日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

元伊勢・檜原神社と二上山・・・奈良大通信 同窓会遠足のスナップ(2019.5)

2020-10-18 18:20:02 | 旅行
またご無沙汰していました。学校は中間考査期間中ということで、教員としては、部活もないし、授業もないし、試験問題ができていれば、比較的時間に余裕がある期間になるため、ブログを書くなら今、という感じです。

もう、東京の人間であってもどこに行ってもいいようで、本当は日帰りでも1泊でも関西方面に行きたい気持ちはありましたが、やはりこの時期出かけると仕事面でそのツケが回ってくるかなという状況なので、控えました。東京でやるべきことをやります。

去年、でいいのだろうか・・・もはやかなり遠い昔のことのような気がしてしまうのですが、2019年5月12日に、奈良大学通信教育の同窓会の遠足で、大神神社の正式参拝他、山の辺の道を歩く、という旅に行って来た時のことを書きます。この時に、普通検索観音さんと一緒に歩き、どら焼きさんともご対面しました。後で、瓊花さんと普通検索観音さんとならまちでお茶したのでした。

今日はその道中のうち、檜原神社について、写真とともに少しだけ書きます。
大神神社を過ぎて、しばらく歩くと檜原神社がありました。このあたりの山の辺の道は何度かうろうろして来ましたが、檜原神社は行ってみたいと思いながらあまり近くに駅がないので行きづらく、この時初めて行きました。

ここは「元伊勢」とも呼ばれ、アマテラスオオミカミが最終的に伊勢神宮に鎮座する前に、倭姫命があちこちよい場所を探し回った中の一つとされています。詳しい話は後で書き加えるかもしれません。「笠縫邑(かさぬいのむら)」の比定地とされています。



そのため檜原神社の祭神は天照大御神で、大神神社の摂社でもあります。そして、大神神社と同じく本殿、拝殿がなく、小さな三ツ鳥居(三輪鳥居)があります。
ここを訪れる前の大神神社でも、正式参拝の後でこれと似た三ツ鳥居を拝見させてもらったところでした。

そして、檜原神社から西側を見ると、鳥居を透かして二上山がとてもよく見えます。すばらしい眺めでした。やはり二上山はとても印象的な形です。空がたくさん見えて、のどかでいいなあ、と思いました。



ここからお彼岸近くには二上山に沈む夕日が見られると聞いていましたので、その時期にいつか訪れたいなと思っていました。その遠足の時のメモによると、きっちりお彼岸の日というのではなく、10月3日に二上山に沈むと聞きました。春だといつなのでしょう?
いつか、よい写真を撮りたいと思っています。
この日も5月の暑いくらいのよいお天気で、二上山がとてもよく見えました。この鳥居も大神神社のものと似ています。

まだまだコロナの感染者は減りません。冬に向けて増えていくのでしょうか?部活も含む学校での教育活動がこれ以上制限されないように願うばかりです。
考査もありますが、3年生は、これまでのAO入試(今年から総合選抜型入試という)や推薦入試の準備も続いていきます。私も生徒とともにがんばっていこうかなという1週間です。

志賀直哉旧宅など、炎暑の奈良放浪記

2019-08-03 20:44:59 | 旅行
学校も夏休みに入りはや2週間。この1週間は、午前中が部活、午後が日本史の講習という、充実したものでした。最後まで講習を完走した3年生の、猛暑の中登校して、熱心に勉強に取り組む姿が心に残りました。受験も成功を祈っています。8月末に一つ講習があります。がんばりましょう。

さて、先日の黒塚古墳の記事が2017年の3月、その後の4月からは職場を異動して、なかなか旅行に出かける余裕がなくなりました。そのため、これからは旅の記事・奈良の記事のストックもなくなっていきます。

今日は、そんな中で、2017年8月に堺・奈良を旅した時の話題から、まだ紹介していないものを書いてみます。
すでに、仁徳天皇陵訪問記をはじめとして、主に堺紀行については次のような記事があります。
そうだ、堺に行こう! その1(「仁徳天皇陵」へ)

