徒然小夜

日々の想いを自由気ままに書きつづる
話題は趣味、仕事、人生、いろいろ

お父さんの施設探し20220527

2022-05-28 08:46:15 | 日常
 昨日、芦屋はまゆうさんに再び電話。
もう一つの施設への入所を仮決定したため、
お断りの電話だ。
 施設の内容としては、芦屋はまゆうさんがよかったが、
料金、アクセスの面で言うと、遊里の杜になる。
施設長さんの話を伺っていて、その熱意が心に響いて
いい印象を受けたのだ。ただ、昨日の電話での印象は
自分の伝えたいことを伝えるあまり、
こちらの言葉に対しては反応が薄い印象を受けた。
まあ、勘違いかもしれませんが。。。
 6月1日に遊里の杜さんと病院の面会があり、
最後の詰めを行う予定だ。
 まだ未知数だけれど、スタッフがいい人たちであってほしい。
うまくいくことを祈るしかない。
お父さんが気に入ってくれるといいのだけれど。。。
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宗像再発見 20220526

2022-05-26 16:10:21 | 
父親の施設探しで父親の故郷、宗像市鐘崎に戻って2週間余り。
施設探しの合間を縫って、今まで行けてなかったスポットに行ってみた。
これまでに行ったのはさつき松原(沖ノ島展望所)。
道の駅むなかた。宗像大社。鎮国寺。新原・奴山古墳群。
鐘崎貝塚。西山浄土宗上報山龍園院泉福寺。温泉やまつばさ。ふれあいの森総合公園。

まずは、鐘崎のシンボル、織幡神社。何気なく行ってみたのだが、
これがなかなかの収穫。まずは神社の本堂の奥に目をやると、
沖ノ島展望所という看板。ひょっとしてと思って、期待半分で行ってみる。
ほんの15分程で到着。
途中にイヌマキ天然林。佐尾形山標高50m。これでまた登頂山が増えた。

駐車場を下りてすぐの所におっちゃんがいて、
車を降りるなり、パンフレットをくれた。アサギマダラだ。
花壇に行ってみると、何と数十頭のアサギマダラが乱舞。
色々と話を聞いた。
次に岡垣町。
鐘崎から海岸線の道路を車で走り、
「宿膳八幡屋満海の湯」のある当たりから交差点を左に入る。
岡垣町観光ステーション北斗七星があり、寄ってみる。
そこへ行くまでにいくつかの宿泊施設、飲食施設を目にした。
料亭旅館「大福荘」海の家「だがし屋」
岡垣町観光ステーションで車を停めて、しばらく歩く。
レンタサイクルショップがあった。
そう、ここは遠賀宗像自転車道の途中にあるのだ。
この海岸線は新松原海岸と呼ばれ、途中に旅する蝶々アサギマダラ立寄処、三里松原などがある。
何やら新しい施設の開設イベントが行われるようだ。
後でネットで確認したら、自転車用の休憩施設のようだ。
レンタサイクルショップでは、BBQもできるようで、
1グループが楽しんでいた。
他に鮨屋台という、気になる寿司やが一軒。
観光センターにはパンフレットも様々置いてあり、
気合が入っていることがわかる。
鐘崎は負けているなあ。
再び車を走らせる。芦屋に向かう。ぐるーっと回り込み、
海岸方面へ向かう。有名なチャンポン屋さん(チャンポンの松露)、
ぶどうの樹とかいうお店など、気になるお店がたくさん。
 次はよつづか縦走について。
まずは、湯川山。標高417m。よつづかの最高峰は孔大寺山。499m。
湯川山~孔大寺山~金山~城山 これが宗像四塚縦走路。
次は、真言宗泉涌寺派成田山不動寺。ここへ向かう途中にはゆうれい坂という怖そうな坂もある。また、ふれあい公園(散歩道)というのもある。誰もいなかったし、どこにあるかも不明。宗像から岡垣へ抜ける国道495号線の途中に垂見峠があり、湯川山と孔大寺山の縦走路の途中の地点だ。
まだ行っていない場所
上八の大サルスベリ。ロシア料理イズバ サウナizba。(さつき松原にある)
SRショーホースステーブル(乗馬)。宗像ホタルの里公園(むなかた「水と緑の会」HP)
神湊。大島。地島。あんずの里。(花期3月 満開)


