まとめます。しのぶんやHoly Grailさんが調べてくださったことなども入れ込んで、「瞳を閉じる」という用例の起源を探すと……。
まず大正時代に、小説で「瞳を閉じる」用例があるようです。
素木しづ『青白き夢』(大正4年)
「……彼女は、目の前に黒い影をチラと見たまゝ、又瞳は自然に閉ぢられて行った」
菊池寛『青木の出京』(大正7年)
「……が、今でも意識して瞳を閉じると、その女の顔が(略)記憶のうちに蘇ってきた」
この場合あきらかに「目」の意味で使われており、「ひとみ」ではなく「め」と読まれていた可能性もあります。
このあたりのこと、詳しい方いらしたら、是非教えていただきたいです。
さてさて、歌の中で「瞳を閉じた」のは、橋本淳氏。
ブルーコメッツ「青い瞳」(昭和41年)
ヴィレッジ・シンガーズ「瞳をとじて」(昭和42年)
ザ・タイガース「銀河のロマンス」(昭和43年)
ヤンガース「恋を教えて」(昭和44年)
といった曲でその表現を使い、いっきに日本語歌詞の中で、「目を閉じる」の詩的表現として「瞳を閉じる」を一般化させました。
ちなみに、ヴィレッジ・シンガースの「瞳をとじて」は、「亜麻色の髪の乙女」のカップリング曲。
さらに、ぼくなんかの世代にとって決定的だったのは、
荒井由美の「瞳を閉じて」(昭和49年)だってたってことになるでしょう。
以降、この表現は、本当に嫌になるくらい、「歌詞の中」「広告の中」でだけで使われる詩的表現として、かなり無批判なまま継承され、きょうにいたるわけです。
以上、まとめ、でした。
なぜこんなことを書いているのか、ぴんとこない方には、こちら過去ログをどうぞ。
↓
リヴァイアさん、日々のわざ: たのむから瞳は閉じないでほしい
リヴァイアさん、日々のわざ: 「青い瞳」が起源なのか
まず大正時代に、小説で「瞳を閉じる」用例があるようです。
素木しづ『青白き夢』(大正4年)
「……彼女は、目の前に黒い影をチラと見たまゝ、又瞳は自然に閉ぢられて行った」
菊池寛『青木の出京』(大正7年)
「……が、今でも意識して瞳を閉じると、その女の顔が(略)記憶のうちに蘇ってきた」
この場合あきらかに「目」の意味で使われており、「ひとみ」ではなく「め」と読まれていた可能性もあります。
このあたりのこと、詳しい方いらしたら、是非教えていただきたいです。
さてさて、歌の中で「瞳を閉じた」のは、橋本淳氏。
ブルーコメッツ「青い瞳」(昭和41年)
ヴィレッジ・シンガーズ「瞳をとじて」(昭和42年)
ザ・タイガース「銀河のロマンス」(昭和43年)
ヤンガース「恋を教えて」(昭和44年)
といった曲でその表現を使い、いっきに日本語歌詞の中で、「目を閉じる」の詩的表現として「瞳を閉じる」を一般化させました。
ちなみに、ヴィレッジ・シンガースの「瞳をとじて」は、「亜麻色の髪の乙女」のカップリング曲。
さらに、ぼくなんかの世代にとって決定的だったのは、
荒井由美の「瞳を閉じて」(昭和49年)だってたってことになるでしょう。
以降、この表現は、本当に嫌になるくらい、「歌詞の中」「広告の中」でだけで使われる詩的表現として、かなり無批判なまま継承され、きょうにいたるわけです。
以上、まとめ、でした。
なぜこんなことを書いているのか、ぴんとこない方には、こちら過去ログをどうぞ。
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リヴァイアさん、日々のわざ: たのむから瞳は閉じないでほしい
リヴァイアさん、日々のわざ: 「青い瞳」が起源なのか