そうだ、堺に行こう!その2(百舌鳥古墳群バーチャルリアリティーツアー体験)

そうだ、堺に行こう!その3 前方後円墳型カレー、さかい利晶の杜など、堺探索

・・・というわけで、堺の記事は以上にして、奈良に移動してのトピックです。

2017年8月10日のことです。ちょうど今頃、一番の炎暑の頃ですね。


この頃のシカさんは、鹿の子模様も美しく、ツノもまだかわいいですね。


お盆前は意外と安く宿が取れたので、行ってみた次第。JR奈良駅前のスーパーホテルに宿泊。真正面にJR奈良駅が見えます。
おいしく朝食を食べて、奈良探索に出発。これまで行ったことのない場所へ。

奈良交通バスのフリー乗車券を購入して、JR奈良駅前からバスに乗り込みました。500円で、購入時にもらう路線図つきチラシを提示すれば、たくさんの施設や飲食店などで割引が受けられます。非常にお得です。何となく存在は知っていたのですが、この時初めて利用しました。

最初に、志賀直哉旧宅に向かいました。バスを降りて、「頭塔」をちらっと見ながら、さらに歩き、あーここが「空気ケーキ」のお店か、いつか入ってみたいものだ・・・などと、次第に静かでよい雰囲気になっていく、いわゆる高畑町のあたりを歩いて行きました。

やがて、志賀直哉旧宅に到着。フリー乗車券のチラシを使って、入館料は団体料金に割引になりました。

志賀直哉のお宅は趣があって、立派でした。


書斎。


たくさんの椅子が置かれた食堂


「高畑サロン」と呼ばれたサンルーム。



よい小説が書けそうな環境です。私もこんなふうな俗世間を離れた環境で書き物をする生活をしてみたいものです。


こんな看板があったので面白くて撮影してきました。


その後、歩いて新薬師寺へ。ここも団体料金に割引になりました。ここのご本尊は、目が開いているということで、眼病にご利益があるとのことでした。確かに目がぱっちりしていて、独特の雰囲気でした。ここも、訪れてよかったなと思わせる落ち着いた静かな雰囲気のお寺でした。


次に、近くの入江泰吉記念奈良市写真美術館に入りました。見学したかったというより、暑くて死にそうだったので、涼を求めて、そして、そこにあったカフェに入りました。
最初はお客は私だけ。自家製のケーキがおいしかった。アイスティーも。生き返りました。

その後、バスに乗ったのだったか、元興寺のあたりのならまちをふらつきながら、ぷちまるカフェへ。
古墳クッキーやマスキングテープなどのグッズを購入しました。
シカの白ちゃんクッキー、古墳クッキー、くりっ墳(クリップ)など。
ここでは有名な古墳ケーキもありますが、それはまたいつか。


とにかく炎暑で、倒れないか不安になるくらいでしたので、猿沢池近くのコンビニで氷を買って、東向き商店街の方に向かって歩きました。

私が好きなカフェ、ロココでサンドイッチとコーヒー。何を食べても、もちろんどのコーヒーも、とてもおいしかったロココですが、今ではもしかしてお店はなくなってしまった??

そんなこんなで、炎暑の奈良放浪記(2017)、このくらいでおしまいとさせていただきます。
今年の夏は、奈良に行けません。これから合宿などもあります。
あっという間に夏休みが終わってしまいそうです。暑さに負けず、一日一日、やろうと決めたことをしっかりやろうと思います。受験生の皆さんもがんばってください!

