【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

炎天下華の涼~その2

2011-08-11 16:10:16 | 香る庭の花綴り

【雨粒の宝石を纏った薔薇】


   連日の猛暑が続きます。
  今日などは夕立があったものですから、
  少しは涼しくなると期待したのですが、
  余計に蒸し暑くなる始末。

   そんな中、昨日に引き続き今度は、
  純白の薔薇が咲きました。

   これこそ正真正銘のリラ版、
  「白い貴婦人」。

   折からの雨粒の宝石を纏(まと)った
  薔薇は、いつにも増して高貴な
  雰囲気を醸(かも)し出しています。
  
  “水の滴るような美女・・” とは、
  まさにこんな薔薇の事でしょう。

   所謂(いわゆる)白い薔薇には
  我家にはもう一つ、
  バニラ色があるのですが、
  こちらも今、せっせと蕾を付けています。

   とは言っても光線の具合で
  黄色っぽく見えますね。
  
   そしてもう一つ、心にポッと灯った心の明り。
  こちらのピンクの薔薇は、植えた覚えのない薔薇です。(ミニ薔薇)

   今朝、チェリー・セージの足下に、
  チラッとピンクの花びららしきもの? が見えたものですから、
  何だろう・・と近付いてみましたら・・。

   こんな事ってあるのですね。
  でも背丈はかなり低く、小さな小さな薔薇です。大切に育てなくてはネ。



   薔薇が猛暑に強いというのは、昨年実証済みですが、
  この暑さの中、薔薇に囲まれて過ごせるなんて。早速、切り取って来ました。
  それにしても紅白の薔薇。でも、おめでたい色ですからいいですね。  

炎天下華の涼

2011-08-10 15:11:16 | 香る庭の花綴り





例えば 薔薇 は美しい花だと言われ、
薔薇という名が他の花の名と区別せられ、
どんなに美しい花かを確かめるために、
我々は薔薇の前に来て、
それがいかに他の花と違う事を認識する。
薔薇はまず名としてあらわれ、
概念が空想をそそり、
そそられた空想が実態に触れ、
その匂い、その色、その形が記憶に貯えられる。
あるいは名も知れずに見た花の美しさが心に沁み、
認識慾にんしきよくが起こり、その名を薔薇と知って、
自分の概念世界の一つに組み込むに至る。
             【三島由紀夫作「暁の寺」~豊饒の海Ⅲ】




   こちらは昨日、今日と今年最高の
  猛暑日となっています。
  
   そしてその暑さに対抗するかのように、
  蝉の啼き声もいつにも増して
  激しいような。

   そんな中、何度目かの薔薇が開花。
  薔薇だって相当暑いでしょうに、
  そんな様子など微塵も見せません。
  
   その凛とした佇まいには
  ある種の潔さ、“涼” さえ感じます。
  同時に “静” も。

   暑い、暑いと大騒ぎ? している私など
  ピシャリとたしなめられた気さえ
  して来ます。

   ところで上記の引用文。
  言い方は違っていても、
  アンの次の言葉と重なります。
  薔薇の薔薇たる所以(ゆえん)でしょうね。

   「いつか本に、薔薇は例えどんな名前でも
  同じように匂うと書いてあったけれど、あたしどうしても信じられないの。
  もし薔薇が、薊とかキャベツなんていう名前だったら、
  あんなに素敵だとは思われないわ」

                                    【「赤毛のアン」 第5章】

   ところで、こちらのお土産は、
  東京から帰省途中に立ち寄って
  くれた友人からのもの。

   皆で 「美々卯(みみう)」 に
  行ったのですが、お喋りに夢中で
  写真を撮る事などすっかり忘れ・・。

   食事は兎も角、
  和の趣きが素敵でしたのに。
  今頃になって後悔しています。

   最近、とみに、うっかり、
  ぼんやりが増えてしまって。気を付けませんと・・。

日本人の美意識

2011-08-08 17:18:57 | 四季のスケッチ

【「羽黒蜻蛉(ハグロトンボ)」】




その夕方、いつもの腹立たしさを覚えながら
ミス・マープルはゆっくりと庭を歩いていたが ・・・・・
多分 金魚草 の1株を見た事から
思い出すきっかけになったのだろう。
彼女は本当に何度もジョージおやじに繰り返し
硫黄色の金魚草しかいらないと言って置いた ――
植え木屋好みのあの嫌な紫色のはだめだって。
硫黄色 ですよ」
とミス・マープルが大きな声で言った。
               【A・クリスティー作「復讐の女神」】


