川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

もう一つの銀河のワールドカップへ! 『風に乗って、跳べ』刊行によせて

2019-12-20 03:17:56 | 日記

 ブラインドサッカーに出会った17歳の華と六花の冒険へ、ようこそ!

 満を持して、本作『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(川端裕人 朝日学生新聞社 装画ゆの ブックデザイン横山千里)をお届けします。


 2006年、つまり、ドイツワールドカップの年に、少年サッカー小説『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)を上梓して以来の「宿題」をやっと提出できました。
 
 というのも、「銀河のワールドカップ」のためにブラインドサッカーの取材をし、実際に作中では鍵となるような場面で「活用」できたと思いつつも、まだ、かなり「積み残してしまった」という気持ちが強かったからです。つまりは、ブラインドサッカーには、そのものとして、お話にするべきことが詰まっている、と感じられてならず、いつか実現しようと願ってきたわけです。自分にプレッシャーを書けるべく、「銀河のワールドカップ・サイドB」をいずれ書くとも言い続けてきました。

 そして、実現しました。
 本作品は、ブラインドサッカーを舞台にした「もう一つの銀河のワールドカップ」だと言い切ってしまいましょう。実際、作中の2人の主人公、華と六花が所属するクラブチームは、「ダンデライオンみらい」で、クライマックスで結成される即席チームは「プレデター・ユナイテッド」です。そして、チーム名だけでなく、実際に「銀河へキックオフ!!」しちゃう勢いです(ここだけアニメのタイトルですが、事実、そんなかんじなんです)。
 
 と、まったくもって、自己都合的な感慨を語りましたが、それだけの手応えを感じていると強調しておきます。

 その上で、紹介らしい紹介をしておきますと──

 以下、版元の朝日学生新聞社のプレスリリースより。

 

*******************
 
「……わたしの声が、必要とされてる?」

ブラインドサッカーで世界を目指す17歳の女子高生の物語

 主人公は、生徒会を辞めてぽっかりと時間ができてしまった高2の華。目標を見失っていた時に、幼なじみの六花と偶然再会し、六花が打ち込む「ブラインドサッカー」に出会う。

 まるで目隠しなどしていないかのような華麗なドリブルや、競技の迫力にすっかり魅せられた華は、気づけば声で選手をサポートする「ガイド」を引き受けていた──。

 六花と再会して新たに動き出した華の日々や、ブラインドサッカーで世界を目指す挑戦の日々と友情を描く青春小説。

*******************

 とのことです。

 まさにそういう話です。

 実は、「太陽ときみの声」はこれが3冊めであり、3部作の最終回でもあります。
 しかし、主人公もストーリーも別なので、まずは本作から入っていただいて正解だと思う次第です。

 エンジョイ!

 そして、これを書けためぐり合わせ、ブラインドサッカーと、そのファミリーについて語ってくれたり、感情や行動で示してくれた方々に、感謝します。
 
 

 


子どもたちと一緒に、地球と宇宙がつながる1年を!(『青い海の宇宙港』文庫版が書店に並んでいます)

2019-07-18 16:23:33 | 日記

紹介するのが、ちょっと遅くなってしまいましたが、「青い海の宇宙港」の文庫版が書店に並んでいます。

文庫版も上下巻(春夏篇秋冬篇)で、表紙のイラストは、おとないちあきさん、ブックデザインは、bookwallさんです。

解説は小川一水さんが引き受けてくださいました。小川さんの『天冥の標』シリーズは、今年完結しましたが、日本が誇る宇宙SFです。小川さんの目から見て、本作品がどう見えたのか、よい解説をいただきました。

そして、帯には宇宙飛行士の毛利衛さん。ぼくが宇宙もの(というかロケットもの)を書くに至った発端にいる人物です。毛利さんは科学未来館の館長として、多くの人材を科学解説の世界に送り出しており、いわば「毛利さんの子どもたち」とは時々仕事をさせていただくことがあるのですが、考えてみると毛利さんと同じ場所に名前が並ぶのははじめてかもしれません。うれしいことです。

さて、本作についての「能書き」はあちこちに書きました。それで、ブログ記事に何を書けっていうんだよっという状態になっていたわけでして、まずはともあれ、リンクを紹介します。

紹介記事として、早川書房のサイトがまとまっています。

どんな話かについては、こちら。
夢と希望、絆と情熱に満ちた青春宇宙小説の傑作、いよいよ文庫化! 川端裕人『青い海の宇宙港 春夏篇/秋冬篇』書影&あらすじ公開!