平成から令和へうつりゆく今思う 天皇の祖先神・アマテラスオオミカミは・・・

2019-04-29 16:59:12 | 旅行
3月末から4月にかけて、怒涛のような日々の中、やはりブログ更新ができませんでした。しかし、さすがに平成から令和へと天皇の代替わりのこの時期に何も書かずに、特に平成の終わりに書かずにはいられないだろうということで、一つ書くことにしました。

4月1日には、新元号の発表がありました。
前回の「平成」の元号を知ったのは、学生時代、部活動の終わりの夕方に、練習場で、仲間の一人がラジオで聞き、「平成だって。」と、みんなで共有した記憶があります。当時はインターネットなどなく、ラジオでというところが時代を感じます。

そして今回、奇しくも学生時代と同じ種目の部活動顧問として、生徒とともに練習場で元号発表を迎えました。その瞬間は休憩にして、練習場にスマホ持ち込みOKとして、映像をみんなで見ました。新元号は「令和?」みんなで感想を述べ合いました。きっと思い出に残ることでしょう。
私も、2回とも同じ種目の練習場でその時を迎えたことを感慨深く感じています。

さて、天皇代替わりのこの時、書いておこうと思ったのは、2017年1月に伊勢神宮にお参りに行った時の話題です。

伊勢は行ったことがなく、お正月にお参りするのがいいかな、ということで2017年1月5、6日に、伊勢・鳥羽方面を旅してきました。その一部は過去の記事で紹介しています。

「博物館概論・博物館資料保存論試験・江戸川乱歩館(鳥羽)」

ここでは伊勢神宮参拝に絞って書くことにします。

1月5日、名古屋まで新幹線、名古屋からは特急で伊勢市着。
そこからまず外宮(げくう)に参拝しました。


緑が豊かな場所で、外国人観光客は少なめ。やはり、見て何かビビッドなもの・印象的なものがあるわけではなく、極めて日本的な、信仰の空間なので、外国人はあまり興味を持たないのかもしれません。あの京都の伏見稲荷の赤い鳥居の連続みたいなのがむしろ人気なのでしょうね。





外宮から駅前に戻って、「いそべや」で伊勢うどん。やや混んでいました。あまり落ち着いて食べられませんでしたが、伊勢うどんってなるほど、こういうものなんだね、と味わって食べました。聞いていたとおり、麺がやわらかい。つゆは色が濃かった。

その後、バスで内宮(ないくう)へ。外宮と内宮はかなり離れているのです。

おかげ横丁の入口あたりにある参宮亭でコーヒーとロールケーキをいただいてから、内宮に向かいました。



よくテレビで見る宇治橋前は、やはりとても混雑していました。



五十鈴川のほとりまで行って、手をひたしてみました。おもむきのあるせせらぎでした。
神宮の敷地内はすべて、清浄な空間、という印象でした。

私は日本の神様に対する信仰は特にないのですが、それでも、特別な空間であるという感じはしました。何枚かの写真もたまたまハレーションだとは思いますが光が写り込んでいるなど光があふれる空間でした。

建物は、弥生時代の高床倉庫などに似た、素朴な建物群でした。
式年遷宮が20年ごとにあって、建て替えるための空き地も見ました。古代から営々と20年ごとに建て替えを繰り返してきたという、その仕組みも不思議だし、技術を引き継ぐための知恵も感じられます。


正宮の前は撮影禁止とのことで、階段の下からしか撮れません。上に上がると、特別な参拝のために、神官の方と塀の向こうを歩いている女性がいました。
全体的に、清浄に保たれた、自然が豊かな空間という印象でした。日本人の原始的な信仰の場として、このような空間がいつまでも変わらず、大切に保たれてほしいと思います。

その後おかげ横丁を歩き、とにかく寒くて寒くて、しかしお客さんは多く、赤福など食べる余裕もなく、やっと、五十鈴川カフェという所に席を確保して、ホットゆずを注文して休憩しました。

さて、タイトルに書いたように、天皇家の祖先神・アマテラスオオミカミ(天照大神・天照皇太神)は・・・という話題ですが、それは、卑弥呼ではないかということを書いておきたいと思います。これは私だけではなく、多くの人が同じような考えを持っています。

