日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

ヒトデ?コタツ?

2020-04-29 16:17:54 | 弥生時代
緊急事態宣言のもと、ゴールデンウィークに入りました。いろいろと状況は動いていきますが、自分の手元でできることを一日一日、着実にやりましょうか。

さて、日本史Bの授業ができないので補足を続けます。教科書p.17<弥生人の生活>からいきます。これも図説をよく参照して、農具の種類やお墓、青銅器の種類などを見ておいてほしいと思います。

その中で、教科書が改訂されて新しく付け加えられた事項のうち、私も以前から興味を持っていたものがここにありますので触れておきますと、p.18「四隅突出型墳丘墓」というものが太字扱いになりました。これは、鳥取や島根など山陰地方を中心にみられるお墓の形で、上部は四角くて、その四隅から足のように傾斜が延びているつくりで、ヒトデとかコタツ型といわれたりしています。古墳時代に入る前に作られた、お墓です。まだ古墳とは言いません。
私も見に行きたいと思いながらまだ行っていません。

島根県に西谷墳墓群という、大型の四隅突出型墳丘墓が密集している所があります。そこに、出雲弥生の森博物館があります。ホームページから、四隅突出型墳丘墓に関するページはこちら
http://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1244161923233/html/common/5ea6a661017.html
この博物館には、「よすみちゃん」というマスコットキャラクターもいるようです。
出雲市内にあります。いつか、行ってみたいと思います。

鳥取県にもきれいな四隅突出型墳丘墓があります。
興味があるのが、妻木晩田(むきばんだ)遺跡です。弓ヶ浜という美しい海岸を見下ろす絶景の場所に、四隅突出型墳丘墓がいくつも見つかっています。
鳥取県立むきばんだ史跡公園HPより↓
https://www.pref.tottori.lg.jp/44362.htm

ここも行きたいですね。
弥生時代、出雲に王国があって、その王の墓がこの四隅突出型墳丘墓ではないかと、出雲に強大な力を持つ王がいた証拠であろうと考えられるわけです。

また、岡山県に楯築墳丘墓という、円形の墳丘の両側に突出部がある墳墓も教科書では太字になりました。これが前方後円墳の形につながっていくその原型ではないかと考えられています。これも、岡山つまり吉備の地に造られたという点で興味深いです。
吉備については、またの機会に、または過去の私の記事をごらんいただければと思います。

こうしたお墓について、教科書の記述が強調されるようになったということは、最近の考古学の成果が少し反映されてきているということです。私も、出雲についてとても興味を持っていて、出雲に王がいた、それは、奈良・大和に王権が確立する前に。そして出雲から大和に移ってきた人・モノが・・・といったことに興味があります。記紀、そして風土記も含めて、そこにみられる神話に書かれている内容も、全くの作り話ばかりではなく、何かの事実も反映されているのではないかとも考えられます。国譲り神話をはじめとして、出雲は興味深い地域です。こうした考古学の成果も裏付けになっていくと思います。
このあたりを書くときりがないので、簡単に触れるだけにしておきます。

以前も書きましたが、教科書には出雲の「い」の字もないのが残念です。以前は出雲大社が載っていたのですが。こちらのブログでその鬱憤晴らしという感じで出雲について語りましょう。

ここでも少し触れた、出雲と大和の関わりについて、1冊紹介します。
村井康彦『出雲と大和-古代国家の原像をたずねて』(岩波新書2013)
私が興味を持っている世界のことが網羅されています。なかなか、生きている間にすべてが解明されるとは思えませんが、自分なりに考えを組み立てて、こうなんじゃないか、と空想?できるのも楽しいのではないでしょうか。

