【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

詩は暮らしのエッセンス

2011-08-02 15:18:15 | 心の宝石箱




エミリーはゆっくりと立ち上がって
彼女のランプを点けた。
窓の近くの机の前に座り、ペンを取って書き始めた。
―― あるいは書くようなふりをした。
しっかりと彼女は書いた ――
次の日、彼女がそれを見ると学校時代に習った
古い詩 の繰り返しであった ――
                【「エミリーの求めるもの」 第20章】


   久し振りに夏らしい空で明けました。涼しい朝。
  そう言えば、昨夜もエアコンなしでしたが・・。
  蝉の声で目覚めるのは相変わらずです。

   初めは、ゆっくり 「シー、シー、シ~ッ」 と遠慮気味だった蝉も、
  今では気忙(きぜわ)しく 「ジッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジ~~~ッ」!!
  姦しいこと! でもこれこそ今、この瞬間を生きているという証(あかし)ですね。


   
   さて、今日も昨日のテニスンの詩(「砂州を越えて」)で引っ張ります。
  それと言うのも上記のような文章を 『アンの世界』 に見つけましたから。

   私は書写と言うと必ずと言っていい程、古い詩を書いてしまうのですが、
  自分で詩も作る、エミリー もそうなのですね。という事は 「同類」
  何だか嬉しくなってしまいます。

   この 「同類」、それこそ アン の口癖ですが、
  聖書の中にちゃんとあるのですね。そんな事に今頃気付くなんて。
  
   他にも聖書の言葉は、かなり引用されていて興味深く感じていたものです。
  三浦綾子の本でも感じた事ですが、『アンの世界』 も信仰と共にある事は間違いないようです。