伊勢神宮は、天皇家の祖先神・アマテラスオオミカミを祀っているわけですが、まずそれが女性であるということ。そして、『古事記』や『日本書紀』には、天岩戸の神話があり、それは、太陽神アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れてしまって、また出てくるというのは、「日食」を表した物語であるといわれています。
一方、卑弥呼も、「247年かその直後に亡くなった」と具体的な死亡年が山川の『詳説日本史B』の教科書に記述があり、その年とその翌年に、皆既日食が起こっていることもわかっていて、日食との関係が考えられます。

卑弥呼(ヒミコ)は「日の御子」とも表記することができます。アマテラスも卑弥呼も太陽信仰に基づいていて、その死と日食には関連があります。

卑弥呼は魏から多数の「銅鏡」を贈られました。伊勢神宮のご神体は、「鏡」です。

天皇即位の儀式には三種の神器の継承の儀式があります。三種の神器とは、鏡と勾玉と剣であり、その鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮にあり、勾玉は天皇のそばにあるとのこと。勾玉については以前少し書きました。この三つは、弥生時代の頃・卑弥呼の時代には存在していた器物であり、天皇の祖先がその時代から統治を始めていたことを象徴しているのかもしれません。



崇神天皇の御代に・・・というこの説明板も覚え用として載せておきます。「御鎮座 垂仁天皇二十六年」とあるのは、『日本書紀』にその記述があります。

男尊女卑の風潮が根強かった日本において、天皇の祖先神は「女性」ということになっているのが興味深いです。日本は、そもそも男尊女卑の国ではない。日本女性の皆さん、自信を持ちましょう。

他にもいろいろと、神話というものも、すべてがでたらめではなくて、本当のことも含まれているようだ、日本人は、本当のことを正直に記録に残しているようだ、と思うことが多々あります。

千年、二千年以上前のこともきちんと記録に残してくれた古代の日本人に感謝しつつ、「令和」という、きたる新しい時代にも、そうして残された史料から、新しい事実を解明していく努力を、日本史に関わるものとして続けていきたいと思います。

魔除けは効果あり?・・・晴明神社の五芒星鳥居

2019-02-12 23:45:12 | 旅行
奈良大通信教育は、今、スクーリングの季節なのでしょうか?このブログのスクーリング記事等へのアクセスが結構多いです。
そんな様子を見ると、つい1ヵ月前に奈良に行ったのに、また行きたくて仕方ありません。

スクーリングのための奈良滞在はとにかくわくわくする経験でした。今となっては、2泊3日を何度もなんて、とても無理な状況です。
せめて1泊でも、3月くらいにまた行きたいものです。

奈良に焦がれるこの頃ですが、先日の旅の写真から、これは京都のものです。


安倍晴明の晴明神社の鳥居です。この星印だけで文字がない額が不思議ですね。
グーグルフォトで勝手に加工されたままの写真をアップします。

この五芒星の入ったグッズはいくつかここで購入して、使っています。魔除けになるようですが、効いているのかな?効いていると思いたいです。デザインはよいと思います。

だんだん日が延びてきました。希望を持って、春を迎える準備をしていきましょう。
なんとなく、平日の夜ですが、書いてしまいました。ではまた。

なんとも個性的!明石焼。

2018-12-15 15:17:45 | 旅行
やってもやっても終わらない、という感覚でこのところ仕事をしていましたが、一応、一段落して、今日は学校に行かずに休養しております。
少し自由時間もできましたので、ブログも書き進めていきたいと思います。

まだまだ2年前の話が残っています。今日は、2016年10月、明石・神戸の旅の続きです。

過去の記事は以下のとおり

明石へ。五色塚古墳見学記 (2016年10月)

淡路島・明石海峡大橋を見はるかす絶景! 五色塚古墳見学記 その2

五色塚古墳を見学した後、明石駅に戻り、「明石焼」を賞味しようと、お店を探すことにしました。つまり、たこ焼きですよね。
しかし、それらしきお店には、「明石焼」とは書いておらず、「玉子焼」としか書いていないのです。玉子焼??これが明石焼のお店ということなのかな?と、迷い、中を覗いてみると、丸い、たこ焼きっぽいものをお客さんが食べています。たぶん、そうなんだよね、ということで、入ってみました。

メニューといっても、「玉子焼」と、「特製玉子焼」しかありません。
だんなが特製、私は普通の玉子焼を注文してみました。
店員さんは、きびきびと動き、店内は活気がありました。

出てきたものは、なんとも独特な姿でした!