このように書いていて、ふと、ある本のことを思い出しました。

高山貴久子『姫神の来歴』(新潮社2013)という本です。

以下、安易ですがAmazonの説明文より。

須佐之男命の妻ながら、わずかな記述しかない櫛名田姫(くしなだひめ)。天照大御神の妹神とされる丹生都姫(にうつひめ)は、なぜか、『記紀』にその名が記されていない。不可解な事実に着目した著者は、二人の姫神の来歴を辿り始める。博多から始まる探究の旅は、奥出雲に飛び、吉野、高千穂…。取材十年。圧倒的な説得力で解き明かされる古代王権の真実、逆転する「天つ神」と「国つ神」、須佐之男命の正体。「天孫降臨神話」の真相とは?略奪された姫神とは?そして卑弥呼とは。独自の仮説で日本古代史を根本から塗り替える劇的な一冊。

この高山(こうやま)さんについては、次のようなプロフィールがあります。

作家。1962(昭和37)年、熊本県に生まれる。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。出版社勤務の後、2001 年、絵本『ワハムとメセト~ふたごの国の物語』を、2002 年に
絵本『ばらの谷』、詩集『時の祀り』を、かんげき屋より上梓する。
2011 年、「ばらの谷」が小学校の国語の教科書(東京書籍「新しい国語 六年・上」)に掲載される。本書に関する取材は2002 年から始まり、完成まで十年を要した。2013年3月急逝。

というわけで、「2013年3月急逝」とありますので、51歳で亡くなってしまったんです。写真を見ると、とても美しい方です。得てして、こういう方は早くに天に召されてしまう運命なのかな、などと悲しく思いながら、読んだ本です。10年も自分でフィールドワークをしてまとめたものだと。小説のような、紀行文のような、微妙な本だったと思います。興味をひかれました。その本を書くための努力・行動力がすばらしいです。
自分自身で、このように調べ、考えたことを、ロマンチックにでも、まとめて提示できたらすばらしいですね。

高山さんの著作は、小学校の教科書にも採用されているとのことで、この本を読んだときに興味を持ちながら、忘れてしまっていました。改めて、ここで思い出すことができましたので、本を探して、読んでみようかなと思います。皆さんももしこの『姫神の来歴』ご縁がありましたら読んでみてください。私は図書館で借りて読みました。『姫神の来歴』紹介ページ

※追記:文庫本にもなっているようです。新潮文庫


写真は・・・いまいちですが、出雲に関するものということで(笑)、
私の好きな出雲のお菓子、「若草」です。前にも載せましたっけ??
島根県のアンテナショップで時々買うのですが、今は残念ながらアンテナショップは休業してますね。
普通の日常が早く戻ることを願って、自分のやれることをやり、ステイホームを継続したいと思います。
弥生時代、あまり進みませんでしたが今日はこのへんで。

争いの時代へ・・・倭人登場

2020-04-21 13:49:04 | 弥生時代
新型コロナの緊急事態宣言から2週間です。授業があれば同じく2週間目です。自分を律して、勉強を続けましょう。と、自分にも言い聞かせつつ。しかし、考えてみれば、勉強さえしていればいいという境遇は、とても幸せなことだと思いますよ。健康管理に気をつけながら、勉強に打ち込みましょう。私も夕方、買い物がてら1時間近く散歩をしたりして、運動不足にならないようにしています。

さて、今日は、弥生時代に行きましょう。教科書は、p.15~

弥生時代の特徴は?

・・・というと、水稲耕作金属器の使用、の二つが挙げられます。
こうした新しい文化は、中国や朝鮮半島から伝えられました。

「九州北部や中国・近畿地方などで発見されている弥生人骨の中には、縄文人骨に比べて背が高く、顔は面長で起伏の少ないものがみられる。」(教科書p.16)

とあるように、朝鮮半島から渡来してきた人々は、背が高かったようで(そして面長で顔の凹凸が少ない)、その人々が日本に古くから住んでいた縄文人と混血して、「倭人」ができあがったと考えられます。

「初期の移住者は、世界各国どこでも同様であるが、そのほとんどが男性で、彼らのゆくさきの女性を容れて新しい社会を作るのである」と金関丈夫さんが述べています。(田中琢『倭人争乱』)

こうした倭人は、コメ作りの技術をたずさえて本州島を東進し、各地で縄文人と接触します。渡来人と、その系譜を持つ倭人は、ムラの周囲に濠をめぐらす習慣を持っていて、それを放棄することができませんでした。それは縄文人との遭遇が緊張関係をともなうものであったことを示しています。(以上『倭人争乱』を参考)

