【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

感性の美

2008-03-09 17:08:59 | 心の宝石箱




   こちらは今日も快晴になりました。
  朝は随分冷えましたが、日中は
  昨日以上に気温も上がりました。

   本格的な春まで、もう少しですね。
  でも、この後少しが、案外長く
  感じられたりするものですが・・。

   こうなりますと、
  桜の花芽も一気に膨らみますね。

   前回、桜林に行ったのは、
  1月上旬。

   その時ですら、その芽は、
  しっかり付けていましたものね。

   冬の寒さをただじっと堪えているようで、
  その姿に、いじらしさを覚えたものです。

   ところで季節的には少々、遅きに失した感は否めないのですが、
  思想家、内村鑑三のこんな詩を見つけました。
  題名は、『寒中の木の芽』。発表は、明治29年 (1896年) の事です。

   この詩は、日本の四季(自然)を謳(うた)っているのですが、
  この詩を読むと、なぜかフッと、心が軽くなる気がするのです。

   奇をてらう事なく、自然のままに・・肩の力を抜いて・・
  生きる事はどういう事なのかを、教えてくれているような気がします。




                


            【寒中の木の芽】

Ⅰ 春の枝に 花あり    Ⅱ 花散りて後に
  夏の枝に 葉あり       葉落ちて後に
  秋の枝に 果あり       果失せて後に    
  冬の枝に 慰めあり      芽は枝に顕 (あら) はる

Ⅲ 嗚呼 (ああ)憂いに沈むものよ
  嗚呼 不幸をかこつものよ
  嗚呼 冀望 (きぼう) の失せしものよ
  嗚呼 春陽の期近し


   

   内村鑑三は、この詩を書いた丁度その頃、
  年譜によれば京都にいたようです。

   この木の芽が、桜かどうかは定かではありませんが、
  ひょっとしたら、京の桜かも知れませんね。
  となると、鴨川辺りでしょうか・・?

   1896年と言えば、日清戦争の2年後です。
  「日本に必要なのは、無言の無意識の愛国心であって、
  今日の騒々しい愛国心ではない。」
  (~「病的愛国心」 より) と書き、一方では・・。

   「我が国民の持つ多くの美点に、
  私は目を閉ざしている事は出来ない」
  (~「代表的日本人」 より) と書いています。
  果たして今の日本は・・どうなのでしょうか。