日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

土御門上皇(承久の乱)~科目修得試験で思ったこと

2015-10-12 22:47:26 | 鎌倉時代
今日は大学通信教育の科目修得試験を一つ受けて来ました。
ちょうど1週間前に卒論草稿を発送し終わって、さまざまな疲れがたまっているのか、体調もあまりよくなく、ただ運動不足は間違いないので、帰り道に余計に歩いて連日1万歩超えになるようにして、体調を整えたりすることに努めたりしていた1週間でした。
身を削るようにして(気持ちだけ?)執筆した卒論草稿でしたが、体重はあまり減っていません。おかしいなあ?まだぜい肉が邪魔なので、これでも食べる量が多いのかもしれません。

今日は、簡単に最近までの大学通信教育の状況を。
今年度は24単位修得で卒業の予定で、これまでに、スクーリングでは考古学特殊講義、地理情報システム、文化財学演習3の各2単位×3を修得しました。このうち、地理情報システムは卒業単位に含まれません。あとは2月に二つ受講予定です。

テキスト科目は、古文書学と民俗学の2科目を受験し合格、これで予定の8単位のうちの4単位を修得、今日は歴史文学論を受験しました。あとは西洋史特殊講義を受験して、もうテキスト科目はおしまいにしようかなと思っています。ですからテキスト科目は予定8単位ぎりぎりです。

テキスト科目はもう、去年と今年で12回も試験を受けました。ほとんど1科目ずつなもので・・・34単位分です。
あと1回受けます。多分、普通の人よりもテキスト科目の単位が多いと思います。
そんなに贅沢に奈良にスクーリングで何度も行く時間もお金もありませんので。テキスト科目を余分にやる気持ちはありましたが、もう疲れたかな・・・次回で最後にしたいかなという気持ちです。10月24日に 奈良大で試験を受け、正倉院展も見る目論見です。

卒論が8単位、おそらく大丈夫と皮算用して、今日の試験も大丈夫と仮定すれば、あとはスクーリング2回と試験1回で卒業可能となります。

スクーリングがまさか出席できなかったりすると、卒業できなくなりますが、その場合、卒論ができていれば科目履修生となって、授業料は支払わなくてもいいようなので、受けたいスクーリングは受けられなかったら来年度受けようという気持ちで、テキスト科目で補うのはやめます。

さて、タイトルの土御門上皇ですが・・・今日の試験は、問題番号が「7番」で、歴史文学論は「承久の乱について論述せよ」という問題でした。
私は一応日本史の教員ですから、この問題はラッキーでした。解答できて当然でなければなりません。テキストは『増鏡』で、それにまつわる設題なのですが、この7番以外の設題では、

9 後堀河天皇の即位と後高倉院について論述せよ。
4 後鳥羽院の和歌について論述せよ。

などは、ちょっとそれなりに調べないと難しいですね。
1問あたり原稿用紙1枚分の解答ではちょっと足りないので2枚前後用意します。

承久の乱は書きやすかったのですが、そういえば、私の先祖は承久の乱に出ていたとか、母親に聞いたことがあります。母親は、そのまた母親(私の祖母)の妹から聞いたらしいのですが、応仁の乱と混乱しているようにも思えたのですが(だいぶ時代が違ってテキトーな感じがしますが。)、「後鳥羽上皇が云々」と母親の口から出たので、承久の乱の方でいいのだと思いますが、後鳥羽上皇方の負け組で負けてお寺に入り、お坊さんになり、現代まで静岡でお寺をやっていたようです。先祖は昔々土佐や萩のあたりにいたと聞いています。母親から聞いた先祖の名字が土佐に多い名字なので、実際そうなのでしょう。そういうわけで、私は高知、山口、静岡、新潟、福島などがミックスしているので、どこの人間でもないと思っています。

話がそれましたが、先祖も関わっていたかもしれない承久の乱でもありますので、それなりに書けるわけです。それにしても、今回試験勉強をしていて、土御門上皇のことが印象に残りました。後鳥羽上皇の息子で、承久の乱の際には土佐に流された、ということは高校の日本史でもやりますが、土御門上皇は、承久の乱には加担せず、中立の立場だったのです。それにもかかわらず島流しになったとは・・・?