・・・ということで、弥生時代の社会には、環濠集落高地性集落という、戦いにおいて防御の機能を持った集落が出現します。縄文時代の人々は平和に暮らしていたようですが、弥生時代になって争いが恒常的に起こる時代に変化してきました。

環濠集落と高地性集落の代表例については、教科書p.20の囲み部分に解説がありますので必ず理解してください。環濠集落の代表は、なんといっても唐古・鍵遺跡(奈良)と吉野ヶ里遺跡(佐賀)です。どちらも卑弥呼の邪馬台国ではないかという説があります。

唐古・鍵遺跡は奈良大通信教育のスクーリングで訪れた記事がありますので参照してください。変わった名称ですが、田原本町に「唐古」と「鍵」という地名があるんです。私はこの田原本のあたりにとても興味を持っています。ちょうど奈良のど真ん中であり、田原本町のパンフレットのキャッチフレーズが「歴史のオーラが見えるまち」というのが好きです。交通の便があまりよくありませんが、レンタサイクルもあるようなので、いつかこのあたりをじっくり見て回りたいと考えています。

そして、高地性集落の代表は、紫雲出山(しうでやま)遺跡(香川)です。高地性集落は瀬戸内海沿岸に多いものです。そしてそこからノロシを上げたというのがなんだか目に浮かぶようで、戦闘の時代に入ったのだなあと感じます。

(唐古・鍵遺跡に関する過去記事)

唐古・鍵遺跡 絵画土器の楼閣はお神輿の原点?(学外授業から)

唐古・鍵遺跡その2 2000年に発見された大粒のヒスイ勾玉

リンク先にもありますが、唐古・鍵考古学ミュージアムも、よい展示で、立派な施設でした。また行きたいと思います。

ブログ内の弥生時代の記事としては、上に紹介した唐古・鍵遺跡の記事の他、三つほどあり、カテゴリから入っていただけばいいのですが、そのうち一つだけリンクを貼っておきます。卑弥呼の話はまた次回以降。

かんばこうじんだに!

島根県神庭荒神谷遺跡から大量に出土した銅剣について、現地を見学したときの記事です。
なぜ×印がついているのか?「×」は現代のペケの意味なのか?
解明したい謎は尽きません。若い人の柔軟な頭で探究してもらえたら、と思います。
銅鐸に描かれた絵も謎解きっぽいですね。



さて、写真は、弥生時代には関係ないのですが、吉野の桜に思いをはせて。吉野の桜が入ったリキュールです。何年か前に買ったものです。
今年の吉野はどんな状況なのでしょう?今年は、あのあたりの宿に宿泊して桜を観ている観光客はどのくらいだったのでしょうか?
桜は、人間の事情にかかわりなく、美しく咲いていたのでしょう。
私は、桜の季節に吉野に行ったことはなく、今年あたり狙い目?などと考えたりもしたこともあったのですが、今は、東京から奈良に出かけるなどということは、奈良にコロナウィルスを持ち込むようなことになりますから、いけませんね。しかし、観光産業の方々を応援したい、という気持ちはあります。
一日お客一組、など、感染に気を付けて宿泊してもらうとか。それにしても、たどりつくまでの旅程で、感染のリスクがあるという問題がありますかね。
自分自身がコロナに感染する、というのでなく、自分がコロナウィルスを持っていて、それを他の人に感染させるリスクがある、ということを自覚して行動しなければならないですね。
今はおうちで、過去の旅の楽しい思い出を振り返ったり、自粛が解消されて自由にどこにでも行けるようになった時にどこへ行こうかと考えたりして、楽しく、ポジティブな心持ちで過ごしたいですね。


大好きなものをひたすらに追い求めたその先にー相沢忠洋の岩宿遺跡発見(縄文時代)

2020-04-13 17:14:26 | 縄文時代
お天気も悪くて、なかなか明るい気持ちにもなりづらい日ですが、何かに集中・没頭してみましょう。
さて、日本史Bの学習の続きです。前回は、日本列島と日本人の成り立ちについてちょっとやりました。自分は縄文系か弥生系か、どうだったでしょうか。