   今日はカンカン照りの空となりました。
  カ~ッと照り付ける夏の太陽と深く濃い影。
  光と影のコントラストが鮮やかです。

   それでも今日は、もう 「立秋」 なのですね。
  日本人の季節感は、こんなに暑い立秋に既に秋を “感じる” のだそうです。
  
   それは同時に季節を “探る” 事なのだとか。
  世界でも独特の感性のようです。
  ~とは先日の天気予報のコーナーでの知識なのですが・・。

   でも “季節を探る”・・同感です。
  虫の声など少しでも聞こうものなら秋を感じたりしていますから。
  それがやけに嬉しかったりするのですから面白いですね。
  


   とは言え、こんな青い朝顔は典型的な夏の花ですね。
  そして夏の朝によく映えます。

   もう一つ、白も咲いていたのですが、
  私が気付くのが遅く、もう花びらが萎(しお)れかかっていて。
  
   どうやら白い朝顔は早起きの朝顔のようです。
  そう言えば、リラ版 「早起きの妃(きさき)」 でしたね。

   そうそう本日の引用文。
  つい一昨日も、アンやミスマープルと私は 「同類」 なんて、のたまったものです。
  
   確かに同類なのですが、ほんの少々違和感も。
  些細な事ですが、金魚草の黄色系の色を 「硫黄(いおう)色」 という点。
  
   日本人なら 「クリーム色」 とか、色合いとしては違うかも知れませんが、
  例えば、「檸檬(れもん)色」 等美しい言葉を添えると思うのです。
  「硫黄色」 なんて決して言いませんものね。

   ピンク系の色だって 「珊瑚(さんご)色」、「朱鷺(とき)色」 等など
  こんなに美しい言葉で表現しているのですものね。

   最後に冒頭の写真。
  裏庭に行けばいつも出会える 「羽黒蜻蛉」 です。
  勝手に生息していると思っています。その方が楽しいですから。

夢を乗せる雲

2011-08-07 15:56:56 | 四季のスケッチ

【「風船葛(フウセンカズラ)」】




炉辺荘の芝生には黄金色の日光が池のように漂い、
そこここに心を誘う日陰が落ちていた。
リラ・プライスは大きな松の木の下に掛けた
ハンモック に乗って漕いでおり、松の根元には
リラと並んでガートルード・オリバーが座っていた。
ウォルターは草の上に長々と横たわり、
騎士道の華やかなりし頃の物語の夢を追っていた。
                    【「アンの娘リラ」 第2章】


   今日も蝉の啼き声と共に目覚めました。
  それでも “蝉がもう少し美しい声で
  啼いていたなら・・” ~なんて
  夢現(うつつ)に考えていましたら・・。

   もう1度眠ってしまったようで、
  ハッと気付けば、既に1時間以上も
  経っているではありませんか。

   慌てて飛び起きましたが、私の
  神経も随分図太くなったものです。

   そんな今日、もう一つの蔓性植物、
  緑の風船こと 「風船葛」 の小さな
  花が咲きました。

   ゴーヤに比べれば何もかも小さくて
  華奢(きゃしゃ)で繊細な植物。

   そしてこの花、余りにも小さいもの
  ですから、ほとんど観賞価値のない
  ものだそうですが、いえ、いえ、どうして。

   私、こんな小さな花、大好きなのです。
  とは言え、花のすぐ後に付ける緑の風船も楽しみには違いありません。

   英名も 「ballon vain」。軽やかな気球。
  花言葉も、「あなたと一緒に飛びたい」 ですから、やはり夢の風船ですね。







   さて、こんな風にいつもの如く庭をボ~ッと眺めたり、想像を膨らませたり・・。
  相変わらず蜘蛛は、せっせと虹の? ハンモックを作っています。
  
   ハンモックは、冬の暖炉と共に私の憧れですから羨ましいな・・
  ~なんて。そしてその延長線上に何気なく見た空に、何と虹の雲!
  
