Cape Fear、in JAPAN

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怒れる牡牛の物語

2013-09-09 00:45:00 | コラム
第16部「デヴィッド・クローネンバーグの物語」~第5章~

前回までのあらすじ

「彼(マーティン・スコセッシ)とはじめて会ったあと、インタビューでスコセッシは、わたしと会いたかったんだけど、会うのはとても怖かったと言った。『タクシードライバー』を作っておいて、それでわたしと会うのが怖かったって! 彼こそ、映画の作者とその作品とのあいだには複雑な関係があるといちばんよく知っているはずの男なのに。だがそれでも彼は映画を観たままに受けとめて、わたしをそれと同一視し、映画の中に見てとった狂気、映画の中に見てとった不快なものが、わたしの本質だと思っていたんだろう」(クローネンバーグ、自作と自身について語る)

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偶然の事故ではなく、必然の事故を起こす。
性的快楽を得るために。

受動から能動へ―世紀末な傑作『クラッシ』(96)を観て、クローネンバーグは変わったのかも、、、と筆者は思った。

身体へのこだわりは一貫しているが、
脇の下から突起物が生えてくる『ラビッド』(77)、交通事故によって超能力を得てしまう『デッドゾーン』(83)、実験の失敗による蝿男の誕生『ザ・フライ』(86)、そして超能力者たちの戦争を描いた『スキャナーズ』(81)でさえも、異形となったものの抑圧や哀しみ、怒りを描いているのに対し、
『クラッシュ』は、望んで「向こう側」に行こう・逝こうとするものを描いている。

『裸のランチ』映画化(91)を経てクローネンバーグは、第二ステージに進んだのだな、そう解釈した。

99年―自作『ヴィデオドローム』(82)を現代風にアレンジした『イグジステンズ』を発表。
人体とゲーム機本体を直接繋いで遊ぶことが出来る近未来を舞台にしているが、描写は『ヴィデオドローム』に比べてソフトで、筋そのものもはるかに分かり易い。
ただ分かり易いぶん、不可思議な魅力というものは半減しているように感じた。

面白いなぁと感心するのが、実力も人気もある女優たち―ホリー・ハンター、ロザンナ・アークエット、ジェニファー・ジェイソン・リーなど―が、退廃的なビッチを喜んで演じているように見えること。

抑圧から解放されたクローネンバーグ映画のヒロインたちに、共感してのことだろうか。

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カンヌ映画祭の審査委員長も務め、俳優としても(基本は端役だが)オファーが絶えない。
そんな異才でも、躓くことはある。

けっして失敗作とはいえない『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002)は興行面で振るわず、プロデューサーを兼任していたクローネンバーグはその責任を問われるとともに、自己破産の危機に陥ってしまう。
テレビシリーズ『エイリアス』(2003~2004)にゲスト出演を続けたのは、経済的な理由が大きい―と噂されたほどであった。

『スパイダー』は統合失調症の男を主人公としていて、現在と過去が激しく入れ替わる構成。
邦題の蜘蛛は反則だとは思うが、観ているほうが蜘蛛の糸に絡めとられていくような物語で、そういう意味では正しかったのかもしれない。
ただ展開と映像が、あまりにも地味だった。
そういう映画も「あり」だとは思うが、多くの映画ファンはクローネンバーグにインパクトを求めているのも確か。
その要求に応えたのが、2005年の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』である。

主人公の「封印された」暴力性が露わになっていく過程をスリリングに描き、もはやクローネンバーグには超能力などの「飛び道具」は要らない―と思わせてくれる力作。

タイトルがすべてのような映画だが、クローネンバーグにとって大きかったのは、主演したヴィゴ・モーテンセンとの出会いだったはず。
シュワ氏やスライのようなSF的な身体ではない、ないが、生活を感じさせるような身体でもない、
リアリティと非リアリティのあいだをいく、なんとも映画的な身体。

この俳優の身体を得たことで、クローネンバーグの第三ステージは開けた。

2007年、『イースタン・プロミス』を発表。
ロンドンの裏社会や人身売買などの社会的テーマを扱ってはいるが、それらすべてをモーテンセンの異様な身体が吹っ飛ばしてしまう。




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トップ画像を見てほしい。
これが、デヴィッド・クローネンバーグの近影である。

彼の創るおぞましい映画と、この―敢えていうが―病的な顔。

スコセッシが怖がってもおかしくはない。
しかし実際に会ったスコセッシはクローネンバーグを「ビバリーヒルズの産婦人科みたいだった」と評した。
そのたとえも、日本人からすれば「?」だったりするのだが、クールに病んだカナダの映画監督は、様々な誤解を招きつつ、だからといってその誤解を解こうともせず、確信犯なのかもしれないが、その誤解をさらに膨らませるような物語を紡いでみせる。

単に「撮りたいものを、撮ってきた」結果なのだろうが、そこになんらかの意味を見出したいのが映画小僧の性であったりして、
世界に無数に存在する映画小僧のためにも、こういうワケガワカラナイ映画を撮る監督が絶えることがないように祈りたい・・・と思っていたら、第2章でも述べたが、クローネンバーグの息子が映画監督デビューを果たした。

その映像センスは、父親に負けず劣らず、寒々しくて狂っていて、ワケガワカラナイ。

この出来に歓喜した映画小僧は、筆者だけではないだろう。


第16部「デヴィッド・クローネンバーグの物語」、おわり。

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≪参考文献≫
『映画作家は語る』(デヴィッド・プレスキン著、柳下毅一郎・訳 大栄出版)

次回10月より第17部「フランシス・フォード・コッポラの物語」を、お送りします。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『肉も野菜も果物も』

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1 コメント

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漂う気味悪さと面白さのバランスと (夢見)
2013-09-09 15:24:16
ひりひり感がなければ 映画として面白いと認めない人間もいて

居心地良い異端

  
何事もバランスかと
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