【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

風の章~3月の風

2008-03-21 16:38:32 | 四季のスケッチ


   



   日の出こそ、雲の多い空でしたが、
  日中は見渡す限りの青空になりました。

   ただ今日は、“風の3月” と言われるように、
  ちょっぴり風が出ています。

   今頃の季節の風を 花信風かしんふう とも、言うのだそうです。
  何でも、花の咲く事を知らせてくれる風なのだとか。

   風が吹いたなら、“どこかで花が咲いている・・”
  そんな風に思えるって、たいそう素敵な事ですね。

   ガタガタと窓を揺らし、外に出れば髪の毛が乱れる・・。
  ともすれば、煩わしい風も、考え方一つで、救われるのですね。
  そして、もう一つ。貝寄かいよせ風」 があります。

   その昔、大阪、住吉の浜に吹き寄せられた貝殻で、
  造花を作ってお供えした事から今頃吹く風を
  このように呼ぶようになったと言われています。(於:大阪四天王寺)
  陸では花、海辺では貝殻。何ともロマンティックですね。

   この風も、東風こち から始まり、「春一番」、そして先の二つの風。
  その後は、「桜まじ」「薫風くんぷう」「青嵐」 と続きます。

   日本人が、いかに季節の移ろいを日々の生活の中に取り込み、
  それを潤いや、趣に変えて来た事が分かります。





 


   


   風と言えば、言わずと知れたアン。アンは、風と友達なのです。   

   
   “・・・風はあたしの塔の周りで泣き叫び、
  吐息をつき、低い声で歌います。
   冬の白い嵐、春の緑の風、夏の青い風、
  秋の真紅の風、四季を通じての烈風――
  「御言葉みことばを行なう嵐」・・・
  まるで、どの風も皆あたしへの言伝ことづて
  携えているかのようです!”
               
                               【「アンの幸福」 1.】

   


   さて、又々、何度も取り上げています、「ヒマラヤ雪の下」。
  もうその花も、そろそろ終わりだと思っていましたのに・・。
  何と今から開かんとしているばかりの、それを見つけました。

   紫陽花の下、それも花芽を向こうに向けて、ひっそりと・・。
  同じように俯く花でも、三色すみれは太陽が大好きですのに、
  こちらは、日陰を好むようです。

   誰に見られる事がなくても、淡々と・・。
  この所、話題にしている名前ですが、
  どうやらこの花だけは、例外のようです。

樹の息吹き

2008-03-20 18:04:19 | 四季のスケッチ


   



   雨の日の 「春分の日」 となりました。
  静かな雨。そして気温は、ちょっぴり低め。

   まだ、花冷えと言うには早いかも知れませんが、
  体感的に 「花冷え」 「木の芽冷え」 「若葉寒む」      ~ と続くそうです。

   雨では、「桜雨」 より
  「木の芽春雨」 の方が、早いのに面白いですね。
  その雨も、お昼前には、ほとんど上がったようですが・・。

   


   「あたしは、前から樹木の崇拝者です。」
                                     【「アンの愛情」 1.】

   


   アンの言葉に、こんなフレーズがありますが、
  その気持ち、分かるような気がします。

   冒頭の写真の 【木瓜(ぼけ)の花】 は、
  一昨日の記事にも記したものです。

   道に落ちている沢山の赤い花びらに、
  花の咲く木があるとは分かったのですが、
  周りを見回しても、それらしいものは見当たりません。

   見上げましたら・・遥か彼方に赤い花・・。
  やっとこの木が、その花の主だと分かったという訳です。

   幹にくっ付き、根元にもこのように咲いている
  木瓜の花を見ると、とても愛しくなって来ます。

   腕を精一杯、広げてやっとの大きさです。
  生命力を感じると同時に、今は、
  やたらと切り倒してしまうのが多い中で、
  こうして、この木と共に暮らしていらっしゃる
  住民の方の “心” を思います。