   「彩雲」さいうん と言うのだそうですね。
  まさに風船葛の夢を乗せる風船から夢を乗せる雲へ。

   日光が雲の水滴に回折するために生ずるもので、
  主に高積雲に見られるそうです。お陰様で、思わぬプレゼントを頂きました。

緑陰の中で・・

2011-08-06 15:25:15 | リラのお気楽ユメ日記



「ヨセフを知っている一族ですって?」
と、アンは面食めんくらった。
(中略)
「もしある者がこちらと意見が一致し、
物事についてほぼ同じ考えを持ち、
冗談口にも好みが一つだとしたら、その人間は
ヨセフを知っている一族に入る訳ですわい」
(中略)
「それは元私が ―― 今でも
引合いに出す言葉で 同類キンドレッド の事なんですよ」
                【「アンの夢の家」 第7章】
 【注 : 旧約聖書の中の人物。少年時代にイスラエルから
エジプトに売られて行き後に出世した人】



   こちらはお天気回復。“朝から太陽” が戻って来ました。
  それはそれで暑くなりますが、夏ですから仕方ありませんね。
  それでも去年よりは随分、ましな気がします。

   暑さ対策と言えば、緑のカーテンこと 「ゴーヤ」。
  今年初めておっかなびっくり始めたものですが、結構成長するものですね。
  (写真は室内から撮ったもの)

   こんな風になるのでしたら、もう少し植えれば良かったと後悔。
  人間とは勝手なもので、来年こそ・・と決意を新たにしています。

   それにしても・・。何事も経験ですね。
  庭に野菜を植える事を頑(かたく)なに拒否して来た私ですのに、
  実が成る喜びというものを教えて頂きました。

   とは言え、やはり アンミス・マープル は、
  「同類」 なのだと意を強くしています。

   【先日】 も記しましたが、この 「同類」 も聖書にあるのだと今頃になって知りました。
  アンの本は、いつも手元に置いていますから折に触れ目にしている筈ですのに、
  頭の中をス~ッと通り過ぎて行っていたのですね。



   ところで珍しくもないアゲハ蝶ですが、
  いつものセージではなくハイビスカスに。しかも3頭連れ立って。
  
   慌ててカメラを構えたのですが、
  ピントを合わせている間に逃げられてしまいました。
  こちらの1頭だけは悠々と。

古風な映画館

2011-08-05 16:00:16 | 音聴箱






ミス・マープルは海岸の遊歩道を渡り、
アーケードの脇の丘の方へ上がる
フォアー通りを歩いて行った。
この辺りは 古風な店 ばかりだった。
毛糸と手芸用品の店、お菓子屋、
ヴィクトリア朝風の婦人装身具、服飾専門店、
その他似通った店が並んでいた。
        【A・クリスティー作 「スリーピング・マーダー」】


   今日は再び真珠色の空で明けました。一昨日、昨日と2日続けて最高気温34度。
  今日は、ひとまずその暑さからは解放されました。

   ただ不安定な天気になっています。
  変わらないのは蝉の声。今日も一心不乱に啼いていたものです。





   さてこの処、毎日のように映画 『しあわせの雨傘』、
  サウンドトラック版を聴いています。
  
   先日の映画と相まって、その余韻も然る事ながら
  聴いているだけで幸せな気分になります。映画のタイトル通りですね。
  
   それにしても、こんな感覚はハリウッド映画にないものです。
  それに 古風な メロディーもあって。
  そして後半部分には、あの 「冬ソナ」 の間奏に似た部分も・・。