そして、冒頭の試し読みはこちら。
【試し読み】夢と希望、絆と情熱に満ちた青春宇宙小説、いよいよ文庫化! 川端裕人『青い海の宇宙港 春夏篇』『青い海の宇宙港 秋冬篇』

さらに、ぼくがこの作品を書くに至ったかれこれ30年くらいにわたる昔話がこちら(文庫版のためのあとがきとして、文庫本に収録)。デビューから20年超の軌跡を語る文庫版あとがき公開! 川端裕人『青い海の宇宙港』

そして、このブログ記事では、ひとつ付け加えたいことがあります。

かつて『夏のロケット』を書いた時、「アマチュアが宇宙ロケットを開発するなんて荒唐無稽すぎる」という感想をたくさんいただきました。ぼくとしては、今そこにあるもののちょっと先を描いたつもりで、SFというよりも、現代小説のつもりでしたし、当時も、現代小説として楽しんでくださったからこそ今も読みつがれていると思うのですが、それでも「ありえない」「荒唐無稽」と感じる人も多かったのです。

でも、さすがに最近は、言われなくなりました。
そして、むしろ、1990年代という時代背景の中で、民間宇宙の「夜明け前」で展開される、ちょっと昔の現代小説として読まれるようになったと思います。

本当に、当時と今では、いろんなことがもう違いますよね。
『夏のロケット』の中ではポケベルがまだ現役で、携帯電話は一部しか普及していません。ミュージシャンが「金になる」職業でした。JAXAはまだNASDAとISASとNALでした。ミサイルを作るのにテロ組織よりも過激派の方がリアリティがありました。もしも書いたのが数年後なら、ぼくはカルト団体を選んだかもしれないなと思っていた時期があるんですが、今となってはその時代も遥か遠いですね。

さて、『青い海の宇宙港」です。
これは、簡単に言えば、小学生が地元の人たちを動かして、地元ロケットを開発、太陽系を脱出するような宇宙機を打ち上げる話です。

荒唐無稽?
そうですよね。荒唐無稽です。

でも、ぼくはいずれそれが荒唐無稽でなくなると信じています。
小学生がちょっと周囲の人たち恵まれると、宇宙機を開発して打ち上げられる、というのは、今、小学生がモデルロケットを扱うくらい、「あり得る」ことになるでしょう。
だから、『青い海の宇宙港』の風景は、そんなに珍しくないものになるかもしれません。

いや、それ以上に大切なことがあります。
宇宙が「足元の日常」と地続き、というと変ですが、「空間続き」に感じられるようになる、ということです。
近未来にそれが起きます。

例えば、作中では、「宇宙ロケットは農業だ」という認識が出てきます。
なぜなら、作中の燃料は農業生産物だからです。
あるいは化石燃料だって生物由来で、宇宙ロケットって、生命が何十億年かけて培ったリソースで地球から出ていくんですよ。

というわけで、地球上の物質循環は、すごく大きく見ると、宇宙的物質循環の一部であると、小学生たちは気づきます。現状では、本作の中のそういった部分が「荒唐無稽」に見える可能性があります。
でも、荒唐無稽ではなくなりますからね。

別の言い方をしてみましょう。
今、環境問題というと、地球上のことをイメージしますよね。
でも、人間の活動範囲が広がれば、「環境」も広がります。
火星環境保護みたいなことはすでに言われているし、太陽系全体について、「地球環境」と言うのと同じように、「太陽系環境」などと言うようになるかもしれません。いや、これももう言われてますね。

でも、まだまだ、ぼくたちは、そういう様々な環境が、今ほとんどの人がいる地球上と「空間続き」であることをそれほど納得していません。一部の人たちを除き、日常の中には降りてきていないんです。それが、遠からず、違ってくるよ、と本作はきっと予言しています(笑)。

作中では、一番の視点人物(主役)の男の子が、やたら地面を見ているんですけど、それが宇宙なんです

うん、そういう話です。

そういう未来が来ます。
そういうちょっと先の未来のお話です。
そういう未来は、ぼくには望ましいです。

子どもたちと、一緒にぜひ、地球と宇宙がつながる一年を、だいたいはまったりと、時にはドキドキしながら、お過ごしください!

