「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「南天紅葉」

2009-11-30 00:04:22 | 和歌

 秋の深まりと共に、「うつろ庵」の南天は黄葉から紅葉に変わり、生垣の珊瑚樹の濃い緑との対比が
際だって、目を愉しませてくれている。

 頂戴した一株を、取敢えず素焼きの大振りの菊鉢に植えて、庭の片隅に置いたままになっていたが、鉢の底から根を伸ばしてしっかりと根付いてしまった。管理の手抜きを証明したようなものだが、南天が気に入って根を張った場所であればと、鉢を割って盛り土をしてやった。





 澄み切った秋の陽射を浴びて透ける黄葉と紅葉は、そよ風に吹かれて煌めき揺れる風情に、暫し見とれて佇んだ。秋もいつの間にか深まって、気が付けば草花も次第に姿を消して、木の葉の変化が庭に彩りを添えてくれる季節になった。

 翻って身の回りを見渡せば、うら若い乙女らが次第にすくなくなったようだ。自分自身が歳を重ね、お付き合いする世代が、日に日に高齢者に変わりつつあることの証でもあろうか。自然の世界ではそれぞれが輪廻を弁えて、その時どきの輝く姿をみせて呉れるが、人間社会での年月の変化をみれば、年相応に鈍く輝く姿を見せられるのは、至難の業のようだ。やがて落ち葉が舞い散るように、わが身もひっそりと息を引き取る時を迎えるのは必定だが、それまでの日々の中で、たとえ一時であれ、輝く一瞬が持てたら素晴らしいことであろう。





               南天の小葉も色づく秋されば

               何時とはなしに花影みえずも

               
               雲間より漏れ来る陽射に南天は

               小葉をかざしぬ これ見てよねと

  
               散る前の己の姿をしるやきみ

               かおるけしきの紅の葉は
             
               
               物言わぬ南天の葉も煌めきて

               己の刻をしるぞいとしき






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