朱色の台が斜めになっていて、そこに、15個のたこ焼きが、点々と並んでいます。
こんな斜めの台になっているのは、どういう意味があるのでしょうか?
運ばれてきた時は、このように右側が高くなっていましたが、隣りの席の人は、手前を低く、奥を高くして置いていました。自分で向きを変えたのでしょうか。

シンプルな食べ物ですから、平らなお皿に並べるだけでは変化に乏しいので、斜めにしたのでしょうか?面白いです!関東・東京で、こんな台に乗せてたこ焼きを提供するお店はあるのか?ちょっと調べてもみたのですが、そもそも明石焼をやっているお店はほとんどないようです。
あまり本場と同じものは東京にまでは進出してきていないようです。

たこ焼きは、関西の食べ物で、関東に住む私はそれほど食べる機会のないものです。
関東ではソースで食べるのが一般的ですが、大阪のは、だしの中に入れて食べるのだ、ということは聞いていました。大阪というのか明石だけなのかはわかりません。過去に、大阪料理のお店でそういうたこ焼きを食べたことはあります。


ともかく、その温かいだしと、ソースも一緒に提供されました。
どちらを使ってもいいようで、隣の席の人は、ソースを使っていました。
両方を試してみました。

さて、たこ焼きそのものですが、黄色くてふわふわとやわらかく、とろっとしています。中に入っているタコは、大きくて、プリプリの歯ごたえでした。角切りでした。東京で食べると、「干からびた足」だったりしますが(笑)。こんなにプリプリとしたタコの入ったたこ焼きは、これまで食べたことがありません。さすが、本場のタコはすごい!
これは関東の人も一度食べる価値ありです。

先ほどの五色塚古墳でも平安時代のたこ壺を見ましたし、たまたま翌日の奈良大の博物館学芸員の実習でもたこ壺をスケッチしましたし・・・こちら関西・瀬戸内海の文化圏のタコは、古代からの食文化の歴史があり、格別のおいしさなのでしょうね。
神戸では、たこめしの素も買って帰りました。おいしかったです。これも関西独特の食べ物ですね。

お店の名前も忘れてしまったのですが・・・明石ときめき横丁の中の、「松竹」だったでしょうか。
とにかく、「玉子焼」と「特製玉子焼」の2種類のメニューだけで勝負している、朝から晩までひたすら一つのものを焼き続ける、それがお客さんに支持されて、喜ばれている。そういうものに一生をかけられる人生というのも、すごいと思いました。

明石を後にして、次は、私は神戸に行きたいと考えていて、だんなは、京都に行きたい(ミーハー?)、その日の宿は、私は奈良、だんなは京都と別々で(笑)、それぞれ好きな所を見て回ることにしました。
このあたりは、京都も神戸も大阪も、奈良も近くて日帰り圏でよいですね。


神戸をざっと歩いてきました。横浜の中華街のような、南京町。





飲茶のお店が多かったですね。パンダのグッズも多かった。
とりあえず駆け足で神戸の街を見て歩きました。
神戸は趣のある喫茶店があるのではと考えたのですが、あまり時間もなく、結局元町駅前の上島珈琲店へ。上島コーヒーは、神戸で創業したとのことで、ここも、調べると直営店とのことでした。
ウエイトレスさんの接客がとても感じがよくて、東京のお店とはだいぶ違うなと思いました。

そんなこんなで、その日奈良で宿泊した宿は、ABホテル奈良という、新しいホテルでした。あまり、特徴はありませんでした。大浴場ありとのことでしたが、あえて行きませんでした。

次の日は、奈良大での実習です。今日は、このへんで。