徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

さだまさし 彼の楽曲について

2019-06-23 22:37:45 | 音楽
 ネットでさだまさし「デビュー10周年ライブ 時の流れに」が気になる。
1983年に行った、デビュー10年を記念するライブだ。
全八夜、すべてちがう歌を歌ったということだ。
さだまさしは1973年デビューということになるので、
今年でデビュー46年!?ということになる。
毎年のようにアルバムをリリースしているようだから、相当な数だ。
でも、僕の中のさだまさしはちょうどこの「時の流れに」の時期なのだ。
そして、最近、またその楽曲のよさを再認識している。
最終案内、
歳時記、
距離、
博物館、
夕凪、
指定券、
交響曲、
冗句、
住所録、
最后の頁、
道化師のソネット、
天までとどけ、
主人公、
線香花火、
晩鐘、
黄昏迄、
残像、
春への幻想、
フレディもしくは三教街、
加速度、
檸檬、
かなしいうた

どれも名曲だと思う。一般的な有名曲とは違う歌も結構ある。
私小説的な歌が好きなような気がする。自己分析によると。
もちろん、これら以外にも好きな歌はたくさんある。
アルバムで言えば
帰去来、
風見鶏
私花集
夢供養
印象派
わすれもの
せせらぎ
コミュニケーション
うつろひ

くらいの時期だ。

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女王の教室 今の日本を的確に表している 気づけ国民!

2019-06-20 21:58:53 | 日常

10年前のドラマ「女王の教室」での指摘、現在の日本の姿と完全に一致していることが明らかに

2015年6月20日12:15 by 深海 | カテゴリー 社会 | タグ コラム


2005年に放送され、衝撃的な内容で話題を集めたテレビドラマ「女王の教室」の第1話でのセリフがぞっとするほどに2015年現在の日本の姿を描写していることが明らかになりました。

「女王の教室」は2005年7月2日より9月17日まで日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ。天海祐希が悪魔のような小学校の鬼教師を演じ、
6年生の児童たちに苛烈な言動で試練を与えていくという、熱血教師もののドラマの真逆をゆく展開で大きな話題になりました。

この中で教師が児童たちに日本という国のあり方を一切歯に衣着せずに語る場面があります。その内容が以下のもの。


いい加減、目覚めなさい。

日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、
テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、
会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。


この衝撃的なセリフは過去に何度かネットで話題になったことがありましたが、どの時代よりも2015年の日本の現状をつぶさに表しています。

◆「安い給料で働き」
例えば「安い給料で働き」という部分に関しては、6月19日に衆議院を通過した派遣法改正案では、
現在派遣期間が最長3年とされ、その後は正社員として雇用することが義務付け(※別の人であっても同一ポストでの派遣の受け入れは不可)られていた製造業や一般事務などの派遣労働者を、
人さえ変えれば派遣の受け入れを継続できるようになりました。

これは派遣社員側からすると、3年後には正社員として雇用されなければ別の職場に移る他、同一雇用先の別の課で働くことも認められるため、
一生派遣社員としてたらい回しにされながら働き続ける他なくなる可能性が強く指摘されています。

これまでは専門性が高いとして契約更新で無期限に働けていたソフトウエア開発や秘書、財務処理、書籍等の制作・編集、通訳などの「専門二十六業務」の区分も撤廃されることから、
現在の職場から雇い止めを通告されるケースが法案成立前から相次いでおり、雇用の不安定化がさらに進むことが予想されています。

派遣社員は正社員より低賃金の場合がほとんど。社会保険やボーナスなどの福利厚生も正社員に比べて低いか全くない場合が多く、
同一労働同一賃金という原則はズタズタに引き裂かれているのが現状です。この派遣法改正案はそうした身分の違いを固定化し、
格差社会をさらに推し進め、ワーキングプアをこれまで以上に生み出すことは間違いありません。

東京新聞 「生活が…」泣き崩れる傍聴者 派遣法改正案 衆院通過へ 政治(TOKYO Web)

「派遣法改正案」のいったい何が問題なのか トレンド 東洋経済オンライン 新世代リーダーのためのビジネスサイト

◆「高い税金を払う」
「高い税金を払う」ことに関してはもはや何も言う必要がないでしょう。
2014年4月1日に8%に引き上げられた消費税は2017年4月1日に10%にさらに引き上げられることを安倍政権が決定しています。
景気条項も削除されており、先送りはありません。

6月18日に厚生労働省が発表した4月の毎月勤労統計調査の確報値によると、実質賃金指数は前年同月に比べて0.1%減。
速報値では0.1%増とされ、「2年ぶりにプラスに転じた」とアベノミクスの成果にはしゃぐ声もありましたが、実際は24ヶ月連続の減少という結果に終わっています。

