【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

映画で聴くロマンティシズム

2010-01-09 16:43:16 | 音聴箱


   凛とした冬の空気と太陽。
  今日も快晴の朝を迎えました。

   冬の太陽の存在は、
  大層、頼もしいですね。
  特に日の出は、そのように思います。

   ふと司馬遼太郎著、『坂の上の雲』
  の児玉源太郎を思います。

   零下30度にも40度にもなる酷寒の
  地で、毎朝太陽に向かって祈って
  いましたっけ・・。

   太陽を見れば、祈らざるを得なかったとも、そこには記してありました。
  勝つ見込みのない戦争、それでも戦わなければならない国家存亡の危機。
  負けられない、勝つのみ。必死の思いが伝わって来たものです。

   翻って現在。選挙の事しか頭にない政治家たち。
  そして耳に付く 「この国・・」。どうして 「我(わが)国」 と言えないのでしょう。
  空虚感を覚えてなりません。



     さて、映画関連の記事も今日で3日目。
    たった1本の映画で、ここまで楽しめるとは、
    何とも安上がりな私です。

     それでも映画を観る事によって、
    どうしても偏りがちな曲選びを(普段は、ほとんどバロック音楽)
    軌道修正してくれますから。

     今日は、昨日の 『さよならをもう一度』(1961) に引き続き、
    ブラームスの曲が映画に取り上げられたものをいくつか
    取り上げてみようと思います。

     昨日の映画が、「交響曲第1番」、
    「交響曲第3番」
なら、1番は、もう一つ 『誇り高き戦場』(1968) でも。
    第二次世界大戦末期のアメリカ、オーケストラ団員たちの物語です。
    
     又、ルイ・マル監督の(ヌーヴェル・ヴァーグの旗手)
    「恋人たち」(1958)では、「弦楽六重奏曲第1番」 第2楽章が。

   そして、ルイ・マル監督の好敵手とされた、アラン・レネ監督の晩年の作品、「メロ」(1986)。
  ここでは 「ヴァイオリンソナタ第1番 『雨の歌』」 の第1楽章が・・。

   そうそう、この曲にはこんなエピソードも。
  1896年5月、クララが亡くなった後、“追悼のための小さな音楽会” が開かれました。

   その時、ピアノ担当のブラームスは、クララを想うあまり、
  途中、演奏を続ける事が出来なくなって、庭に走り出たと言います。

   この1年後、ブラームスも息を引き取るのですから、
  ブラームスにとって、やはりクララは、かけがえのない人だったのでしょうね。

   そう思えば・・。ブラームスの音楽は、あくまでも理想を追求しているような気がします。
  求めても求めても得られない・・焦燥感・・やがてそれは深い思慕に変わり・・。
  淡々と訴えかけている・・。

   それにしても久し振りに、ブラームスを聴きました。
  昔の映画には、クラシック音楽が効果的に使われていて興味深いですね。