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離職の理由20220526

2022-05-26 12:14:28 | アウトドア
ヤフーニュースで掲載されていたニュース。
「離職の理由は給料が安いからというのは短絡的である。」
として、
人間の3つの欲求をまず挙げている。
■人間が抱く根源的な「3つの欲求」
 私の経営指導の経験から言えることは、「人は人間が根源的に抱く欲求が満たされない時、離職を考える」ということです。
 ここで言う根源的に抱く欲求とは、アメリカの心理学者クレイトン・アルダファーが提唱した「ERG理論」で示される生存欲求、関係欲求、成長欲求の3つを意味します。
 ①「生存欲求」とは安心・安全に生きていきたいという欲求であり、現代では給料や雇用環境が影響します。
 ②「関係欲求」は良好な人間関係を築き、人から認められたいという欲求。
 ③「成長欲求」は苦手を克服し、得意分野を伸ばし、自らの可能性や才能を発揮していきたいという欲求です。

  社員はこの3つの欲求を満たしてくれる会社、すなわち十分な給料を払ってくれて、
 良好な人間関係の中で、周囲が自分のことを認めてくれて、自分を成長させてくれる会社で働きたいと思っています。
 このうちのどれか一つでも満たされなければ、それが離職の理由となり得ます。
 給料と離職率の関係でいえば、給料は生存欲求に関するものです。
 ただ、関係欲求や成長欲求が満たされない場合でも、人は離職を考えます。
 また、厚労省の令和2年雇用動向調査結果における「転職入職者が前職を辞めた理由」では、
「給料等収入が少なかった」は男性9.4%、女性8.8%と1割に達していません(*2)。
 そのため、よほど給料が低い場合を除き、
「離職率の高さの原因は給料にある」という考え方は短絡的と言わざるを得ないでしょう。
 要するに給料に関する不満はないと判断しているのだろうか?
 これは大きな間違いだと思う。
 給料に関してはすでに諦めているというのが本当の所ではないのだろうか?
 仕事があるだけでありがたいみたいな心理ではないか。
 給料が安いことは前提条件となっているのである。
 その上で、先のような離職条件が出てくるのだと思う。

では、離職率を下げるため、関係欲求や成長欲求を満たすにはどういう関わりが必要なのでしょうか。
■相手を認めるコミュニケーション
 関係欲求を満たす関わりとしては、相手を認めるコミュニケーションをとることが重要です。
 具体的には、入社・退社時は挨拶をする、話を丁寧に聴く、共感を示す、感謝やねぎらいの言葉をかける、
 優れた点や努力の跡が見られる点は褒めるといったことが挙げられます。
 ある会社で、同じ仕事をしているのに、ある社員は仕事が面白くないと話し、ある社員は仕事が面白い、やりがいを感じると話していました。
 仕事の好みの問題もあるかもしれませんが、両者には明確な違いがありました。
 それが、上司の認めるコミュニケーションの有無でした。
 前者の上司は部下を一切褒めることがなく、ただ指示を出すだけでした。
 後者の上司は良くできている点を褒め、「ありがとう」の言葉をこまめにかけていました。
 仕事の内容は変えられないから、「仕事に面白さややりがいが感じられない」といった理由で離職されるのは仕方ないと思っている方もいらっしゃいます。
 ただ、仕事の面白さややりがいは仕事の内容だけで決まるものではありません。
 上司のこういった言葉がけの有無によっても大きく変わるものである、ということを理解しておくことが重要です。

 「あの吉村は最低の上司だったということになる。
  僕がM高校勤務最後の日。僕は陸上部合宿の付き添いで兵庫県に出向いていた。
  異動辞令をするために、職場に戻り、校長室へ。
 「最後の日まで大変ご苦労様です。」くらい、言ってくれてもいいんじゃない?
  そんなことを望むのは甘えか?
  しかも、最後に渡された評価はB。ありがとうございます。
  情けなかった。他の人の望まない仕事ばかり、引き受けて耐えてきた。
  周りの人間は逃げ回ってばかり。そんな中、正面切って仕事をしていたつもりだ。
  そんな僕にあの校長はB評価だ。僕の勤労意欲はあの時にぷつりと音を立てて潰された。
  まあ、その後も新天地で何とか10年間踏ん張って手を抜くことはしなかったけれど、
  あんな状態でよくやれたものだと我ながら感心する。」

