葉上 太郎氏の著書。
葉上氏は全国紙記者を経て2000年からフリーとなり現在、地方自治ジャーナリスト
としてご活躍されてをります。
現在では、通常の存在となつてゐる盲導犬。
だのやうに日本でこの育成と導入が始まつたのかは、語られてゐないのでは?
この本で初めて知つたが、「戦争で失明された傷病兵さんたちの目の代わり」として
独逸から1939年に4頭来たのが最初だつたのださうです。
1939年当時、日本は中国で「事変」と呼ばれる戦争を行なつてをり爆撃・地雷等々で
失明して日本に帰国される方々がゐました。
日本で盲導犬育成のきつかけとなつたのは、盲導犬をつれて世界一周旅行をしてゐた
アメリカの大学生が横浜に寄港したのがきつかけださうです。
この盲導犬の働きを見て、日本でも導入をと考え尽力をつくした方、盲導犬の訓練に携つた
方々、盲導犬との生活等々が記述されてゐます。
当時の時代から、敗戦の色が濃くなつてきた日本のやうすを語つた資料が少なく、
取材された葉上氏はご苦労をされたやうです。現在も調査を続けてゐらつしやるとのこと。
しかし
戦争に関する本を読むたびに思ふのは、「戦争を決めた」人たちは戦地に行かづ怪我もせづ
食料に困ることもなく過ごしてきたらしいのに、「行け」と決められて行かされた人たちが
常々苦労を強いられてゐた・・・・ といふ矛盾である。
この盲導犬と一緒に生きた人たちも、盲導犬も、大きな犠牲者なのだなと思つた。
葉上氏は全国紙記者を経て2000年からフリーとなり現在、地方自治ジャーナリスト
としてご活躍されてをります。
現在では、通常の存在となつてゐる盲導犬。
だのやうに日本でこの育成と導入が始まつたのかは、語られてゐないのでは?
この本で初めて知つたが、「戦争で失明された傷病兵さんたちの目の代わり」として
独逸から1939年に4頭来たのが最初だつたのださうです。
1939年当時、日本は中国で「事変」と呼ばれる戦争を行なつてをり爆撃・地雷等々で
失明して日本に帰国される方々がゐました。
日本で盲導犬育成のきつかけとなつたのは、盲導犬をつれて世界一周旅行をしてゐた
アメリカの大学生が横浜に寄港したのがきつかけださうです。
この盲導犬の働きを見て、日本でも導入をと考え尽力をつくした方、盲導犬の訓練に携つた
方々、盲導犬との生活等々が記述されてゐます。
当時の時代から、敗戦の色が濃くなつてきた日本のやうすを語つた資料が少なく、
取材された葉上氏はご苦労をされたやうです。現在も調査を続けてゐらつしやるとのこと。
しかし
戦争に関する本を読むたびに思ふのは、「戦争を決めた」人たちは戦地に行かづ怪我もせづ
食料に困ることもなく過ごしてきたらしいのに、「行け」と決められて行かされた人たちが
常々苦労を強いられてゐた・・・・ といふ矛盾である。
この盲導犬と一緒に生きた人たちも、盲導犬も、大きな犠牲者なのだなと思つた。