日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

ご当地萌えキャラクター・小峰シロは白河小峰城の石垣崩壊で生まれたのでした。

2016-04-30 18:27:52 | 日記
実家・白河市に帰ると、何やらこのかわいらしい女の子の絵(萌えキャラクター)を見かけることがあり、白河にしては浮かれてる感じがするけど、うまくPRできているのかなと思っていました。

(こちらのページから引用させていただきました。http://www.akita-ohmachi.com/archives/2273)

この女の子は「小峰シロ」という名前で、前回も紹介した白河のお城・小峰城から名前を取っています。震災と関係あるとは今日まで知らなかったのですが、白河のPRと、東日本大震災で被災した各地の復興応援が目的の白河観光物産協会の公認キャラクターだとのことです。

「ピクシブ百科事典」によると、

「小峰シロとは、東日本大震災で少なからず被害を受けた福島県白河市で、当地に伝わる白河小峰城の「おとめ桜」の伝承を元に、風評被害からの汚名返上(活力を食らう「もののけ」退治)と、白河市の観光PRを使命に誕生した変身ヒロインである。」
http://dic.pixiv.net/a/%E5%B0%8F%E5%B3%B0%E3%82%B7%E3%83%AD

だそうです。震災と関係があったとは。そうだったならば、私ももうちょっとPRしてあげたのに・・・?
元白河市民の私はこの程度の理解なのですが、現市民の皆さんにとって小峰シロは、どのくらいの存在感なのでしょうか?

2012年のMoe1グランプリ観光部門優勝、お土産部門準優勝、だそうです。
かわいいのは確かですね。ただ、うちの学校の男子生徒が持っているカバンに描いてあるキャラクターとも似ていて、こういうたぐいの絵は私はあまり区別がつきません??

また、Wikipediaによると、

「小峰シロはご当地萌えキャラクター初の“変身ヒロイン”であり、“その土地の活気の力”を得て変身するという特徴を持つ。“その土地の活気の力”とはどこの土地(日本各地、海外など)でも変身が可能であるという広い意味を持つ。 変身後の姿として現時点では、白河小峰城の「桜花」、南湖公園の「鏡花」、白河の関の「葉花」の3種類が存在している(小説版を除く)。 白河に伝わる伝説を元にしつつ、徐々に現実とリンクしていく緻密な構成の昔話風動画『おとめ桜の伝説』は、小峰城の復旧とともに進行していく。」

この動画は私はまだ見ていませんが・・・公式ホームページの中にあります。
http://komine-shiro.com/

お城を造る時に、石垣が何度積んでも崩れるので、「おとめ」という娘が人柱になったという悲しい伝説があるのは昔から知っています。

小峰シロが変身した姿という「桜花」、「鏡花」、「葉花」ともみんなかわいいキャラクターです。

この小峰シロが、同じお城の復興ということで熊本城のためにも活躍してくれるといいな、と、思いました。

写真は、昨年末に実家に帰った時のもの。
お城の裏側を通ってみたら、崩壊した石垣の石が置かれていて、一つ一つに数字がふってありました。




私はこのお城の裏側の道を通ったことはほとんどなかったのです。結構間近にお城(三重櫓)が見えるのだなと、新鮮な驚きでした。

しかし、「小峰城」という名前は、いい名前・粋な名前だなと、改めて思いました。ただの「白河城」ではなくて、よかったと思います。
ちなみに、Wikipediaからの安易な引用で恐縮ですが、「小峰城」という名は、
「白河小峰城は南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。」
とのことです。670年以上前からそう呼ばれていたんですね。

熊本城の石垣崩壊のニュースとともに、白河小峰城の石垣崩壊にも再び注目が集まっているように思います。このブログへのアクセス状況を見ているとそんな感じがします。熊本城の支援ももちろんのこと、白河小峰城への支援もまだまだ必要と思いますので、よろしくお願いいたします。
真面目な目的で生まれた萌えキャラクター「小峰シロ」も、よろしくお願いいたします。

