日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

そうだ、堺に行こう!その2(百舌鳥古墳群バーチャルリアリティーツアー体験)

2017-09-24 20:25:04 | 古墳時代
8月9日、前回の堺紀行の続きです。



堺市博物館では、仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群を上空から眺める疑似体験ができるVR(バーチャルリアリティ)のツアーを行っていました。この8月からでした。今もやっているのかはわかりません。

http://www.toppan.co.jp/news/2017/07/newsrelease170719_2.html
http://www.sankei.com/west/news/170722/wst1707220055-n1.html

1回あたり20名程度が参加でき、1日12回開催とのこと。
頭からかぶるヘッドマウントディスプレーというものを装着すると、堺市博物館の庭から飛び立ったドローンが地上300mの高さから撮影した画像を元にした映像が映し出されます。
下を見たり、後ろを見たりすると、そのまま、本当に空中から見ているかのような感覚を味わうことができます。
さすがに、天皇のお墓とされている場所なので、真上をドローンが飛ぶのははばかられるのでしょうか、真上からの画像はありませんでした。仁徳天皇陵の周囲に、本当にたくさんの、しかも大きい古墳がこの地域にはたくさんあるのが実感されました。
また、古代にタイムスリップしたVRもあって、現在よりも海岸線はもっと古墳に迫っていて、瀬戸内海からも古墳はよく見えただろうということが想像できます。古墳の内部の石室に入り込んだVRもあって、なかなか工夫されたコンテンツでした。
これは凸版印刷が作ったようです。以前、文京区にある印刷博物館(凸版印刷)に行った時に、安土城のVRを見ました。凸版印刷は、このような歴史もののVRをいろいろ手掛けているようですね。

説明や補助は、地域のボランティアの方がやってくださっているようでした。ご苦労さまです。見た後にアンケートも配布されました。これから世界遺産に登録されたりして注目されると、この博物館にも人が押し寄せてくると思いますが、そういう状況になったときに、これだけ丁寧な説明・運営ができるかは謎です。1回あたり20名程度では、なかなか多くの人に見てもらうわけにもいかないでしょう。ヘッドマウントディスプレイをつけると、自分で自由に見たい方角を見て味わうことができるので、いいんですが、お客さんが増えると難しくなりますかね。

博物館学芸員資格課程の勉強をしている身としては、そのようにボランティアさんががんばって運営に関わっている様子は参考になりました。
堺市は、この博物館や仁徳天皇陵前だけでなく、行く先々に、ボランティアの方々がいらっしゃいました。多くは高年齢の方々です。こうしたシニアの方々の生きがいや、持っている知識等の活用にもなるので、よいですね。堺はボランティアの先進地域なのだろうかと思いましたがどうなのでしょうか。
堺だけでなく、ボランティアのガイドの方に旅行先などでよく出会いますが、こちらもガイドをしてもらうのを遠慮してしまったりすることが多いです。遠慮しないでいろいろ尋ねてみるといいのでしょうね。


仁徳天皇陵の模型。透明なアクリルで、ピラミッドや秦の始皇帝の墓の大きさが示されていて、比較すると、仁徳天皇陵がいかに大きい・世界一の大きさのお墓であるかがわかります。

博物館の展示は、古墳以外にも興味深いものがありました。堺は鉄砲生産の先駆けの地ですし、南蛮貿易の窓口となる港も開かれていましたから、そういった関連の展示もたくさんありました。

特に私がおおっ!と声を上げたのは、古墳時代の子持勾玉の展示があったことです!

子持勾玉の出土地について、私は奈良大の卒論で取り上げました。子持勾玉は、10cm前後の大きい勾玉に、子どもの勾玉がいくつもついている不思議な形状のもので、全国で400個くらいしか出土していません。奈良県の三輪山周辺や、世界遺産にもなった沖ノ島や、私の実家のある白河の、陸奥国一宮のツツコワケ神社の近くや、東京では武蔵国一宮の小野神社近くなどから出土しているものです。これが、堺市のカトンボ山古墳から出土していたのでした。もう一つ、子持勾玉が展示してあって、それは土師遺跡から出土したものでした。この「土師」という名称も個人的に気になってわくわくしました。これについては、いつか書くことがあるでしょうか。

カトンボ山古墳の子持勾玉の現物がさりげなく展示してあって、こんな所で出会うとは・・・と意表をつかれました。カトンボ山古墳は、百舌鳥古墳群の一部でもあり、しかし、工事で壊されてしまって、どんな古墳だったのかははっきり記録が残っていません。子持勾玉は、古墳内部から出土することはまれで、カトンボ山古墳でも、どのあたりから出土したのかはっきりしていません。そもそも人を埋葬する古墳だったのかも不明です。子持勾玉について考えていく上で、特殊な位置づけにあるこのカトンボ山古墳については私も気にかけていました。堺だったのですね。しかも、後で気が付いたのですが、仁徳天皇陵を見に行くために百舌鳥駅からの道を往復した、その近くにあったのですね。
http://tabitoma.com/sakai/kofun/katonboyama/index.html

