ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
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ヒッチハイクで北海道(旅の原点) -1-

2010年05月28日 | 旅の空の下
自分の旅の原点だから、もう40年以上も昔の話だ。
大学のサークルの活動の一環として、
北海道の根釧パイロットファームという酪農地帯へのホームステイがあった。
ホームステイというと聞こえはいいが、住み込んで働くのだ。

場所は根釧というだけあって、釧路と根室の中間当たりを北上したところにある中標津。
本土からの入植者が多く、厳しい環境や仕事に耐えられず放棄された家も点々とあった。
そんな酪農家の一軒に一人ずつ入って、20日間寝食を共にし、
夏草を刈って、干し草にしたり、サイロに入れたりの作業や、
搾乳の手伝いや、牛の世話、早朝から日が暮れるまで結構ハードな毎日だった。

その労働で得た賃金は、20日間で約1万円。
住み込みの食事代等を引かれたと思えば仕方ない金額と思ったものだ。
そのなけなしの1万円で北海道を旅行しようというのだ。周遊券だって買えやしない。
ヒッチハイクで野宿。1万円は食うことにしかつかえない。
九州まで帰る列車用の金は使えない、というので寝袋を入れたリュックを担いで出発する。

仕事中に近所の農家の人と一緒に、自分のいる農家に半日ほど研修に来た釧路の畜産大学の女子大生2人がいた。
彼女たちと一緒に作業をしながら話したところ、釧路に来たときは寄ってくれといわれ、連絡先を書いてくれた。
まずはそこを目指そう。ということでヒッチハイクで釧路に着いたのは夕方。北海道の日暮れは早い。
釧路駅の近くから電話をすると、迎えに行くから待っていろという。
20分ほどで彼女らの1人が来て、バスで家に向かった。

当然彼女の実家だと思っていたので、家の人にどう挨拶するかなど考えていたが、
着いたのはなんとアパート。その一部屋に案内されると、もう一人の彼女がいる。
台所はついているが、6畳ほどの部屋に2人で住んでいるという。
いやいや、そんなところにお世話になるわけにはいかない、と思ったが、
もう外は真っ暗で、かなり強引に勧められて泊まることになった。

一間っきりの部屋にどうやって寝たかって?
彼女らは押し入れの上と下に布団を敷いて、客は畳の上に寝袋で寝たのである。
不思議と、悶々とすることもなく寝て、
朝は共同のトイレと洗面所に行き、歯を磨いていると、住人が次々と起きてくる。
その全てが女性で、ジロジロ見られて決まり悪いことこの上ない。
早々に礼を言って釧路駅までバスで送ってもらった。
次は網走を目指そう。その次は知床半島が待っている。
気を取り直して旅を始めよう。

後日談だが、釧路で泊めてくれた女子大生の内の一人は、
翌年九州に旅行した際、熊本の我が家と鹿児島にも寄ってくれた。
熊本の実家には自分がいなかったので両親がもてなしてくれたようだ。
はて、彼女のことや息子のことをなんて思ったのだろうか。
彼女たちとはそれっきりだった。
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