例えば 薔薇 は美しい花だと言われ、 薔薇という名が他の花の名と区別せられ、 どんなに美しい花かを確かめるために、 我々は薔薇の前に来て、 それがいかに他の花と違う事を認識する。 薔薇はまず名としてあらわれ、 概念が空想をそそり、 そそられた空想が実態に触れ、 その匂い、その色、その形が記憶に貯えられる。 あるいは名も知れずに見た花の美しさが心に沁み、 認識慾が起こり、その名を薔薇と知って、 自分の概念世界の一つに組み込むに至る。 【三島由紀夫作「暁の寺」~豊饒の海Ⅲ】 |
こちらは昨日、今日と今年最高の
猛暑日となっています。
そしてその暑さに対抗するかのように、
蝉の啼き声もいつにも増して
激しいような。
そんな中、何度目かの薔薇が開花。
薔薇だって相当暑いでしょうに、
そんな様子など微塵も見せません。
その凛とした佇まいには
ある種の潔さ、“涼” さえ感じます。
同時に “静” も。
暑い、暑いと大騒ぎ? している私など
ピシャリとたしなめられた気さえ
して来ます。
ところで上記の引用文。
言い方は違っていても、
アンの次の言葉と重なります。
薔薇の薔薇たる所以(ゆえん)でしょうね。
「いつか本に、薔薇は例えどんな名前でも
同じように匂うと書いてあったけれど、あたしどうしても信じられないの。
もし薔薇が、薊とかキャベツなんていう名前だったら、
あんなに素敵だとは思われないわ」
【「赤毛のアン」 第5章】
ところで、こちらのお土産は、
東京から帰省途中に立ち寄って
くれた友人からのもの。
皆で 「美々卯(みみう)」 に
行ったのですが、お喋りに夢中で
写真を撮る事などすっかり忘れ・・。
食事は兎も角、
和の趣きが素敵でしたのに。
今頃になって後悔しています。
最近、とみに、うっかり、
ぼんやりが増えてしまって。気を付けませんと・・。