Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

光と影と、雨。

2015-04-09 05:35:30 | コラム
いやぁきのうの雨(と、みぞれ)には参った。

町田から相模湖までチャリで行かねばならず・・・って、行かなきゃいけないことはなく、悪天候であれば電車とバスを乗り継げば目的地に辿り着けるのだが、一時的なものだろうからと軽い気持ちでペダルを漕ぎ始めたんだ。

しかしタイヤも格好も春仕様に変更してしまっており、道路は滑るし、厚手のグローブじゃないから手は氷のように冷えるしで、目的地に到着したころには炭素冷凍されたハンソロのようになっていたのだった。




そんなわけできょうは、映画と雨について書く。

ほんとうは梅雨の時期こそ取り上げるべきだし、いやいや、というかすでに何度も10傑シリーズで展開しているテーマなのだが、10傑というのは新作を観るたびに更新されるものだから・・・と思って再考してみたのだが、あれあれ新作はひとつも加わることがなく、以前と同じものになってしまった汗汗

まぁいいか。


雨と映像は、ひじょうに相性がいい。
太陽や雪、風以上に相性がいい。

それを証明するかのように、映画界には「雨の天才」と呼ばれる映画監督が居る。
「太陽の天才」や「風の天才」は居ないのにね。

「雨の天才」はふたり。
そしてふたりとも、日本人である。

黒澤と、石井隆。
ほかの監督たちと同じようにカメラを回しているだけのはずなのに、このふたりが捉える雨は極めて個性的であり、その映像に5秒ほど触れただけで「これは黒澤だ」「石井隆だ」と直感的に分かってしまうのだった。


(1)『羅生門』(50)

冒頭の豪雨。

この映像が10分続いたとしても、ぜんぜん耐えられる。

(2)『死んでもいい』(92)

黒澤の豪快な雨と比すと、石井隆の雨は「ねっとり」している。

(3)『セブン』(95)

ジョン・ドゥが自首するシーンで、ようやく雨がやむ。



(4)『六月の蛇』(2002)

雨はエロスの小道具としても有効だったのか。



(5)『黒い雨』(89)

モノクロームゆえ、その黒がいっそう際立つ。

(6)『七人の侍』(54)

雨を降らせて撮影を「より難儀に」させるところが、黒澤らしくて素晴らしい。



(7)『雨に唄えば』(52)

たぶんアンケートを取れば、これが1位になるはず。

陽気なはずのミュージカルの小道具に傘を用いて、雨を降らせた演出は画期的だった。

(8)『ブレードランナー』(82)

30周年を記念して創られた予告編は、いかにも現代的。




(9)『魔女の宅急便』(89)

びしょ濡れになるキキを、抱きしめてあげたくなった。

(10)『シェルブールの雨傘』(63)

基本は傘を持たない・差さない主義なのだが、これを観たあとであれば、洒落た傘を買ってしまいそうだ。

似合わないけれども。。。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

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明日のコラムは・・・

『脚吉くんがイク』

コメント (2)
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