   ところで、このフランス映画を初め、最近、
  特に観たい映画が目白押しだった、地元の映画館。
  その映画館が9月末をもって閉館との事。昨日、文書で届きました。

   シネコン全盛の中で、館独自の特性を出していて気に入っていたのですが・・。
  それこそ、昭和の面影を残す商店街の真ん中にあって、(でもシャッター街ではない)
  館自体も 古風な 映画館でした。でも、とても人情味のある温かい映画館。

   そう、もう随分前になりますが西田敏行主演の映画、
  『虹をつかむ男』 を彷彿させるような映画館。

   そう言えば、前々回だったでしょうか・・。
  朝1番とは言え、観客がたった2人だけ。
  
   何だか申し訳なくて。“大丈夫なのかしら・・” と思った矢先でした。
  頑張って貰いたいからパンフレットなど極力買い求めるようにしていたものです。
  尤も、それらにも全てポイントが付くというおまけ付きなのですが。

   時代の波・・と言ってしまえばそれまでですが、
  こんな映画館がなくなる事の寂しさの方が強い私です。
  
   次、ポーランド映画、『ショパン~愛と哀しみの旋律』 は絶対に観るつもりですが、
  こうなれば、イギリス映画 『赤い靴』 も行こうかしら・・? 

レースの肩マント

2011-08-04 16:36:06 | 音聴箱






「年を取り過ぎていますかしらね、シャーリーさん?
私はみっともない格好をしたくないけれど、
前からビーズの 肩マント を欲しくて
たまらなかったのですよ。
あれこそ所謂いわゆる洒落しゃれたものだと
いつも考えていたのです。
それに今又流行はやっていますからね」
(中略)
「年を取り過ぎて自分の着たいものが
着られないなんていう法はないわ。
年を取り過ぎていなすったら、
それを着たいとはお思いにならないでしょうからね」
                   【「アンの幸福」 第2年目】


   起床時は雲の多い空でしたが、今では青空に綿のような白い雲がポカン、ポカン。
  午前中は、ひとしきり蝉が啼いていたものですが、今は嘘のようにピタッとやんでいます。

   その代わりに今度は、アゲハ蝶や蜻蛉がひらひら舞っています。
  蝶や蜻蛉って、暑くても平気なようですね。





   さて、私は今日も昨日の映画の余韻に浸っています・・。
  ~なんて嘘。今日は少々、勝手が違っています。
  
   昨日も記しましたが、あの素敵な・・ナンネルのレースの肩マント? 
  が目に焼き付いて離れません。

   折しも 『アンの世界』 にビーズとレースの違いこそあれ、
  同様の記述を見つけたものですからたまりません。それにしても・・。
  そうですよね、「肩マント」。いくら何でも 「暖簾のような替え襟」・・はありませんね。

   実は映画、いつも朝1番に観に行く事にしているのですが、
  昨日に限って午後2時台という時間に出掛けたものですから初めの方、
  不覚にも居眠りしてしまって。

   モーツァルトの初期の音楽ですからハープシコード中心の優しい音色、
  おまけに映画館の暗さと、程良い空調・・。
  眠るのに、これだけ整っている空間はありませんものね。
  
   そんなこんなで埋め合わせのためもあって、パンフレットとCDを求めたのですが・・。
  先日の 『しあわせの雨傘』 のCD、その時買わなくて後悔しましたから。

   特にパンフレットの方は、レースの肩マントの写真が載っているかと。
  しかしながら期待したものはどこにもありません。
  でも、目に焼き付いていますから良しとしましょう。

   上記の引用文もそうですが、当時の女性って優雅ですね。
  襟ぐりの大きく開いたドレスには、レースの肩マント・・今回ヒントを与えて貰いました。
  それだけでも観に行った価値があるというものでしょう。 

