a vacant mind

虚無と音楽

過剰防衛

2005-10-25 | Diary
生きてていいなんて思えなかった。生きていく何かが欠けていたから、それを無意識に埋めようとしていたのだろう。結局いまも埋められてはいない。何かまだやり残したことがあるんだと思わないと生きていけなかった。何かやらなくてはいけないことのためだけに、存在しているという余りに漠然とした根拠に座している。空虚な心に音でも鳴らしてなきゃ窒息しそうだった。
本当は自分で奏でたかったのだけれど、そうする気力もありはしなかった。
何にもない自分を見つめることは、それ事体が無意味に思えてならなかった。いつしか無意味なことも自然と自分のなかに取りこめるようになった。意味あることばかりが全てではないから、無意味なことが大事だということに気づけるようになる。
無器用ではあるけれども、その無器用さをもって先へ進もうとはしている。答えというものが内側から溢れてくるのだろうか? それでも全てを放り投げてしまおうとしている。もう少しで辿りつけるかもしれない出発点を前にして後ずさりしている。ひとり思い巡らす感覚が、敏感になったと思ったら鈍感になる、とても斑があるのだろう。何をそんなに拘っているのか自分でもわからない。
似ている人はとても多いけれども、似ていても微妙に違うからわかりあえるというわけでものない、同じような人がいくら集まっても時にただの集会になってしまう。それでも意義はあるのだけど、人間嫌いにはそこにいくことだけでも辛いものがある。痛みをわかちあうことは素敵なことだけど、僕にとっての痛みは僕自身にただ刻みつけるだけ、苦しいはずなのにどうしていいのかわからずに、苦しむこともないのに傷口をひろげていく。太陽を睨み付けて立ち眩むようなことをやっていたんだ、本当に無器用だった。いやバカだった。
本当はそれでも大丈夫だよと言ってくれる人を探していたのかもしれない。大丈夫だよとは言われことはなかった、やはりがんばれ、がんばれ。何をがんばればいいかわからないから苛ついていたのにね。
できることをできる範囲でやることが、がんばれじゃないかと思う。できそうもないことに対してがんばれというのは、とても無責任だ。
コメント
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