日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

『大鏡』は「big mirror」(笑)、『増鏡』は?

2015-05-23 18:26:35 | 大学通信 レポート・試験等
奈良大学通信教育では、レポート返却や成績通知がA4サイズの封筒でなされます。その茶色い封筒が届くたび、合格しているんだろうか?と戦々恐々として、「きゃあー」という声を必ずあげながら封を開けます。

昨日もそのようにして、届いた封筒を開けましたらば、その中身は、レポートではなくて4月に提出した「卒業論文計画書」の返却でした。意表を突かれました。これによって、担当の先生から、卒論を書いていいよというOKが出たので、10月上旬の草稿提出をまず目標にすることになります。

そして今日もまた茶色い封筒が届きました。また「きゃあー」と言いながらどきどきして封を開けると、今度こそ、待っていた「歴史文学論」のレポート返却でした。あまり出来がいいとは自分で思えなかったので心配だったのです。どうにか「合格」。これで科目修得試験が受けられます。

レポートには講評がつけられて返ってくるのですが、同じ大学通信教育でブログを書いている方はよくこの講評をブログに載せたりしています。私は特にそういうことはしないで来ましたが、今回は読んでかなりウケてしまいましたので珍しくここにも載せさせていただきます。

「○○○○さんのレポートは、テキストの内容を自分なりに考えた上で、設題意図に向かっているという印象です。あまり深く分析するには至っていないようですが、全く主題から外れているということでもなさそうです。
及第点です。」

あまり深く勉強していないことは図星でありますし、大体私の取り組み状況を言い当てているようで、笑ってしまったわけです。なんか、星占いの文章みたいな感じもします。及第ですからぎりぎりですね。合格させていただいてありがたいです。

以前にも、国文学系のレポート(先生)は手ごわいという趣旨のことを書きましたが、やはり、今回のも、国文学の先生は文章を読みとる力が深いのだろうなと思わされました。
それもあるし、こういう分野のレポートは、私が書こうとする考古学系の卒論には直結しないので、私も無意識的にも取り組みが甘く、やっつけ仕事風なのを見抜かれるのでしょうね。

しかし、「歴史文学論」のテキストは『増鏡』でしたので、日本史の授業でタイトルしか触れない文学作品を、実際に読んだという経験は、一つためになりました。

ちなみに、前の学校で「四鏡」について説明した時、『大鏡』は「big mirror」だね、『今鏡』は「now mirror・・・」と言い出す生徒がいて、私もその若い感性に大笑いさせてもらいました。『水鏡』は「water mirror」でいいけど、『増鏡』は、どうしたらいいか生徒も詰まっていました。そうでしょうねえ。
『増鏡』は何と言ったらいいでしょう?「gain mirror」?「increase」では語呂が悪いですね。
(追記:「増し加える」という意味があるようですので、「add mirror」がいいですかね。)

以上、レポート返却にまつわる話でした。これで、一応、予定通りにスクーリングにも行けるならば、あとレポートを一つ書いて、試験を三つ受ければ卒業が見えてきます。レポートは月1くらいのペースで書いて来ましたが、先が見えてきたので、小休止して卒論のための勉強の時間も取ろうかな?と考えています。

明日は、卒論にもちょっとからむ、関東某所に行って来ようと思っています。高速バスで?

写真は、2月のスクーリングで泊まったホテルの1Fにあるケーキ屋さんのバウムクーヘン「校倉クーヘン」です。パンフレットによると、「天皇陛下、皇太子殿下お買い上げ菓子」だそうです。箱の文字の揮毫は、「東大寺第220世別当北河原公敬 猊下より、頂戴いたしました」とのこと。





まあ、確かに断面は校倉造りっぽく見えますね。
おいしいことで有名なケーキ屋さんのようですが、店員さんが忙しそうで・・・というクチコミのとおり、私もそこでお茶するとかおみやげを買って帰るとかしようと思ったのですが、そんな感じだったので、パスしました。
そのホテルではフロントで注文すると用意しておいてくれるというのでそのようにして入手しました。
抹茶のバウムクーヘンで、味は普通においしかったです。

そのホテルは、奈良の国立博物館にも出店している中華料理店も併設していて、朝食は中華をいただきました。朝からアワビとか・・・おかゆとか胃にやさしい感じでよかったです。

部屋は、スクーリングの時に、ある方が言っていたとおり、ちょっとバスタブが小さかったですけど、まあ水の節約には合理的なのかなと。部屋がちょっと臭い消しのような芳香剤の臭いが強くて、最初は閉口しましたが、三日間のうちに慣れました。安いし、サービスは最小限行き届いていて、よいのではないでしょうか。交通の便もいいし。

