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ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

どうなんだろうなぁ、と思うこと

2017年05月12日 | 日記(?)
4年前行ったときより、アメリカは確実に行き辛くなっている。
当時でさえ、ESTAの事前登録はしていても、
パスポートコントロールの前は長蛇の列だった。
自慢じゃないが、相当に無害に見える私でさえ、
厳しい目つき係官のバカ丁寧なチェックにうんざりしたものである。
それが、たった一人の権力者のせいで、ますます入国に時間がかかるようになっている。
世界一周券も、アメリカ経由は諦めて、カナダを経由する方がストレスはないだろう。

一介の企業の権力者が、一国の、それも世界で最強とも言える国の権力者になったため、
使い道も分からぬままに玩具で遊んでいる子どものようなことになってしまった。
周りの誰もその玩具の使い道も、間違って使えば危険であることも教えてくれない。
何しろ、注意しても聞く耳を持たない我が儘坊やなのだから、皆とばっちりが怖いのだ。

さて、韓国の大統領が替わった。
朴槿恵さんも就任当時は反日親中を掲げて華々しくデビューしたのだが、
まさかこのような終わり方をするとは、誰が想像しただろうか。

次の大統領は親北派らしい。
その北朝鮮がバングラディッシュ銀行から約90億円をサイバー攻撃で盗んだというニュースがあった。
先には、独裁者が自分の兄を暗殺しているが、
韓国時代劇では、必ず王族の確執や暗殺が出るところを見ると、珍しいことではないのだろう。
そんな独裁者に率いられた国の政治に関わる者との対話が、本当にまともに成り立つのか、
そこのところを見誤ると、いいように利用されるのがおちだろう。

また、日本に対しては反日のスタンスを発言の中に見ることができる。
中国の反日は、独裁者(集団)が、都合のいいように使っているだけという気がするが、
一応、民主国家の韓国で未だに反日を政治利用する状況を見ると、
韓国の民主政治の貧困さを垣間見る気がする。

私は、反日が悪いというのではない。
先の大戦で日本軍のしたことは真摯に反省すべきだと思っている。
それは自分が直接したことではないが、それを為したのが自分の国の人間である以上、
相手側に申し訳なかったという気持ちは、彼の地に旅をしたときはいつも抱いていたと自負している。
だが、それを政治に利用して欲しくはない。
それとこれとは別だと思っている。

大統領が替わって、若者の失業率が減り、格差が減り、
大企業のみが潤うような国でなくなることを心から祈っている。
学生時代から数えれば、10回にも及ぶ韓国への旅で、
いろんな人からの好意で無事旅を終えることができたこと、
心の中ではどうあれ、私が日本人であることを理由には決して排斥しなかった、
その人々が住んでいる国がよりよくなることを祈っている。

振り返って日本という国の政権支持率。
民は何を持って、現政権を支持するのだろうか。
一方では毎日贅を尽くした料理を摂り、高級外車を乗り回す少数派はともかく、
派遣や契約社員など劣悪な労働環境のため、結婚して家庭を築くこともままならず、
出生率は減り続いている。
そんな多数派の民は、何を持って政権を支持するのか、60%支持率の数字は私には理解しがたい。

数字の都合のいい部分だけを自分の手柄とし、都合の悪いところは隠蔽するこの国の誰かも、
気に入らない話はフェイクだと言い張る、かの我が儘坊ちゃん大統領と変わりはないではないか。
支持率が高いことをいいことに、我々の見えないところで、何かが進行しているのではない、
最近とっても嫌~な予感がしてならないのです。

さて、ダックマウスのアメリカのオジサン、FBI長官を解任したようで、
これをめぐって、アメリカ政界は喧々諤々。
これって、まさかフェイクではないですよね。

選挙で選ぶということ

2016年07月06日 | 日記(?)
参議院選挙、都知事選挙と政治家(屋?)を選ぶ季節が来た。
ま、都知事選は突然の竜巻みたいなもので、季節とは関係ないが。

テレビの選挙コマーシャルである政党党首の言葉を聞く。
彼の第一次内閣の時は盛んに「美しい日本」という言葉を使っていたものだ。
今回は「○○ミクスのエンジンを最大限にふかす」とかのたまわっているが、
相変わらずな男だなぁと言わざるを得ない。

言葉には言霊と言って、発した言葉にはそれを実現する不思議な力があるとされてきた。
しかし、彼の発する言葉にはいつもどんなときにも言霊が宿っていない。
それは、「美しい日本」がどんな国なのか、「最大限に吹かすエンジン」の中身がなんなのか、
具体的に説明がないからであり、なぜ説明しないかというと、
自分の信じているものと、国民の考えるそれとの乖離に気づいているからに他ならない。