地震で傷ついた熊本城 応援します。

2016-04-17 21:48:34 | 日記
熊本の地震、大変な状況が連日報道されていますが、被災された方々の生活が早く平穏に戻れるようにと祈るばかりです。もう、日本という国は、どこで大地震が起きてもおかしくない、という覚悟で生きなければならないと思います。

その中で、熊本城の石垣などが崩壊したというニュースは衝撃的でした。シャチホコも落ちたというその映像は、痛々しいものです。

同時に、実家の福島県・白河市の小峰城(日本百名城の一つ・国史跡)も、5年前の東日本大震災で石垣が崩壊したこととイメージが重なりました。
あの時は、崩壊した部分以外も全体的に石垣がゆるんでしまって、もう元に戻らないのではないかと絶望的な気持ちになり、大ショックでした。形あるものはいつか滅びる運命なのかと・・・やや諦めの気持ちさえありました。

その後、なかなか復旧が進んでいるように見えなかったのですが、やっと、4年後の昨年、かなりの部分が復旧して、再び見学可能な状態に戻りました。

このブログでも、何度か白河・小峰城を話題としてきました。

震災で石垣が崩壊 白河小峰城の今 」(2015-01-18)


東日本大震災の被害から復活 白河・『小峰城復興式』開催(4月19日)のお知らせ が届きました」 (2015-04-04)


福島観光においでくださって感謝!」(2015-08-27)


石垣の積み方も、被害を受ける以前とほとんど遜色ない程度にうまく復旧されて、その復旧技術の高さにも感動しましたし、震災で傷ついた福島を思って、白河とお城を訪れてくれる観光客も以前に増して増えている様子に心を打たれました。

私は、「ふるさと納税」で白河市に寄付し、小峰城復興の目的でお金を使ってもらうことにしていました。
同じように、今回の熊本の震災においても、熊本城復興のために、ふるさと納税をしたいと考えています。
まずその地に暮らす人々の生活の支援が大切で、そちらにも財政的・物質的・人的な支援が届くことを願っていますが、自分の持ち場である歴史の教員としての立場からは、被害を受けた文化財の復旧に対する支援を特に心に掛けたいと思います。

今回の地震の後、熊本のアンテナショップが盛況とのことですが、その気持ちはわかります。
私も、スーパーで熊本・九州の産品に目が行きます。
今日は、売っていたアスパラガスがなんとJA阿蘇のものであることに気付き、買って食しました。
阿蘇も大変な状況になっていて、今後いつ阿蘇の農産物が東京まで届いて私達の食卓にのぼるかわからないなあと思いながら、おいしくアスパラガスをいただきました。


余談ですが、以前は、東京で売っているアスパラガスというと、福島県の会津のものをよく見かけたのですが、原発事故の風評被害の影響なのか、見かけなくなったような気がしていました。メキシコ産などが最近多いように思います。会津は原発からかなり遠いですし、会津の農産物も、偏見なく受け入れていただく日が来るようにと願っています。

熊本城に話を戻すと、修復に20年かかるかも、という予測も出ているようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160417-00000069-jij-soci

白河とは全然規模の違う大きなお城ですから、かなりの年月はかかるだろうと思います。しかし、白河のお城の復旧経過を見てきた者として言えることは、昨今の技術によって、かなり元のように復元が可能ですから、希望を失わず、元気を出して、お城の復興成る日を待ちましょう。ということです。
全国からたくさんの支援の寄付が集まるはずです。
私は、白河市からふるさと納税のお礼をいただいてしまいましたが、ふるさと納税をして、お礼は辞退するということもできるようですから、そうするのもいいですね。

お城は、それぞれの地域のシンボルでもあります。シンボルであるお城が被害を受けたということは、市民にとって心の痛手になり、その姿を見るたびに、つらい思いがよぎるとは思いますが、いつか、見事に復旧するのであり、その時まで、希望を持って、前に進んでいきましょう。応援します。
私も、熊本城へはまだ行ったことがないのですが、いつか必ず、訪れたいと思っています。

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「古墳時代の玉作りと神まつり」シンポジウム(2015.11.15)

