第395夜 クリスマス

2007-12-25 22:19:54 | その他
2007.12.25(火)クリスマス

So this is X'mas.

我が家では22日に一足早くクリスマスを祝ったので、本番の今日は何だか寂しいのでもう1度ケーキを買いに行った。

日本人は節操がないのか神も仏も信心する。我が家も浄土真宗の檀家であり、八幡宮の氏子でもある。稲荷神社もお地蔵さんもお大師様も信仰する。年に1度は写経も試みるし座禅も苦にならない。湯野の山奥で護摩焚きも経験している。はっきり言ってこれは凄かったです。回りくどくなりましたが、だからクリスマスも祝うのです。私だけ?

クリスマスと言えばサンタクロースだが、サンタさんはグリーンランド在住だとか。そのサンタさん、歳とってきたせいもあり、世界中を回るのは困難になってきたため、本家のサンタさん公認の下請けサンタさんを各国に配置しているそうだ。

因みに初代サンタさんはトルコのセント・ニコラスと言う人だったと記憶している。貧しい一家の娘が身売りしなければならないとか、嫁に行くお金もないとかの折、ニコラスさんが煙突から金貨を投げ入れ、たまたま暖炉の傍に干してあった靴下の中にその金貨が入ったとか。それでこの一家も救われたというおめでたいお話である。尤もこのお話、ムーアと言う人の創作かも知れないが。

私も幼少の頃、クリスマスには枕元に靴下を置いて寝ていた。これははっきりと覚えています。出来るだけ大きな靴下を置いて大きなプレゼントを貰おうと、母のストッキングを置いて寝た記憶もある。
我が子の時は、靴下を置いて寝ていたかどうか覚えていない。靴下に入るようなプレゼントじゃ喜ばれなかったし、クリスマスツリーの短冊には自分が欲しい物がはっきりと書いてあったから。それも結構高額なものがね。
我々の頃はこんな主張は通らなかったと思うし、また物もそんなに無かったのでお菓子類が主流だったように思う。

最近、クリスマスを日本で最初に祝った地が山口県ではないかとの議論が沸いているようだが、私が思うに、ザビエルが最初に上陸した地は薩摩じゃなかったかと思う。勿論ここ山口の大内家も布教を許したのは史実であるが、薩摩の島津家も布教を許していたようにおもうのだが・・。何せ400年も前のことだから定かではない。

ま、何はともあれ年中行事の殆んどはこれで終わった訳だが、後は仕事の締めと大晦日の行事、それと忘れてはいけないのが釣り納めである。今年は公務員並みの休みがあるので色々と楽しみでもある。
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