   この辺りには、その他、「銀杏」、「雪柳」 など、
  相当の樹齢の木がまだまだ沢山あります。
  そうそう、開花が待ち遠しい桜も・・。

   ところで、この木瓜の花。
  平安時代に中国から渡って来たそうですね。

   又々、名前の事になりますが、「ボケ」 なんて、
  語感的にも美しくない名前をどうして付けたのでしょう・・? 
  こんなに可愛い花ですのに・・。

   



   「いつか本に、薔薇は、例え他のどんな名前でも、
  同じように匂うと書いてあったけれど、
  あたし、どうしても信じられないの。
   もし薔薇が、あざみとかキャベツなんていう名前だったら、
  あんなに素敵だとは思われないわ。・・」

                            【「赤毛のアン」 第5章】(引用③)

   


   万葉の昔から四季を絡めた文学とも言える、
  和歌や俳句を作り上げた日本人なのですから、
  名前を付けるのに、いい加減だったとはとても思えません。

   だから不思議なのです。
  でも・・そのギャップが面白いのかも知れませんね。

気難し屋の薔薇・・?

2008-03-19 17:05:24 | リラのお気楽ユメ日記


   久し振りに真珠色の空で明けました。
  その真珠の涙が空から、いつこぼれてもおかしくないような状態は、
  午前10時頃まで続きました。

   でも、春雨ですね。
  降り出したのが、いつからか分からないなら、やんだのも分かりません。
  静かな雨です。それは、降ったりやんだりしています。

   この雨は、先日来の埃ぽかった空気を綺麗に洗い流してくれるのでしょうね。
  そして、植物には待ちに待った恵みの雨。

   おまけに、この時期の雨の降り方によって、夏、秋、冬の天候の、
  何かを暗示するのだそうですから、大切な雨でもあるのですね。

   今頃の季節の雨の事は、【先日】 も記しましたが、やがて桜の咲く季節になると、
  それは 「桜雨」 となり、そして 「緑雨」五月雨さみだれ と、変わります。
  ここでも、繊細な目で季節を捉えた、先人の感性を感じずにはいられません。

   さて冒頭の薔薇。
  これまで何度も取り上げましたので、
  “いい加減にして!” と、言われてしまいそうですね。

   この所の暖かさで、少しばかり綻んだように思ったのは、気のせいでしょうか。
  実は、ずっと前にも一度、そんな事があったのです。
  その後、雪が降ったりして、益々堅くその花びらを閉じてしまったのですが・・。

   “・・・片隅に、どんなに機嫌をとっても
  一度も花の咲かない薔薇の茂みがあり、セーラはそれを
   気難し屋の薔薇 と、いつも呼んでいたのが・・・”
       
                                【「アンの友達」 6.】

   それにしても、「気難し屋の薔薇」 なんて、上手(うま)い事を言いますね。
  薔薇ですものね・・? ちょっぴり、安心すると同時に、
  “成程・・” ~なんて。となりますと、我家の薔薇は・・?

   今日は、生憎の雨ですが、いよいよ・・? という気もします。
  勿論、ずっとこのままでも、構わないのですが、果たして薔薇の心は・・?

鳥たちの宴

2008-03-18 16:58:04 | 四季のスケッチ


   ちょっぴり霞のかかった水色の空は、今日も同じです。
  ただ、午後遅くなって、幾分雲が広がって来たようです。

   今朝は、およそロマンティックではない、近所の犬の鳴き声で目覚めましたが、
  一時に比べて、小鳥の囀 (さえず) りも、賑やかになりました。

   昼間は、いつも音楽をかけていますが、
  偶には室内の音楽を消して、春の音に耳を澄ましてみる事も必要ですね。

   そう言えば・・昨日、初めて聞いた鳥の声。
  もうあれから時間が随分経ちましたので、あまり自信がないのですが、
  「スイッチョ~ン」 と鳴いたような・・。
  瞬間的に、虫の声に似ている・・と、思ったのは確かなのですが・・。