いまだに2月頃の話題が終わらなくてすみませんが、今日はこのへんで。

ガス灯の街にて

2015-05-17 23:36:47 | 明治時代
今日は、大学通信教育の科目修得試験を一つ受けて来ました。今日は「古文書学」でした。

科目修得試験は、あらかじめ10問の設題がされていて、その10問から1問だけ、当日読み上げられた番号の問題を解答するという形式です。

10問分の解答を作るのが大変で、さらにそれを当日までに覚えるのも大変です。A3の巨大な解答用紙の半分(3分の2?)以上を埋めるようにとのことなので、原稿用紙1枚分くらいでは足りず、感覚的に2枚として800字×10問分を頭に入れるというのは大変なことなのです。他の方がどのくらいの準備をされているのかは、わかりませんが、私はそのくらいです。

一応、今日まで11科目受けましたのでそれを11回繰り返してきました。どうやれば自分の頭に定着するのか、何度もやっているとわかってくるようで、自分が生徒・受験生に指導する時にも役立つかもしれないと思います。

今日の「古文書学」は、他の科目とはちょっと違って、あらかじめ提示されている問題を「解読」するということが必要になります。逆に、その場で解読できれば、その部分は暗記する必要がありませんので暗記量は少なくて済みます。

元の大学は史学科でしたので、古文書の授業はありました。でもその授業を受けたからといって、読めるようになるわけではありません。くずし字を読む会、というのを、大学院の先輩を中心に、開いてくださっていましたが、私は古代史専門だから、くずし字を読む必要はない、と割り切って、参加しませんでした。中世、近世、と時代が下るにつれて、字が崩れていきますから大変です。

古文書を読む機会もそんなにないから、と、ほとんど読めないまま来てしまいましたが、この大学通信教育で古文書学を履修するにあたり、せっかくだから、読めるようになったらいいな、と思い、本腰を入れて取り組むことにしました。

そういうわけで、昨冬に、某大学のくずし字解読の公開講座を、二つ受講してみました。やはり、いくらかでも、人に教わる、手ほどきを受ける、ポイントを教えてもらうというのも効果があるなと思いました。

例えば、「に」というひらがなは、「弥」という字の右側の部分が変形してできているのですが、これがくずされるとアルファベットの「y」のように見える、と教わり、なるほど、この「y」の字はしょっちゅう出てくるな、と認識できました。

冬から春にかけて、そのようにして勉強をぼちぼち続けて、図書館から古文書の小辞典、解読辞典、その他、読み方の本など借りたりして、科目修得試験の問題文の解読にも取り組んできました。
まさに暗号解読のような感じで、辞典に同じ形の文字があるかと照合しながら、少しずつ文字を明らかにしていきました。

そして、最終的にはほとんどの文字が解読でき、試験の準備もできました。最初は読めるかどうか、ゴールが見えませんでしたが、ここまで来ると、意外と簡単に解読できるようになっていました。

今日の試験では、解読はほぼ完ぺきにできたと思いますが、内容の解説をせよという部分で、その訳が間違っている部分があるかもしれないな、という懸念はあります。でも、まあ、なんとかなっているかな??と思いたいです。

今年度卒業のためには、テキスト科目(試験あり)で8単位は必要で、そのうちの貴重な2単位を、これでクリアできているといいのですが。
そしてさらに今日、少し返却が遅れていた「民俗学」のレポートが到着し、「合格」していましたので、これで「民俗学」も試験が受けられます。
本当は、卒論だけにエネルギーを注ぎたいところなのです。早めに試験での単位修得の見通しをつけて、なんとか卒論のための時間を確保したいです。
古文書が終わって、次は「民俗学」の試験準備、「西洋史特殊講義」のレポート作成です。やることが目白押しで楽しいです。

それにしても、古文書学に真面目に取り組んだことによって、古文書が少し読めるようになったのは、収穫でした。先日も、授業で見せたビデオの中で、江戸時代の文書のアップが出てくる場面があったのですが、なるほどなるほど、と、わかる字が出てきました。
古文書は、ある程度、使われる文字のパターンがあったりして、慣れれば、あれだ、とわかるようになる部分も多いです。慣れ・トレーニングでしょうかね。

