世界変動展望

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学歴に関する議論について

2009-02-23 00:15:01 | 社会
 学歴に関する議論は往々にして不毛になる。最近「MARCH」、「日東駒専」などの大学群のネーミングを見て偏差値輪切りの大学ランク付や特定大学のランク高低の議論を知った。

 例えば、「A大学はMARCHと日東駒専の間くらいのレベルだ。」「B大学は一流大学で、C大学は三流大学だ。」「D大学は日東駒専のレベルだが、D大学E学部は偏差値が一ランク高いので日東駒専に分類すべきでない。」といった議論がなされている。

 こういう議論を見ていると、議論をしている人の根底には学歴コンプレックスがあると思う。個人の能力と大学の社会的な評価はほとんど関係ないのに、なぜそれほど気にするのか。

 確かに日本は明治時代から在学・卒業した大学の社会的評価が個人の評価につながるの学歴社会が存在してきた。世間で一流と評価される大学を卒業する方が一流企業に就職しやすし、キャリア官僚や医師、弁護士など難関とされる試験を突破するのが良いとされてきた。

 しかし、卒業する大学と個人の能力はほとんど関係ないし、まして入学時の偏差値など個人の総合的な能力とほとんど関係ない。そもそも偏差値を基準とした大学ランクと個人の能力の相関は非常に薄いのである。

 また、大学の社会的評価は個人の主観評価の統合体で一致した結論にならないことが多い。評価する者によって良い悪いの基準が違うのである。基準によってまちまちとなる評価を気にするのは無益に思える。

 だから学歴に関する議論は不毛になることが多い。そんなことを気にせずやりたいことを一生懸命やった方がずっとよい。