それでは、また次回作でお会いしましょう!


「動物園から未来を変える ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン」の内容紹介。

2019-02-18 22:06:58 | 日記

「動物園から未来を変える ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン」の内容紹介。

 やっと出ます。
 長いこと「作業中」「カミングスーン」「もうすぐ」と言い続けてきたWCSの本田公夫さんとの本が本当に本当に出ます。もう予約が始まっています。といいますか、今週中に書店に並び始めます。 

 書影もお見せできます。
 写真はブロンクス動物園の「マダガスカル!」のもので、撮影は本田さんです。

 

 帯にはこんなふうに書かれています。

 
 ただ「動物を見せて終わり」じゃない。
 メッセージを伝えなければ──
 世界を驚かせた革新的な展示の数々は、
 どのように作られているのか

 動物園の展示デザインを手がける日本人デザイナーの仕事に迫る


 なにやら、究極の「お仕事もの」の雰囲気が漂っているかと思いますが、内容はまさにそのとおりです。

 知らない人のために簡単に解説すると、本田公夫さんは、今、北米の動物園業界に勤務する、おそらくは唯一の日本人です。すでに20年近く、アメリカのトップ動物園であるWCS(Wildlife Coservation Society ブロンクス動物園やニューヨーク水族館などを運営)の展示部門に勤務しており、かずかずの展示を手がけてきました。

 動物園界では「この人あり」と知られる本田公夫さんの仕事を、一般書ワールドで「はじめて」ちゃんと紹介することができた(ものども、刮目せよ!という気分)、いとう意味でとてもやりがいがある仕事でした。

 また、自分のキャリアの中で、20世紀末、取材の拠点にさせてもらったブロンクス動物園について、当時、はっきり理解していなかったことも含めて「その後」まで描け、宿題を提出できた気分です。

 章立てを記しておきます。

 ******

 序章 20年後のブロンクスから
 第1章 21世紀の動物園を考えるために知っておくべきこと
 第2章 「コンゴの森」に分け入る
 第3章 動物園ボランティアから動物園プロフェッショナルへ!
 第4章 マダガスカル!
 第5章 その門口を超えて〜愛と行動について
 終章 日本の動物園から創る未来

 ******

 章題から内容を推し量ることは難しいかもしれません。というのも、本田さんが普段していることというのは、日本の動物園の展示を作ることや来園者に訴求する様々な努力として知られるものとは、ちょっと次元が違うからです。

 話を伺っていて、マジか、そこまでやるのか、というようなことが何度も何度も出てきました。キーワードだけでも書くと、「まずはビッグアイデアを掲げる」「統合的なプロセスでランドスケープから解説展示まで継ぎ目なく」「脚本家である展示デベロッパーの起用」「事前評価、中間評価、結果評価」「動物園で得られる自然体験についての考察」「自然の中での遊び(nature play)」などなど。

 ひとつでも気になるものがあったら、読んでもらってまったく損はないですよ。本田さんがおよそ20年にわたって、切り開いてきた視野が、あなたのものになります。すごくお得です。

 というわけで、強力プッシュ! 我ながらすごいもの書かせていただいたものだ!と打ち震えておりますがゆえ。


「講談社科学出版賞」を受賞いたしました。

2018-07-23 23:25:25 | 日記

〈写真は「ホビット」が見つかったフローレス島のとある光景〉

 

「我々はなぜ我々だけなのか」が、講談社科学出版賞をいただくことになりました。先日の「科学ジャーナリスト賞2018」に続いて、高い評価をいただくことができました。本書にかかわってくださったすべての方々に感謝です。

講談社科学出版賞というのは、どんなものかと言いますと、今年で34回目を数えるということですので、とても由緒のあるものです。歴代の受賞作のリストがあったので、見てみますと……

