徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

自分でできる心身のチェックポイント8

2022-07-31 18:19:43 | 日常
①毎日の小生活は質・量ともに適当ですか
②毎夜、安眠もしくは熟睡できますか
③自分位ふさわしい適当な運動をしていますか
④心身に悪い影響を及ぼす習慣はありませんか
⑤生活上の諸問題で、一喜一憂しやすいところはないでしょうか
⑥自分の仕事にどれだけの地震と希望を持っているでしょうか
⑦秘かに心を養う有益な内面生活を持っているでしょうか
⑧真に良き友達をもっていますか

  互助だより 2002.9  第201号
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子供たちの国語力の低下20220730

2022-07-30 22:36:16 | アウトドア
―なにがこうした国語力の低迷を招いたのでしょうか。

石井 本書で多角的に詳しく取り上げましたが、一言でいえば現代社会を取り巻く諸問題が重なった結果です。家庭格差と言語発達の問題、ゆとり教育からつづく教育行政の落とし穴、深刻な教員不足と予算のなさ、ネット・SNSという特殊な言語環境、これらの要因が複雑に絡み合って、子供たちは生きる上で必要不可欠な国語力が身につきにくい環境におかれています。ギガスクール構想やアクティブラーニングなど、次々と目新しい教育プログラムは導入されているのに制度が形骸化しがちです。
不登校になった瞬間に、文字を書くことができなくなる子も

 今、学校で大きな問題となっている不登校の子供たちと国語力の関係性についても一章分を割いて詳しくルポしました。不登校の子供たちの多くが、なぜ学校へ行きたくないのかと問われても、「わからない」と答えます。不登校の理由を答えられないのです。つまり、言葉によって、自分が抱えている問題を把握し、どうしたらいいのか、どうしたいのかという思考ができなくなっている。

 その背景には様々な事情がありますが、本当にひどいケースでは、不登校になった瞬間に、子供自身の中で言葉が粉々に破壊されてしまい、会話をするどころか、ノートに文字を書くことさえできなくなる子もいます。それまで受験勉強をしてきて成績も抜群だったのに、ある日突然言葉を失ってしまう。

 しかし、大人は背後に言葉の問題があることがわかっていない。だから無理やり理由を問いただそうとしたり、論理的に説得しようとしたりする。そうなれば言葉を失った状態の子供たちはますます困難に陥ります。
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60歳くらいからやっていること10. 20220730

2022-07-30 22:23:26 | 日常
1️⃣甘い炭酸飲料、ヤクルトを飲まない
2️⃣エレベーターを使わず歩く
3️⃣野菜をたくさん食べる
4️⃣甘いものを減らす
5️⃣ラーメンのスープを全部飲まない
6️⃣ヨガ、ストレッチ、スクワットをする
7️⃣血圧を計測する
8️⃣豆乳、エゴマ油、青汁を飲む
9️⃣夜食のラーメンを食べない
🔟毛細血管トレーニングをする(足指マッサージなど)
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うしろめたさの人類学 20220729

2022-07-29 22:24:28 | 日常
  教えるということを労働を考えずにする。
労働と考えると交換になる。
商品ではなく、贈与と考え対価を求めない。
私にできること 社会を変える 革命ではない
教えるという行動を対価を得るための労働とは考えずにしている。
おそらく学生に残るのは教壇の前で誰かが何かを伝えようとしていた熱だけ。
学生の中でその熱がどんなエネルギーに変わるのか教員の側で予め決めることはできない。
そもそも学生は何物にもなりうる可能性を秘めている。
授業で語られる言葉、そこで感知される学びは相手の必要を満足させる商品ではない。
どう受け取ってもらえるかわからないまま
何につながるかは未定のまま手渡される贈り物のようなものである。
贈与だからこそ、そのための労力は時間やお金には換算できないし、
損得すべき対象でもない。
もし教育を市場交換とみなされる労働とみなせばその成果がきちんと計上できない以上、
最低限の労力しかかけないのが常に正解になってしまう。
それだと教育はとても空しい作業になる。
実際はほとんど届いていないかもしれないし、送ったつもりのないものが届くかもしれない。
教員の側には常に届きがたさだけが残る。
教育とはこの届きがたさに向かって、なお贈り物を送り続ける行為なのだと思う。
社会のずれ 後ろめたさを感じて やっぱりおかしい 格差 貧しい人は追いやられている
社会はいっぺんに変えられないので、自分にできることをする。贈り物
その場所でその人がやれる贈り物とは、いろいろある。
小説を書いている それは商品だ でも商品だと思って書いたことはない。

