Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(426)

2022-08-27 00:10:00 | コラム
るとがーはう「あー」→「あー」としあたー

ミニシアターが「はっきりと」ミニシアターと呼ばれるようになったのは、80年代に入ってからのこと。

主に独立系映画を上映する、スクリーンも小さめ・座席数も少なめの劇場のことね。
それ以前にも同じような劇場はあって、総称というものはなく「なんとなく」アートシアターと呼ばれていた。

61年、ATG(アートシアターギルド)が誕生。

初期は良質な外国映画の配給・公開が主な活動で、ポーランドの傑作『尼僧ヨアンナ』(61)が日本で公開されたのはATGのおかげ。
67年より自社で映画制作を開始・・・

大島渚や吉田喜重、新藤兼人、今村昌平、岡本喜八、市川崑、神代辰巳などが野心的な作品を次々と発表する。

自分がATGを知るのは長谷川和彦や大森一樹、森田芳光などが活躍する後期のこと、それでも夢やロマンを抱き、仲間に入りたいと強く思ったものです―これらの映画を支援したATGと、これらの映画を上映してくれた「アートシアター」を。


ATGが映画制作に取りかかった翌年の68年、岩波ホール設立。
総支配人の高野悦子が74年に開始した「エキプ・ド・シネマ」(=欧米以外の作品を上映する運動)は、たぶんATGの隆盛に可能性を感じたからだと思う。

このふたつが「なんとなく」作用しあって、ミニシアターの下地が出来上がっていく。


現在ミニシアターはコロナはもちろん、シネコンとネット配信により苦境に立たされている。
前記した岩波ホールも、つい最近閉館してしまった!!( ノД`)


自分の嗜好からいって、わが血と肉を作ったのはあきらかにこれらの映画館で上映されていた野心作がほとんど。

以下、自分にとって大事な、あるいは大事だった(過去形!( ;∀;) アートシアター/ミニシアターたち。


【シネマライズ】(トップ画像)

ここで観た作品のベストはこれ! 初日舞台あいさつで、監督と握手出来て感動



【シネスイッチ銀座】


方向音痴だから、慣れるまで迷ったものです(^^;)

『クライング・ゲーム』(92)は、いつだって満席だったね。



【ユーロスペース】(渋谷)

ここに行けば、必ず映画でつながっていた友人に会える^^


【シネアミューズ】(渋谷)



じつは環境は、あんまり…だった。
防音は徹底していなかったし、後方は見づらかったし。

ただかける映画がね、『愛のコリーダ2000』とか塚本作品だったので!


【BOX東中野】(現・ポレポレ東中野)



『鉄男』(89)を観たときの熱気は、未だ忘れられない。


次回のしりとりは・・・
あーとしあ「たー」→「たー」みねーたー2。

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明日のコラムは・・・

『眺めるだけで、よき^^』
コメント
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