川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

香山リカの「〈私〉の愛国心」を読む

2004-09-27 00:52:18 | ひとが書いたもの
息子と二人で館山に行ってきて、旅先のマンションで夜、読みました。
おもしろかった。

これは、「蛮勇をふるう」タイプの本です。
香山リカは、別に国際政治の専門家ではないけれど、自分の専門領域(精神医学)から、違った視点を提供できる確信があって、この本を書いた、というようなかんじで、それにしても、国際政治の世界は深く暗く、専門性が高い分野なので、彼女の発言が、異分野からの有効な提言として届くよりも、ただの素朴な議論として切り捨てられてしまう可能性もあるわけです。実際に、アマゾンなんか書評では結構めちゃくちゃなこと言われてます。
でも、まあ、そういうネガティヴ・コメントをする人たちはむしろ中途半端な専門知識の持ち主で、きちんと問題に向き合っている真の(?)専門家たちは、反発するにせよ、納得するにせよ、自分たちが普段いる場所の文脈を違う場所から照射される新鮮さはきっとかんじたはず。彼女がふるった「蛮勇」は、新たな視点を提供する者は、素朴さを恐れてはならない、という原則(そういう原則があるのです。今、つくりました)に基づいたものであります。

ぼくは、彼女の専門領域である精神医学も、また本書で論じられる国際政治のことも、あまり明るい方じゃないので、とても楽しめ、かつ、考えさせられました。

彼女が主張するところ、今の日本の社会を特徴づけるのは、「解離」という心の病だそうです。
これには、自覚がありますよ。ぼくも解離してるなあと思うのです。目の前で起こっている小さな事件には心を痛めたり(たとえば、自分の息子が通っている学校での、子供のかわいそうな話とか)するのに、遠いイラクでのニュースにはつい目を背けがちになってしまうとか、自分の領域と、そのほかの世界をつなぐ回路を、時々、強制的に遮断しないとやっていけないとかんじることがあって、実際に遮断します。
「世界の中心で愛を叫ぶ」が売れたのって、その解離的な世界観が、今の我が国の「気分」だから、かも、ですよね。ごく若い男女の、死別で終わる恋愛は、たしかに、経験者にとって自分が世界の中心であり、古今東西の悲劇の最高到達点であると感じられるほど、強烈なものになりえるでしょう。でも、「世界の中心」じゃないよね。それが、「中心」だと強弁できるのは、その人たちの世界が狭く(これは仕方ない。事情が事情だしね)、なおかつ、読み手の世界も何かの事情で狭まっている(解離している)、からにほからないのでしょう。
少年事件が起こった時など、なぜその少年がそんなことをしたのか興味が集中し、それも、精神障害があるとか、脳に物理的なダメージがあるとか、家庭がどうだったとか、「普通」とは違うというレッテルを貼ることで、「あっち側の人」にしちゃいたがる最近の傾向も指摘されます。たしかに、宮崎事件の時は、「どこにでもいるオタクだったはずの宮崎が幼女たちを殺した」ことに興味が集中し、同世代たるぼくらは「自分はなぜ、宮崎にならずにすんだのか」ということを強く自分に問わねばならなかったし、実際に問うたのだけど、今の少年事件では、そういう問いかけをする人がとても少ない。少なくともメディアにはでてこない。
これ、かなり重要な指摘です。

一方、アメリカ合衆国が持つ、心の病は境界例だそうです。
ブッシュの有名な論理。アメリカとともに戦わない国は、テロリストの見方である、という白か黒かの二分法的思考は、境界例の典型だそうですね。
それをいうなら、全体を観ず、場当たり的な発言を繰り返す我らが最小も、「解離」を体現した、今の日本を代表する人物らしいですけどね。

えっと、この文章に結論はないです。
良い本です。しいていえば、読んでみてください、くらいかな。
あと、香山リカはぼくと同い年。
強く共通点を意識させられます。
それは単純に共感というわけでもなく、良いとこも悪いとも似てるなあ、という、複雑な感情なんですけどね。

ああ、そうだ。
ジェンダフリーに対するバックラッシュについても、「解離」で説明されていますよ。
それはたしかにそうかも。


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2 コメント

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 や。またあんましディープにならんように注意せ... (猫が好き♪)
2004-09-27 19:35:46
| 「普通」とは違うというレッテルを貼ることで、「あっち側
| の人」にしちゃいたがる最近の傾向も指摘されます。

 先日の小山だったっけかの幼児殺人事件ですが、まあ殺した側を弁護しようとは思わないんだが、しかし実際にあの状況に追い込まれてみたらおれは殺さないという自信がないんだよなあ。おもいっきし殺した側の立場に立ってみると、状況ってこんなかんじでしょ。

「ワルやってた時代の、頭が上がらない先輩が、決して広くはないアパート住まいの自分の家に押しかけてきて、生活費も入れずに長期間居座っている」

 まあ、子供を殺すという以外の解決策を思い浮かばなかった問題解決能力のなさについては非難していいかしらんが、問題解決能力がないことを前提とした場合、殺す以外の選択肢があったかっつうと、なかったんではないか。
 あの歳で問題解決能力を持っていないことについて、酒酔い運転や覚せい剤妄想による犯罪と同じように「原因において自由な行為」として責任追及をすることは可能だろうし、おれが「おれも殺さないという自信がない」と言う場合、あの程度に問題解決能力がなければ、という前提つきなわけだけどな(って、普通に罵倒してたコメンテーターとかよりおれの方がはるかにヒドいことを言ってるかもしれないけどな(=^_^;=))。

 確かにまぁ「あっちの世界にいる犯罪者」てのはいるんだけど(常習累犯とかな)、「ほとんどの犯罪者てのは、わしらとたいして変わらんやつなのである」というのがきれいに忘れ去られている。つか、ふつーに内省してりゃてめーの中にも犯罪性があることくらいわかりそうなもんじゃないか。
 どうしてそこまで自分の中の犯罪性というやつに気付かずにいられるのかが、おれにはよくわからないし、けっこうキモチワルイ。気付いていりゃ気をつけることもできるだろうが、気付いてさえいなけりゃ気をつけることもできないんだぞ。「犯罪者をアッチ側の住人にしようとするやつ」って、実はけっこう犯罪と隣り合わせのやばいやつらなんじゃないかとすら思う今日このごろなのであった。

 しかし同時に思うのである。テレビ屋の世界って、そういう内省をまじめにやるやつが生き残れる世界じゃないんだ、なんてことを(念のためですが、ここは笑うところです)(笑うにも前提条件が必要だな。おれも元テレビ屋なんだ。要するにこれは自己弁護なのである)。
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いやいや、充分にディープで読み応え充分であります。 (本人)
2004-09-27 22:29:40
ありがとうございます。
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