日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

「現地主義」により遺跡調査10数ヵ所・・・奈良大通信教育・卒論執筆経過

2016-04-02 20:56:59 | 大学通信 卒論関係
東京は桜が満開で、目黒川に近い中目黒駅に停車した時、駅のホームはいつもよりざわめきが大きく聞こえました。お花見の人でいっぱいだったようです。20年くらい前から、目黒川の川沿いを歩いてお花見をしていましたが、近年、このあたりはお花見スポットとして有名になり、かえって最近は足が遠のいています。20年も経てば桜も育って、新たな?花見の名所として成熟してきたのでしょう。

奈良大学を卒業しましたので、学割が使えなくなりました。3月の最後に、東京都美術館のボッティチェリ展に行って(平日)、学割の恩恵にあずかってきました。多くの作品が展示されていて、見応えがありました。額縁もとても立派でした・・・。日本でいうと、応仁の乱とか、北陸の一向一揆の頃の作品です。明日が最終日ですが、ものすごい混雑になるでしょうね。
上野公園の桜も見られました。外国人客が多かったです。自撮り棒を持って撮影している人々があちこちにいました。

この2年間、学割活用として、博物館へは、若干多めに行った程度でしたが、その中で、キャンパスメンバーズになっている奈良国立博物館は、3回入館するとプレゼントがもらえるということで、在学中、地道に3回訪れて(正倉院展など)、「古墳ふせん」と仏像シールのシートをいただきました。
古墳ふせんは、奈良大の売店でも売っていました。前方後円墳の形をしていて、かわいいです。最近、前方後円墳型のケーキとか、クッションとかといったユニークな商品が出てきていますね。あの形、面白いのに、意外と商用目的として着目されることがなかったのですね。

さて、卒論執筆の経過を、簡単に紹介します。いつ頃何をしていたか、参考になれば。
卒論のテーマである子持勾玉出土地を調査した日も入れておきます。一応、すべて子持勾玉が出土している遺跡・神社です。

2015年
1/31  足立区伊興遺跡(東京)
2/28  多摩市小野神社(武蔵国一宮)(東京)
3/12   卒論予備調査票提出(これは次年度からなくなったそうで)
3/15  白河市建鉾山・都々古別神社(陸奥国一宮)+講演会(福島)
3/21  桜井市山の辺の道・三輪山付近サイクリング、大神神社(大和国一宮)二上山に沈む彼岸の夕日、桜井市埋蔵文化財センター展示「魅惑の玉」見学(奈良日帰り) 
3/29  いわき市勿来・國魂神社・馬場遺跡(福島)
4/9   卒論計画書提出
4/29  金鑚神社(武蔵国二宮)(埼玉)
5/22  卒論計画書 返却 合格
5/24  鹿島神宮(常陸国一宮)(茨城)
5/30  白河市千田遺跡・栃本遺跡(福島)
6/15   奈良大図書館に貸出依頼 計4冊
6/16  図書到着 早い。着払い1080円  返却は7/6まで
7/5  いわき市広畑遺跡(福島)
7/25~26大玉村供養壇遺跡(福島)
8/15  滑津遺跡(福島)
8/16  郡山市正直A遺跡・大安場古墳(福島)
8/22  白河市三森遺跡(福島)
    この頃には少しずつ原稿を書き始めていた。
9/12~13 南相馬市真野古墳群、鹿島御子神社(延喜式内社)、南相馬市博物館(福島)
9月の5連休はほぼ終日卒論執筆
10/3  草稿完成
10/5  草稿発送 書留速達1410円
11/13  草稿返却
11/28  西会津町芝草原遺跡(福島)
12/12  白河市横山遺跡(福島)
12/   質問票送付 すぐ回答来る

