川端裕人の“かわいい”だけじゃすまないイルカの話、の短期連載最終回で、こんな図表を紹介しました。本文はこちら。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20100823/108270/
これは、ぼくがわりとよく使っている考え方で、ポイントは2つ。本文に書き切れてないことも加えて解説しておきます。
まず、複雑な世界を切り取る時に単純すぎる、「あれか・これか」に還元するのは得策じゃないってこと。
たとえば、おまえは、捕鯨推進か・反捕鯨か、という二者択一を迫るのは不毛。
「間」の見解だっていろいろあるわけです。条件付き賛成とか、一部賛成とかいろいろあるでしょう。
だから、あれかこれかの問題じゃない、というのは大事。
それと同時に、考えられるばあいは「頻度」や「分布」も意識すること。イルカの問題ではそれほど意識する局面は少ないかもしれないけど。
これが、疫学関係の話だったりすると、この部分もすごく大事になってくる。
つまり、どんな対立軸を建てたとしても、それはあれかこれかではなく、大抵「間」があり、その間にも頻度や分布ってものがあるってことを意識すること。
そして、もうひとつ。
これは、連載コラム中に書いたことなので思い切り簡単に言うと、一つの対立軸ではなく、二つくらい取った方が、現実を切り取る「モデル」として、議論の役に立つことが多いということ。
少なくとも、「あれかこれか」に陥るのは簡単に回避できるし、適切に選ばれた2軸なら、かなり広範囲の問題系を包括的に扱うことが出来る。
ただイルカ問題ついて、別の切り取り方をしたい人もいるだろうなあというのは事実。
ぼくは自然保護や動物愛護などを含む、自然・生き物との付き合い方という問題意識で2軸を選んだけど、イルカと対する時の態度として、「高次元生命体とコンタクトする超・生物としてリスペクト」か、「単なる動物と考えるか」みたない軸を出したがる人だってありえる(だって、本当にそういう人、いるんですから! びっくりすると思うけど)。
でも、3軸出しちゃうと、人間の頭でイメージしにくくなるので、ぼくとしては2軸くらいが適切だと思ってます。
なにしろ、本気でさまざまな「軸」をさがしてくるなら、10や20でもきかないだろうし。
今、我々が議論していることの中で、中心的な部分をうまく掬い上げてくるのがボイントなんですね、きっと。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20100823/108270/
これは、ぼくがわりとよく使っている考え方で、ポイントは2つ。本文に書き切れてないことも加えて解説しておきます。
まず、複雑な世界を切り取る時に単純すぎる、「あれか・これか」に還元するのは得策じゃないってこと。
たとえば、おまえは、捕鯨推進か・反捕鯨か、という二者択一を迫るのは不毛。
「間」の見解だっていろいろあるわけです。条件付き賛成とか、一部賛成とかいろいろあるでしょう。
だから、あれかこれかの問題じゃない、というのは大事。
それと同時に、考えられるばあいは「頻度」や「分布」も意識すること。イルカの問題ではそれほど意識する局面は少ないかもしれないけど。
これが、疫学関係の話だったりすると、この部分もすごく大事になってくる。
つまり、どんな対立軸を建てたとしても、それはあれかこれかではなく、大抵「間」があり、その間にも頻度や分布ってものがあるってことを意識すること。
そして、もうひとつ。
これは、連載コラム中に書いたことなので思い切り簡単に言うと、一つの対立軸ではなく、二つくらい取った方が、現実を切り取る「モデル」として、議論の役に立つことが多いということ。
少なくとも、「あれかこれか」に陥るのは簡単に回避できるし、適切に選ばれた2軸なら、かなり広範囲の問題系を包括的に扱うことが出来る。
ただイルカ問題ついて、別の切り取り方をしたい人もいるだろうなあというのは事実。
ぼくは自然保護や動物愛護などを含む、自然・生き物との付き合い方という問題意識で2軸を選んだけど、イルカと対する時の態度として、「高次元生命体とコンタクトする超・生物としてリスペクト」か、「単なる動物と考えるか」みたない軸を出したがる人だってありえる(だって、本当にそういう人、いるんですから! びっくりすると思うけど)。
でも、3軸出しちゃうと、人間の頭でイメージしにくくなるので、ぼくとしては2軸くらいが適切だと思ってます。
なにしろ、本気でさまざまな「軸」をさがしてくるなら、10や20でもきかないだろうし。
今、我々が議論していることの中で、中心的な部分をうまく掬い上げてくるのがボイントなんですね、きっと。