ここからは山岡の意見
教育の商品化 授業が商品化している。いい授業。大学受験のための授業。英語の授業は
大学に受かるために行う。これは教育でもなんでもない。塾だ。英語を通した教育、英語本来のおもしろさ、楽しさを教えているわけではない。プロ部活も同じことだ。部活の商品化。
なぜ部活に力を入れるのか?例えば高校野球で甲子園に出場すれば、大々的に学校を宣伝できる。NHKが出場校紹介などといって、丁寧に学校を全国に紹介してくれる。無料で。部活担当の監督は甲子園に出場することで、よき指導者として評価され、自己実現ができる。学校は名前が売れる。お金をかけるだけの値打ちがある。
 昔、スニーカーエイジという軽音楽のイベントに付き添ったことがあるが、近大かどこか忘れたが、演奏以外の演出、衣装などに随分高額な費用がかけられている感が溢れていて、なんだか違和感を感じた。なんか違う。これも

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65歳以降の人生 20220729

2022-07-29 22:17:08 | 日常
 66歳になり、残りの人生は恩返しだと思っている。
牧野高校への異動時が2000年、44歳。
44歳と言えば、まだまだ若いイメージがあるが、
それから20年余り経過し、66歳。
それでもまだまだ若いのだが、
労働という意味で言えば、
もう求められてはいない。
余生というには、まだ早いような気もするけれど、
今後の人生が何年続くのかはまったくの未知数だから、
無理に働かなくても、やりたいことをぼちぼちやる人生もいいかなと思う。
そんなモヤモヤの中で毎日を送っている。
おまけにコロナのお陰で、そのやりたいことも十分できない状態が2年以上続いているので、
それもモヤモヤの原因なのだろう。
働いていた頃の次の日の決まった時間にどこかに行かなければならないという
プレッシャーがないのが一番うれしいことではある。
今後の人生は水物だから、
恩返しのつもりで生きるのがいいのではないか。
そんな気がしている。
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自分らしく 人間らしく 中野孝次20220729

2022-07-29 15:17:05 | 読んだ本の書評
 to haveではなく to be
有名な陶芸家が有名になるのを避けるために、秘かに活動する。
sanitationというアメリカ渡りの思想が日本の文化を殺してしまった
死を意識することによって、生きることが研ぎ澄まされる

高見順「死の淵より」

電車の窓の外は
光にみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた風景が
急に新鮮に見えてきた

想像力こそ人間性恢復の鍵
見える現実と見えない現実
自分のことしか見えない人間にとっては、
世界で起こっていることには興味がなくても生きていける
なぜ大国はより大きな力を持ちたいと思うのか。
なぜ軍備を拡張し続けるのか。
北朝鮮は何のためにミサイルを発射するのか?
なぜ中国は領土を拡大したがるのか。
戦争は儲かるから?

ホンモノの暮らし
さんま
イチゴ
ハンバーガー

梅干し
豆腐
蕎麦

清里のペンション
日本古来の文化は破壊されてしまった。西洋文化が隅々まで行き渡ってしまった。
生活の場とは平凡でがっしりしたもの
食料の大半を輸入に頼る異常さ

ホンモノとは規準のこと 
食は一民族文化の基本
躾 西洋では躾が厳しい。

心の世界を蔑ろにする社会風潮
かつて日本では、年を取って働けなくなっても孫の世話をするとか、
地域の寄り合いに出て意見を述べるとか、ことに応じて助言を求められるとか、
その年齢に応じた尊敬を受け、社会の中で自己の生存理由を持って生きることができた。
が、今の極端な実利尊重、一切の無駄を排する効率化の進行、余裕のなさ、目に見えぬ価値の無視、
若者中心の社会にあっては、老人のそういう知恵が尊重されれうべくもない。
そして老人ばかりではない。現代の、この物が人間の身丈を超えて巨大化した社会にあっては、
その中にあって多忙に働いている現役も、そこからはじき出された者も、みな空虚をうちに抱え、紙一重のところで
虚無に直面する危機にさらされているのだと思う。自殺はその空虚の噴出である。
「生きていてもつまらない」
その背景に見えてくるのは、心の世界に無関心になった文明社会のありようである。
巨大ビルの林立、コンピューター社会、生産の極度の効率化、社会全体の機能化、
人間能力の数値化、等等の中で、人の心の領域はいよいよ貧寒になりつつあるのではないか。
人と人の真のつながりは薄くなりつつあるのではないか。
ものが豊富になればなるほど、人はモノの獲得に追われ、商品の奴隷となり、
その中で人と人との心の交流は乏しくなっていっているのではないか。
最近の子どもは人間よりも機械に親しみ、人と人との交わりを知らないで育ち、仲間と飲み歩くよりも
自室でビデオを見る方を好む若者が増えている。現代の毒をもろに受けて成長したのだろう。命に対する感覚が
果たしてそういう育ち方からつくられるものだろうか。
子どもの自殺
死の見えない社会は同時に生の本当の姿も見えない社会である。
必ずしも自殺を絶対悪とは見なしていない。
ある文学者が
「僕は必ずしも自殺をいかんとは思わんな。やれるだけのことをやって、もう仕事が出来なくなったら、
僕だって自殺するかもわからない。」

