哲学者セネカの言葉。
「始まりはすべて小さい。」
また私は尊敬する学者達を思い出しました。
真理探究に励むが世渡りが不器用で、天動説が多数派の時代に地動説を唱えて、宗教裁判にかけられてもついには地動説を捨てなかった天文学者ガリレオ。
「我思う故に、我有り。」と唱えて、聖書や教会が権威だった時代に、ガリレオが遭った様な旧勢力からの弾圧を避けながら、自分なりに理性的に考える思考法の重要性を教えた、近代合理主義の生みの親である哲学者デカルト。
「経済学者は真理探究のためには、あえて不遇を厭うべきではない。」と言い、ケインズ経済、マルクス経済からも、卵を投げつけられたり様々な批判をされたが、自説を貫いてついにはノーベル賞を受賞した経済学者ハイエク。
新自由主義のフリードマンが主流化したアメリカや日本で、今の持続可能な経済に繋がる社会的共通資本を研究した日本人の異端の経済学者である宇沢弘文。
様々な差別の中、常識や社会通念をシニカルに疑い、なぜ?という発想で自分の頭で物事の本質を深く考え探究して、様々なイノベーションを作ってきたユダヤ人。
また偏見に負けずに、自然科学だけは否定できない「真理」であるとして、ノーベル賞の自然科学の分野で受賞者がすごく多いユダヤ人の学者達。
私も真理探究の結果に孤独な道になってしまっても、自分が正しい道理に合っていると信じた道なら、歩み続けてあるべきイノベーションを身近から実現したいです。