ナンネル・モーツァルト~哀しみの旅路

2011-08-03 22:25:15 | 映画の香り




   久し振りに朝からカンカン照りの
  空となりました。

   こんな日は蝉の啼く声もいつにも
  増して元気が良いような・・。

   そうそう昨夜は初めて
  虫の声を聞きました。

   もうそんな季節になったのですね。
  いつの間にか老いつつある? 
  季節に感慨を覚えます。

   そんな中、今日は又々、
  フランス映画 『ナンネル・モーツァルト
  ~哀しみの旅路』 を観て来ました。

   ヴォルフガング・アマデウス・
  モーツァルト(ダヴィッド・モロー)より
  4歳年上の姉、ナンネル・モーツァルト
  (マリー・フェレ)に、
  スポットを当てて描かれた物語。
  
   実はナンネル・モーツァルトは愛称のようです。
  正式にはマリア・アンナ・モーツァルト。

   映画は父レオポルト(マルク・バルベ)
  に音楽の薫陶を受け、その才能を開花
  させた14歳のナンネルと、既に
  「神童」 と呼ばれている11歳の弟、
  ヴォルフガングが家族と共にヨーロッパ
  を巡る演奏旅行から始まります。

   時代は18世紀半ば。
  女性がプロの道を究める事など
  考えられない時代。
  
   その上、天才を弟に持つという
  宿命を背負ったナンネル。

   そんな時代背景もあり、
  女のナンネルより弟ヴォルフガングを
  父レオポルトは溺愛。
  
   ナンネルには、ヴァイオリンに
  触れることさえ禁じるのです。

   ただ、この映画ではレオポルトの
  ナンネルに寄せる愛が
  実にさり気なく描かれています。

   そして母親(デルフィーヌ・シュイヨー)の
  深い愛も至る所で。

   「頭の中に音が聴こえるの」
  と言うナンネル。とは言え、当時は女性が作曲をする事は許されない時代。

   しかしながらナンネルは、ヴォルフガングのヴァイオリン演奏で伴奏を務め、
  聴衆を魅了して行きます。

   やがてモーツァルト一家は、ヴェルサイユ宮殿での演奏の機会を得、
  ナンネルはフランス王太子であるルイ・フェルディナン(クロヴィス・フワン)
  と出会い、恋に落ちるのです。

   ナンネルの音楽の才能に気付いた王太子は、彼女に作曲を勧め、
  ナンネルは創作の歓びに目覚めて行くのですが・・。
  
   「もしも男として生まれていたら、私達の運命は違っていた筈。
  世を支配したかも、あなたは音楽で、私は政治で」


   ~とは、心からナンネルを慕う、ルイ15世の末娘ルイーザ。
  この言葉に尽きるでしょうね。生まれた時代がもう少し遅ければ・・。
  
   (ルイーザは、枢機卿によって村の女子修道院に軟禁され、
  やがて自らの意志によってサン・ドニ修道院の請願者となる)

   この当時の音楽家の地位は低く、
  このモーツァルト一家も生活は苦しかったようです。

   それでも私は当時のファッションや部屋の家具などに目を奪われ・・。
  宮殿や貴族の家の家具は素敵です。暖炉は勿論、薔薇柄のソファーと。

   それにナンネルのファッション。
  わけても目を惹かれたのは、レースの素敵な使い方。
  
   襟ぐりの大きく開いたドレスなのですが、まるで暖簾? 
  のようなレースを替え襟のような感じで首の所で結んでいるのです。

   でも、暖簾は大袈裟かも知れませんね。
  細~い繊細なレースである事を付け加えて置きます。

詩は暮らしのエッセンス

2011-08-02 15:18:15 | 心の宝石箱




エミリーはゆっくりと立ち上がって
彼女のランプを点けた。
窓の近くの机の前に座り、ペンを取って書き始めた。
―― あるいは書くようなふりをした。
しっかりと彼女は書いた ――
次の日、彼女がそれを見ると学校時代に習った
古い詩 の繰り返しであった ――
                【「エミリーの求めるもの」 第20章】