今日の試験は横浜で受けました。





写真は、その近くの馬車道にあった、「日本最初のガス灯」です。1872年にこの地に設置されたということのようです。銀座が最初かと思っていましたが・・・銀座はその翌年の1873年だそうです。
現地には説明板があり、その横に建っていたガス灯は、当時のものではなく、復元したもののようでしたが、ガスの灯であることは間違いないらしいです。夜に見てみたいですね。
ガス灯は明治初期に登場した、ということは、センター試験でも出題されたことがあります。時代感覚として、明治初期であるということはとらえておきたいですね。

横浜のこのあたりは、街路樹の幹が太くて立派で、そんな所からも、古くからの街であることをうかがわせます。

縄文土器の実測を体験。(2月の奈良スクーリング その1)

2015-05-08 01:11:29 | 大学通信 スクーリング
2月の奈良スクーリングのトピックを。もう夏が来るというのに、古すぎてすみません。
2月13~15日、文化財学演習2という必修科目を受講しました。13日は平日でしたが、定期考査中で授業がなく休みが取りやすくて助かりました。

13日朝、新幹線を降りて京都からは地下鉄に乗り換えて大学に向かったのですが、あやめ池(菖蒲池・・・近鉄奈良まで10分?)のマンションの車内広告が目にとまりました。3LDK2830万円から?安いなあ、いいなあ、こっちに住みたいなあ・・・という思いがふつふつと・・・あやめ池っていう名前もいいですよね。関西は関東とちょっと違って面白いと思ったのは、その広告文で「実物見学会」という言葉があったことです。なんか違和感ありますね。「実物」って・・・ちなみに73.02平米でした(笑)。印象的だったので、スマホでメモをとっていたのです。

この1年ほど、旅行のスケジュールとか、「スクーリング日記」とか、グーグルでいうところのグーグルドライブみたいなのを使ってメモをよくとっています。グーグルドライブではありませんが。

そういうわけで「スクーリング日記」をライブでつけて細かい所まで記録を残そうとしたのですが、やはりくたくたでほとんど書けませんでした。

今回のスクーリング「演習2」は、1月にやった「1」とほぼ同じで、自分の研究テーマをポスターにまとめて発表するのが主な内容でした。1日目は講義、2日目の午前中は、縄文土器の拓本の作成と断面の実測の実習を行いました。

1月の時も、土器の実測のやり方を、補助についてくれた通学部生が、実演しながら説明してくれたのですが、人数も多いし、時間もないし、自分達で実際にやるような暇はなくて当然だよな、と思っていました。
ところが、今回は、一人ずつが土器片を手に、器具を使って、実測をさせてもらったのです。
人数も、60人以上はいたと思うのですが、よくそれだけの数の通信教育部生のために器具(本物の土器も)を用意して、貴重な実習をやらせてくれたものだ、と、感激しました。スクーリングでここまでやってくれる奈良大学の通信教育はすばらしいです。そもそも、考古学を通信教育で学べる大学は少ないですしね。

1月には奈良時代?の瓦の拓本、今回は縄文土器の拓本と、2回経験しましたので拓本のやり方についてはそれなりに要領がつかめました。通学部生で補助についてくれた学生さんたちはみんな手慣れた感じで説明・補助してくれましたので、たくさん数をこなしているのでしょう。

土器の断面の実測は、今回初めてやりました。
講師の先生がかわいがっている貴重な縄文土器片を、貸し出してくださいました。もし落として割っちゃったらどうなるのかな?と思いながら、ありがたく使わせていただきました。なくなるとか壊すとかいう心配をせずに受講生を信頼していただいたのはありがたいことです。

土器の断面図を描いたのですが、おそらく、今ではコンピュータなどで簡単に電子的に測定できるのだと思いますが、基本として、アナログ的な作業を、自分の手でやってみる、ということが大切なんでしょうね。そういう作業の間に、土器をじっくり観察することもできます。

道具は、大きい三角定規2枚を、マスキングテープでずらして止めて、方眼紙に立てて固定します。そうして土器の高さを測ります。



キャリパーという器具で土器の厚みを測ります。コンパスの両側ともが針になっているディバイダも一人1個ありました。
真弧(まこ)という道具がとても印象的でした。「マーコ」とも呼ばれていました。竹ひごの集合体を、土器の表面に押しつけることで、でこほこなどの曲面が写しとられ、それを使ってなぞると土器の表面の曲面がそっくり描けるというものです。かなり高価なものらしいですが、2,3人に1台くらいずつあって、こういう器具も使わせてもらえるなんて、ありがたいなあとつくづく思いました。
三角定規その他のセットが、一人一人の封筒に入れてあって、大変に手間がかかっています。