 成長欲求を満たす関わりとしては、目標設定と成功体験、フィードバックが重要になります。
 ある程度困難な目標が設定され、それをクリアすると達成感が得られます。
 この達成感によって成長が実感でき、強くモチベーションが高まります。
 また、「ずいぶん仕事が早くなったね」「お客様へのプレゼン、うまくなったな。落ち着きも出てきた」などのように、
 成長の跡を上司が言葉でフィードバックすることでも、自分の成長を感じることができます。

■意識の高い社員を離職させないコツ
 特に意識の高い社員は成長欲求を重視し、年収を下げてでも成長できる企業に転職するケースも少なくありません。
 意識の高い人材こそ会社の将来を担う人材であり、こういった人材の離職は会社にとって大きなダメージとなります。
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TULIP 50th ANNIVERSARY TOUR

2022-05-25 15:19:41 | 音楽
 デビューから少し経った頃、
そうだ「心の旅」の大ヒット以来だ。
1973年。TULIPのサウンドは僕と弟の💛をガッチリ掴んでいた。
でも、今から思えばそれもそのはず、彼ら自身がビートルズの大ファンで
そのサウンドもビートルズにインスパイアされたとしか思えない曲がたくさん。
だから、ビートルズにのめりこんでいた僕たちにとって、
TULIPにのめりこむのも当然の流れだったのだ。
 そのTULIPが50年目の節目を迎え、
全国ツアーをするとなれば、今までお世話になった僕たちとしては
何が何でも聞きに行かなければという思いで申し込んだ。
1973年からUpside-down くらいまでだろうか。
1972 魔法の黄色い靴
   君のために生まれ変わろう
1973 心の旅 チューリップベスト
   ライブアクトチューリップ
1974 TAKE OFF
    ぼくがつくった愛のうた
1975 無限軌道
   日本
1976 ALL BECAUSE OF YOU GUYS
MELODY
   ライブアクトチューリップVOL.2
1977 WELCOME TO MY HOUSE
   チューリップガーデン
1978 Upside-down
鈴蘭&田園ライブ!! ライブアクトチューリップVOL.3
1979 SOMEDAY SOMEWHERE











1989 TULIP FINAL TOUR Well
解散の時は、やっぱりという感じかな。
1979年以降はアルバムを一枚も購入していないのだから、
完全に興味がなくなっていたということだ。
賞味期限が切れたということか。
これは1980年あたりが人生の大きな転換期だったことも関連するかもしれない。
すなわち、1979年に学生時代が終わり、社会人となるわけだ。ジョンの死、などなど
それに伴って新しい音楽を取り入れることをやめてしまったのだ。
80年代の音楽シーンが僕の趣味とまったく合わなかったということもあるだろう。
テクノ音楽などのジャンルには全く興味がわかなかった。
ということでTULIP自体の問題というよりも僕個人の問題で遠ざかっていったのかもしれない。
とにかく、1997年に再結成されるまでの時代はかなり悲惨な時代だったような気がする。
ある年の紅白歌合戦のあとのゆく年くる年で、映し出されたお寺の境内近くであれは絶対TULIPだと思うのだけれど、
カメラはそのTULIPの演奏風景をまるでその辺の殺風景な景色として移し流していったのだ。あれは悲しかった。
 しかし、それからほどなくしてTULIPは復活したのだ。しかしそれは、アーティストとしてではなく、
現役を終えた後の、レイドバックした形での同窓会的な集まりだ。
これなら彼ら自身もプレッシャーを感じることなく、音楽を楽しめるのだ。
実際、そんな風にしてやってきたから、最後、最後と言いながら、ここまで何度も全国ツァーをやって来た。
そして、ファンもそれにしっかりとついてきた。
 しかし、ついに50年目、さすがに今回は最後かもしれない。なんせ宮城さん以外は70歳を超えているのだから。
たくろうもついに活動を辞めるといっているし。
そんなわけで、今回の50周年ツァーは絶対に行こうと思っていた。
そして、5月5日、ついにその日がやってきた。
ぞくぞくするような興奮ではないが、最後に彼らの姿を見て幸せな気分になったことは確かだ。ありがとう。😊
弟も随分お世話になったし、それに対するお礼という意味もある。
これからはビートルズのファンという同じ立場で生きていこう。