さて、今日は山川教科書p.9<旧石器時代人の生活>から。
旧石器時代と新石器時代の境目は1万年前。旧石器時代は打製石器、新石器時代は磨製石器を使用していました。
日本には旧石器時代はないと考えられていましたが、戦後間もない1949年に、群馬県の岩宿遺跡の発見によって、日本にも旧石器時代の文化があったのだということが明らかになりました。これを発見したのは、相沢忠洋さんというアマチュアの考古学者です。この人の名前は覚えてください。

相沢さんは、青年学校が最終学歴ということで、大学で考古学を学んだわけではなく、しかし、考古学が大好きで、納豆売りの行商をしながら、遺跡を調べたり土器を採集したりしていたそうです。そのような生活の中で、関東ローム層という赤土の層から、打製石器を発見します。
しかし・・・以下、安直ですがWikipediaから引用します。

「しかし、当時この重大な発見について、学界や報道では相沢の存在はほとんど無視された。明治大学編纂の発掘報告書でも、相沢の功績はいっさい無視され、単なる調査の斡旋者として扱い、代わりに旧石器時代の発見は、すべて発掘調査を主導した杉原荘介の功績として発表した。さらには、相沢に対して学界の一部や地元住民から売名・詐欺師など、事実に反する誹謗・中傷が加えられた。この頃の郷土史界は地元の富裕層(大地主、大商人などいわゆる旦那衆)や知識層(教員、医師、役人など)などで構成されており、岩宿遺跡の存在する北関東も例外ではなかった。このため、これといった学歴も財産も有しない相沢の功績をねたみ、『行商人風情が』などと蔑視し、彼の功績を否定する向きもあったという。」

ひどいですね。学歴がなく、行商をやっているような人間だからと、その功績を認めなかったというのです。最終的には認められるのですが。

私も図書館で借りて読んだので手元にはないのですが、
相沢忠洋『「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて』 (講談社文庫)
を、ぜひ読んでみてください。

納豆を売りながらでも、好きなものをひたすらに探究し続けていると、こういうご褒美がいただけるのかな、と思いました。相沢さんは大変な目に遭ったのも確かですが、ロマンのある人生だとも思います。

学歴や学閥で差別を受けるということは、アカデミックの世界ではよくあることだなと、私も感じます。どんな学歴の人であっても、偏見なく、ただニュートラルな視点で、その発見や研究成果を評価してあげるべきだと思います。そうでないから、その風通しの悪さが、日本のアカデミックの世界の進歩を遅らせているのだと思います。
そういう中で、私も籍を置いた奈良大通信教育は、そういった敷居の高さもなく、いろいろなバックグラウンドを持つ、向学心の高い老若男女を受け入れ、応援し、評価してくださる先生方のいらっしゃる、すばらしい学びの場だと思います。文化財学科ではありませんが、万葉集研究で上野誠先生も、奈良大には学閥がないとおっしゃっていました。研究対象の現場がすぐ近くにある大学の強みもありますね。

日本史ではなく世界史になりますが、トロイの遺跡を発見したシュリーマン『古代への情熱―シュリーマン自伝』 (新潮文庫)も、とても心を惹かれる内容です。若いうちは語学を勉強し、財産づくりに専念し、そして40歳になってから発掘に乗り出し、見事遺跡を発見したという、ドラマチックな話です。
今、図書館も休みなので、こういった本も借りられないかと思いますが、いつか一読してみてください。
自分が好きなことをとことん突き詰めるということの大切さを改めて思い出させられます。私もこうして書いていて、自分がとことん突き詰めるべきものは、ということを再確認しました。

p.11~15<縄文文化の成立><縄文人の生活と信仰>ですが、教科書と図説を使って、縄文土器をはじめ、さまざまな道具、そして土偶についてよく見ておいてください。

縄文時代について、このブログで過去に書いた記事としては以下のようなものがあります。
学習の参考にしてください。

大森貝塚は大田区?品川区?