↑右側のが真弧(まこ マーコ)。

毎度、スクーリングのたびに補助についてくれる学生さんたちも、親切で、熱心で、しっかりしていて、本当に助かります。無給ではなくてアルバイトとしてやっているのでしょうけれども、院生はもちろんのこと、学部生でもしっかりしているなと感心します。
そういった学生さんたちのおかげもあって、みんななんとか土器の実測図が書けました。

出土物は、小さいかけらでも、一つ一つこうして大切に記録に残すのだなということがわかりました。

今日はこのくらいにして寝ます。

奈良大学通信教育1年目の総括・・・勉強三昧で楽しい。

2015-05-06 00:33:04 | 大学通信 全般
昨年の4月に3年次に編入した大学通信教育ですが、レポート提出と試験、スクーリングと、本当によく勉強した1年でした。

36単位修得しました。フルタイムで働きながらよくやったほうだと思います。
内訳は、テキスト科目で28単位、スクーリング科目で8単位です。

スクーリングは4つ出席したので、のべ12日奈良に滞在しました。1科目あたり3日間なのですが、5回、6回と参加している人、しかも、スクーリングの前の日から宿泊して優雅に観光を楽しむ人もいて、うらやましい限りです。私は当日の早朝、始発の新幹線で、夏はバテバテの状態で受講していました。そして、前泊か後泊しないと、昼間はずっと勉強していますので、観光がほとんどできません!今年はせっかくですので前泊などもしたいです。

成績ですが、スクーリングは出席すれば80点以上にはなりますので問題ありません。テキスト科目の試験は、最低がシルクロード学70点、最高は言語伝承論の94点でした。

レポートはいくつかの評価項目があってそれぞれにABCD・・・がついて返ってくるのですが、特筆すべきは、史料学概論でオールAのうえに、よく見ると一つの項目に小さく+がついて「A+」になっていたことです!

私も生徒のプリントを評価するときに、「A+」をつけたりすることがまれにありますが、つけられる側の気持ちがわかりました(笑)。本当は評価したくないんですけど、生徒は評価を結構気にするし、意欲向上につながるのかなと・・・

史料学概論の先生は、史学界ではかなり著名な先生で(イニシャルはT先生 としておきましょう)、本当に通信教育部生のレポートなど見てくださっているのかな??と、レポートに先生の印鑑が押してあっても半信半疑でしたが、いろいろな情報を総合すると、おそらく、本当に見てくださっているのでしょう。しかも、レポートをめくって読んだ折り目というか、跡・しわが残っていました。お忙しいのに、因果なお仕事を、誠実にやってくださっているのだなと恐縮します。この史料学概論の対象としている分野が、私が大学でやってきた勉強に近似していたので、私もなじみやすかったのかもしれません。

一方で、江戸文学論という科目は、私の生半可な取り組みを見抜かれたのか、レポートの再提出となり、再度提出したものが不合格になりまたまた再提出を求められました。この科目は多くの人が再提出になる厳しい科目のようでした。本腰を入れて取り組まないと合格できなさそうで、しかし、そんなに江戸文学にかかりきりになってばかりもいられないので、後回しにして、結局そのままになってしまいました。今年度も一応履修登録はしましたが・・・

私は、生徒にも、日頃から、あきらめないでチャレンジしろ、とか、途中で投げ出さないで最後までやり遂げろ、的なことを言っているのに、自分自身が再提出になって落ち込み、最後までやり遂げられなかったことについては心が痛いです。

古文書学も、年度末、いい加減なレポートのまま提出したせいか、再提出になりました。この二つが昨年度、再提出になった科目でした。(その後古文書学はレポート合格になり今月科目修得試験を受けます。)
古文書学も、近世文書を対象としており、江戸文学論ともあわせて、私は江戸時代と相性が悪いのかなあと思ったりしています。

観光論、東洋史特殊講義、東洋史概論、美術史概論、文化財学講読1、考古学概論、などは、結構楽しく、取り組みがいを感じながら、1ヵ月に1科目くらいの感じでレポート提出と試験を繰り返して攻略していきました。書誌学はなんとなくつかみどころがありませんでしたがまあ合格できました。

レポートも試験も、落ちてやり直したくない、という気持ちが強く、全力で取り組みました(貧乏性)。そのために、レポートの提出や試験前は、1週間はつぶれてしまって、他のことができなくなる感じでした。

