Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(123)

2015-04-12 05:46:04 | コラム
92年の3月12日、映画小僧が上京―。

東京に着いてやりたかったこと・・・は、20も30もあったが、実際に1週間以内にやったことといえば、

(1)マクドナルドでビッグマックを食べる

芥川の『芋粥』じゃないけどね、食べたくて食べたくて、夢にまで出てきたんだ。

そう、館林にはマクドナルドがなかったから、生まれて初めてのマックだった。

テイクアウトで3000円分くらい注文したんじゃなかったっけな。

(2)風俗に行く

かーちゃん、ごめ!!

これまた、生まれて初めての風俗である。

『ピンクサファイア』という店の「momoちゃん」を指名したことは覚えているが、群馬の片田舎に住んでいたガキにとっては刺激が強過ぎて、プレイの内容は、そこだけ記憶喪失になったかのように「まるで」覚えていない。

(3)ミニシアターに行く

やっぱり、生まれて初めてのミニシアター。

場所はテアトル新宿で、コーエン兄弟の傑作『バートン・フィンク』(91)を観た。

(4)茶髪にする

懸命に東京に染まろうとしているあたりが、涙ぐましいね。

でもそれが「髪を染めること」というのが、いかにも田舎者じゃないか。


似合っていたかどうかはともかく、自分を改造しようとしていた。

そして初めての帰省が、その年の8月。
それがトップ画像だが、まだ半年も経っていないから・・・というのがイイワケになるかどうか分からないが、改造は未完成で、なんか妙だよね?

でもまぁ、(なぜか)顔は自信に満ち溢れている、、、ように見える。

ちなみにその翌年―今度は、とーちゃんとかーちゃんが自分のアパートに来てくれて、そのときに撮った写真がこれ。




少~しだけ、東京に馴染んできた感じかな。


さらに。
その年の夏に帰省し、高校の同級生と呑み会を開いたときの1枚。



髪を黒く戻し、今度は服装に気を使い始めたころかな。


現在のアンチャンネーチャンは、たとえ地方に住んでいようとも、東京に対する憧憬なんて抱かないだろう。

中島みゆきの『ファイト!』には、

♪ 滲んだ文字、東京行き ♪

という歌詞があったし、

長渕も東京への愛憎を歌ったし、

『自虐の詩』でも、

「あんたのようなひとが生きるところ」と、東京を表現していた。


そういうのは、自分の世代で最後だといわれている。
だから映画の世界でも、地方都市を舞台とした映画が増えたのだろうね。


帰省の話に戻る。

数ヶ月で地元や実家の様子が変わるわけもないが、それでもちょっと感慨深いところはあった。
だいぶ背伸びをしていたものだから「こっちは変わらないが、俺は変わったっしょ?」みたいに思っていたのだろう、実際はどうだったのかは他者に聞くほかはないが、なんとなく気分はよかった。

どこかに行ったとか、親とこんな話をしたとか、そういう特別なことがあったわけではないので、これ以上記すエピソードもないのだが、
このころはかーちゃんも元気だったし、もちろん生家もあるわけだ。

「このあとのこと」を見通せる想像力というものがあればね、自分の改造なんか二の次として「やるべきこと」が分かったとは思うのだが、
そういうことに頭が回らないことを「青春」というのかもしれないよね・・・と、ここへきて自己弁護してしまう自分大好き人間なのだった。


おわり。


※そのころに聴いていたのが、ソニックユースだったなぁ




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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『定番の強さ』

コメント (2)
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