2016年
1/1~1/3 最終整理
1/5  印刷完了
1/6  製本、発送 簡易書留で送付
1/14 卒論受領書届く
2/6  卒論返却、合格

上記にさりげなく入れましたが、子持勾玉は、一宮や延喜式内社などの古社から出ている例が結構あります。大神神社のある大和をはじめ、陸奥、常陸、武蔵・・・と。
一応ここに挙げただけでも遺跡17ヵ所くらい。我ながらよく見て回ったものです。福島県内のもの(子持勾玉出土地)は全部。全部見るかどうか迷ったのですが、卒論の指導教授のT先生の、「全部見るつもりで」というお言葉に背中を押されて、全部見ることになりました。やはり、現地でじかに見る、という姿勢は、とても大切ですし、有益です。現地に立つことで、新たに発見・気付きがあり、雷に打たれたようになったこともありました。それについてはまたの機会に。
奈良大の、現地・現物主義は、文献史学をやってきた私には新鮮で、今後の勉強のあり方を考えさせられるものでした。


福島県白河市の建鉾山祭祀遺跡の看板です。この山の周辺で、古墳時代の遺物が大量に発見されています。看板に見える写真のように、建鉾山は三輪山のように円錐形をしており、陸奥国一宮の都々古別(つつこわけ)神社の奥宮になっています。三輪山における大神神社のような位置づけといえます。そして、この麓の三森遺跡から子持勾玉が出土しています。そして、西の方には、奈良の二上山と似た山が・・・?
今日は、これ以上書く気力がないので、やめておきます。
このブログでのハンドルネーム・ツツコワケは、この神社にまつわる不思議の解明を忘れないようにいつも心にとどめておくためにつけています。


子持勾玉出土地の近くには、このような、うっそうと草の生い茂る、雰囲気のある川が流れていることが多かったのです。
これは、福島県大玉村・供養壇遺跡近くの杉田川です。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

卒論返却・・・合格です。

2016-02-06 18:17:58 | 大学通信 卒論関係
奈良大通信教育の卒論が戻って参りました。審査結果通知書とともに。

宅急便配達の予告メールが来ていたので、今日届くというのはわかっていたのですが、結果を見るのが恐くて、気持ちがざわざわしていました。

思い切って封を開けてみると、「90点」との評価でした。ありがたいことです。
例年、80点や90点の方がいらっしゃるのはなんとなく知っているのですが、95点とか100点という方もいらっしゃるのでしょうか?

ともかく、60点以上なら合格ですので、残りのスクーリングを仮に受けられなくて卒業できないとしても、来年度は学費19万円を支払わずに済みます。これで一安心です。

卒論のテーマは、後日改めて紹介できればと思いますが、大まかにいうと、古墳時代に祭祀に用いられた「子持勾玉」の出土地についてです。
子持勾玉は、勾玉に子どもの勾玉がいくつもくっついたような不思議な形をしていて、全国でも500個足らずしか発見されていません。多くが、単独出土(1個しか出土しない)です。
結構大きいんです。だいたい、10cm前後はあります。
不思議なことに、古墳内部からはほとんど出土しません。

奈良県の三輪山周辺(大神神社=大和国一之宮)で子持勾玉が多く出土しているというので興味を持ち、調べてみると、特に東国で出土が多く、一之宮など古社の境内や周辺の遺跡で出土しているという特徴がありました。
全体でみると、東日本で多く出土しており、西日本では少なくて、ただ、今世界遺産登録を目指している沖ノ島ではたくさん出土しています。

卒論では、東国の子持勾玉出土地の特徴、共通性などについて現地を調査しながら考察しました。
詳しい内容については、別の機会に紹介できればと思います。

現地調査前に現地の博物館に問い合せて所蔵を確認したり、博物館訪問当日に実際の所有者が新しくわかって、その日にいきなり所有者のお宅を訪問して上がり込み、貴重な子持勾玉を見せていただき、手に取らせていただくという経験もできました!そういった、地域の方々との触れ合いも、私にとっての大切な財産になりました。