一方で、相当な嘘つきでもある。
消費税増税については言うまでもないが、今回の選挙コマーシャルで言っている、
「有効求人倍率」でもそうである。

有効求人倍率が1.36で、一人につき一つ以上の求人があると選挙では言っているらしい。
しかし、その内容は、正社員のそれは熊本では0.7以下である。
1以上の都道府県は8つに留まっている。

民主党時代の就業者数から3年間で110万人増えたと強調しているが、
実際には、非正規労働者が160万人増え、正規雇用者は36万人減っている。
非正規の労働者がどんな環境におかれているか、
どれほどの厳しい労働環境の中であえいでいるのか、決して語ることはない。
何故なら、彼の視線は大企業に向くことはあっても、非正規労働者の実態に向くことは絶対にないのだから、
語ろうにも語れないのだ。

自分に都合のいい数字のみを取り上げて選挙に利用する。
そういえば最近EUの離脱を巡って国民投票をしたどこかの国でもあったことだ。
選挙があった後で、あの数字は間違っていたなどと言っているが、
それは詐欺まがいの為しようではないか。

先日、ある政治学者が言っていた。
都知事のごたごたで辞任した先の知事に、都民の声が
「裏切られた」「もっと誠実だと思っていた」などの声が寄せられていたが、
それに対しての言葉。

選挙民がそう思うのは、政治家の真の動機を理解して投票しなかっただからだと。
選挙民の責任に過ぎない結果だと。

前都知事は、政治学者から政治家になったとき、どういう動機で転身したのか。
長らく政治の社会に身を置いて、いつしか腐った果実を好むようになったのだろう。
最も美味い果実は、権力のトップにあることを知ったのだから、
都知事になろうと思ったのは致し方ない課程である。

そういう意味では、政界の風見鶏のオバさんが、今回都知事に立候補したのも同じ動機に相違あるまい。
国のトップになる芽がなくなったことを、風見鶏特有の嗅覚で感じ取ったからの都知事立候補である。
熊本の地から東京の知事に誰がなろうか知ったことではないが、
そう思っているから冷めた目で見ることもできようではないか。

はて、参議院選挙。
ある政党党首の政治に関わる真の動機とは何か。
これは明らかに「憲法改正」である。
では憲法改正をしてどんな国にしたいのか。
「国家主義」である。

憲法改正案の至る所にその考えが透けて見える。
「国家覇権主義」の中国とは、「覇権」の部分が異なるだけの国にしたいと思っているのだろう。
現在の「国民主義」の憲法から「国家主義」の憲法へ、それが彼の最大の動機である。

そのためには、自分を殺しても選挙に勝たねばならない。
○○ノミクスのエンジンにはもう燃料はないのが分かっていて、
耳障りのいい言葉を国民に響かせて、選挙に勝てばこちらのもの。
憲法改正が最大の公約のごとく振る舞うだろう。

彼のその動機が見通せなくて、耳障りのいい言葉に欺され、
表面だけで候補者や政党を選ぶなら、それは選挙民の選択である。
衆愚はそれに見合う政治しか手に入れることはできないのだ。

「国家栄えて国民滅ぶ」ような国にだけはなって欲しくない。
私にも子や孫がある。彼らの将来のためにも「国民主義」の国であって欲しい。
経済は大事だが、それのみを持って国は語れない。

下手すれば「国家滅びて国民滅ぶ」そういう国にならないよう、心から祈るだけだ。
衆愚の一人である私は、さて誰を選択しましょうか。

熊本震災 阿蘇の我が家と私の状況 その6

2016年05月09日 | 日記(?)
5月9日

阿蘇市の小中学校は今日から平常日課に戻ります。
ただし、給食センターの一部破損による影響で、完全給食とはいかないらしい。
食パンとココアパンに牛乳、ジューシーと他にもう一つ。調理したものは出ないということです。
食パンとココアパンは色が違うだけじゃねぇ?という声も。
学校も大変なのだ、と震災の影響を考えてしまいます。

阿蘇では5日に、震度4の揺れが10分間に2度ありました。
さすがに2度目は外に出ました。揺れた直後の同じような揺れでは、家の強度が心配でした。
その後は、震度3が一度あり、あとは震度1~2が数回あっています。

地震というのは、精神的ダメージが大きく、
静かな夜に、ドンという車のドアを閉める音が、地震前の地鳴りではないかと一瞬身構えたり、
揺れに対する感覚が過敏になって、眠りが浅くなったりします。

阿蘇地方では、気候が熊本市内などに比べて冷涼なので、一月以上早く田植えをします。
しかし、今年は例年になく遅いのか、それとも水路などの被害が大きいのか、
水を張った田んぼが半分以下です。
毎年5月中旬には、水を張った田んぼに写る阿蘇五岳の涅槃像が美しいのですが、
今年はそれも望めそうにもありません。