   “4月の風が松の枝を鳴らし、木立は駒鳥で賑わっていた――
  大きな、むっくり肥えた生意気な2、3羽が、
  小道を気取って歩いていた。”
              【「アンの愛情」 第10章】

   季節はこちらの方が、
  1ヵ月早いですね。
 
   今まさに、この通りの光景が、
  盛んに繰り広げられています。

   我家の庭にも降り立って来ます。
  近付くと、すぐ逃げて行って
  しまいますが・・。

  上の小さな花は、昨日の、
  「星の瞳」 の傍に咲いていたもの
  です。何の花か、存じませんが、
  これも白い可憐な花です。  

 
 
  
   そして、この木瓜 (ぼけ) の樹も相当の樹齢のように思えます。
  遥か、天高く聳(そび)えてもいます。

   でも凄い生命力です。
  花も、そろそろ終わりのようで、道端に花びらを散らしていましたが、
  幹の途中からも花を咲かせているのです。

   最後に冒頭の写真。
  この頂いた 「プリムラ・ジュリアン」、香りも伴って、【あれから】 ずっと咲いています。
  そのジュリアンの君は・・。親元から離れ、後1年、頑張るのだそうです。 

幸福を知らせる花

2008-03-17 19:09:59 | レトロ(素敵)な空間~散策


   今日も、大層穏やかな快晴となりました。
  昨日の天気予報では、「黄砂が心配です」 ~なんて、言っていましたが、
  それ程ではありません。

   季節が季節ですから、紺碧の空と言う訳には行きませんね。
  薄~い水色の空です。

   雲はなく、飛行機雲のような、白く細い筋がス~ッと一本・・。
  こんな空を眺めていると、ついつい春が来て喜んでいる、アンを思います。

   「このような春の日には復活の朝、私の魂が、
  どんな気持ちになるか、はっきり分かりますわ。」

                                  【「アンの夢の家」 第18章】

   尤も 『アンの世界』 では、4月でも早春となっていますので、
  本格的な春は、5月まで待たなければいけないでしょうね。



   今日も、出掛けたついでに、
  道草です。
  場所は、勿論・・いつもの場所。

   こんな、レトロな建物を見て
  いますと、なぜか心が落ち着く
  のです。

   今日は、いつもなら閉まって
  いる玄関も、開いていました。

   実際に使われているのです
  から、素晴らしいですね。
  丁寧に使われている様子が見て取れます。

 

   すぐ横の原っぱには、一面に 「星の瞳」 や、「たんぽぽ」 も・・。
  特に “星の瞳” は、花盛りでした。

   沢山咲いていて、まるで銀河のようです。
  一つ々の、小さな花は、本当に星を散りばめたよう・・。

   「オオイヌノフグリ」 には驚きですが、後で 「星の瞳」 と名付けた人、
  こんな素敵な名前を考えて下さって、有難うです。
  そして、教えて下さった、きたあかりさんにも・・。

   そうそう、今日のタイトルは、「たんぽぽ」 の花言葉から拝借させて頂きました。
  “思わせぶり” とか、“愛の神託” とか・・それこそ、様々です。

   その中で一番幸せなものを・・と、なりました。
  でも、たんぽぽを見ていると、本当に幸せな気分になりますね。

春の声

2008-03-16 20:19:25 | 路傍の花~道草


   今日も昨日同様、雲一つない、
  穏やかな晴天となりました。
  そして・・。

   今年初めて鶯の、
  「ホー、ホケキョッ!」 の声。

   玄関先に出れば、お向かいの
  家の沈丁花の香りにクラッ!

