午前11時頃にホテルを出て、秦皇島へ。なでしこ観戦のため。思えば、二試合連続で日本対アメリカだ。
試合は、まずおいておくとして……遠かった。
往路は各駅に近い快速みたいな電車で、3時間半。
軟座(一等車)をとれたので、ずっと座れてラクチンだったけれど。
帰路は、特急で2時間45分。
ただし硬座(二等)で、座席すらなかった。
ずっと本を読んでいたけれど、本を読める個人的空間を確保するだけで一苦労。
おまけにみんなタバコをすぱすぱ吸うのだ。
閉口しつつも、ある一日の体験としては悪くない。
ちなみに写真は秦皇島駅前にたたずむアデリー的ペンギンたち。
追記
なんで唐山を通ったことをわざわざ書いたかというと、ここは1976年に20世紀最大の地震被害があったところだから。
なにしろ24万人が亡くなり、重傷者も市内だけで8万人。でもこれは当時の政府にコントロールされた数字で、本当は80万人だったという説も。なにしろ建物の倒壊割合が94パーセントだったのですって(以上、主としてウィキペディアより)。
90年代に気象庁担当で災害記者でもあったぼくは、直近の大地震として、何冊か本を読んだことがあるのです。
それで、すごく感慨深かったのです。
試合は、まずおいておくとして……遠かった。
往路は各駅に近い快速みたいな電車で、3時間半。
軟座(一等車)をとれたので、ずっと座れてラクチンだったけれど。
帰路は、特急で2時間45分。
ただし硬座(二等)で、座席すらなかった。
ずっと本を読んでいたけれど、本を読める個人的空間を確保するだけで一苦労。
おまけにみんなタバコをすぱすぱ吸うのだ。
閉口しつつも、ある一日の体験としては悪くない。
ちなみに写真は秦皇島駅前にたたずむアデリー的ペンギンたち。
追記
なんで唐山を通ったことをわざわざ書いたかというと、ここは1976年に20世紀最大の地震被害があったところだから。
なにしろ24万人が亡くなり、重傷者も市内だけで8万人。でもこれは当時の政府にコントロールされた数字で、本当は80万人だったという説も。なにしろ建物の倒壊割合が94パーセントだったのですって(以上、主としてウィキペディアより)。
90年代に気象庁担当で災害記者でもあったぼくは、直近の大地震として、何冊か本を読んだことがあるのです。
それで、すごく感慨深かったのです。