こうした増税と労働環境の悪化がさらに続けば景気がさらに悪化することは間違いありません。
アベノミクスの成果として取りざたされる株価の上昇も、恩恵を受けられるのは株を保有できる企業や富裕層。
つまり、将来にわたって格差や貧困はさらに拡大し、固定されることとなります。

◆「戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの」
直接攻め込まれなくとも、集団的自衛権を発動して武力行使のできる国へと日本は現在変貌しようとしています。
安倍政権は集団的自衛権の行使要件となる「存立危機事態」を石油不足にまで拡大。
「国民の生死に関わるような深刻、重大な影響が生じるかどうか」で判断するとしながらも極めて定義が曖昧なままとなっており、無制限の拡大が強く懸念されているのが現状です。

さらには「アメリカ合衆国へのサイバー攻撃であったとしても集団的自衛権を発動し、通常兵器での反撃も行う」と防衛省が答弁するなど、歯止めがかかる様子は全くありません。

また、6月10日には改正防衛省設置法が成立。武器の輸出や他国との共同開発を原則解禁とした「防衛装備移転三原則」を受け、
国内の防衛企業の海外戦略の支援や他国との交渉窓口となるなど、武器輸出の司令塔的な役割を担う「防衛装備庁」が新設されることとなり、軍需産業のさらなる強化を目指しています。

◆「今のままずーっと愚かでいてくれればいいの」
さらに6月8日、文部科学省は全国に86ある国立大に対して文系学部の廃止などの組織改革を進めることを求める通知を出しました。

「日本を取り巻く社会経済状況が急激に変化する中、大学は社会が必要とする人材を育てる必要がある」との言い分ですが、
実学のみに特化して哲学や文学、社会学などを学ぶ機会を失わせることは、国民自らが社会にある問題点を見出し、
自ら考える知性などは不要だと言っているようなもので、大学を単に交換可能な人材を大量生産するだけの装置へと変貌させて行くことになります。

これに対しては当の産業界側からも以下のように批判が出ているほど。そもそも企業が人材に求めるのは「論理的な考えができること」であるため、
理系・文系のいずれかを偏重ないし軽視すればいいというものではありません。

「国立大から文系をなくそうなんて愚の骨頂です。我々が学生に求めているのは論理的に問題を解決する力、人の話を理解する能力、つまり文系でこそ学べる教養です。
英語は話せた方がいいに決まっていますが、人とコミュニケーションがとれなければ、何にもならないじゃないですか。
スキルだけ持った学生なんて企業はいらない。必要なスキルなら、入社後に企業側が教えればいい」

特集ワイド:続報真相 国立大文系が消滅? 文科省、組織改編促す - 毎日新聞


神戸女学院大学名誉教授で哲学や倫理学研究者としても知られる思想家の内田樹氏は、国の制度や文化を支え続ける責任感の持ち主たる「成熟した市民」が育たなくなると批判。



国立大学が自国の歴史や文化に対する愛着も関心もなく、ひたすら「グローバル資本主義」に自分を最適化させ、
高い地位と年収をめざす学生たちの競争と格付けのためだけの場になった国に未来はあるのでしょうか。
(中略)そんな人間ばかりになったら、国に明日はないからです。
「次世代を担う成熟した市民」は、自分の共同体に対する強い愛情や帰属意識を持ち、国の制度や文化を支え続ける責任感の持ち主でなければならないからです。

国立大学改革亡国論「文系学部廃止」は天下の愚策 - 内田 樹


実際、現在の安倍政権の「戦争法案」を違憲であるとして退けているのは200人を超える憲法学者たち。
文系学部を企業の要請に合わせる形で廃止していくのだとすれば、
文系を廃止した未来の社会では、こうした歯止めがさらに失われ、為政者や経済界の思うままに社会構造が作り替えられやすくなることは想像に難くありません。

◆「特権階級」
仮にも身分制度の廃止された日本での特権階級とは何か。
オキュパイウォールストリートでは「1%の富裕層とそれ以外の庶民」という構図が示されましたが、
ごく一部の富裕層に多くの富が集中していることはこれまでBUZZAP!でも何度も記事化してきました。

世界で最も裕福な85人が人類の貧しい半分の35億人と同量の資産を握っていることが判明 | BUZZAP!(バザップ!)

富裕層が得た富は庶民にも流れる「トリクルダウン理論」の問題点が一目で分かる画像 | BUZZAP!(バザップ!)

OECD「トリクルダウンは起こらなかったし、所得格差は経済成長を損なう」という衝撃の報告について | BUZZAP!(バザップ!)

