Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2012-09-07 00:15:00 | コラム
第14部「今村昌平の物語」~第3章~

前回までのあらすじ


「昆虫のようによく発達した本能本位で生きていると思われる人間を、生物の生態観察のように善悪の批判ぬきでひたすら客観的に観察した、というのが題名の意味であろう。徹底的リアリズムだがそれにしては大いに笑わせるすぐれた喜劇になっている」(佐藤忠男、『にっぽん昆虫記』を評す)

「オールナイトで60年代の今村作品をまとめて見ると、疲労こんぱいでグッタリするけれど、一息つけば、今見てきたばかりの女の強さを思い起こして気をとりなおす。そんな青春時代でありました」(三枝有希)

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「その存在」は知っていたが、イマヘイを「強く」意識するようになるのは、高校生のころだった。
そのきっかけは『黒い雨』(89)と日本映画学校であり、映画通にいわせれば「遅いよ」ということになるのかもしれない。

高校生のころの筆者をヒトコトで表現すれば、「社会派」となる。
オリバー・ストーンの映画に出会い、社会派映画に開眼。『独裁者』(40)のラストの演説を繰り返し鑑賞するような真面目さ? で、1年生のころの自由作文では南アのアパルトヘイト政策を取り上げて学校代表に選出された。
まさに「狙った感」のあるイヤなヤツ? だったのだが、2年時の読書感想文で取り上げたのが『黒い雨』で、これまた学校代表に選出された。

そうか、こういう題材を取り上げれば評価されるのだな―と思ったものだが、
なぜ『黒い雨』だったかというと、井伏鱒二がどうこうというのはなく、単に映画が公開されて原作を読んでみようと思ったからである。

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第一印象って大切だ。
最初に観たイマヘイ映画が『黒い雨』だったから、イマヘイを単なる社会派作家だと勘違いした。

ある意味では誤りではないが、社会派映画を観るつもりで『復讐するは我にあり』(79)に触れたものだから、その「ねちっこさ」にたまげてしまった。

若い映画小僧のあいだで人気投票を取るとするならば、イマヘイ映画のベストワンは、きっと『復讐するは我にあり』になるだろう。
前述したように「ねちっこく」、しかも、分かり易さがあるからだ。
そして単純に、物語として面白いから。

これほどのストーリーテラーが、思うとおりに創作出来ない世の中ってなんなのか。

『豚と軍艦』(61)で「重喜劇」を完成させたイマヘイの実力は、その時点で誰もが認めるところだった。
しかし次々に怪作を発表したにも関わらず、『復讐するは我にあり』の企画はどこからもゴーサインが出ず、そのストレスからか、重い胃潰瘍を患うようになる。(という記述は、ある意味では誤りかもしれない。なぜならイマヘイの映画キャリアには、「企画の頓挫」が付き物だったのだから)

赤貧に耐え続けるイマヘイ。
あの「ねちっこい」描写は、その怨念ということか。

コッポラのように「投げ打つ私財」があれば、あるいはイマヘイはもっと沢山の怪作を残せたのかもしれない。

いや、でも・・・。

「コーエン兄弟には、大金を渡さないほうがイイモノを創るのかもしれない」と誰かがいったが、イマヘイにもそれは当てはまるのかも、、、と思うことがある。
もちろん私見だが、イマヘイに高級ワインやシャンパンは似合わない。小便横丁で安い焼酎を呑んでいる姿が相応しい。

だって「うじ虫を描き続ける」と決意したひと、、、なのだもの。

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『復讐するは我にあり』までの道程を、ざっと眺めてみよう。

63年、女性の生命力の強さを「昆虫」になぞらえて見つめた『にっぽん昆虫記』を発表。
三大にわたる女の生涯を通し、イマヘイが描き出すのはセックス。
セックス、セックス、ひたすらセックスの物語。
主演・吉村実子が、徐々に可愛らしく見えてくるから不思議なものである。

64年、『赤い殺意』の発表。
タイトルだけだとサスペンスと勘違いするが、一般的な意味におけるサスペンス性は皆無。
しかし、肥満体のヒロイン(春川ますみ)が性に目覚めていくくだりは、ほかのサスペンス映画では味わうことの出来ないドキドキ感に溢れている。

66年、野坂昭如の原作を自由に解釈した『エロ事師たちより 人類学入門』を映画化。
ダッチワイフを創る男たちの悲哀を、ユーモラスに見つめた「ジャンル分けを拒否する」怪作である。

67年、前章で取り上げた擬似ドキュメンタリー『人間蒸発』を発表。
映画を学ぶ学生にとって、マストな作品だと思う。

そして68年、過酷な撮影環境のために嵐寛寿郎が脱走を試みた・・・というエピソードだけがひとり歩きしてしまった傑作『神々の深き欲望』を発表。
日本の土着性にこだわり続けるイマヘイらしい、神話を哲学する野心溢れる映画だった。

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このそっけない感じこそ、イマヘイである





つづく。
次回は、10月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『人生は、出し > 入れなのか。』

コメント (2)
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