世界変動展望

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無気力相撲はほぼすべて故意!

2012-06-01 00:13:53 | スポーツ・芸能・文芸

元十両の星風が八百長を認定され敗訴した。控訴するらしいが敗訴するだろう。東京地裁は「わざと無気力な相撲をしたことは、国技を興行とする協会の存立基盤に影響を与えるもので、解雇処分が重すぎるとは言えない[1]」

私はこういう言葉を聞いていつも違和感を覚える。どうもわざと無気力相撲をすることを八百長だと考えているらしい。日本相撲協会は故意でない無気力相撲が十分存在すると考えているらしく、それと八百長を区別しているようだ。平成21年5月場所千秋楽の千代大海-把瑠都戦も故意でない無気力相撲と認定されたが八百長ではなかった。日本相撲協会は以前から無気力相撲はあるとしてきたが、それは故意でない無気力相撲のことである。

しかし、故意でない無気力相撲なんてあるのか?無気力に相撲をとるなんてわざとやらないとまず無理だと思う。無気力相撲の定義を調べると「敢闘精神に欠ける相撲[3]」とある。一言でいうとやる気のない相撲をとるということ。やる気がないため攻撃すべきところで攻撃せず、防御すべきところで防御せずに負ける。常識的にはこういう相撲はわざとやらなければまずできない。

そもそも故意の無気力相撲とは「無気力に相撲をとってはいけないことがわかっていながら、あえて無気力に相撲をとる」ことをいう。「無気力に相撲をとってはいけない」こと、即ち真剣勝負しなければならないことは言われなくても誰でもわかっている。わかっていながら無気力な相撲をとる。これが故意でなくてなんだというのか。

攻撃すべきところで攻撃せず、防御すべきところで防御しないという一言でいえば手を抜いた相撲をとるのも常識的には故意にやらなければまずできない。まさに戦っている当事者が不注意で攻撃や防御を忘れてしまったなんてことは非常に不合理で、まずあり得ない。うっかり攻撃を忘れたというのは例えば野球のバッターがバットを振るのを忘れてしまったとか、野手が自分の方へ打球が飛んできたのにボールをとるのを忘れてしまったというようなものだ。うっかり忘れるわけがない。本当にそんな人がいたとしたら「あなたはいったい何をするつもりだったんだ?」と言いたくなる。

無気力相撲は見てると、明らかに手を抜いてあっさり負けている様がよくわかる。そんなふうに手を抜いたら負けるのは当事者が一番よくわかっているはずだ。にも関わらず必死に抵抗するわけでもなく、あっさり負ける様のどこが故意でないのか。行為の客観面からいって明らかに故意。

無気力相撲に過失はまずなく、故意である。

一般には八百長とは相手方と通謀して事前の取り決めどおりに勝負をつけることをいうが、日本相撲協会は八百長があったとすると信用がもっと失墜するから、八百長を故意の無気力相撲とよび、一貫してこの態度を続けている。Wikipediaによると

『疑惑のあった取り組みについて、日本相撲協会関係者は一貫して「故意の無気力相撲」と呼称しており「八百長」という語句は一切使用したことはない。日本相撲協会は公式見解として八百長相撲という表現は発していない。しかし一方で無気力相撲に対する罰則規定を設け、その問題は否定せず、過去には無気力相撲を行った力士に対する注意などをしていた。その後、2011年2月3日に放駒理事長が会見で記者に無気力相撲と八百長は同じものなのかを問われ「無気力相撲=八百長とみなす」旨の見解を示した。[2]』

日本相撲協会は八百長の公式見解を修正すべきではないか。もし修正しないなら今後も無気力相撲による八百長は珍しくなくなるだろう。すでに行われたかもしれない。上で述べたように無気力相撲は常識的には過失はなく、まず故意である。故意の無気力相撲が八百長なら過去にも山のように八百長があったし、これからもずっと八百長が続くだろう。

もともと故意の無気力相撲には罰則があるが、私はこれが適用された事例を知らない。どういうわけか過失の無気力相撲なら何件が発生し協会から注意を受けた例は知っている。上で述べた平成21年5月場所千秋楽の千代大海-把瑠都戦が一例だ。おそらく協会は信用失墜を避けるため故意の無気力相撲をわざと過失とし続けてきただけだ。不正の隠蔽の一つだろう。

八百長で非常に大きなダメージを受けた日本相撲協会はきちんと改善をしないとまた信用が失墜する。今度何かあったら本当に終わりだ。彼らはそれを自覚しているのだろうか。

参考
[1]Yomiuri Online 2012.5.24
[2]無気力相撲 Wikipedia 2012.5.24
[3]無気力相撲の定義