日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

春です。東大寺二月堂お水取り

2017-03-15 12:21:53 | 旅行
11日(土)に、学芸員資格課程の科目修得試験を奈良大まで受けに行き、ついでに、東大寺二月堂のお水取りを見て来ました。黒塚古墳も見たのですが、その話はまた今度。



その前に、先週の出来事から書きますと、本校でも卒業式がありました。
今年の卒業生徒は、私も一度は授業を持ったことのある生徒ばかりで、感慨深く卒業を祝いました。みんな、きりっとスーツを着こなして、晴れやかな笑顔で卒業していきました。定時制ですので、仕事をしながら学校に来て、勉強して、部活もがんばって・・・という生徒も多かったのです。そんな生活をしながらも、私の授業でも課題をやってきたり、試験で立派な点を取ったりという生徒もいて、本当によくがんばりました。これからの人生に幸多かれと願います。

さて、奈良日帰り旅についてです。
来年度はあまり奈良にまで行く機会は少ないだろうと思われ、たまっている東海道新幹線のEXカードのポイントを、失効(一部は6月)する前に使ってしまおうというもくろみもあり、奈良大まで試験を受けに行くことにし、ポイントを使って、グリーン車に乗りました。
1000ポイントたまると、グリーン車に普通の指定席料金で乗れるのです。新横浜から京都だと、グリーン車は4000円くらい高いようです。
席に着いたら、しばらくしてアテンダントさんのような方からおしぼりをいただきました。座席がゆったりしているとか、読書灯があるというのが印象的でした。次はいつ乗れるかな?
勉強不足で、新幹線の中でも勉強していたら、あっという間に京都でした。
定時制勤務だと早朝出発の旅はきついのです。前夜も、部活のためやや遅い電車で帰宅し、
急いでも1時くらいに就寝して、6時過ぎに家を出るために5時過ぎに起きるとなると、睡眠時間は4時間くらい。そのうえ、夜にお水取りを見て、終電の一本前で0時前に帰宅という行程でした。

以下、お水取りの話です。
東大寺二月堂のお水取りが終わると、奈良に春が訪れるといわれています。
この記事だけは、すぐに書かないと、もう春が来てしまうので、ちょっと急ぎました。
お水取りは、別名「修二会」(しゅにえ)といいます。

「この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。」(東大寺ホームページより)
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie1.html

詳しいことは、上記のリンクでご覧いただければと思います。
天平勝宝4年(752=大仏開眼供養の年)から、一度も途絶えることなく1260年以上行われてきたというのですからすごいです。
お水取りというと、あの二月堂の外廊下を大きな松明を持った人がダダダッと走り抜ける行事、というイメージが一般的にあると思います。それ以外にもいろいろなことが行われているわけですが、そもそも、「お水を取る」というのは何なのか?
取ったお水は、十一面観音様に捧げるのですが、そうすることになったわけは、以下のとおりです。

昔、実忠和尚が、修二会の行法中、「神名帳」に書かれた全国の一万七千余の神様の名を読み上げ、参集を求めた。神々はすぐに集まってこられたが、若狭国の遠敷明神だけが川で魚釣りをしていて遅刻された。
それを他の神が口々に咎めた。そこで遠敷明神は「これは申し訳ない。お詫びとして、ご本尊にお供えする霊水を若狭からお送りしよう」といい、二月堂下の大岩の前で祈られた。すると、大岩が動いて二つに割れ、黒と白の鵜が飛び立ち、続いて霊水が湧き出た。和尚はこれをお供えの水とされた。これが今も二月堂下にある若狭井戸である。

http://www.pref.nara.jp/koho/kenmindayori/tayori/t2012/tayori2403/nara_mukashi2403.htm
(奈良のむかしばなし)

若狭国は今の福井県で、お水取りの10日前に、福井県の小浜で、「お水送り」の行事が行われているとのことです。面白いですよね。福井県と奈良県で水脈が通じているという。
奈良大スクーリング―考古学の、だったでしょうか、東大寺を見学した時に、若狭井の前で説明も聞きました。この若狭井から、12日の深夜~13日にかけて、お水を取るのです。

お水取りは、20年以上前に、出張帰りに見たことがあります。それは、特別大きい松明が出る3月12日でした。
いわゆる「おたいまつ」は、12日だけでなく、3月1日から14日まで毎日あがります。12日以外はやっていないのかと誤解されることが多いらしいですが、12日以外で、平日が狙い目とのことです。今回行ったのは11日ですが、土曜日だったのでどのくらいの人出になることやらと思いながら行きました。やっぱりお客さんは多かったですね。

20年以上前の前回の時は、詳しい予備知識もなく、カメラも持たずに行きました。インターネットとか携帯電話とか便利な道具もありません。開始の2時間くらい前に現地に行き、結構ぎゅうぎゅうな状態で、一人でじっと待っていました。若いからこそできたんでしょうかね。


月がよい感じで上ってきた二月堂前の石段。続々と人が集まってきています。
これを含め、下の写真はビデオの画像から切り出したり、ビデオカメラで写真として撮影したものです。

今回は、ぎゅうぎゅうというほどではありませんでした。それでも、いい場所は先客がいて、約40分前くらい、に行った私は、ほどほどの場所で待つことになりました。20数年前と似たような位置でした。前に見た時は、おたいまつが始まると、お客さんを、少しずつ前の方の道に歩かせて流して、後ろの方のお客さんも順番に見られるように配慮されていたのですが、今回は、12日でないからなのかはよくわかりませんが、お客さんが前の方に流れていくという形ではなく、みんな、始まるまでに陣取った位置から動くことなく見て、帰りたくなった人は後ろの方から帰る、みたいな形でした。

今回はビデオカメラを選択して、撮影してみました。ビデオカメラは、結構、夜間の撮影に強いと思うんですよね。しかし、事前に、皆さんが、だいたいどういう構図で、どういうふうに写真を撮っているのかを調べなかったので、後で、ああすればよかったのか、と後悔したことがありました。特に、カメラを使って、シャッターをしばらく開けっ放しにして、たいまつが廊下を走っていく光を一直線に表現するというものを、やりたかったですね。近いうちに、挑戦したいと思います。

東の空にはきれいな月が上ってきていました。
19時を過ぎると、場内の人工的な照明が消され、やがて、ゴォーーンと、やわらかい鐘の音が遠くから響いてきます。とても趣のある雰囲気に支配され、観客も静かに息をひそめて、たいまつが現れるのを待ちます。これだけの人数の人たちが、一言も発せず、しばし、その時を待つ、という、その空気感がよかったですね。集まっている人たちも、基本的にお行儀がいい感じです。若い人も(が)多かったです。お年寄りの人は、長時間立って待っているのが大変だし、暗くて足元も危険なので、お元気でないと大変かもしれません。
平日で12日以外なら、お客さんももっと少なくていいかもしれません。


1本目のたいまつが左手にのぼってきたところ。



童子の方が、たいまつを掲げて突進しているところ。






どういう間合いで走ってきたり、松明を掲げたり、ぐるぐる振って火の粉を落としたりするのか、よくわからないのですが、予想外の動きなどに歓声が上がったりして、その歓声も、うるさいというほど大きくはなく、穏やかに湧き上がってくる感じで、よかったですね。
下で一生懸命、消火作業をしてくれている人たちがいたらしいのですが、本当に、建物や木が燃えちゃうんじゃないか、とハラハラするような場面がありました。1260年以上もやっているのですから、大丈夫なんでしょうけどね。

後で書き足すと思いますがとりあえず、出勤前にアップしてしまいます。