   そんなこんなで、こちらは一気に
  春爛慢の様相を呈して来ました。

   何かが訪れる時には、必ず音を
  伴うと言いますが、今朝は鶯の春を告げる声を伴ってやって来たと、いう訳です。

   昔の人は衣擦 (きぬずれ) れや、
  木々の葉擦れにも、その音を感じたと言います。

   今よりもっともっと自然の音には、
  敏感だったのでしょうね。

   そうそう、音を連れてやって来る事から
  “訪れる” という言葉になったと言われています。

   さて、今日も可憐な野の花に、スポットを・・。
  暖かくなって、俄かに花芽を付けて来ましたね。

   小さくても、一生懸命に咲いている姿に、
  勇気を貰うと同時に、癒されます。

   白い花の方は、春の七草の一つでもある、
  「ナズナ」 です。別名、「ペンペン草」 。
 
   “ペンペン” と言うのは、実の形が三味線の
  バチに似ているから付けられたとか。花の名前にも、色々な “いわれ” があるものですね。

   黄色は、言わずと知れた 「菜の花」 です。
  菜の花を歌った歌には、有名な 「おぼろ月夜」 が、ありますね。

   日本の春の風景を歌った、格調高いものです。
  誰でも一度は、歌った事があると思いますが、歌詞が又、素敵なのです。

 


           おぼろ月夜 

   Ⅰ  菜の花畠に 入り日薄れ
      見渡す山の かすみ深し
      春風そよ吹く 空を見れば
      夕月かかりて にほひ淡し

   Ⅱ  里曲さとわ火影ほかげも 森の色も
      田中の小道を 辿る人も
      かわずの鳴くも 鐘のおと
      さながら霞める 朧月夜


                        作詞 高野 辰之
                        作曲 岡野 貞一 

風が運ぶ季節

2008-03-15 16:53:20 | 四季のスケッチ


   起床時こそ、昨日の名残りでどんよりとした空でしたが、
  今日は雲一つない空になりました。
  昨日より気温は、ちょっぴり低め。でも、これが本来の気候でしょう。

   さて、英語の諺 (ことわざ) に、
  「1月は雪、2月は氷、3月は風」 と、言うのがあるそうです。

   そっくりそのまま日本の季節に置き換えても、当てはまりますね。そうなりますと・・。
  ちょっぴり夢のない話ですが、3月は、そろそろ北国の雪も融け始め、
  その純白の雪も土や埃にまみれて、薄汚れて来ます。

   濯ぐ、漱ぐ、洒ぐ・・若干の意味の違いはありますが、
  いずれも “すすぐ” と読み、綺麗にするという意味があります。
  これら全て “さんずい”、所謂 (いわゆる) “水” ですね。

   そういう意味で、昨日は雨が降り、掃き清め、流してくれた訳です。
  でも、雪の字を書いて “雪ぐ” とは知りませんでした。
  (因みにPCでは、ちゃんと変換されます)

   確かに雪は、周りの景色を一変させますね。
  今年ほど、その美しさに感動した事はありませんでしたから。

 


   ところで、「ニオイスミレ」 は、素晴らしい香りの菫ですが、
  普通の 「三色菫」 にも、香りがある事に改めて気付かされました。

   ただ、いかんせん、どれにでもあるのではなく、ないものもあります。
  冒頭の写真の菫は、身近にその香りを感じていたいので、庭から手折って来ました。

   「山路来て 何やらゆかし 菫草」   
                               (~芭蕉 「野ざらし紀行」 より)

   この句は芭蕉が京都から山越えをして、大津に入った時の句のようです。
  山深い所で人知れず咲く菫にほっと心が和み、小さな花に寄せる 「ありがとう」 の
  想いが溢れている一句です。そうそう、小さな花と言えば・・。

   昨日の 「オオイヌノフグリ」 の事。
  いつも憧れの、北の大地の景色を配信して下さる、【きたあかりさん】 が、
  「星のひとみ」 という、別名がある事をコメントで教えて下さいました。

   何と素敵で、ロマンティックな名前でしょう!
  どうせなら、最初からこんな名前を付けて欲しかったと思うのですが、
  こんな問題、どこにでもあるものですね。去年も散々記した気がするのですが・・。

   「どうしてこんな優しい、羽根のようなものに、象の耳なんて、
  いかめしい名前が付いているんでしょうね?」
   「最初、名前を付けた人が、全然、想像力がなかったのか、
  又は、あり過ぎたのか、どちらかよ。・・・」