古くは、「バイオコンピュータ」(甘利俊一)、「ゾウの時間ネズミの時間」(本川達雄)など。

21世紀になってからは「プリオン説はほんとうか?」(福岡伸一)、「渋滞学」(西成活裕)、「ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ ハイテク海洋動物学への招待」(佐藤克文)、「大栗先生の超弦理論入門 九次元世界にあった究極の理論」(大栗博司)などなど。

こういった諸作は、ぼく自身、リアルタイムで読み、それぞれ強い印象を受けました。

そういったリストの中に、「我々はなぜ我々だけなのか」(川端裕人 監修 海部陽介)が書き込まれるのは非常に名誉なことです。

なお、今回の受賞理由の中には、物書きがサイエンティスト(この場合、海部さん)に話を伺って、自分なりに咀嚼し、表現を練ること、そして、現場の興奮を伝えること、といったスタイルが評価されています。

ナショジオの研究室連載から始まって、いろいろ試してきた「変なアプローチ」の可能性、あるいは本質的に持っている限界についても理解していただいた上での受賞というのは、やはり大きなことです。

このアプローチで作った本は、すでに──
三島和夫さんとの「八時間睡眠のウソ!」  、小松英一郎さんとの「宇宙の始まり、そして終わり」 があります。

自分としては、今回評価をいただいた「我々はなぜ我々だけだったのか」と同じくらい、野心的で、また、その野心がしっかり結実した内容だと確信しています。というわけで、「我々──」を読んで面白かった方は、それらを読んて下さっても、きっと楽しめますよ!と保証します。

さらに一冊まるまる同じテーマではないオムニバスも含めるなら、「研究室に行ってみた。」 も同じアプローチです。

いずれもナショナルジオグラフィック日本版ウェブサイトのインタビュー連載で開発した手法です。なかなか使い勝手が良いので多用していたところ、一定の評価を得るに至ったようです。でも、こればっかりやっているわけにも行かないので、別のアプローチのものもいろいろ考えております。

そんなこんなで、心機一転、きょうもまた書いています。
きっと明日も書いてます。

引き続きよろしくお願いいたします!

なお、監修者の海部陽介さんが代表をつとめる「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」は、今、「最終のクラウドファンディング中」です。日本列島にホモ・サピエンスがやってきた時代の航海をトレースする実験考古学の研究航海は、「我々はなぜ我わだけなのか」で扱ったよりも後の時代の話であり、実は作品の問いかけに対するアンサーでもあります。

ぜひ、ご覧になってくださいませ!


まさに企画倒れだった「超PTA論」を再掲

2018-03-31 18:26:43 | 日記
 
「超PTA論」2012年頃に立てたPTA本の企画

自分のメールボックスを検索していたら、ひっかかって見つかった、本人も忘れていた計画。2012年頃、「PTA再活用論」がほとんどもう品切れ重版未定状態になっており、その時に、たま......
 

 


1年前のこと。

2018-03-27 18:09:38 | 日記
 
なぜこのタイミングで「動物園にできること」(第3版)の電子書籍化なのか。とりあえずはKindleから。
「動物園にできること」(第3版)をKindle書籍として出版しました。この後、紙の本としてもオンデマンド出版できるように準備中です。そちらはBCCKSというサービスで提供予......
 

1年前、こんなエントリを書いていたみたいです。↑
その後、BCCKSでの紙版も実現しました。もう1年前かあ……。


降矢三兄弟に思いを残してくださっているみなさん、彼らは今もここにいます。

2018-02-24 18:46:08 | 日記

もともと、「太陽ときみの声」は「銀河のワールドカップ」と同じ世界で繰り広げられるブラインドサッカー小説です。

去年、書籍になった「太陽ときみの声」の続編として、「続・太陽ときみの声──明日のもっと未来(さき)へ」を今、朝日中高生新聞にて連載中なんですが、そこにとうとう、降矢虎太くんが登場しました。

これまでも、栗林陽平くんをはじめ「銀河のワールドカップ」と地続きであることを示唆する登場人物やエピソードはあったわけですが、虎太がこんなルックスで登場して、とうとう「銀河へキックオフ!!」ともつながったかんじがありありとします。

原作とアニメは、微妙に違うところありますが、そういうのを全部無視して、おんなじワールドだと思ってください、みたいな。

ぼくもこのイラストをみてちょっと胸アツなう、です。

年内にこの部分も含めて本になります。

去年出た「太陽ときみの声」に「続」が加わります。そして、これにて、ブラインドサッカーのお話は一応のおしまいです。

降矢三兄弟に思いを残してくださっているみなさん。彼らは今もここにいます。プー横丁のプーさんみたいに、そこにいます。

時々、思い出してみてくださいね!