奈良大学の現地・現物主義を実践できて、卒論執筆を通して本当によい経験ができました。
卒論の指導教官のT先生は、演習のスクーリングも受講させていただいたのですが、その際の、「現地を見て来てください。」という言葉が、文献史学をやってきた私にはとても新鮮で、大きな刺激を受けました。

これからも、現地に行き、現物を見るという行動力は大切にしていきたいと思います。

卒論では、子持勾玉そのものについてではなく、その出土地について考察しました。
一之宮でいうと、東国では、武蔵国の小野神社、常陸国の鹿島神宮、陸奥国の都々古別神社(福島県白河市)などの周辺で出土しています。二之宮や式内社(延喜式神名帳にも載っている古い神社)ですともっとたくさんになります。
こうした子持勾玉が出土しているということは、その土地が、古墳時代・5世紀頃からずっと祭祀の場であったという証拠になります。
私はもともと神社は好きではなかったのですが、そんなに古くからそこが祭祀の場であったのかもしれないと思うと、あなどれないなと思うようになりました。
神社もいろいろで、最近できた神社(例:明治神宮や靖国神社など)と、式内社や一之宮のような、1000年以上の古い由緒をもつ神社とは、一緒には論じられないとは思います。

子持勾玉出土地については、まだ調べきれていない所もたくさんありますので、これからも、暇をみつけて旅に出たりして、調べていきたいと思っています。

卒論完成まで多くの方々にお世話になりました。感謝しつつ、今後、この経験や研究成果を還元・発展させていきたいと思います。



昨年のお彼岸に奈良日帰り弾丸ツアーを決行した際に見た、桜井市立埋蔵文化財センターの企画展「魅惑の玉」で展示されていた子持勾玉です。


大神神社でこの子持勾玉が購入できます。

今日はこのへんで。

追記:子持勾玉について、いろいろご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご教示ください。よろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

卒論を発送→「博物館に初もうで」

2016-01-06 21:43:29 | 大学通信 卒論関係
なんとか奈良大通信教育の卒論を仕上げて、今日発送しました。
受付は明日7日~14日までなので、早めに提出して、すっきりすることにしました。

草稿段階からちょっと文章を書き加え、写真を足しただけで、自分としてもあせったりストレスになったりはしていないつもりでしたが、年明けから毎晩のように夢を見たり、体調もいまひとつだったりして、自分で意識していなくても、心身にプレッシャーを感じて、不調が出ていたのかもしれません。
10月の草稿提出の前後は、後から振り返っても、明らかに体調不良でした。

発送してしまうと、呪縛から解き放たれたようで、今日も仕事は休みにしているのですが、午後から上野の国立博物館に出かけたりと、フットワークがよくなりました。

国立博物館では、「博物館に初もうで」というキャッチフレーズで、新年にちなんだ展示が行われているのをテレビで見て、行ってみたいなと思っていたのを行動に移しました。何しろ、学生の身分ですので、学割を生かさなければ。同時に開催されている平成館の「始皇帝と大兵馬俑」も見ることにして、一般が1600円のところ、大学生料金1200円で入場しました。

ちなみに「博物館に初もうで」は「総合文化展」といい、これだけならば、高校生以下は無料で見られます。

今年の干支のサル(申)にちなんだ展示「猿の楽園」で、いろいろなサルの作品が集められていました。この企画は、「申」から始まってもう十二支を一廻りして今年で2周目に入るのだとか。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」から「凱風快晴」(赤富士)や「神奈川沖波裏」などおなじみの作品もありました。

印象に残ったのは、長谷川等伯の「松林図屏風」(国宝)です。高校の日本史でも出てくる作品です。長谷川等伯といえば、京都の智積院襖絵などに代表されるように、金箔をふんだんに使い、緑や赤など鮮やかな色づかいの濃絵(だみえ)が印象的な画家であるのに、この「松林図屏風」は、水墨画のモノトーンの世界なんですよね。

