a vacant mind

虚無と音楽

身体の変調

2016-09-20 | Diary
精神の変調はなんだかいつもだった
身体もいつかそうなるだろうとは思ったが
長く生きられるとは思っていない
詰まっている血管のプラークすべてにステント入れればいいということでもないだろう
母親が59歳で亡くなった
それまで自分が生きれるだろうか?
それよりもなにもわたしは生きようとするんだろうか?
それが全てのような気がしている
老後なんて考えたこともなかった
一人寂しく死ぬんだろうなと漠然とは思っていた
そうなるかもしれませんね
現実というスケールで測ればそういうことになるのだか
それとは別にこの身体は借り物という発想もある
借り物を返す時わたしはこの世界をどう見ていたのか見えないパーツが浮かび上がり意識の壁は崩壊するんだろう
わたしはなにものでもなくなる

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Elliott Smith - Alameda

2016-09-20 | 音楽等



エリオット・スミス
もう新作を聴けないのだが
この曲が入ったアルバムは1997年発売
そうだなあのころ自分も相当精神的に病んでいた
エリオット・スミスと年齢もそう変わらなかったようだ
意味もなく傷ついて傷つきすぎて何が何だかわからなかった
もちろん音楽活動するには精神は閉ざしていたので楽器を手にすることもなかった
エレアコのギターは買った気がするが
頭の中で鳴っていた音
それはわたしが紡ぎださないといけないのでしょうが
なにも残したくなかったそれにつきるのだろう

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たま 満月小唄

2016-09-20 | 音楽等



コミックバンドではなかったのだ
さよなら人類があまりにヒットして変な感じだったが
この歌がメジャーで大ヒットするはずもない
歌詞はわかりやすいようなわかりにくいような
様々な文学作品が交錯します
埴輪雄高が好きだと言っていた柳原陽一郎さん
たぶんそのころ死霊を図書館で読んだのだと思う
もちろんわかりやすい作品ではありません
そんなわかりにくさも”たま”だったのかもしれませんね
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