内田樹氏は上記の記事でそうした人々や財界の発想について以下のように説明します。



「次世代を担う成熟した市民の育成」を放棄した国に未来がないことは誰の目にも明らかです。
しかし、「それでいい」というのが大学の「株主」たる財界の意向です。
彼らにとって重要なのは国の未来よりも自社の利益・株主の利益です。
彼らは四半期タームでの収益や株価だけに興味があり、「国家百年の計」は一顧だにしない。

彼らが当面必要としているのは、「グローバル人材」という名の、能力が高く、安い賃金で体を壊すまで働いてくれて、いくらでも「換えがいる」労働者たちです。


こうした富裕層が富を貯めこみ、起こりもしないトリクルダウンという幻想を振りまきつつ社会やそこに属する個人への富の再分配を最小化しようとしている現状は世界各地で起こっており、
日本も同じ道を歩みつつあることは言うまでもありません。

◆ファシズムと新自由主義
ここで挙げられている要素を見てみると、大きく分けて2つの潮流を目にすることができます。
そのひとつは、かつて大日本帝国時代に陥った「ファシズム(全体主義)」。

第二次世界大戦への反省から生まれた最高法規である憲法を蔑ろにして、
時の内閣の閣議決定のみでその解釈を大幅に変更しようとする安倍政権の姿勢は、
自民党の村上誠一郎元行革担当相が指摘したようにファシズムと呼ばざるを得ないもの。

「戦争法案」を改憲という正規の手続きを経ず、既存の政府見解やほぼすべての憲法学者の「違憲」という指摘を振りきって成立させようとする行為は民主主義の無視に他なりません。

これと時に絡み合いながらも確実に日本に根を生やしているのが「新自由主義」です。

労働環境が企業により有利に、労働者に不利に変わる派遣法改正案や、累進課税制度の真逆を行く消費税の相次ぐ増税。
アベノミクスによる株価高が大企業や富裕層に恩恵をもたらすのとは好対照です。

さらに大学を企業の下請けのように扱い、国民が社会の問題点に目を向け、自ら考える機会を奪う文系廃止の通達など、いわゆる「特権階級」のための制度と言えるでしょう。

こうして見てみると、「女王の教室」で予言された社会が、おそらく当時からその萌芽はあったにせよ、この10年で身も蓋もない程にあからさまに日本社会を覆い尽くしていることがよく分かります。
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母と訪れた高山、上高地

2019-06-16 16:19:07 | 
 あれは結婚してから二年が経とうとしていた1990年秋。
僕は母を連れて、飛騨高山、上高地へ行った。
昔から、大切な人とは必ず上高地を訪れている。
母と二人連れの旅はこの時が最初で最後かな。
その後、1990年代は自分の家庭が大変な時期だったから
2000年代は仕事、家庭で人生で最も多忙な時期だったから。
2010年代はやっと余裕ができてきたし、
遠く離れたから、逆に父母と触れ合う時間が増えた。
今から思えば、もっとお母さんと過ごす時間を持っておけばよかったとつくづく思う。
何とあの時は自宅から夜に出発して徹夜で運転したのだ。
10月20日の夜に出発して、21日朝に飛騨高山に到着。
さっそく朝市へ出かけた。それから、高山民俗村?(風車のあるところ)
そして、高山の旅館で一泊。
翌日は一路上高地を目指す。安房峠を越えて、釜トンネルを抜けて上高地へ。
(あの頃はまだマイカー規制がなく、上高地まで車で入れたのです。)
ものすごい渋滞で駐車場もなく、確か道端に駐車していたのを思い出す。
上高地をゆっくり散策して、帰路に就く。
確か帰りの高速道路内でガソリンが切れかけて、高速を降りて
すごい田舎でガソリンを入れた覚えがある。
日曜日の夜だったけれど、どこかの工場では仕事をしていた。
 僕にとって一生忘れることのできない、大切な旅の一つだ。
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B級遊民ブログより 20190614

2019-06-14 11:54:38 | 日常
『若者はホントにバカか』 市民であるための教養

「たとえ若者の知識が貧弱であったところで別に問題はないだろうと考える人も多いでしょう。
バカと言っても知能が低くなったわけでもなし、必要な知識は必要に応じて得ればいいのではないかという意見にも一理あります。

 しかし、著者が一体何を危惧しているのかを聞くと「なるほど」と思わされます。
彼は「民主主義には、監視の目を持つ市民が必要」だから知識が必要なのだと考えています。
アメリカには頼るべき伝統的権威はなく、教会も分派が多くバラバラで、「国民は自分のために行動し、思考しなければならない」のだ、と。