   久し振りに夏らしい空で明けました。涼しい朝。
  そう言えば、昨夜もエアコンなしでしたが・・。
  蝉の声で目覚めるのは相変わらずです。

   初めは、ゆっくり 「シー、シー、シ~ッ」 と遠慮気味だった蝉も、
  今では気忙(きぜわ)しく 「ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジ~~~ッ」!!
  姦しいこと! でもこれこそ今、この瞬間を生きているという証(あかし)ですね。


   
   さて、今日も昨日のテニスンの詩(「砂州を越えて」)で引っ張ります。
  それと言うのも上記のような文章を 『アンの世界』 に見つけましたから。

   私は書写と言うと必ずと言っていい程、古い詩を書いてしまうのですが、
  自分で詩も作る、エミリー もそうなのですね。という事は 「同類」
  何だか嬉しくなってしまいます。

   この 「同類」、それこそ アン の口癖ですが、
  聖書の中にちゃんとあるのですね。そんな事に今頃気付くなんて。
  
   他にも聖書の言葉は、かなり引用されていて興味深く感じていたものです。
  三浦綾子の本でも感じた事ですが、『アンの世界』 も信仰と共にある事は間違いないようです。

あなたには詩が見えますか?

2011-08-01 15:41:15 | 心の宝石箱




「この冬いつか詩を読んでなさるのを
聞きましたっけが ―― テニスン の詩でしたかな。
あれを暗誦出来なさるなら、
もう1度聞かせて欲しいですわい」
吹き入る潮風を2人は受けながら、
アンは静かな澄んだ声で テニスン の素晴らしい
最後の詩 ―― 『境界を越えて』 ――
の美しい詩を暗誦した。
老船長は筋張った手でそっと拍子を合わせていた。
                   【「アンの夢の家」 第35章】


   今日も蝉の啼き声で目覚めました。
  けたたましい啼き声ですが、それこそ全身全霊をかけて啼いている姿には、
  “今を生きる” そのもののような気がして胸を打たれます。

   この蝉こそ、何年もの間、地中で過ごし、漸(ようや)く脱皮して啼けるように
  なっても僅か数日しか生きられないのですものね。

   恥ずかしい事に私などは、全身全霊からは遥か遠い所にいます。
  全身全霊は無理としても、せめてひたむきさは失いたくないものです。


【「境界(砂州)を越えて」 ~テニスン・英文】   


   さて、今日から8月。
  私はブログを始めたのが8月という事もあり、
  この季節は特別に感慨深いものがあります。
  
   同時に私のバイブル的存在である、『赤毛のアン』(全10巻)も読み直してみたり。
  それが名作の名作たる所以(ゆえん)なのでしょうが、読む年齢によっても
  着眼点が違うものですから、いつも新しい発見があります。

   今日は詩にスポットを当ててみました。
  引用文もそうですが、『アンの世界』 では、
  生活に詩が入り込んでいるのが良く分かります。

   普段の会話に テニスンミルトン などが当たり前のように出て来る・・。
  随分、高尚だな・・と思いながら、その昔、日本でも万葉集などに始まって、
  例えば乃木大将の詩など・・詩を詠む事が一般的だった時代に思いを馳せます。

   最後に。こちらは、ジム船長が感じ入ったという、
  テニスンの詩(日本語訳)です。今年は津波や何やかやで海の印象が強烈ですものね。

砂州を越えて~辞世の詩      A・テニスン

陽は沈み夜空には星
澄んだ声がわたしを呼ぶ!
わたしが海へ踏み出すとき
砂州に呻きのないことを。

果てのない深みより寄せ来る波が
再び元へ戻るとき、
潮は満ちて音も泡もなく
眠るような動きであってほしい。

黄昏と晩鐘の響き
その後は暗い闇 !
わたしが船出するとき
別れの悲しみのないように。

時と処の境を超えて
流れがわたしを彼方へ運ぼうとも
わたしが砂州を越えるとき
案内人に顔を合わせたい。