工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

子供の頃読んだ「食堂車文学」

2023年11月02日 | 日記
 このブログでも何度か食堂車の話を書いてきましたが、少年時代に読んだ文章にこんなものがあって・・・というのが今日のテーマです。
 あれはもしかしたら小学生の時のことだったか、市販の国語のドリルか塾のテキストだったかも覚えていないのですが、そういった教材にはいろいろな小説や文学作品の一節がよく使われていました。その中にこんな一節がありました。ある男が食堂車で食事を食べていると、途中から相席になったのは老夫婦でしたが、夫人の方が大きな人形を抱えており、その人形は背広を着ています。男はこの人形がこの女性にとって亡き息子の代わりなのだろう、と気づきます。その人形に夫人はスープを口に運び、そのあと自分の口に入れ、ということを繰り返しているから、食事は遅々として進まず、そこに若い女性も相席となり、彼女もその光景に気づきながらも何事もなかったかのようにそこに座り続けていた、といったような内容でした。出典が書いてありませんでしたので、誰の作品かも知らずじまいでした。
 果たしてここからどのような問題が出題されていたのかは忘れてしまいましたが、子供を模した人形を連れて歩いている老夫婦、という内容に何とも強い衝撃があり、忘れることはありませんでしたが、子供の頃にそんな文章を読んだなあ、という感じで記憶の中にしまい込まれました。
 大人になってからインターネットで調べて見つけたのか、それとも買った本の中に入っていた話かは定かでないのですが、この文章を数十年ぶりに目にすることになりました。ご存じの方もいらっしゃるのではないかと思いますが、これは文芸批評家・小林秀雄の「人形」という随筆で、もともと昭和37年の朝日新聞に掲載されたものだそうで、今は「考えるヒント」の中に収載されています。
 あらためて全文を読んでみましたが、文庫本でも2ページ半くらいのものですので、あっと言う間です。でもそこに「夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている」とか「もしかしたら、彼女は全く正気なのかも知れない。身についてしまった習慣的行為かも知れない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか」といった小林秀雄らしい文章が並びます。
 そして今さらながら驚いたのが、当初は小説か何かと思っていたのが随筆であり、それを書いたのが小林秀雄という大変大きな、かつ子供には(大人にも)難しい存在であるということでした。どんな理由で義務教育の生徒のための教材にこの「知の巨人」の文章を使ったのかは分かりません。
 さらに一つ疑問があります。著者はこの随筆の中で、東京から大阪行の急行列車がで遅めの夕食を食べていたとあります。具体的にどの列車なのか、調べたくなりました。
 今日はあまりに個人的で感傷的な内容になってしましました。連休中にもう少しゆるい話を書きたいと思います。
 
 


 

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