日本史Bの授業では、たいてい図説の写真で見てもらうのですが、写真も小さいし、その見事さがよくわかりません。単なる地味~な墨絵とも見えなくはありません。私もよくわからないまま、しかしよく入試問題などでも出るので、教えていたようなものでした。長谷川等伯にはこういう絵を書く一面もあるんだよ、的な説明で終わりでした。入試問題の出し方としては、何文化の作品かという問いが多いでしょうか。水墨画というと、室町時代の東山文化などとも混乱しそうですが、これが意外に?安土桃山文化なんですよね。絢爛豪華なイメージの安土桃山時代だけれども、こういう作品もあるということに意外性があるからなのか、出題されやすいともいえますかね。

実物は、非常に大きな屏風に描かれています。二対で横幅8mくらいありました。霧の中でかすんで見える松を、墨一色で遠近が見事に表現されていました。

偉大な作品を前にすると、お客さんは気圧されるのか、近寄ることをはばかって、離れて見るようです。興福寺仏頭が東京に来たときもそんな感じでした。

もちろん離れて見た方がちょうどいいというのもありますが、近くで見ると、その筆致の意外な荒々しさなども見てとれるのですけれども、なんか皆さん遠巻きに見ている感じなので、前に出るのが悪いような気になってしまうのです。でも、前に出て見るおじさんなどもいるので、私も近くから見させてもらいました。解説によると、どのような道具を使って描いたのかよくわからないようでした。確かに、ただの筆ではなさそうな、バサバサ感がありました。

実物を・原寸大のを見ると、やっぱりすごいなあと直接感じることができます。実物を見る機会は大切ですね。しかし、高校の日本史教科書に出てくる作品を、すべてを実物で見るということは無理ですし、教員の方だって、すべてを見たわけではないのに教えているので、限界というものを感じざるをえないのですが・・・できる限り、臨場感を伝えられるように努力すべきでしょうか。

残りを駆け足で紹介しますと、平成館の「始皇帝と大兵馬俑」は、そんなに見たかったわけではないのですが(日本史の教員なので)、せっかくなので・・・

兵馬俑だけではなく、紀元前3世紀の遺物も数多く展示されていました。日本では弥生時代なわけですが、当時は中国の方が断然文明的に進んでいたなと感じさせられます。

一つ、日本の銅鐸とちょっと似ている鐘があって、銅鐸は日本オリジナルな雰囲気はあるけれども、ほんのちょっとだけ、こういう中国のものも影響しているのかもしれないなと思うことがあり、収穫でした。

いろいろな展示を見ていて、デザイン的には、直線を折り曲げたようなものが目立ち、日本とはやはり明らかに雰囲気が違うなと思いました。ラーメンのどんぶりの模様が想起されました。そういう器物の持つ雰囲気は、やはり中国と日本ではかなりはっきり異なっており、私は日本人だなあ?と感じました。

兵馬俑は、広々とした空間に、結構たくさん展示されていました。
民族ごとに顔が異なるなど、細かい部分までリアルに描写されているという話を聞いたことがありましたが、実物を見て、身長なども、等身大に近いサイズで造られているようだなと思われました。
8000体もの兵馬俑は、当時は彩色されていたとか。壮観でしょうね。会場でCGが上映されていました。中国は昔も今も恐るべし、でしょうか。

以上、疲れました。なんか骨まで痛いので、骨休めします。

テレビドラマの撮影などでも使われる、国立博物館本館の正面に、お正月の生け花が飾られていました。11日までだそうです。

卒論執筆におけるWordの機能活用(覚書)

2015-12-28 21:38:02 | 大学通信 卒論関係
今日は冬休み中で家におります。
卒論を書いていて、おおー、この機能(Word)はすばらしい!と思ったので、覚書として残しておきます。

10月に草稿を脱稿した後、現在は、その後に調査した遺跡の部分を加筆しているのですが、写真を追加するのに、途中に新しい写真を割り込ませると、番号を全部ずらさなきゃいけないのかな??面倒だな。と思っていました。