そろそろ被害の実態が報道され始めましたが、その中で、
震度6弱を経験した被災市町村民の割合は県民の8割に上るそうです。
かってない数字だそうで、危険判定された住居は1万5千棟に及び、
阪神、中越震災の約3倍になるそうです。
熊本震災が非常に広範囲に渡っていることが伺われます。

大学の先輩の家もイエローカードが出ているそうで、
現在、一間でもいいから、風呂のあるアパートを探しているそうです。
水はそこまで来ているが、宅地内の配管が破損して止水栓を開けない。
修理業者はどこも手一杯でいつになるか分からないという状況です。
積み重なる疲労とストレスで身体をこわさないようにと、
慰めにもならない言葉をかけて電話を切りました。

ひび割れた道路は日増しにそのヒビの幅を広げ、
国道はいち早く修して回っているのですが、県道は後回し、
市道になると果たして修理できるのかさえ見通せません。

地盤の陥没による用水路の段差は、ひどいところになると1メートルもあり、
流れるはずの水が段差を越えられず、本来下流からの逆流さえ考えられ、
溜まりに溜まって、付近の家は浸水にまで脅かされるのです。

これからの雨の季節に、阿蘇は戦々恐々です。
黒川水域は堤防の破損や地盤の沈降により、危険水量を1段階下げると言われています。
今までより少ない水量で川の氾濫があり得ると言うことです。
4年前の九州北部水害の爪痕もまだ完全に復旧していない中、
またあのような悪夢に襲われたら、もう立ち直れないでしょう。

自然災害のパンチに、2度のダウンからは立ち上がっても、3度目にはもう力が残らないかもしれない。
先日スーパーで、以前通っていた南阿蘇村立野にある床屋のご主人と会った際、
そのような話をしたことでした。
彼も水害の土砂崩れと今回の地震の被害者です。

前を向かなきゃ始まらないというのは分かっています。
しかし、年金生活を強いられる老人や、復旧のめどが立たない経済状況の人間には、
前を向く気力も材料もないのが事実です。

これからは県を上げて復旧に取り組んでいくことになるでしょうが、
弱い立場の人々が、そこから取り残されないよう、
行政だけでなく、近くにいる我々も心を配らねばならないと思います。

地震もだいぶ収まってきているように思います。
まだまだ書き足りないことはたくさんありますが、
熊本震災と私の状況については、一応これで報告を終了します。

熊本震災 阿蘇の我が家と私の状況 その5

2016年05月01日 | 日記(?)
5月1日

阿蘇は、昨夜から今の時間まで一度も揺れることなく、
穏やかに睡眠を取ることが出来ました。

一昨日の湯布院での震度5強はインパクトが大きくて、
またぞろあの規模の余震が来たら、果たしてその後、地震の恐怖に耐えられるだろうか、
そう思えるほどでした。

ゆっくりではありますが、一度平穏に戻りかけたベクトルが、
再び元の状態に戻り、また一から出発という、
賽の河原に石を積むような作業が、自分の気持ちの中で折り合いがつくのか。

さて、今日は益城町の安永という地域に住む叔母の家を訪ねていきました。
家の倒壊も逃れ、家族3人何とか無事で過ごしているという話を聞いたものの、
テレビで見た益城町の惨状を考えると、どうしても一度は訪ねてみなければと思い立ったわけです。

まだ水が出ないというので、飲料水と上さんが作った弁当を持って出かけました。
大津町から第2空港線を突っ切って、御船へと続く道は、遙か手前から渋滞しています。
益城町役場に抜ける道に出ようと途中で右折しましたが、
第2空港線から役場へ抜ける道も大渋滞です。

仕方なくその道も突っ切ってなおも進むと、だんだん被害が大きい地域に来ます。
傾いた家や壊れたブロック、川沿いのガードレールは河側に落ち込んでいます。
そうでなくても狭い道を慎重に進んで、熊本から益城への本道に出ますが、ここも渋滞で車は進みません。
左折をあきらめて右折し、遠回りではあるけど、秋津川沿いに、本道と平行した道を行って、
何とか叔母の家に到着しました。

その途中、倒壊した家がいたるところにあり、
道はでこぼこは勿論、既にアスファルトが撤去され、砂利道が半数でした。

叔母の家は、古い母屋と10年ほど前に建てた離れ家があって、
母屋は悲惨な状況でした。
障子や扉は捻れて柱と桟や壁には大きな亀裂があります。
床は単に傾いているのではなく、でこぼこした感じで盛り上がっているところもあります。