色覚をめぐるエピソードを教えてください。

2018-01-16 01:00:59 | 日記

〈写真に深い意味はありません↑〉

現在、色覚のサイエンスと「色覚多様性」をめぐるノンフィクションを準備中です。
いわゆる「色覚異常」について、これまでも多くのことが語られてきましたが、それを21世紀のサイエンスの知見を大いに踏まえた上で、考えて直してみようという内容です。

取材を続ける中で、20世紀から21世紀にかけて、わたしたちの社会において、「色覚異常」と、「色覚異常の当事者」が置かれている状況は変わってきたことを実感しています。

そこで、ネットを使ってエピソードを募集してみることにしました。
基本的には「色覚異常」を持つ当事者、あるいは当事者が身近にいる人を想定しております(もっとも、強い思いがありましたら、どなたでも歓迎です)。ブログのコメント欄(非公開にします)や、twitterのダイレクトメール(@Rsider)、Facebookのメッセージなどで、ご連絡くださればと思います。

具体的には──

1)ご自身(ご家族・知人など)の色覚について。どのような特徴を持った色覚だと認識していますか? それにまつわるエピソードをお聞かせください。

2)学校などで色覚検査を受けたことがありますか? 2004年から2015年にかけて日本のほとんどの小中高で、健診の中での色覚検査を受けておらず、それ以前、その期間中、それ以降で、それぞれ体験は違うはずです。色覚検査を受けた時のエピソード、受けたことに(受けなかったこと)によって得た利益不利益など、お感じになっていることを教えてください。

3)「色覚異常」は、就学や就労においてどのような影響を与えましたでしょうか、あるいは与えなかったでしょうか。

4)ご自身の体験から、「色覚異常」は社会の中でどのように位置づけられるべきとお考えですか? あいまいな質問で恐縮ですが、この問いで、頭に浮かぶことを教えていただければ、と。

5)以上の質問にあてはまらないことで、特に「これは伝えたい」と思われることがありましたら、教えてください。

現在のところ知りたい質問は以上です。あまりにざっくりしているので、いずれリバイズするかもしれません。

すべての質問に答える必要はありませんし、ご自分が「イイタイコト」を書いてくだされば結構です。さらに詳しいことを伺いたい時などは、こちらから連絡させていただきたいので、ぜひ連絡先も教えていただけましたら幸いです。

また、私がこれから書くものの中で引用させていただく可能性がありますので(特にご希望がない場合は、匿名にします)、それについてもご承知おきください。

私たちの社会においては、デリケートな面がある話題であると理解しています。目下のところは、私の著作などをご覧になったことがあり、「この著者になら、コメントしてもいい」という信頼感を持ってくださる方からいただければいいなとは思っております。(もちろん、そのために著作を読んで下さい、などという話ではありません。)

なお、自分自身のことを簡単に書いておきます(詳しくはいずれまた)。

ぼく自身、「異常三色覚」の当事者です。
1964年生まれで、学校健診での色覚検査が徐々に縮小し、就学や就職の制限も次第に撤廃されていく中で育ちしました。小1で最初に受けた色覚検査は「毎年行う」時代のものでしたが、翌年に4年生のみになったので、「毎年」は経験していません。

それでも、クラス全員が見守る中で検査を受けて、検査表が読めないと囃し立てられ、あるいは「これ何色に見えるの?」という答えようもない質問をされたことは強烈な思い出です。中学や高校の先生が深刻な顔をしてぼくを呼び出し、「きみは、工業高校や高専には行けない」「医学部や歯学部や薬学部や工学部などでは行けないところがある」などと告げられたこともよく覚えています。

高校時代、心配した親が、当時、先天性色覚異常を治すとして宣伝されていたクリニック(電気刺激を与えて治す、という触れ込み)に通ったりもしました。もっとも、これは心配する親のためという面があり、治るはずもないのに治ったことにして通うのをやめました。親はひょっとすると、今も「治った」と思っているかもしれません。なお、このクリニックは今では「ニセ医療」だったと見なされています。