 実際は共和党の支持基盤であるキリスト教の一派が強力ですけど、あれは反知性主義の権化ですから、そこは不問にしておきましょう。



トーマス・ジェファーソンは、アメリカ合衆国の存続を確実にするために、公立学校を非常に重視した。1786年に彼はこう書いている。
各世代にたっぷり教育を施すことこそが、国民を維持し「人々のあいだの知識の伝播」を促進する唯一の方法なのだ。
もし「人々を無知なまま放置すれば」、以前の風習が復活してしまい、「王様、僧侶、貴族(中略)が強力になってしまうだろう」。

 今さら王様も貴族も復活はしないでしょうが、一部の権力者や金持ちに有利な社会が形成されることは間違いありません。
もしかすると、もはや手遅れなくらいにアメリカはそうした社会であるかもしれませんが、
少しでもよりよい社会にするためには市民が市民としての教養を持っていなければ、改革ができないことは間違いありません。



 教育は国民主権を守るものであり、もし主権が国民になければ、また専制政治に陥ってしまうだろう。
ジェファーソンは公立学校の力を信じていた。有能だが富と家柄に恵まれていない青年をみつけることができると信じていた。
そうした青年に公的資金を与えて高等教育を受けさせよう。彼らが市民になれば、
「アメリカ建国の父たち」の理念や手本と対比することによって、現在の指導者の行動を見張ることができる。
本と教室を通じて系譜が伝えられていくというわけだ。



 健全な民主主義には、警戒を怠らない市民が必要だ。
そして、より健全な市民、警戒を怠らない市民には、知識のたくわえが必要だ。
市民は、歴史的知識をつねに引き合いに出せるようになっていなければならないし、
アメリカがどういう国か、そのことについて普遍の感覚を保持していなければならない。
どんな英雄や悪党がいたか、どんな勝利と悲劇が起こったか、どんな主義や原則が打ち立てられたか、といった知識があれば、
生き生きとした過去の像を頭のなかに入れておくことができるし、
個人生活に「現在の利益や付き合い」以外の要素が入ってくることになる。


 国がおかしな方向に進むときは、たしかに国民が無知にさらされバカな判断に同意する時です。
偏狭な価値観を叩き込まれたり、感情的なナショナリズムに煽られたり、反知性主義にとらわれたりするときです。
民主国家の場合は教育とプロパガンダで人を扇動し、独裁政権ならばそれに加えて知識人の粛清を行ないます。

 教養の目的にはこうした「市民であるための教養」という面もあるのだなとあらためて気付かされました。
そういえば古代ギリシアの教養観にもその目的に「完全な市民になること」を掲げるというものがあったはずです。
教養がどういうものであるのかすら忘れられた時代なのかもしれません。



だが、2008年時点でのアメリカの状況は深刻である。
アメリカは今、
諸制度を活気づけてくれる若者たち、
将来は強力な軍事指導者、
賢明な政治指導者、
献身的なジャーナリスト、
厳しい教師、
裁判官、
不正摘発者、
学者、
批評家、
芸術家になってくれる若者たちを必要としているし、
わが国には若者を鍛える最高の学校があるのだが、人付き合いと余暇時間が原因で腐敗しているのだ。

 そうした環境を提供し、各種ツールを提供したのは大人たちですが、なにも意図して無知な若者を生み出しているわけではありません。
自分の仕事のため、利潤を上げるため、上司の命令に従わなければならないがゆえにこういう状況を招いているのです。



30歳以上のすべての人々は、「若者の無知、無関心に反対だ」と率直に言うべきである。

 おそらく日本の社会全体で見れば、若者を育てる対象というよりもお客さんと考えているのではないでしょうか。
教養をつけさせることよりも、どうやったらお金を使わせることができるだろうかと日夜知恵を絞っている状況でしょう。
社会がどうあるべきかと考えるよりも目先の金なのです。モノを知らないバカな若者が増えたと笑っている場合ではありません。」

というものです。要するに、こんなにひどい最近のA政権の支持率などがいつまでたっても下がらないのは、若い人たちが最近の状況を理解できていないということなのかと思います。普通に考えれば、こんなに国民に対してひどいことをしている、私利私欲のための政権の私物化に対して、何も
言わずにいる、(ということは受け入れているということだと思う)なんて考えられない。
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教え子のライブ

2019-06-03 23:40:27 | 音楽
 心斎橋「歌う魚」にて
いおかゆうみ CD発売記念ライブに行って来ました。
素朴な歌声で、素朴な日常をそのまま歌にしたさりげない作品たちです。
コラボ?の今西太一さんというベテランのステージも見ました。
なかなかパワフルでした。さすが年季が入っていてなんとなく引き込まれていくのがわかりました。
いおかゆうみ、頑張ってほしいものです。
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