     ~秋海棠 (エレファンツ・イヤーズ) を称して   【「アンの青春」 第13章】

   いやはや・・。

「木の芽春雨」 の一日

2008-03-14 16:21:39 | 路傍の花~道草


   今朝は、久し振りの雨音で、
  目覚めました。

   梅の花が満開となり、
  昨日は、今年初めて沈丁花の
  甘い香りを嗅ぎました。

   一雨ごとに暖かくなる3月の雨。
  この雨は花芽を育て、草木を潤す
  事から 「春の雨は花の父母」 と、
  呼ばれているそうです。

   エジプトのように雨の少ない国では
  「植物が食事をしている」 と表現されているとか。

   いかに雨が貴重かという事でしょう。今頃の雨が、「木の芽起こし」
  「木の芽春雨」 と呼ばれる所以 (ゆえん) ですね。

  “ 『道を辿る』 と、いう文句は滑らかに思えるので、
  出来るだけ使っております。”
                  【「アンの幸福」 6.】

 


   昨日は梅日和の中、
  久し振りに道を辿ってみました。

   私もアン同様、
  “辿る” という言葉は大好きです。

   余談ですが後、“綴る”、“紡ぐ”も。
  この三つは、出来るだけ使っております。
  (少々、アン風に・・)

   こちらの写真は、昔ながらの日本家屋が、 
  建ち並ぶ地域です。

   車が1台通ればやっとという狭い「道」、「径」。
  所謂(いわゆる)、路地ですね。

   でも最近、なぜかこんな通りが、
  無性に懐かしく、敢えて、こんな通りを選んで・・
  道を辿っている私がいます。

   道幅の狭さは、人間が主役だからなのでしょう。
  車と言えば、せいぜい自転車や、リヤカー? だった頃の名残り・・。
 
   各家々の敷地は広いのですが、お隣同士が門を閉ざしてはいません。
  調味料さえも、貸し借りした頃の? 名残りを感じないでもありません。
  兎にも角にも、昭和を感じる場所です。

   ただ、午後1時過ぎという時間帯も関係あるのかも知れませんが、
  子供の姿がありません。と言うより、全く人に会いません。

   外見は、昭和そのものですが、中身はいつの間にか、
  平成の時代に移行して行って、いるのですね。
  当然と言えば当然なのですが、何だか淋しい気がします。

春の香りは、お香から

2008-03-13 18:10:52 | ハーブと香り雑学


   今日も春霞の中、明けました。
  この所、霞か黄砂かと、
  一喜一憂したものです。

   「霞か雲か・・」 でしたら、
  歌にもありますが、黄砂なんて、
  シャレにもなりませんね。
  
   ところで、春の風物詩でもある
  この“霞”

   気象学にはなく、文学上の表現、
  しかも “春” だけに限られるとか。

   語感も柔らかく、素敵な言葉ですね。
  そう言えば、仙人は霞を食べて生きているそうですが、
  霞たなびく仙郷は、1年中、春の陽気に包まれていたのでしょう。

   1年中春・・。
  最初はいいかも知れませんが、いつも春だったならば、
  それが当たり前になり、そこからの不満も、きっと出て来るでしょうね。
  厳しい冬があるからこその春の訪れを、喜びを持って迎える事が出来るのですから。

   その霞は昼間だけに限られ、夜は今度は、“おぼろ” という言葉に変わります。
  そう言えば・・昨夜は、西の空に三日月のお月様が顔を覗かせていました。

   明日は、もう “上弦の月” ですね。
  それにしても、こんな豊かな表現、世界広しと言えど、日本だけではないでしょうか。

   さて、今日も何の香りにするかで、1日が始まります。
  今日は季節を先取りして、“桜” にしました。

   この香りは、去年桜の樹の下で、嗅いだ香りと全く同じです。
  後半月もしたら、その香りに包まれると思えば、心も躍ります。そしてポプリ・・。

   今までは三色すみれが、ほとんどでしたが、これから花の季節・・。
  どんどん溜まってしまいます。これからどうしよう・・なんて、思っていたのですが・・。

  “オリビア叔母さんは、ペギーと私が ポプリ にするため、
  遅咲きの薔薇を摘む手伝いに行っている時、
  その人の事を話してくれた。・・・・・”
   “この日の叔母さんは、ぼんやりと薔薇を摘み、
  思いを遥か彼方へ馳せている様子で、
  美しい花びらを小さな甘草の籠に振るい込んでいた。・・・・・”
 