ちなみに、試験は全部一発合格でした。一度に2科目受けたのは1回だけ。1科目ずつ猛烈に勉強して臨みました。原稿用紙にしたら20枚くらい覚えなきゃいけないボリュームですから大変です。

そんなふうにして、1年が終わると成績表のようなものが送られてきました。
ちゃんと優・良・可がつくんですね。私の大学は、ABCでついていましたので、優良可の成績表が新鮮で、大学っぽいなと感心しました。

成績は、書くほどでもないのですが、参考までに、シルクロード学が70点だったので「良」、あとは全部「優」でした。驚きです。

私は前の大学時代は、あくせく勉強するのが嫌いだったり、単位さえ取れればいいという考えだったり、何の役に立つんだろうとさめていたりして、あまり成績はよくなかったのです。よい成績を取ることにこだわりはありませんでした(あとで教員になろうと思ったときに、教職科目はいい成績を取っておけばよかったと少し後悔しました)。

そんな感じの私でしたから、今回の通信教育の成績は、もちろんがんばった成果であるのですが、全体的に良いので、悦に入っています。今年も1年目の意欲的な気持ちが持続できるか、それにかかっていると思います。

どんな科目も、わらしべ長者みたいに、必ず何か、自分にプラスになる、得るものがあって、勉強してよかったなあ、と思えました。今後に生かせることがたくさんありそうです。

今年度の予定では、卒論8単位、スクーリング8単位、レポート8単位で卒業、というもくろみなのですが・・・
スクーリングは、卒業単位にカウントされない自由選択科目も取りたいものを含めて、都合5回、奈良に行きたいと考えています。

履修登録の方法ですが、大学のハンドブックには、上限までできるだけたくさん履修登録してください、と書いてあって、なんか変なこと書いてあるなあ、と去年は思ったのですが、それもなるほどな、とわかりました。実際に履修しなくても、テキストは登録すれば全部いただけますし(学費に含まれている)、スクーリングも、登録しても実際には受けなくてかまわないといえばかまわないのです。

そういうことをふまえて、今年度は、テキスト科目は昨年と今年で全部登録しました。スクーリングは、まあ絶対行かないだろうという日程・科目は除きましたが、一つ余分に登録しました。

私は最短の卒業を今年度目指しますが、急いで卒業する必要のない優雅な方々は、スクーリングをできるだけ満喫して、何年か余計にかけて卒業されるようです。私も、もう1年遅らせようかとも思ったのですが、お金を余計に使っている余裕も、時間の余裕もないだろうと判断しました。今年みっちり勉強して、来年以降はさらに前に進んで行かなければならない、と考えています。

・・・とか言いながら、レポートが合格しないとか、必修科目のスクーリングに行けなかったとか、そもそも卒論が間に合わなかったとかで、卒業できないリスクは十分にありますが、ベストを尽くしたいと思います。

卒論は、計画書を出して、指導教授のお返事を待っている状況です。卒論を書くのは楽しいですね。前の大学時代もそうでした。

おとといから昨日にかけて、気合いで歴史文学論のレポートを1本仕上げました。だいぶ前からテキストや参考文献を持ち歩いて読み、何となく自分の中で熟成したかなというところで書きました。

今年度残っている科目は、いまひとつ食指が動きません。そういう科目を無意識的にも残してきたのかも・・・
今日は歴史文学論、今後、西洋史特殊講義、建築史、平安文学論・・・の予定です。

私は「国文学」の学部学科に進まなくてよかったかも、と、昨年今年で感じています。言語伝承論とか江戸文学論とか平安文学論とか、なんだかつかみどころがなくて、どう書けば正解なのかよくわからないし、担当の先生のフィーリングと合うかどうかに左右されるような気がするのです。今日やった歴史文学論も、『増鏡』が題材で、これも史学と国文学のビミョーな境界線上にあるような本でした・・・

私が前の大学でやっていた「史学科」であれば、フィーリングとかは関係ない、ということは言えると思います。
しかし、私も国文学の流儀がよくわからないだけで、正解とか模範解答というのが厳存しているのかもしれませんね。

私の場合、進学したのは史学科でしたが、当時、大学でこれをやりたいという確固としたものがあったわけではなく、自分の学力で入れる中で最上のもの・・・とかいう感じで選んだので、英文科も受けたし文学科も受けたし教員養成課程(英語)も受けました。節操無かったです。史学科でよかったです。

というわけで、今年も勉強三昧で、たくさんのものを吸収して成長したいと思います。学生の身分もフル活用します。おとといのお出かけも学割で博物館に入館しました!