生きていることを実感する生き方とは
 冒険をする。
高度成長によっていわゆる豊かになった日本。
しかし、本当に豊かになったのか?
この豊かさにはひどく非人間的なもの—-ものがものとして
勝手に自己肥大化して人間を支配しているようなところ—-
があるような気がしてならない。
日本の豊かさは東南アジアの犠牲の上に成り立っている。
日本さえ豊かであればいいのか?南半球は平和運動なんかやる余裕はない。
日々の暮らしで精一杯。
武田泰淳「風媒花」
「僕が生きている限り、僕はある種の殺人犯の片割れのような気がする」
古いヨーロッパのことば
「われは人間ならば、すべて人間なるもの、我と無縁ならず」
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教え子の喫茶店にて

2022-07-29 11:20:53 | 日常
 食パンがないということで、モーニングをしに外へ出る。
そうだ、あそこへ行こう。
やって来たのは、最初の教え子がやっている喫茶店。
 彼らも57歳。教え子が57歳。
あと3年で還暦。
コロナの影響もあり、もうそろそろ辞めようかと思っているそうだ。
面白くなくなってきたとか。。。
その思いは理解できる。
そういう僕も現役引退したのも、面白くないからだ。
収入のためとか、暇つぶしのためだけに続けるのはなんか違う。
やって面白くないことはやらなくてよい。
他にやりたいことはたくさんあるのだから。。。
彼が言うには、孫が2人いてその子たちと過ごす時間の方がいいようだ。
コロナがなければ、もっとずっと続けているのだろうな。。。
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四回目コロナ予防接種完了 20220729

2022-07-29 11:10:23 | 日常
 第七波の中、4回目のコロナワクチン接種が完了しました。
ありがとうございます。
BA5には効かないという噂もありますが、
できることはしておくというのは大切なことだと思います。
それにしても、一日も早く普通の日常に戻ってほしいものです。
このことはロシアのウクライナ侵略についても同様です。
ロシアの横暴は絶対に許せないのですが、
その横暴に対して全世界が一体となって闘っているかというと
そうならないのが歯がゆい。
確かにこれまでのアメリカの振舞いも
今のロシアを非難できない面があることも確かだとは思うけれど、
当初は軍事施設にしか攻撃していないようなことを言っていたが、
もう見境なく攻撃している。
国際連合の無力さも露呈したし、世界はどうなっていくのか。
 話を戻すと、4回目の接種が完了して一安心。
でも、新規感染者がどんどん増えている中、
行動は控えている。仕方ないことだ。
お父さんのことも気になる。
コロナが収まらないと
面会もできない。
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昔の音楽の中に私はいる〜さらなる定年のリアル

2022-07-29 10:07:27 | 音楽
5年生 1967 初恋の人
小学6年生 1968 グループサウンズ
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今回も陰性 20220727

2022-07-28 00:31:37 | 日常
 娘が陽性だということが判明し、
急遽、僕もPCR検査を受けに行った。
午前9時から開始だけれど、
8時40分頃に到着すると、すでにほぼ1時間待ち状態。
駅の階段をらせん状に並んだ。
唾液の採取はブースに入ってから。
先日、娘が帰宅して帰りは車で送っていったから、
これって濃厚接触者やん、と思い念のために思い立ったのだ。
結果は再び「陰性」!
なぜか滅茶苦茶うれしい。
最近、あまりいいことがないからかな?
お父さんが酸素の値が少し低いということで、
急遽入院。無事であればいいのだけれど。。。
今日、八坂神社でお父さんの無事を祈願したのだけれど。。。
まあとにかく、陰性でよかった。
念のために今日はカラフルを欠席。
もし陽性だったら大変だからね。
まあ結果的には陰性でよかったのだけれど、
無理して行かない方がよかったから正解だ。
かみさんも昨日検査を受けて陰性。
娘だけがなぜか陽性だった。
結婚式とかバレーの試合観戦とか結構外出していたからかな?
でも、みんな割と生活が戻っていた時期だったから仕方ないなあ。
感染が再度急拡大したのはそのあとだからね。
とにかく陰性でよかった。
間違いはないのだろうかな?
信用するとしよう。
今回で3回目だ。すべて陰性。
あとはお父さんのことが心配だ。
神様、お願いします。苦しい時だけの神頼みですみません。
また参拝に行きます。
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