モースが発見した大森貝塚は大田区なのでしょうか?品川区なのでしょうか?
発見された1877年という年も覚えておいてください。東京大学ができた年でもあります。明治時代です。モースはお雇い外国人です。

近況 及び 二上山博物館など(2016.9訪問)

縄文時代には、広範な地域間で交易がおこなわれていたことが、黒曜石やサヌカイトの出土状況からわかります。サヌカイトという石器の材料が採れる二上山のふもとにある二上山博物館に行ってみた時の記事です。サヌカイトというのは、断面がすごく鋭利な感じの石でした。結構硬いのか、サヌカイトを使った楽器も展示されていました。

「縄文―1万年の美の鼓動」展

縄文時代といえば、火炎土器、そして宇宙人のような、人間離れしたフォルムの土偶など、弥生時代の埴輪などと比べて、どちらが芸術的にユニークかといったら、やっぱり縄文時代の方じゃないかな、と私は思うのですが。
「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎さんも、1951年、40歳の時に、
「東京国立博物館で縄文土器を見て衝撃を受ける。」
と、この時の展示の年表に書かれていました。
どこかで本物の縄文の遺物を目にしてほしいと思います。
東京なら各区市町村にある郷土博物館に、その地で出土した縄文土器などが大抵展示してあると思います。とはいっても、今はそういった施設もお休みしてますよね・・・

近い将来に、行きたい所に行って、やりたいことがやれる環境に早く戻れることを願って、しばらくは雌伏の時。

大変な状況にある人、じっとしているしかない人、いろいろと思いますが、明けない夜はないと考えて、日々の生活に小さくても明るい・新鮮な光を見出して、また、好きなことに没頭する時間など作りながら、待つことにしましょう。

ちなみに、博物館学芸員資格課程の実習Ⅱを受講する権利は得ているのですが、2年連続で、今年も日程的に受講できません。6月なのですが、その日程ではそもそもまだコロナのことがあってできないのでは?台湾ではプロ野球が開幕したとか。1カ月後、2カ月後の日本はどうなっているでしょうか。

縄文時代関連の写真は・・・


長野県の諏訪大社も縄文時代の痕跡が残っている場所かなと思い、2013年の旅の写真を載せます。



2枚目は、野辺山駅から行ったホテルで、夜に撮った星空の写真。その日は秋篠宮ご一家も宿泊されていたようでした。よいホテルでした。ロビーや、芝生のベンチに腰掛けて優雅に読書をする人などもいました。

君は縄文人か弥生人か?

2020-04-09 17:27:47 | 原始時代
本校も、5月6日まで休業ということになり、先日の始業式の日に、生徒は教科書を購入し、自宅学習の課題を持ち帰りました。
その学習の補助となるように、週1回でも、日本史Bの教科書に沿って、多少の解説というほどでもないですが、学習のポイントを綴っていこうかなと思っています。
今年は2年生の日本史Aも担当しますが、2年生はこのブログを知らないので、3年生の日本史B選択者向けに書いていきます。

世界や、日本の一部の学校では、ネット授業も行われているようですが、本校では、そこまでの取り組みはありません。スタディサプリなど教育機関のコンテンツの活用以外に、独自にネット上で発信している先生はいないと思います。私も動画は無理ですが、そもそも、このブログは、アメリカの先生たちは、それぞれがホームページを持っていて、学習に関する連絡その他をそれによって行っているということを知り、自分もやってみようかと思ったことがスタートでした。生徒は、現実的にはあまりこういったものを見ませんが、見る生徒も中にはいるので、自分の整理のためにも、また授業内で活用したりするためにも、各時代について、作っておいた方がいいかなという思いがあり、ちょうど、学校で対面で授業ができない今、それをやるいい機会ではないかと思いました。

