工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

「じゃない方」のホンダがフィーチャーされたのは・・・ロータス100T

2023年11月17日 | 自動車、モータースポーツ
 前回に続いて三栄の「GP Car Story」の話です。先日発売されたのはロータス100Tという1988年のシーズンを戦ったF1マシンを特集していました。

 このマシンの特集が前号で予告された時には少々驚きました。この「GP Car Story」は、グランプリの名車だったり、日本のファンにとってエポックメイキングなマシンを主に特集しています。しかし、ロータス100Tというマシン、これと言った成績を残していません。このシーズン、ウィリアムズでタイトルを獲得したネルソン・ピケが移籍、2年目の中嶋悟とコンビを組みました。最高位はピケの3位がある程度で、中嶋も参戦2年目でだいぶ慣れて、予選で上位につけたこともありましたが入賞1回(当時は6位以内が入賞)で不得手な市街地で予選落ち2回という残念な経験もしています。一方でロータスと同じホンダエンジンのマクラーレンはロータスから移籍のアイルトン・セナとアラン・プロストの二人が圧倒し、二人で16戦15勝、セナが初の王座に就いたことは、レースの歴史に詳しい方ならご存じでしょう。同じ最強のエンジンを積みながら、なぜロータスは勝てなかったのか、そのあたりが本号では解き明かされています。
 当事者の中嶋悟、川井一仁両氏の対談によれば「剛性の無いマシン」と中嶋さんも評価しており、引退後に乗った1988年のマクラーレン・ホンダを「こんなにドライブしやすいマシンだったのか」と驚嘆しています(これは鈴木亜久里さんもイベントか何かのときに話していました)。チームメイトのピケもマシンの剛性のなさ、出来の悪さについては同様な評価で、特にピケはメカニズムに明るく、それを自分の言葉で伝えられるタイプのドライバーでしたので、インタビューが載っておりますがなかなか興味深い話ばかりでした。

(2018年鈴鹿にて)

 ロータスは前年を99Tというマシンで戦いました。こちらはアクティブサスペンションを採用するなど「攻めて」いたのですが、なかなか熟成が進まず、セナが市街地で2勝(結果的にロータスとして最後の優勝)どまりで、ウィリアムズ・ホンダが終始優位にシーズンを戦っていました。


(ロータス99Tとパワーの源泉、ホンダV6ターボ)
 1988年はターボエンジンにとって最後のシーズンでした。毎年のように積載燃料の制限、過給圧の制限とターボエンジンに対して手かせ足かせが掛けられておりました。一方でウィリアムズ、ベネトン、レイトンハウスなどは3.5リッター自然吸気エンジンを載せている、というのがこのシーズンでした。ロータスのマシンのデザインに関しては、87年型のフェラーリを参考にしているということで、確かに並べて見るとよく似ています。

(フェラーリF187)

(ロータス100T。ドライブは中嶋悟自身によるもの。いずれも2018年、鈴鹿にて)
 中嶋・川井両氏の対談にもありましたが、中嶋氏自身は2年目で手ごたえをつかんだところもあったということで、それが予選での好調にも現れていたようです。前年までのチームメイトとの差はだいぶ縮まり、特にベルギーでは僚友ピケより好タイムをマークしていますし、予選でトップ10に幾度も入っています。ただ、エンジントラブルに泣かされたり(本書では言及はありませんでしたが、エルフガソリンとのマッチングを指摘する声を聞いたことがあります)、凱旋レースの鈴鹿のように予選6番手につけながらスタートでエンスト、最後尾から追い上げて7位フィニッシュというレースもありました。故・海老沢泰久氏の「F1走る魂」によれば、87年の過給圧4バールのエンジンはパワーが有り余っており、中嶋はあえて過給圧を下げて、必要なときだけフルパワーにしていたといいます。また、故・今宮純氏が以前書いていましたが「エンジンパワーが必要なところだけで欲しい」ということで今でいうところのトラクションコントロールみたいなものが作れないかとホンダに打診したという話も聞いています。88年は過給圧が下がったことで好都合に働いていたということでしょうか。
 ピケについては前年のチャンピオンですから大いに期待されたところで、おそらくチームもマクラーレンとの優勝争い、タイトル争いを期待していたと思われますが、表彰台の端に立つのがやっとで、これが名門ロータス最後の表彰台となってしまったのは残念なところです。チームも期待外れだったと言わんばかりです。ただピケの場合、本書には言及はありませんが前年のサンマリノ(イモラ)でのクラッシュの後遺症に悩まされていたとも聞いていますので、何らかの影響が出ていたのではとも思います。本書と前後して刊行されたレーシング・オン誌がセナ・プロスト対決を特集していて、プロストへのインタビューでは、ホンダは当初、マクラーレンにピケを乗せようと考えていたとも言われており、それに対してセナを推したのがプロストだったという話が出ています。プロストにとっても、若いセナなら手なずけられると思ったのか・・・。もし、あのままセナがロータスにいたら、どんな風にマシンを仕上げて走ったでしょうか。
 ホンダのエンジニアたちの回想も興味深く、ロータスはマクラーレンに比べてトップに立つという強い意志がなかった、と言う指摘もありますし、過給圧が抑えられたことで車体側の良しあしがはっきりしてしまったという指摘も、ロータスが勝てなかった理由かもしれません。これも「F1走る魂」によりますが、マクラーレンは当時バンバン実施されていたホンダの鈴鹿での実走テストのためにスタッフを日本に常駐させるなど、他のチームには無い協力体制を敷きます。勝つために必要なことは細かなことでもすべてやる、というチームとそうでないところの差なのでしょうか。
 ホンダのエンジニアからも「どうしてこのマシンを特集するの?」と目立った成績を残せたわけでもないマシンへの疑問が呈されたと聞きます。編集長は中嶋さんのマシンはすべて取り上げたいということで、このマシンを選んだようです。
 ホンダが88年をもってロータスを去ることが決まり、中嶋も放出の話があり、中堅どころのアロウズなど、いろいろ噂もありましたが、代わりに獲得しようとしたジョニー・ハーバートはケガもあってあきらめ、ピケの言葉を借りれば中嶋のスポンサーだったエプソンが多少役に立ったのでは、ということで翌年もこのコンビが続きました。89年のマシン、ロータス101Tについては、近いうちに特集されるのでしょう。逆に、鈴鹿でエンストにならず表彰台に上っていたら、というのはよくある「タラ・レバ」話なのですが、前述の今宮氏はナンバー誌上で、中嶋が表彰台に上がれたらその後のF1キャリアも違ったものになったのでは、と思っていたようです。

 さて、このマシンが日本のファンに受け入れられているのはもう一つ理由があるように思います。このマシン、今回ご紹介した写真のように各地のサーキットで展示、デモランを行っています。比較的保守的な設計ですし、アクティブサスペンションではないので手入れやセッティングも99Tよりは複雑ではないのでしょう。エンジンもマクラーレンMP4/4と同じですしね。現役を退いてからも人々の前で雄姿を見せることができるというのは「名車」かもしれないですね。


カウルを外したところです。昔のマシンってこんな感じでした。


ピケは、エンジンとシャーシの間くらいで剛性不足が顕著だったと述べています。


走行のため、ホンダコレクションホールのスタッフが整備をしています。

本書では現役時代の中嶋悟の写真がありますが、ピットでの姿などは精悍なサムライ、という感があります。うちの亡母も引退後の中嶋悟の姿を見て「現役のときの方がかっこよかったよね」と言っていました。




 
 

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