それに、自分で作った写真の枠に、どうやって写真を貼り付けたのか(写真のサイズをそろえたりしたのか)や、番号をつけたのかなども、忘れてしまっていました。

一応、草稿執筆の段階で、『卒論執筆のためのWord活用術』(田中幸夫 ブルーバックス・講談社)という本を借りてきて参考にしていました。最近のWordにはきっと私の知らない便利な機能があるに違いないと思ったからです。全部は理解できませんでしたが、図表の通し番号を自動的にふることができるらしいということがわかり、それらしくやってみた記憶が残っていました。他にも、章建てについても便利な機能があるようでしたが、そんなに壮大な論文ではないし、構成が固まっていたわけではないので、実践しませんでした。

図表番号を自動的にふってくれるらしいというおぼろげな記憶(たかだか3ヵ月前なんですが)があって、写真を追加して、ちょっと操作してみたら、思い出しました。また忘れてしまうので書いておきます。参考になればご活用ください。

私の場合ですが、卒論提出用の様式(B5縦)に、上下2枚の写真を配置するために、罫線で枠を作りました。
この枠に写真を挿入するとき、写真のファイルをコピーして貼り付けると、データが大きいままではみ出してしまいます。そのため、画面左上のタブ?に「挿入」というものがありますのでそこをクリックすると、「図」というアイコンが左から5番目にあります(私のWordのバージョンの場合)。それをクリックすると、写真を選択する画面が出てくるので、それで写真を指定すると、ちょうど枠内にきれいに収まるように写真が挿入されます。
さらに、挿入された写真の上で右クリックすると、「図表番号の挿入」というものが出てきますので、それをクリックして、「ラベル」は「写真」とか「図」とか選べます(作れます)ので、「写真1」などにしたい場合はラベルを「写真」とし、「図1」にしたい場合は「図」にし、「位置」は「選択した項目の下」か「選択した項目の上」かを選びます。私は「写真」にして「選択した項目の下」に設定しました。
こうして「写真1」からスタートすると、写真追加ごとに順番に番号をふってくれます。

そして今回、3ヵ月ぶりに写真を追加しようとして、追加したら後の番号は手作業で一つ一つ直さなきゃいけないのかな、と思っていたら、どうやら、このような作業をしていれば、追加した後の写真の番号も全部自動的に変わってくれるようです。ありがたい機能でした。

でも、本文中の写真番号は、入れ直さないとだめです。それも、もしかしたら最初に設定しておけば自動的に変えられるのかもしれないですけどね。

ちなみに、本文と、写真のファイルは別々です。写真は最終的に70枚になりました。

卒論のテーマは、現状では伏せておきますが、古墳時代です。古墳そのものがテーマではないのですが、古墳を見てきた所もあるので、その写真を1枚紹介します。



夏の盛り・8月に行って来た、福島県郡山市にある大安場(おおやすば)古墳(国指定史跡)です。前方後方墳としては東北地方最大のもので、1991年に発見されたばかりです。前方後方墳は、比較的東日本に多いですね。なかなか立派でした。副葬品として発見された、石釧(いしくしろ)=腕輪のような装飾品も、とても美しく繊細な造形で、うっすらと緑色をしていました。同じくここで発見された、底部穿孔土器(底に穴のあいた土器)もあわせて、興味を持ちました。こういったものが出土する古墳には、どういう共通性があるのでしょうね。
卒論とは直接関係ないのですが、少し考えています。詳しい方、教えてください。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

卒論草稿が戻ってきました。

2015-11-14 18:16:23 | 大学通信 卒論関係
昨日、大学通信教育の卒論「草稿」が戻って来ました。卒論提出「許可」か「不許可」が判定されているのですが、「許可」に○がついていました。