ではさっそく、『詳説日本史B』p.8からみていきましょう。
全部を網羅的にではなくて、ポイントだけ書き記します。自分のメモと言ってもいい程度です。

昨年度、2年生は日本史Aで近現代史を勉強しましたが、今年度は、原始時代からスタートします。

<日本列島と日本人>
地球上に人類が誕生したのは何年前でしょうか?
私は日本史が専門ですし、途方もない昔については、本当に確かなのか一層わからないように思われるので、あまり興味がないのですが、今の教科書には、およそ「700年前」と記述されています。ここは、教科書の記述も改訂ごとにどんどん昔にさかのぼっています。2009年の教科書では「500万年前」となっています。
そもそも、アウストラロピテクス(猿人)などから始まるわけですが、日本史の受験的にはこのあたりはあまり気にする必要はありません。

日本列島が大陸から切り離されて今の姿になったのは、地球が温暖化して海面が上昇した約1万年前です。完新世といいます。日本列島が完成したから「完新世」。

日本で発見される人骨は、「新人」段階のものからです。猿人・原人・旧人・新人の順に古いですが、日本では新人しか発見されていません。
静岡県の浜北人、沖縄県の港川人は覚えておきたいですね。

授業では、「君は縄文人か弥生人か」(笑)ということで、自分の顔のパーツはどちらなのだろうかというのをプリントで確認してもらうのですが、詳しくは授業でやるとして。

簡単に言うと、縄文系は彫りが深くて顔が濃いソース顔。弥生系はのっぺりとして顔が薄いしょうゆ顔。

授業でも言いますが、混血が進んで、どちらか100%というわけではなくて、パーツごとに、目は二重だから縄文系だとか、唇が薄いから弥生系とか、組み合わさって、何パーセントかが縄文系だとか弥生系だとか、そんな感じになります。

今、ネットでざっと見たところ、以前私が参照したサイトはなくなっているようですが、例えばということでちょっとだけ新しいものを紹介します。

「唇を動かさずにウインクができる人は、「縄文人」の特徴を強く受け継いでいる可能性があります。片目ではなく、両目のウインクを唇を動かさずにできた場合のみ、縄文人の特徴を強く受け継いでいるということになります。
唇が動いてしまう人は、「弥生系」の特徴を受け継いでいることになります。」

以下のサイトより。↓

https://feely.jp/22009/

これは知りませんでした。本当かどうかは定かでありません。私は、これでいくと「縄文人」かな。

こんなものも。
「あなたに流れる血は縄文人か弥生人かチェック!」

https://4ndan.com/app/42

この結果をツイッターなどに貼り付けられるようで。
これだと私は「縄文人75%」でした。

まあ、自分では半々かな、と思っています。縄文の要素もありますが、弥生の要素もあります。
例えば、歯の大きさが、小さくて細かい歯の人は縄文系、大きい人は弥生系という話を聞いたことがあります。これでいくと、私はとても大きい歯なので、これについては弥生系なんだなあと思います。

上に載せたURLを参照していただいて、自分は縄文人か弥生人か、というのをやってみてもらいたいと思います。そして、結果を私に教えてください。
ちなみに、このブログへのコメントは、私がチェックして承認済みのものだけアップすることにしています。

このように、私たちの顔が縄文・弥生のミックスである人が多いのは、もともと日本列島に住んでいたのが縄文人で、そこに大陸の方から弥生時代以降に渡来してきた人々との混血を繰り返して、現在の日本人が形成されたと考えられているので、どちらの要素も持っている人が多いのです。(教科書p.9参照)

結構長くなってしまったので、今日はこれで終わりにします。2ページしか進みませんでした。

何か写真を・・・原始時代、縄文時代にからむような写真はあまりなく・・・
私も在宅勤務をスタートしています。



昨年見た、目黒川の夜桜の写真でも。今年はお花見という気分ではありませんでしたから。これは2019年4月3日の写真です。
昨年の4月2日に白内障の手術が終わって、翌日、眼帯が取れてめでたく両目がよく見えるようになった夜に、見に行った時のものです。それまで、コンタクトをしても自動車運転免許の更新が危ないほど見えなくなっていて、手術をしたら裸眼でびっくりするほどよく見えるようになり、この夜桜もすばらしく美しく見えて感動しました。今まであまりよく見えていなかったんだなと。