                                        【「アンの友達」 7.】

   いつもの事ながら、ポプリ作りがすっかり生活の中に溶け込んでいる、
  『アンの世界』 を思います。

   『アンの夢の家』 で、ジム船長 が語っていた、
  香りの良い甘草の籠に、薔薇の花を摘む・・。

   いとも簡単に語られていますが、どれだけ生活に潤いを持たせてくれる事でしょう。
  やはり、ポプリ作り、続ける事にします。単純ですね。

微笑んだ春

2008-03-12 17:02:10 | 香る庭の花綴り


   朝一番に見る東の空。
  今日も、こんな霞んだ空で明けました。

   生憎、今日はニュースを聞いて
  いませんので、単なる春霞か、
  黄砂かは分かりません。

   それでも、お日様は、しっかりと
  照り、気温もぐんぐん上がりました。
  昨日以上の春の陽気です。

   ところで、本格的な春の訪れは、
  “逃げ水現象”
  教えてくれるそうですね。

   今日のような穏やかな晴れの日、光の屈折作用で前方のアスファルトが濡れて、
  水溜りがあるように見える事から名付けられたとか。

   その昔、ナポレオンがエジプトに遠征し、砂漠でオアシスを発見。
  水を求めて駆けつけると、オアシスは先へ逃げる。
  ナポレオンの見たオアシスは、幻だった・・。

   その時に同伴した数学者のモンジュの名から西洋では、
  このような現象を“モンジュ現象” と、呼ぶそうです。

   さて、冒頭の写真。木の下の隅っこに隠れるように、ひっそり咲いていました。
  この 「ヒマラヤユキノシタ」 は、もう随分前に咲いており、その時の花は、
  既に終わりを告げようとしています。

   株分けして植えた、こちらの花は、それすら忘れていました。それなのに・・。
  控えめで、それでいて可憐な花を咲かせていました。

   「ユキノシタ」 という名前の
  通りの、謙虚な花ですね。

   謙虚と言えば・・。
  花言葉も、「順応」、「忍耐」。
  ぴったりですね。

   ともすれば、青や紫色の花に
  目を奪われる事の多い私。

   そんな中では珍しいピンク。
  それなのに、決して派手さの
  ない、慎ましやかな花なのです。
  一昔前の日本女性のような・・?



   ここからは、独り言です。                

   「・・・自分の “幸運を数えて” みれば、例え人生から
  少しばかり色香を削ぎ取るとは言え、こんな事を気にするのは、
  自分ながらごく、くだらないという気がするんですの。・・・・・」
 

   「あんまり小さな事なので愚痴をこぼす訳にも行かないわ。
  それでいて、蟻のように・・・・・人生に穴をあけ・・・・・
  人生を破壊するのは、そういう小さな事柄なんだわ。」

                                   【「炉辺荘のアン」 第12章】

   小さな事柄。気のせい・・? そうかも知れません。
  ほとんど、気のせいの領域でしょう。でも、少しずつ・・感じるようになった違和感。

   これって、イヤですね。一度ならいいのです。でも、二度目に “アレッ!?” となり・・
  打ち消し、そして今回で三度目。それだって、小さな、小さな・・事なのです。
  人によっては、全然気になど、ならない方もいらっしゃると思います。

   ただ、こんな心の葛藤さえ、条件は違うものの、自分の心を表わすフレーズが、
  『アンの世界』  にある事に、力づけられます。