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父親が快適に過ごせるために

2022-05-25 11:10:22 | 
 5月6日~5月22日まで福岡県の父親の田舎に行ってきました。
昨年8月の入院以来、かれこれ9ヶ月になります。
一時は危ないようなことを言われていたので、それなりに覚悟はしていましたが、
昔、身体を鍛えて来たことがよかったのか、
奇跡の回復力で退院できるほどになってきました。
もう年齢が91歳になるので、それでもいつ何があってもおかしくないので
それなりに緊張はしています。
これまで治療、看護にあたっていただいた病院の関係者のみなさんには
大変感謝しています。
さて、3月くらいから退院、次の施設さがしについては
相談員の方からも話を伺っていましたが、
父親が病院での生活の長さに、かなり不満がたまってきているようにも思えるので、
これは退院した方がいいだろうということで、
本格的に施設を探し始めました。もちろん、父親自身は自宅に帰りたいと
常々言っているので、辛いのですが、如何せん、在宅介護は難しいだろうという
相談員の方や、ケアマネさんの意見もありやはり施設でのんびり過ごす、たまに
面会、外出、外泊をすることによって父親も気分転換ができるだろうと思うので
我慢してもらおうと思っています。
 そこで、5月6日に父親の地元の町に行き、相談員の方とリストアップされた
施設の中から2施設ピックアップしてくださったので、さっそく見学することにしました。
そして、リスト外の施設も一つ。他にもケアハウスなど数カ所で説明を聞きました。
いくつか候補が揃ったところで、比較検討することにしました。
 その中で入院前に父親が通っていたデイサービスが利用できる施設を選択すると、
そこの相談員の方が病院で状況を確認しに行ってくださいました。
課題は2つ、
①スタッフ数が少なめなので、夜間の見守りが手薄になりそう、
②介護保険該当分が不足して、費用面での不安があるということ
③施設長がケチ臭い雰囲気を醸し出している。

そんな中、東京にいる中学時代の友人からたまたま電話があり、その話の中で
彼のいとこが経営している施設を紹介してもらい、さっそく見学にでかけた。
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今日は沖縄本土復帰50年の日

2022-05-15 22:42:52 | 沖縄
1972年5月15日。僕は高校一年生。
当時のこのことに関する記憶はない。
1968年の小笠原の本土復帰は切手で記憶がある。
あれから50年が経ったわけだ。
50年が経ったという事実があるだけで、
沖縄の人たちにとっては
別に節目でもなんでもないのではないか。
沖縄の人たちにとっての節目は
たとえば基地関係の仕事に従事していた人たちの
仕事も補償した上で、
県内の米軍基地が全てなくなった日ということになるのではないか。
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みんなそれぞれの第二の人生を送っているが。。。僕はまだ迷いが。。。

2022-05-01 01:22:37 | 日常
 僕が今やっていること
①家事
②テニス
③カラフルキャンパスの講師
④授業サポーター
⑤バンド活動
⑥登山
⑦自然観察
⑧自転車
⑨宅録
➉片づけ(荷物減らし 断捨離)

取り組みたいこと
①畑
②しまなみ街道
③常念岳、笠ヶ岳、水晶岳、鳥海山、祖母山、白馬岳~北アルプス縦走、
④ボランティア(社会福祉協議会登録)
⑤派遣会社のアルバイト
⑥農業ボランティア
⑦料理教室
⑧哲学、宗教、寺社巡り(四国八十八か所)
⑨英語通訳ガイド
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退職後は新しい冒険をする 20220430

2022-05-01 01:09:02 | 日常
 身を粉にして働いてきた生活におさらばして、
これからは新しい冒険をする
知らない所へ行く
知らないコミュニティを見つける
知力の限界に挑む
体力の限界に挑む
他者貢献、社会貢献をする
無駄を冒険する
未知の領域の学問を究める
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