手術をして、世界が鮮やかに見えるようになりました。特に、月が一番美しく見えていつも感動します。おとといのスーパームーンもきれいでした。
今夜もまだ満月に近い月が見えるでしょう。この時期、お出かけできなくても、窓から月を眺めてみましょう。もしかして、企業の活動・飲食店などの営業自粛で、夜のネオンが消えている所が多いでしょうから、東京でも夜の星がよりたくさん見えるかもしれませんね。

コロナから、ふと、台湾の話題

2020-04-05 12:37:16 | 日記
新型コロナの感染拡大が広がって、東京でも外出している人が減っては来ましたが、でも昨日土曜日など、まだ危機感が足りず、のどかに外を歩く人達が多く見られました。それぞれに気をつけているのだと思いたいですが。

ところで、コロナ対策で注目されている台湾について。38歳の天才IT大臣の活躍が話題となったりしています。台湾へは修学旅行でも行っているので、私もずっと台湾には関心を持ってきました。修学旅行で行くと、台湾の学校とも交流をしてきます。私も2校訪問しましたが、大体が、本校の生徒つまり日本人の高校生よりも、台湾の生徒の方が英語が上手で使いこなせています。施設も充実していて、のびのびとした空気を感じました。生徒たちは交流の後、もっと英語を勉強しなきゃ、と思うようです。


交流した学校での一コマ。ピアノを練習する生徒。公立学校でしたが、このようなピアノを練習する個室が確か10以上あるとか。


大規模マンションのような?雰囲気の校舎。

以前にも台湾の記事をちょっと書きました。

授業でも、なぜ台湾は親日なのか、という話題で修学旅行の事前学習をしたりしています。詳しくは省略しますが、台湾はこれから発展していく、面白い国だと思う、という話はしています。南国特有の明るい国民性というのも一つあります。日本統治時代のネガティブな歴史もあるのは確かですが、逆に日本から取り入れたよいものが・古きよき日本が残されている面もあります。

私が個人的に面白いと思っているのは、中国が簡体字を使っているのに対して、台湾は繁体字を使っているという点です。「台湾」は「臺灣」といった調子です。あんなに難しい字をみんな覚えて書いているんだろうか?しかしとりあえず、街の看板の文字は繁体字です。私は繁体字の方が、落ち着きますし、思考にもいい影響があるのではないかと思います。日本の漢字は中国と台湾の中間くらいでしょうか。日本人も、現状の漢字くらいは書けるべき、と思います。文化の維持、国民性、知性といった面で、今の日本語は保たれるべきだと思います。


あまり街の風景を撮って来なかったのですが、この写真を見ると、とにかくバイクに乗っている人が多い。そして、看板は繁体字が見えます。
地下鉄は、次の電車があと何分何秒で到着するか、ということが――「何秒」か、というところまで、というのが驚きですが――表示されます。台湾の人は時間についてシビアなのかな?忙しいのかな?と思ったりもしましたが、今回のコロナ問題での台湾のマスク販売の対応などを見ていると、ITの面で、台湾はいろいろと進んでいる、その一環なのかもしれません。

日本人として、いろいろな国の独自性、特色について、この時節には危機管理について、謙虚に、広く学び、よい所は柔軟に取り入れることが必要ですね。コロナ対策について、各国から学べることは、何でしょうか。

「新型コロナ対策本部、気が緩んだ行楽客にアラートで「喝」/台湾」(中央社フォーカス台湾)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000004-ftaiwan-cn

http://mjapan.cna.com.tw/news/asoc/202004040004.aspx
なんだかわくわくする見出しです。

「台湾、公共交通機関でのマスク着用義務化 違反者に過料 」
http://mjapan.cna.com.tw/news/asoc/202004030006.aspx
4月3日からとのこと。日本はこれをやろうにも、マスクが行き渡っていませんから。

東京の学校は、5月まで休業となり、自宅学習をしてもらうことになったので、このブログで補おうと思い、その1回目を、と書き始めるつもりが、何となく、台湾の話で一つできてしまいました。日本史の授業については、次回からということにします。