2016-04-10 00:15:27 | 古墳時代
半年近く前のイベントの話題で恐縮です。昨年は卒論のために突っ走って来たために、それ以外のことを整理できないでいました。週1回でも過去を整理して、関係資料も片付けたいと思っています。

昨年か一昨年、古墳時代の玉作りについて、関係する14県が共同研究するというニュースを目にして、ちょうど私も玉について興味を持って勉強していたところだったので、あらー、そういう組織で研究してくれるなら、私がやろうとしていることも結論が出てしまうかもな・・・と危惧?していました。

そうしていたところ、その研究を行っていた古代歴史文化協議会と、読売新聞社が主催して、昨年11月15日に「古墳時代の玉作りと神まつり」と題した、第1回 古代歴史文化協議会講演会が開催されました。
応募したら当たったので、行って参りました(於:よみうり大手町ホール)。

14県とは、埼玉県、石川県、福井県、三重県、兵庫県、奈良県、和歌山県、 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、福岡県、佐賀県、宮崎県だそうで、当日は、これらの県の観光案内パンフレットなどを各県の担当者が配布しているブースがありました。

玉作りといえば、上記の14県の中では、島根、奈良、埼玉の状況は私も少し勉強していました。一方で、「古墳時代」に限定しているからなのか、それにしても、ヒスイがとれる新潟県や富山県などがここに入っていないのは、どうなんだろうなあ、とちょっと思いました。新潟のヒスイ加工は、古墳時代よりずっと前の縄文時代の頃が中心であったからかもしれませんが、新潟県(広く言えば北陸地方)も入っていたらよかったのにな、と思いました。

さて、この講演会の趣旨について、奈良県のホームページから引用します。
http://www.pref.nara.jp/item/146924.htm

古代歴史文化協議会は、古代歴史文化の調査・研究・啓発に関心のある14県が参加し、共同して調査研究することにより、個々の地域的な研究だけでは見えにくかった日本の大きな古代史の流れを解明することを目的に活動しています。
現在は「古墳時代の玉類」をテーマに、各県が共同して調査研究を進めておりますが、今回、みなさまに古墳時代の「玉」を通して日本の古代史への興味を深めていただけるよう、下記のとおり講演会を開催いたします。
古墳時代の人々にとって貴重であった「玉」はどのようにつくられたのか、古墳時代のまつりの場で「玉」はどのように使われたのか、また「玉」をめぐる古墳時代の地域間の交流はいかなるものであったのかなど、幾世紀もの長い年月を経ても今も輝きを放つ「玉」の魅力を題材に、この研究分野の第一人者による基調講演と、共同調査研究の各県担当者によるパネルディスカッションを行います。


私自身は、朝鮮半島を含めたヒスイ勾玉の動きや、卒論にも取り上げた子持勾玉について興味を持って勉強していました。自分の興味と突き合わせて、今後も参考にし、追究する手がかりともなりそうな、印象に残ったポイントだけを挙げておきたいと思います。
時間が経ってしまったので、記憶が薄れてしまって、ポイントもボケていると思いますが、メモが紛れてどこかにいってしまうよりましかと思い・・・

<パネルディスカッションより>
○4世紀後半に出雲の花仙山で玉作りが盛んになる。しかし、花仙山周辺では玉は副葬されていない。大和に貢納して再分配されているのではないか。
○5世紀後半、出雲の工人が大和に出張していたのではないか。
○6世紀の玉作りについて
 6世紀前半は奈良県曽我遺跡(継体期)。
 6世紀後半(欽明朝)に曽我遺跡がなくなる。
 その後は出雲の花仙山に移り、王権の玉作りは、出雲が一手に引き受けることになる。
○弥生からの玉作りには、いくつか画期がある。政治経済と連動している。
○まだ研究は始まって1年目。科学的成果を出したのは初めて?あと2年。

