Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

聖林、、、だけじゃないぜよ。

2012-09-27 01:04:29 | コラム
煽り系の宣伝文句だとは分かっていても、米映画『アベンジャーズ』の、

「日本よ、これが映画だ」

というキメのフレーズを初めて聞いたとき、ほんとうにイラッときた。

これ聞く前はそこそこ期待していたのに、この煽りが逆効果に働き、観たいという気まで失せてしまった―というヘソマガリは、たぶん自分だけではないはずである。

よほど気に入らなかったのか、じつは現在でも少しイラッときている。

難しいヤツだ・・・と思われるかもしれないが、
もし『アベンジャーズ』が映画のすべてだとしたら、この世から映画というものが消滅しても構わない―そこまで自分は頑なになってしまった。

で、実際に観た感想は、良くも悪くもハリウッド(聖林)産だなぁと。連続打ち上げ花火みたいだなぁと。
それが悪いといっているんじゃない、ただ大風呂敷にもほどがある―そんな風に感じたわけである。


最近の日本では、邦高洋低が続いている。
実際、今年の夏~秋は『おおかみこどもの雨と雪』『桐島、部活やめるってよ』『夢売るふたり』と、日本映画に良作が多い。

邦高洋低の洋には英国も仏国も含まれるが、米国のみをイメージするものは多いだろう。

そしてハリウッド産の映画は、日本では多少勢いを失っているのかもしれないが、世界的な視野に立てば、未だ王者であり続けているのであった。
その意識がなければ、「日本よ、これが映画だ」などという煽りフレーズは作れなかったろう。


10月下旬より、六本木をメインとして『東京国際映画祭』が開催される。

日本は世界中の映画に(比較的)触れ易い環境にある―とはいうが、基本は日米のメジャー作品であり、ポルトガルやイランの映画を劇場で観たかったら、都心のミニシアターまで足を運ぶほかない、、、のが現実。

そういう意味で、映画祭はひじょうに有難い企画である。
世界中の映画に出会えるのだから、しかも短期間で。

ただ問題というか、由々しき事態だなぁと思うのは、中国と韓国の映画が「次々に」上映中止になるかもしれない・・・という噂が流れていること。
尖閣・竹島問題の余波ということだが、実際、「アジアの風」部門で上映を予定していた『浮城』は「諸々の事情」を理由にして上映が中止となっている。

ひとつがそうなったということは、ふたつめの可能性が出てくる。
ふたつ出れば、確実にみっつめが出てくることだろう。

ネットニュースのコメントなどを読んでいると、「いいよ別に、来てもらわなくても」などといった書き込みが目立つ。
すぐ国旗燃やしたりデパート襲撃する国民性もどうかと思うが、そういう書き込みも暗いし建設的でないと思うんだが。

映画小僧としては、ただただ純粋に悲しいのである。
ハリウッドばかりじゃないことを確認するためにも、世界中の映画に触れたいわけでね。


というわけで。
米国、中国(香港含む)、韓国、英国、仏国、伊国、そして映画大国の印度「以外」で、つまり映画的に馴染みの薄いと「されている」国のなかで、個人的に侮ってはいけないと思っている映画の国を挙げてみる。

(1)ベルギー

社会派の名匠、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌが有名。
最近作『少年と自転車』(2011)も好評だったが、個人的に薦めたいのは、少女が「働くために」友人さえ裏切る『ロゼッタ』(99)。

最近は元気がないが、ブノワ・ポールヴールドという鬼才も居る。
このひとの『ありふれた事件』(92)に衝撃を受けた映画小僧、多いはず。

おっと、『トト・ザ・ヒーロー』(91)のジャコ・ヴァン・ドルマルも忘れるわけにはいくまい。

(2)デンマーク

80年代に『バベットの晩餐会』(87)、『ペレ』(88)という二大傑作が誕生した。

そして90年代、異端児ラース・フォン・トリアーが『奇跡の海』(96)や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)で映画界をかき回す。
トリアーは健在だが、スサンネ・ビアという新進作家にも注目したい。

(3)オランダ

なんといっても、『ロボコップ』(87)や『氷の微笑』(92)のポール・ヴァーホーヴェンが居る。
これらの映画は一見するとハリウッド的だが、肌触りがちがう。
米国資本で制作しておきながら、米国に対し「あっかんべー」をしている姿さえ浮かぶ。それはヴァーホーヴェンのキャリアが、従軍カメラマンから出発した・・・というのも、少なからず関係しているのではないか。

(4)カナダ

静かに狂った映画作家、多し。

その代表格はもちろんデヴィッド・クローネンバーグで、『ヴィデオドローム』(82)や『デッドゾーン』(83)のころから狂っていたのに、最近になってその狂気は「さらに」先鋭化、『イースタン・プロミス』(2007)というバケモノのような怪作を生んでいる。

もうひとり、寡作のひとだがアトム・エゴヤンという狂人も居て、クローネンバーグとは違った狂いかたをしているので目が離せない。

(5)スウェーデン

映画史的に「ぜったい」外せぬ、イングマール・ベルイマンが居る。(故人だが)
『第七の封印』(56)と『野いちご』(57)、そして『沈黙』(63)は、出来れば20代までに触れておきたい。

日本でもファンの多い『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』(85)、『ギルバート・グレイプ』(93)の監督ラッセ・ハルストレムも、この国のひと。

(6)ギリシャ

テレビの画面では観たうちに入らぬ映画ばかりを撮った鬼才、テオ・アンゲロプロスで有名。

『旅芸人の記録』(75)や『ユリシーズの瞳』(95)は、確かに自宅では観たくない。

(7)ニュージーランド

マオリの血を引くリー・タマホリはアクションを描く作家で、オスカー授賞式において「オスカーなんて」と大胆発言したジェーン・カンピオンは、性を描く作家。

カンピオンは『ピアノ・レッスン』(93)で「ときのひと」となったが、個人的に薦めたいのは、その前作『エンジェル・アット・マイ・テーブル』(90)である。

(8)ドイツ

映画史において重要なキーパーソンやキーワードが「ひじょうに」多い国。

サイレント時代のフリッツ・ラングは『ドクトル・マブゼ』(22)や『メトロポリス』(27)を生み、
モノクロ時代のレニ・リーフェンシュタールは、プロパガンダと映画表現のあいだを綱渡りしてみせた。

フォルカー・シュレンドルフの『ブリキの太鼓』(79…トップ画像)やヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ/神の怒り』(72)は、映画そのものが事件だった。

そして80年代にヴィム・ヴェンダースが監督デビューを飾り、『パリ、テキサス』(84)や『ベルリン・天使の詩』(87)などで日本のミニシアターの発展に寄与した。

(9)フィンランド

酔いどれ詩人、アキ・カウリスマキがひとりで頑張っている。

最新作『ル・アーヴルの靴みがき』(2011)に感動したものも多いだろう、自分もそんなひとりである。

(10)ロシア

セルゲイ・エイゼンシュテイン(=25年の『戦艦ポチョムキン』)やアンドレイ・タルコフスキー(=72年の『惑星ソラリス』)など、映像表現を大きく変えた作家を生み出す。

しかし現在、元気なのはアレクサンドル・ソクーロフくらいか。
そういう意味では、ちょっと寂しい。


※『ブリキの太鼓』予告編…オスカルを演じた男の子、いまどうしているのかな。




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コメント (2)
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