そもそも、堺という地名は、和泉国・河内国・摂津国の境に発達した都市であることからきているのだったのですね。子持勾玉の出土地を調べてみると、子持勾玉を使った祭祀は、境界祭祀の可能性があるということも卒論で書いたのですが、このカトンボ山古墳のある堺市も、まさに境界の地にあります。私の実家の白河も、奥州と関東の境界にあります。そういう土地で生まれたこともあり、境界の地に生じる文化や社会・生活というものに、私自身、関心があるのかなとふと気が付きました。


「堺から世界へ」と韻を踏んでいておもしろかったので。

すでに長くなってしまったので、ここでストップします。なかなか先に進みません。つづく。

追記:今日は奇しくも堺市長選挙の日だったようで、再選された市長さん、おめでとうございます。堺ではボランティアが多く目についた、というのも、よき市政の表れかもしれませんね。23:01追記

そうだ、堺に行こう! その1(「仁徳天皇陵」へ)

2017-09-20 21:40:01 | 古墳時代
夏休みが終わって約3週間、秋の気配も濃くなってきたこの頃ですが、お元気でしょうか?ここで夏休みの記事をひとつ書きたいと思います。

8月9~10日に、堺・奈良を旅してきました。暑い季節に関西へ行くのは避けたかったのですが・・・博物館学芸員の課程も履修中で、博物館を少しでも見なければと考えていて、大阪にあまり行ったことがないし、大阪にある、近つ飛鳥博物館に行ってみたいと前から思っていました。ちょうど、いわゆる仁徳天皇陵を含む百舌鳥・古市古墳群が世界遺産登録を目指すことになり、その展示もやっているようだし、と機会をうかがっていたのですが、JR奈良駅前のスーパーホテルが、お盆前の9日の料金が妙に安い!ポイントを使って3,800円で泊まれる!ということがわかり、行ってしまおう!と行動に移しました。

いわゆる仁徳天皇陵は、そういえば堺にあるんだ、と再確認しました。堺といえば、中世、自由都市として、ガスパル・ビレラによって、イタリアのヴェニスのようだと記されているし、鉄砲生産の町でもあり、秀吉・信長とも縁が深い地です。利休や与謝野晶子もです。
世界遺産登録を目指してこれから観光地としてブレイクするであろうこの地域・・・私は大阪はいつも素通りで、大阪をよく知らない・・・そこで「そうだ、堺に行こう!」となったわけです。

主なルートは、

1日目
新幹線で新大阪→仁徳天皇陵(大仙陵古墳)→堺市博物館→堺市役所展望ロビー→さかい利晶の杜→奈良泊
2日目
JR奈良駅→奈良公園→志賀直哉旧宅→新薬師寺→買い物・お茶→京都駅から新幹線

結果的には、近つ飛鳥博物館は断念しました。ちょっと交通の便が悪いので。暑いので、無理はしないことにしました。堺の街をレンタサイクルで走ろうとも考えたのですが、止めて正解でした。

では1日目の旅から。

新大阪から南下して、JR阪和線百舌鳥(もず)駅下車。徒歩10分足らずで仁徳天皇陵です。涼しい季節ならば、堺東駅あたりからレンタサイクルで回るといいようです。堺は自転車生産でも有名な街のようですね。



やっぱり関西の暑さは独特だなあ・・・と思いながら、歩いていくと、やがて仁徳天皇陵(大仙陵古墳)前に到着。


ちなみに、現在の日本史教科書では、「仁徳天皇陵」とは書かれていません。被葬者が誰であるか定かでないからです。教科書では「大仙陵古墳」となっています。
このブログでは、通称の「仁徳天皇陵」でいきます。



仁徳天皇陵前では、ボランティアの方がいらっしゃって、説明をしてくださるようでした。暑い季節ですし、平日でしたから、お客さんはまばらでした。
古墳は、大きすぎて、小山のようにしか見えません。古墳を取り囲むお濠がありました。


奈良県桜井市の箸墓古墳も大きかったですが、なんとなく前方後円墳といわれればわからなくもない形をしていました。こちらの仁徳天皇陵は、全くわかりません。山です。
世界遺産に登録されたとしても、これではここから見ただけではつまらんだろう、と思いました。


天皇のお墓ということになっていますから、古墳の領域内に入るわけにもいきません。
何か、珍しい動植物が生息しているのでは?
この古墳は、エジプトのピラミッドや、秦の始皇帝の墓よりも面積は大きいので、世界で一番大きいお墓といわれています。
上空から見れば、きちんと前方後円墳型に見えるという、その土木技術にも驚かされます。地上からちょっと見には、山にしか見えませんから。


少し写真を撮った後、堺市博物館に行こうと思っていたところ、ちょうど、ボランティアのおじさまに、博物館も行ってみてください、と声をかけられました。

内容がなくて恐縮ですが、今日はこのくらいでストップさせていただきます。つづく