a vacant mind

虚無と音楽

防衛本能

2005-10-24 | Diary
長い間不信感を抱えながら生きてきました。自分というものがとても嫌いだったんです。僕は自分がおかしいと思っていたのですが、おかしいおかしいと思っている内に、もうこれ以上生きていたいとは思えなくなってしまったのです。がんばらなくてはいけませんでした、でもがんばる力がどこからも湧いてこなかったのです。様々な本などを読んだとしても病名がどんどん増えるばかりで、余計に混乱するだけでした。死にたいと多くの人も一度くらいは思うものですが、これも死にたい、死にたいと思っているいるうちに、どうやって死のうなんて考えてしまう。
生きがいというものを見つける気力がとにかくなかった。過剰な反応があらわれる年代になると、それを抑えるために精神安定剤を使わなくてはいけなかった。頭がぐるぐる回って、何にもしたくなる。普段から何もしたくはなかったのですが、薬のそれは何にもしたくないとすら考えられなくなる。感覚が麻痺する感じで、やたらに眠ったことを憶えている。何だったんだろう、この無力感は、どうでもいいという言葉しか浮かばなくなっていく。
何にもできないのに、何かをしなくてはならない。助けて、助けてと心の中で叫び続ける。
何を助けてほしいのか、それを言葉にすることすらできず。ただ心の中で叫び続ける。
そんな人が一杯いるのも知っているし、実際何人かは連絡を取り合ったりはしている。知ることによって多少は安心はできる、安心はできるが、それから先へ進むには何等かの行動が必要になってくる。止まっていることが普通の状態であって、動くということは過剰な負荷がかかるもの、だから無意識にそれを避けようとするのも防衛本能なのだろうが、そこを踏み分けていかないと精神の腐敗が考えている以上に進行していく。心も体も沈黙のなかでは呼吸ができなくなってしまう。
僕は間違っているのに助けてほしいと素直には言えない。生きるべき人たちが死んでいく、何故に僕は生きなきゃならないのだろう?大したことのない人間だからでしょうか、必要のない人間はいないと言うものの、現実はそうでもない。使えないものを使えるようにしなくてはならないのだと思います。道具だけは立派だけれど、それがどうしたというのでしょう。いくらでも代用がきくからといって、人もまた同じように扱ってしまう、ものと大して変わりがない。
いらないから捨ててしまう、不良品はゴミ箱行き、がんばっても使えないから捨ててしまう。
がんばっているのに心は磨り減っていく、だからがんばれなくもなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする