「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「カナリー椰子の花」

2013-09-16 00:33:06 | 和歌

 「カナリー椰子の花」が咲いていた。

 逞しく延びた椰子の枝葉が、かなりの密度で重なる奥に、束になって数珠玉を連ねた様に見えるのが、「カナリー椰子の花」だ。

 

 花房の脇に、お舟を立てた様に控えているのが、花穂を包んでいた苞で、厚さは 3~5ミリ程もある。虚庵居士はゴルフ場のグリーン・キーパーにお願いして、この苞を分けて頂き、小物飾りの器に仕立てて使っている。野趣を帯びた洒落た趣きがあって、虚庵夫人もお気に入りだ。

 

 写真に写っているのは、「うつろ庵」近くの遊歩道の交差点のカナリー椰子だ。
この椰子は手を拡げればかなりのスペースを取るので、住宅地に植えるのにはこの程度が限界であろう。

 以前にもご紹介したが、虚庵居士の住む近くの海岸には、大がかりな防波堤がある。この防波堤にはカナリー椰子の並木が二キロ程も連なり、市民の憩いのプロムナードも兼ているのだ。海沿いの道路の反対側には、背の高いワシントン椰子が連なり、一部で欠けるところもあるが、横須賀市中央までのほゞ5キロの椰子並木は、
市民の自慢でもある。

 富士山に沈み行く夕陽を観ながら、夕涼みを兼ねた散歩は、虚庵居士にとっては人生の黄昏と重なり、聊か哲学的なもの思いをさせて呉れる。 そんな思いとは関係なく、老若男女の健脚組は虚庵夫妻の脇を駆け抜けて行く。あるいは腰の曲がったご老体が、杖を頼りにごくゆっくりと歩む姿など、まさにこの世の縮図を思わせる。

 夕映えの雲は様々な情景を見せつつ、夕陽は富士の山影に落ちて行った ・ ・ ・。


           逞しくカナリー椰子は葉枝伸ばし

           その重なりに花穂を観るかな


           束をなすビーズの球の連なりに

           カナリー椰子の「思ひ」を観るかも


           この花はやがて結ばむ椰子の実を

           無数の実をなし命を繋ぐや


           海岸のカナリー椰子の並木道に

           夕陽を拝み あれこれ思ひぬ


           人生の黄昏どきと陽の沈む

           景色を重ねて妻と歩みぬ


           夕映えの姿を変える雲みれば

           煌めき残して夕日は沈みぬ







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