58 出発
     9:38 九合五勺 9:50
10:30 九合目 イワヒバリを追う 10:45
11:30 八合目  11:49
        この後雨が降り出し、写真なし
12:40 元祖七合目 13:00
13:45 新七合目  14:10
15:25 六合目   15:32
16:00 五合目バス停着 
        おみやげ トイレ 
     16:30 五合目発バス 
     16:50 水ヶ塚公園着
         一路花湯温泉ホテルへ
三日目      浅間大社
         白糸の滝 
         ミルクランド
     14:00 さわやかハンバーグ
     14:30 帰路につく
     15:57 小笠PA
         寝屋川食堂
         帰宅  
       
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74年目の終戦記念日

2019-08-16 00:36:51 | 日常
 今年も8月15日がやってきた。
台風10号でそれどころじゃない地域もあったようだが、
やはりこの日は特別な日だ。
僕が生まれたのは戦後11年目。
小さい頃は戦争なんか大昔のことのように思っていたが、
今から思えば11年しか経っていなかったのだ。
11年なんてあっという間だ。
まだ、戦後だったと言ってもおかしくない。
現に、雨が降ると
「放射能で髪の毛が抜ける」とか言われていた記憶がある。
そして、大阪万博は戦後25年しかたっていなかったのだ。
オリンピックなんて、戦後19年の年なのだ。
あの戦後の荒廃した国土から劇的に復興を遂げた日本はすごい国だと思う。
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「俺たちの定年後」成毛眞 絵描き?

2019-08-15 10:31:47 | 日常
 定年を過ぎたら、好きなことをやれ。と言っている。
本当に好きなことを見つけるには、子供の時のことを思い出せと言っている。
僕の場合は絵を描くことだ。
小さい頃からアトムや鉄人28号の絵を描いていた。
王選手の打撃フォームをよく描いていた。
マンが雑誌の付録についている漫画家になる講座のようなものをよく読んでいた。
小学校の卒業文集には、将来絵描きになりたいと書いていたことを覚えている。
小学校の時の作品が学校内に展示されたこともある。
中学校の時には、身近な人物を漫画にして書いていた。
もちろん、中学校の先生もモデルだ。
文集の表紙に僕が書いた先生の似顔絵が採用されていた。
中学校の卒業アルバムの挿絵に数学の河村先生の似顔絵が採用されていた。
英語の杉本先生の似顔絵もよく黒板に書いた。「カメ」先生。
その後も割と似顔絵をよく描いていた。
 ただし、当時は画家と漫画家を混同していたようだが・・・
そう考えると、これからの人生、絵を描くことも視野に入れてもいいかもしれない。
似顔絵も描きたい。
そのうち、僕の体に音楽というものが入ってきて興味が大きくそちらに傾くことになる。
中学校二年生の頃(1970年)、同級生の蔭山君の影響で洋楽を聞き始めた。
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断捨離しないと。。。

2019-08-14 11:27:04 | 日常
 いつ頃からだろう。
以前は書籍、CD,DVDなど欲しいと思えば、購入していた。
そして、たまる一方だった。
今は増えることがずいぶん少なくなった。
増やしてはいけないと思うようになったからだ。
自分の部屋を見回しても、「モノ」が溢れかえっているといっていいだろう。
だったら、どんどん断捨離すればいいじゃないかという話だが、
どれもその時には読みたい、聞きたいと思って手に入れたものだから、
単純に処理すればいいというものでもないのだ。
でも、いつかはこの世から自分がいなくなると思えば、
まわりに迷惑をかけることになる。
どんどん断捨離したいという気持ちもあるのだが、
意識を大幅に変えない限りは、
ばさばさ処理する気にはなれない。
でも、断捨離した後のスッキリした部屋を想像すると、
それも気持ちのいいものだろうなという気もしている。
最大の壁は「もったいない感」だろうなあ。
でも、モノに執着するのは、消費社会のなせる業。
まわりに何もなくても、豊かに生きている人たちがたくさんいるのも確かだ。
 さあ、どんどん捨てよう!
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このブログを始めて8年目 記事の数488

2019-08-13 12:05:31 | 日常
 ブログというより、日記のようなものだ。
久しぶりに書き込みをしようと思い、いつ始めたのかを
確認したら、2010年12月
書いた記事の数は488本になっていた。
これ以外にもブログを書いているから、500本を超えたことになる。
それ以外に、Evernoteにも書いているから、一度まとめて本にしてみようかな。
それにしても、今の世界や日本を見ていると、
なんだか怪しい雰囲気ですね。
その割には世間はあまりざわついていないのは、なぜ?
みんなこのままの一応平和な状態がほっといても続くとでもおもっているのだろうか?
なかなか危ないと思うのですが、日本。
別に経済大国であり続ける必要はないと思いますが、
国民が安心して生きていける国でなくなるのではないか、
いやもうすでにそうなっているのではないか?
僕はもうほぼ世間を捨てつつあるから、あとはのんびりと余生を過ごすつもりだが、
これから生きてかなければならない、世代にとってはなかなか厳しい時代だ。
国自体が劣化しつつある今、何をすべきか。
この場合、主語は政府?国民?自分?
政府は国民のことなんか本気で考えちゃいない。
国民もそんな劣化した政府にまかせて、思考停止。
となれば、何かをすべきは自分ということになる。
さっきも言ったように、自分は定年を迎え、
今の所、経済的には困っている状態ではないので、
余生をそっと過ごすのみなのだが。
 年金だって
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つくし

2019-08-04 15:22:14 | 沖縄
 8月2日(金)に約10カ月ぶりにつくしに行きました。
その間に「そのひぐらし」さんが解散してしまい、ちょっと寂しかったけれど、
もりうさんが元気そうに現れました。
実はもりうさんが来ることは知らなかったのですが、第一金曜日だから
誰かがライブをやるのだろうというくらいのつもりでした。
以前は吉永ファミリーが演奏してました。
ということなので、もりうさんが登場した時はちょっと安心しました。
この業界で食べていくのはなかなか大変なんだろうなと思います。
 あんまーも元気にしてはりました。
実は「つくし」はこの地域の沖縄文化のある意味ではセンターのような存在だったのですね。
沖縄かりゆし会というグループがあるのです。
エイサーの中心でもあるみたいだし。これからもがんばってほしいものです。
1998年7月19日に大阪城野外音楽堂に美ら島ちゅらら島心(しまぐくる)を見に行った時の
パンフレットが出てきて、その中につくしの広告も出ていてびっくりしました。
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