草稿提出の後、抜け殻のようになって、この頃は卒論の顔も見たくないと思い始めていたところでしたので、宅急便を開封するのも憂うつでした。根拠も十分示さず大胆なことを書いたような意識があったので、厳しいコメントが先生から返ってくるかと思いましたが、そうではありませんでした。
先生のご専門ともちょっと違うし(時代が同じというだけ)、放任されているのかもしれません。

また、奈良大通信教育の場合、希望者は指導教員の面接指導を受けることができるのですが(20分程度)、今回の先生のコメントの最後に、面接指導は必要ありません、と書いてありました(笑)。
先生もお忙しいでしょうし、私もまあ平日昼間に休暇を取って奈良まで行くことは、できないこともないですが、ちょっとあわただしいし、大体の卒論の構成・書き方等に破たんはないようですので、まあ受けなくてもいいか、と思っています。

「未調査の場所もあるようなので、最後の仕上げをしてください」とのコメントどおり、あと2ヵ所、見るべき遺跡があります。そんなわけで、分析を深めるかどうかはともかく、遺跡の調査だけは、やる予定です。今月末と来月に行きます。

卒論の本番の〆切は、1月7日~14日必着です。あと2ヵ月、卒論が手元に戻ってきたことで、卒論にエネルギーを割く日々がまた始まります。元気に再スタートして行きたいと思います。

10月あたまの草稿提出後の卒論以外の動きですが、
「歴史文学論」の科目修得試験を10月12日に東京で受験し、一応合格しました。ただ70点と低くて、分量はそこそこ書いたのに、内容に間違いがあったり、求められている解答とずれていたりしたのか、よくわかりません。「○○について論述せよ。」的な設題が多く、どのような解答だとよかったのか・・・
10月24日には、奈良大学で「西洋史特殊講義」を受験し、まあまあ及第点をいただきたいと思っているところです。結果待ちです。試験を受けるついでに正倉院展の初日を見て来ました。

科目修得試験は打ち止めのつもりです。まさか、西洋史特殊講義が不合格だったら・・・想定したくないですが、どうしようかな、卒論が合格ならば、来年度は授業料を支払う必要がなく、科目履修生のようになるらしいので、受けられなかったスクーリングを来年度に受けようかな。いや、もう1回試験を受ければいいのか・・・卒業予定者の受験のリミットは1月末です。

あとはスクーリングを2回受ける予定です。もし受けられなかったら、卒業見送りです。

以上のような感じで、8、9月は試験を受けずに卒論に没頭する時間を確保し、草稿提出後の10月に2科目試験を受けて、また草稿返却の今、卒論に没頭する期間としました。まあまあスケジューリングとしてはよいのではないかな、と思います。卒論書きながら試験を受けたりレポートを書いたりすると、私の場合身が持たないですから。

明日は、よみうり大手町ホールにて、考古学関係の講演会に行って来ます。
寒くなってきましたが、暑いよりは体も楽で、思索を深めるのによい、充実した秋、という感じがします。
石上神宮の話も続きを書きたいのですが、記事の整理の都合上、大学通信教育の話題だけでまとめた方がよさそうなので、これだけにし、またすぐ石上神宮についての記事を書こうと思っています。


写真は、9月13日に卒論執筆の一環で訪れた南相馬市博物館に隣接する広大な公園の、1枚目は「栗」。
私が歩いていたら、目の前に、ボトッ、コロコロ。と、何かが落ちてきた、何だ?と見ると、この栗だったのです。自然が豊かでいい所だなあ、と、その静けさにひたりながら、この栗は、持ち帰って来ました。後で、これも放射能に汚染されているのだろうか?と思ったりもしましたが、今も手元にあります。


その公園の写真もう1枚です。
博物館に入る前に、公園の休憩スポットで軽く昼食めいたものを食べていたら、女性の二人連れの方もやってきて、同じ場所で食事をとっていました。震災で放射線量がいまだに高いのかもしれませんが、こうした自然を楽しむ人達も、ちらほら見受けられました。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村