ふと、思い出したのですが、心理学者の河合隼雄さんも、一時期高校の教員?をやっていたことがあるそうで、その時の経験から、教員は、いつもどこかしら成長(進歩だったかな?)し続けていなければならないのだ、というようなことを書いていた本を読んだことがあります。何となく共感できるようになりました。



1月のスクーリングの時に大学所有の本物の須恵器他、を見て、さわらせてもらいました。持ち上げてみると、須恵器って軽いんですね!驚きました。
大学受験的には、須恵器5世紀に作られるようになった朝鮮半島の技術による土器ですね。
実物を見てさわる機会も奈良大では作ってくださるので、ありがたく経験させていただいています。

なぜ埼玉・反町遺跡で水晶勾玉が製作されたのか?(ほるたま考古学セミナーにて その3)

2015-05-02 20:12:57 | 古墳時代
2月1日のほるたま考古学セミナーの報告の中から、今日紹介するのは、「玉つくり」です。以下、レジュメや講演の内容から「私にとって」必要な情報をまとめます。

埼玉・反町遺跡は、日本で一番古い水晶勾玉製作地(古墳時代としては?かな やや説明が不足していると思いました)なのだそうです。古墳時代前期のことです。
住居跡で水晶製の遺物が大量に発見されたのですが、水晶製勾玉の完成品は発見されませんでした。完成品は使用する者の手に渡ったからです。



使用された水晶は、「草入り水晶」という特徴的な夾雑物が入っていて、原産地は山梨県の竹森である可能性が高いとのことです。良質な水晶の原産地は埼玉県内から見つかっていないので、そのことからも原産地は山梨県であると考えられるとのことです。



反町遺跡と同時期以前の水晶を加工した遺跡は、水晶が産出する丹後半島に近い弥生時代の京都府奈具岡遺跡があり、反町遺跡ともう一つの水晶勾玉製作跡のある前原遺跡に来た製作者は、その周辺から来た可能性が高いとのこと。

残された遺物の観察によって、製作者はごく短期間の滞在で、ある程度完成品ができあがった時点で、未製品をすべて残して退去していたことがわかるようです。

要するに、まとめると、玉つくり工人には自由はなく、ヤマト政権が山梨から材料を支給し、連れてきた玉つくり工人にその材料で勾玉を作らせ、一定の期間の後に退去させたということのようです。

玉つくり工人は出雲と北陸に二極化していたと考えられます。ですから、前回、土器の出土状況から、反町遺跡には山陰や北陸からも人が来ていたという話題を書きましたが、その土器を持って来た人達の中に、玉つくり工人がいたのかもしれません。



この玉つくり遺跡から類推できるヤマト政権の国家戦略について、上野氏の発表・レジュメにまとめられていましたが、何となく私は腑に落ちない感じがしましたので、ここには特に紹介しません。

どうして反町遺跡で水晶勾玉が製作されたのか、については、みんなそれぞれで考えてみましょう。反町遺跡の性格や立地についてもっと知る必要があるでしょうか。



ホールの外には、反町遺跡で発掘された水晶の他、土器などが展示してありました。

現在の私自身の興味は、「水晶の勾玉」にあるわけではないのですが、玉つくり全般と、現在の埼玉・群馬県のあたりが古墳時代にはヤマト政権のもとでどのような位置づけにあったのかについては興味があります。
群馬県も埼玉県も、特に群馬県には、結構大きい古墳がたくさんあるんですよね。それがどういう意味なのかは、私も深く考えたり調べたりしてこなかったので、まだまだこれからだなという感じです。

水晶の玉といえば、出雲も有名です。正倉院文書の中に、『出雲国計会帳』という、奈良の政府に提出された文書が残っていて、そこに、出雲から 「進上水精玉壹佰伍拾顆事」、つまり、水晶の玉を150個進上したことなどが記されています。天平5年(733年)ですので奈良時代のことです。
古墳はもう造られなくなり、勾玉の副葬品がいらなくなった時代にも、出雲では水晶の玉が作られ続けていたのです。

私はまだ出雲の玉造温泉にも行ったことがなく、その周辺の玉造り遺跡にも行ったことがないので、早めに行っておきたいと思っています。

ほるたま考古学セミナーからの記事は以上でおしまいとします。

では、今日はこのへんで。よいゴールデンウィークを。私は今日は昼間外出、夜はこれから大学のレポート書きかな、というところです。
できれば、ここにアップが遅れているいくつかの記事をゴールデンウィーク中に書き上げたいです。

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