昨日と同様の空で明けました。
花冷えが続きます。
ただ私は、
元々秋が好きなように、
春は、なぜか早春が
好きなのです。
ですから、季節が
立ち止まっているような
今の季節、嫌いでは
ありません。
春爛漫の頃より、
色々な期待を抱かせる、
つまりアンの言う所の 「想像の余地」 が、沢山あるからなのでしょうね。
“暖炉の火影がグリーン・ゲイブルスの台所の壁に
踊っていた。春とは言え、肌寒い夕であった。
開け放った東の窓からは、えも言われぬ美しい夜の諸声が
聞こえていた。マリラは炉辺に座っていた ――”
【「アンの愛情」 第22章】
尤もこの描写は、『アンの世界』 では、5月の事です。
日本の気候とは1ヵ月、いいえ2カ月位、違いますね。
ところで、話はガラッと変わって・・。
今日の新聞に、こんな記事を見つけました。
題して、「日本の春は格別だ」。
と言っても、こんな風に言ったのは日本人ではなく、
イギリス人のロバート・フォンチュン です。
“どこの国でも春は美しいが、日本の・・・” と続きます。
しかも、幕末の頃の日本の春を評して。
“日本人の国民性の著しい特色は、
下層階級でも皆、生来の花好きであるという事だ。・・・
もしも、花を愛する国民性が、
人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、
日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の
人達に比べると、ずっと優って見える。”
【「幕末日本探訪記」 三宅馨訳】
今回のロバート・フォンチュンと言い、前回の駐日仏大使、
【ポール・クローチル】 と言い、その昔、外国人が絶賛した日本人。
最近の国内の出来事には、心を痛めますが、まだまだ再生する余地は、
残されていますよね。日本人を信じたいし、ついつい期待してしまいます。