そもそも、土御門は、天皇になったものの、父の後鳥羽上皇からは、その穏和な性格が物足りなく思われたらしく、早めに弟の順徳に譲位させられて、上皇になります。
順徳上皇は承久の乱に際しては後鳥羽上皇よりも幕府打倒に積極的で、乱の後は佐渡に配流されます。土御門上皇は、承久の乱には関与していなかったので、幕府は土御門を島流しにするつもりはなかったのですが、お父さんが島流しになるのなら(後鳥羽は隠岐へ)、自分も、と言って、自ら土佐に行きます。最終的には阿波で亡くなります。

幕府は、その後、後鳥羽上皇の子孫の皇位継承は認めない立場をとり、順徳上皇の皇子についても皇位につけることを警戒した結果、土御門上皇の皇子が即位して後嵯峨天皇が誕生します。この後嵯峨天皇の後、大覚寺統と持明院統が発生し、南北朝問題に発展していきます。

要するに、性格がおとなしかったために父の後鳥羽上皇からは気に入られず早めに譲位させられてしまった土御門ですが、承久の乱でも中立だったおかげで、結果として子孫が皇位を継承していくことができたのだから、よかったのではないでしょうか。

試験勉強をしながら、土御門さんに興味がわいてきました。いい人だったのだろうな、と。

簡単に終わるつもりだったのに、また長くなってしまいました。

壇ノ浦の戦いで、海中に身を投げた安徳天皇と、後鳥羽上皇は異母兄弟です。両人のおじいさんは後白河法皇になります。
今日の写真は何にしようかな、無しにしようかなと思いましたが、安徳天皇が平家とつながりがあるということで、平清盛が後白河法皇に寄進した三十三間堂(蓮華王院)の写真にしました。

8月5日、猛暑の京都・三十三間堂を訪れた際のスナップです。


鎌倉―京都の旅人

2013-02-02 04:42:58 | 鎌倉時代
今日(昨日)から、学校があるのに3年生の姿だけが見えなくなって、なんだかさびしく感じていました。今日も皆さんは勉強に励み、また多くの人が受験の日でもあったでしょう。

さて、私も皆さんを応援する気持ちを込めて、できるだけ更新したいと思っているのですが、今日もZ会の『テーマ史』の「豆ちしき」から。

「鎌倉時代、京都と鎌倉を結ぶ東海道の交通量は多く、幕府や朝廷の使者、番役勤仕(ごんじ)の御家人、訴訟人らが往来した。当時の東海道を旅した紀行文としては、『海道記』(作者不詳)、『東関紀行』(源親行か?)、『十六夜日記』(阿仏尼)があげられる。それらによると、当時の一般旅行者は15日前後で京都・鎌倉間を歩き、鎌倉幕府の飛脚は7日、至急の場合で5日程度を要したようである。幕府は、宿駅や橋などの整備・管理を守護・地頭の務めとした。宿駅は河原に作られることが多く、宿長者(しゅくのちょうじゃ)に統轄されていた。そこは市が開かれたり、遊女や傀儡(くぐつ)と呼ばれた芸能民なども大勢いて、賑わう場でもあった。」

『十六夜』は「いざよい」と読むこと、作者は阿仏尼、このくらいはわかりますね?さらに、その内容はというと、お母さんが息子の所領問題の訴訟のために京都から鎌倉に向かう紀行文です。
私自身も読んだことはないのですが、大体そういう内容ということは知っておいた方がいいでしょう。

宿駅は河原に作られることが多く、芸能民も多かったということですが、「」という言葉もこういうところからきているのでしょう。「」とは河原乞食ともいいます。実際に乞食のこともいいますが、芝居関係者や大道芸人などもこう呼ばれたようです。

では、日々、健康に気をつけてがんばれ!

中世の定期市

2013-01-26 03:56:09 | 鎌倉時代
センター試験の結果にショックを受けていた人も、再び立ち上がって、目標に向かってコンスタントに学習に励んでいることと期待しています。

一問一答をやっているとセンター試験に間に合わないからやめておいたほうがいいと言いましたが、センター試験も終わり、これからの私大の入試は、教科書からくまなく出たり、大きな流れを追うような問題が出たりということは少なくなります。本校では国立などの記述問題に取り組む生徒はほとんどいないので大多数の私大の話になりますが。
これからは、日々、少しでも知識を増やしていくことが大切になります。一問一答を使ってもいいでしょう。教科書に載っている知識以上のものを頭に入れていけるようにしてください。

今日は、Z会の攻める日本史シリーズ『テーマ史』の解説に数多く載っている「ちょっと差のつく豆ちしき」を参考にして、少しでも歴史の事項を記憶に残す手助けにしたいと思います。

鎌倉時代になると市が定期的に立つようになりますね。鎌倉時代は、月に3回の三斎市が開かれていたと教科書にはあります。応仁の乱の後から、六斎市になるという社会の変化は理解できているでしょうか?

鎌倉時代の三斎市は、開催日は10日ごとで、例えば4日、14日、14日の場合は四日市と呼ばれました。三重県に四日市市があるように、地名にその名残が残っている所が各地にあります。他には、

五日市(東京都・広島県)   六日市(島根県)   八日市(滋賀県)   八日市場(千葉県)
など。

鎌倉時代の市の様子といえば、「一遍上人絵伝」が有名ですが、ここに描かれている市は、備前国福岡の市場です。福岡という言葉に惑わされないように。福岡県ではなくて備前は現在の岡山県です。「一遍上人絵伝」は、武士の生活を知る際にも興味深いものです。図説などでじっくりと、細かく書き込まれた鎌倉時代の人々の生活を眺めてください。