このようなぼくは、色覚について、今からは振り返ると「差別」としか言いようがなかった就学・就労上の制限がある時代をぎりぎり知る(けれど、目の前で壁が取り払われていった)世代です。古い大変な時代のことの片鱗を体験しつつ、実質的には、進学や就労で苦労することはありませんでした。でも、常に「色覚異常」は胸にしこりとなっており、今日に至ります。

以上。

なお、こういった体験は、当事者が生まれた時期や環境によってかなり大きく違うはずです。
今回、特に着目しているのは時期の問題で、2004年から10年間、学校健診で色覚検査をしていないかった時期に生徒・学生だった世代が、「就職活動の中で、はじめて自分の色覚を知り、不利益を被る」事例が出てきたことにはとても胸を痛めています。

かといって、20世紀に戻りたいなどと誰も思っていなわけで、いろいろ考えるためにも、それぞれのリアリティを収集しようと考えました。

色覚異常をめぐる体験は、それぞれにとって非常に強烈なものでありつつも、かなり固有です。自分の体験だけでは、強いバイアスがかかることが必定なので、なにとぞ、ご協力をいただけますかたは、ご連絡いただけましたらさいわいです。


「我々はなぜ我々だけなのか」の正誤表(臨時)

2017-12-31 22:26:02 | 日記

「我々はなぜ我々だけなのか」の初版の正誤表を出版社のサイトにて作成中です。ただ、年末年始を挟んでですので、公開はお正月休み以降です。

冬休み中に本書を読んでくださってる方も多いと思いますので、この場で、本質的な部分だけ、公開いたします。

 

103ページの図のキャプション

誤)年代が新しい標本群は☓で、古い標本群は○で示してある。

正)年代が新しい標本群はで、古い標本群はで示してある。

 

228 ページの図のキャプション

誤)原始的なジャイアントハイエナ(●)が、新たに侵入してきたブチハイエナ(□)

正)原始的なジャイアントハイエナ(□)が、新たに侵入してきたブチハイエナ(●)

 

熱心に図を見ていただいた方で、「あれ? これは逆?」というふうに疑問を持った方も多いかと思います。まさに、逆にしてしまっておりました。

確認が足りず、すみませんでした。

 

 

 

 

 


「我々はなぜ我々だけなのか──アジアから消えた多様な「人類」たち」について

2017-12-15 08:45:54 | 日記

〈↑窓辺に置いてみました。骨はドードーの嘴のキャストです〉

2013年から取材をはじめていたアジアの原人についての本をやっと上梓できました。
ほっと胸をなでおろしています。今回は国立科学博物館の海部陽介さんとの共同作業です。とても勉強になり、達成感に満ち満ちております。

ぼくにとっては2015年末に、ドイツのマックスプランク宇宙物理研究所の小松英一郎所長と一緒に作った「宇宙の始まり、そして終わり」(日経プレミアシリーズ)に続く、新書判型のノンフィクションであり、「ぼくらのはじまり」について探求する「起源本シリーズ」の第二弾になりました。

さて、本書のウリはなにかというと──
いくつか、類書にない部分があって、おそらくは「●●について詳述したはじめての一般書」という冠がいくつかもらえるはずです。


1)サピエンス以前の多様な人類の知識をアップデートして、アジアの「かつての隣人たち」を描こうとするはじめての一般書であるということ。
2)人類史の中のアジアを、明確に意識して書かれた初めての一般書。

ようするにアジアの多様な人類を詳述した上で、それを人類史の中に組み込んでみるとどんな景色、どんなタイナミズムが見えてくるのか語っています。

これは、21世紀になって分かってきた多くの新たな事実(知られていなかった人類の化石が見つかったりしたこと)を通じて、今、やっと語ることができるようなったであって、「はじめて」は日本でというわけではなくて、世界で、ということです。

もうちょっと具体的に書きますね。

まず前提として、
人類史の探求は、「どこから見るか」によって景色が違います。
ヨーロッパの人は地元でおきたネアンデルタールとクロマニヨンの交替劇に心を奪われがちだし、アメリカの人たちは、アラスカから侵入してきたサピエンスのアメリカ縦断の壮大な物語明らかにしたいと願います。オーストラリアの人は、サピエンスの海洋拡散に関心があるかもしれません。