しかし、離れの方にはほとんど被害がなく、そこにトイレも台所もあるので、
何とか生活することは出来るということでした。
まだ水が出ないので、同級の従兄弟が近くの湧き水を汲みに行くのが日課だそうです。
叔母は元気な様子で、家族の写真や私の母からの手紙はちゃんと持ってきているからとしきりに私に言って、
少し記憶が曖昧な中でも、私の顔はちゃんと認識してくれ、無事が何よりでした。

その後の約束があったので、30分ほど話して家を出ました。
益城熊本線の本道に出るまでの安永団地の細い道の両側には、倒壊した家がいくつもあって、
道路は狭くて離合も出来ない様子でした。
あまりの惨状に言葉もなく、妻君の「悲しいねぇ。」という言葉に涙ぐみそうになりました。

反対車線は、多分10キロにも及ぶ渋滞でしたが、帰りはスムーズに家路につきました。

昨日までは普通にそこにあった家が、今朝には倒壊して無残な姿を晒している。
その悔しさや悲しみはいかばかりのものか。
突然に奪われた昨日までの日常は、もう決して戻ることはなく、
再建は出来ても、そこには昨日までの日常の続きはないのです。

友人に名取市の閖上で津波に家をさらわれた人がいます。
その友人は別な土地に家を建てましたが、そこには数十年と慣れ親しんだ人もなく、
津波に遭うまでの日常とはかけ離れたものでしょう。
今日、震災の惨状を目の当たりにして、ふとその友人の状況を思い浮かべてしまいました。

自然災害だから、誰に苦情を言うことも出来ない。
それは分かっているのだけれど、何で熊本なのか、何で自分の所なのか、
恨み辛みを言いたくなるではありませんか。

今日は、熊本地方と阿蘇地方の震度は1~2で推移しています。
間隔はほぼ1時間に1回程度でしょうか。
阿蘇地方は、そのうち2回程度です。
震度1や2ではもうそれほど感じなくなっている自分が、ちょっと怖い気もします。

熊本震災 阿蘇の我が家と私の状況 その4

2016年04月29日 | 日記(?)
4月29日昼

昨夜は久しぶりに揺れを感じることもなく安らかな夜でした。
朝5時前に少しだけ揺れましたが、震度1もなかったと思います。
それでも、揺れる一瞬前に地鳴りのような音がするので、思わず身構えます。
一瞬後の揺れが小さいときはほっとするのです。

昨日中に送電線の切り替えが終わり、各電力会社の応援部隊が三々五々帰途につかれたようです。
24時間体制で黙々と仕事をこなし、終わったら粛然と姿を消していきました。
電気が来ていることの何と心強かったことか。何と励まされたことか。
今朝の新聞によると、阿蘇地域一帯で150台の高圧発電車が稼働していたそうです。

昨日から今日にかけて、震度1が数回あっただけの阿蘇では、
今日青空が出たこともあって、地震前と何ら変わらない風景があります。
しかし一歩外に出ると、道には至るところに割れ目があって、
日々その割れた部分が大きくなるのを見ると、
どこかで、もう地震前のあの日は戻らないということを実感するのです。

ゴールデンウィークの幕開けの日、いつもなら家の近くの国道は渋滞を起こし始める時間ですが、
閑散とした道路には、トラックや自衛隊の車が目立つ程度です。

内牧温泉は営業できない状態ですが、南小国町の黒川温泉や小国町の温泉郷は営業しています。
みなさん、何とか道もつながっています。どうか泊まりに来てやってください。
このままでは、阿蘇が潰れてしまいます。

たくさんのボランティアの方々が駆けつけてくれて、
それを力に少しでも前に進もうと、被災者は懸命に自分を奮い立たせようとしています。
身体も心も疲れて、折れそうになりながら、明日の自分を目に浮かべて生きています。
風評に惑わされず、温かい目で阿蘇を見守ってください。

家のそばにあるホテル角萬は相当な被害があったようで、中には入れないようです。
近くのプラザホテルは、1階の床部分にはヒビが少々あるが、ほとんど被害はないそうです。
ただ、二つある源泉の一つが出なくなったようで、
地中にある送湯管が地震でずれて出なくなったのだろうということでした。
これは掘り直せば元に戻るのでしょうが、はて?

プラザホテルでは、12:00~17:00までは被災者一般に風呂を解放しています。
その後は、支援の電力会社や医師の方々に入って頂くそうです。
支援して頂く人たちに、何かの形でお返ししたいという、せめてもの気持ちだということです。

私たちは、今できることをするだけ。
いや、今できることしかできないのです。
ただ自分が元気でいることだけであっても、大して人の力になることは出来なくても、
それはそれで十分だと思います。

このまま、大きな余震が来ないことを心から祈っています。
テレビでは、激しい揺れに厳重に警戒をというテロップが流れますが、
それを読んだだけで、気持ちの奥の方でおののく自分がいます。