じゃあ、アジアの人類史はどうかいうと、北京原人だとかジャワ原人だとか、誰もが名前だけは知っているわけじゃないですか。
これらは、ホモ・エレクトスとして、アフリカにいた原人といっしょくたになって100万年にわたって停滞していた連中だと思われてきたわけです。

でも、今世紀になって身長110センチの小型人類フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス、愛称ホビット)が発見されたり、なぜかネアンデルタール人と同じ洞窟を使っていたシベリアのデニソワ人が見つかったり、台湾の海底から「アジア第四の原人」の顎の化石が漁網にかかって引き上げられたり、超弩級の発見がアジアでいくつも起きて、事態は単純ではないと分かってきたわけです。

じゃあ、それらの発見を、地理的にも時代的にも整理して、アジアでどんなダイナミズムがあったのか明らかにするのは、アジアに住むぼくたちの「担当」だよね、というのがひとつ大事なところですね。

そして、その中心にいるのが海部陽介さんです。

今、アジアの人類史について、分かってきている範囲内で特徴がいくつかあります。

ヨーロッパで、サピエンスが古い人(ネアンデルタール)と入れ替わるみたいな「AがBに取って代わった」物語でもないし、アメリカでサピエンスが拡散していく1つの種のグレートジャーニーの物語でもないんです。

もちろんアジアはグレートジャーニーの一部であり、アメリカからみると通過点なんですが、でも、「アフリカを出た人類が、アジアを通った上で、アメリカ南端まで来ました」というのはあまりに単純化されていて、サイドストーリーや「前章」があるわけです。

アジアを語る時には、その前章が大事になって、活躍するのがジャワ原人やフローレス原人や北京原人やデニソワ人です。また、本書の中ではじめて登場するまだ発見されてまもない台湾の澎湖人も新たな別系統の原人集団で、彼らも重要なアクターです。

彼らもアフリカを出て「ジャーニー」してきた人たちなんですよ。もっとも彼らのジャーニーはアジアで多分終わったわけですが、それって、ぼくらアジア人にしてみれば、まさに歴史として語るべきことですよね。アメリカの人たちは「うちには来てくれなかった人類」として関心を持ちにくいかもしれないけれど、ぼくたちは「最初のグレートジャーニー」をはたした人たちに興味津々で語っていいわけです。

アジアでは、サピエンス以前に、原人がおり、それぞれの特殊化をはたし、そこにやってきた旧人が原人と出会い、その後でサピエンスが両方に出会った(かもしれない)というふうな複雑な過程を経るわけです。海部さん自身、サピエンスの拡散の話、日本に来たサピエンスの話については、すでにそれぞれ書いています。でも原人の話はまだだったのですね。

ぼくは、本書を書きながら、本当に胸が熱くなりました。
ややマニアックでありつつも、ちょっと見方を変えると、人類史のきわめて重要なピースであるとすぐにわかります。
こんな素敵なテーマで書くことが許されるのは、本当に書き手冥利につきるなあと。

いずれ、海部さんは、今回のアジアの原人に加えてサピエンスのことまで統合してグランドセオリーを樹立するでしょう。ぼくが、今、このテーマにアクセスできたのは、フィールドで活躍し、アカデミックにも充実していて超多忙な海部さんが、現時点で「書いている余裕がないけれどしかし大事なこと」を書くように託されたとイメージしています。

この本はしばらく「最新」であると思います。そして、やがて、海部さん自身が究極のアップデートを果たす時には、さらに鮮やかな「アジアの人類史」が目の前に浮かび上がるでしょう。

そして書き手としてもぼくにとっては、冒頭にも書いたとおり、これは「起源本」シリーズのひとつです。

「宇宙の起源」「人類の起源」。

 

こういった大きなテーマを、当代一流の研究者と一緒に探求できるのは本当に得難い体験です。とても大変な仕事になるけれどそれだけのことがあります。

次は、「生命の起源」かなんて思ってますが、実現するのは早くて2年後でしょう。
気に入ってくださったみなさん、待っててね!

川端からは以上です!