パネルディスカッションは、埼玉、石川、奈良、鳥取、島根の代表者が出ていました。これだけいると、それぞれに割り当てると時間不足でしたね。

パンフレットにも興味深い情報はありましたが省略します。

私が読む論文ではよくお名前をお見かけする椙山林継氏(國學院大學名誉教授)をナマで拝顔でき、お話を聴けたのも、収穫でした。

私が興味を持つ子持勾玉についても、少し触れられましたが、当然ですが中心の話題ではありませんでした。
子持勾玉についていえば、その材料の科学分析をして、どこの石を使って作られたのかを調べられるものならば調べてほしいと思っています。個人ではできませんので。
産地は限られているのか、出土地の近くなのか、そうではないのか、など、知りたいです。

客観的に知らない人が読んで、書いてあることが理解できるものか、疑問ではありますが、このくらいにして、今日は終わりたいと思います。
研究による解明への前進は、一歩、一歩、ですね。たゆまず進まなければならないなと、自戒を込めて。

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「現地主義」により遺跡調査10数ヵ所・・・奈良大通信教育・卒論執筆経過

2016-04-02 20:56:59 | 大学通信 卒論関係
東京は桜が満開で、目黒川に近い中目黒駅に停車した時、駅のホームはいつもよりざわめきが大きく聞こえました。お花見の人でいっぱいだったようです。20年くらい前から、目黒川の川沿いを歩いてお花見をしていましたが、近年、このあたりはお花見スポットとして有名になり、かえって最近は足が遠のいています。20年も経てば桜も育って、新たな?花見の名所として成熟してきたのでしょう。

奈良大学を卒業しましたので、学割が使えなくなりました。3月の最後に、東京都美術館のボッティチェリ展に行って(平日)、学割の恩恵にあずかってきました。多くの作品が展示されていて、見応えがありました。額縁もとても立派でした・・・。日本でいうと、応仁の乱とか、北陸の一向一揆の頃の作品です。明日が最終日ですが、ものすごい混雑になるでしょうね。
上野公園の桜も見られました。外国人客が多かったです。自撮り棒を持って撮影している人々があちこちにいました。

この2年間、学割活用として、博物館へは、若干多めに行った程度でしたが、その中で、キャンパスメンバーズになっている奈良国立博物館は、3回入館するとプレゼントがもらえるということで、在学中、地道に3回訪れて(正倉院展など)、「古墳ふせん」と仏像シールのシートをいただきました。
古墳ふせんは、奈良大の売店でも売っていました。前方後円墳の形をしていて、かわいいです。最近、前方後円墳型のケーキとか、クッションとかといったユニークな商品が出てきていますね。あの形、面白いのに、意外と商用目的として着目されることがなかったのですね。

さて、卒論執筆の経過を、簡単に紹介します。いつ頃何をしていたか、参考になれば。
卒論のテーマである子持勾玉出土地を調査した日も入れておきます。一応、すべて子持勾玉が出土している遺跡・神社です。

2015年
1/31  足立区伊興遺跡(東京)
2/28  多摩市小野神社(武蔵国一宮)(東京)
3/12   卒論予備調査票提出(これは次年度からなくなったそうで)
3/15  白河市建鉾山・都々古別神社(陸奥国一宮)+講演会(福島)
3/21  桜井市山の辺の道・三輪山付近サイクリング、大神神社(大和国一宮)二上山に沈む彼岸の夕日、桜井市埋蔵文化財センター展示「魅惑の玉」見学(奈良日帰り) 
3/29  いわき市勿来・國魂神社・馬場遺跡(福島)
4/9   卒論計画書提出
4/29  金鑚神社(武蔵国二宮)(埼玉)
5/22  卒論計画書 返却 合格
5/24  鹿島神宮(常陸国一宮)(茨城)
5/30  白河市千田遺跡・栃本遺跡(福島)
6/15   奈良大図書館に貸出依頼 計4冊
6/16  図書到着 早い。着払い1080円  返却は7/6まで
7/5  いわき市広畑遺跡(福島)
7/25~26大玉村供養壇遺跡(福島)
8/15  滑津遺跡(福島)
8/16  郡山市正直A遺跡・大安場古墳(福島)
8/22  白河市三森遺跡(福島)
    この頃には少しずつ原稿を書き始めていた。
9/12~13 南相馬市真野古墳群、鹿島御子神社(延喜式内社)、南相馬市博物館(福島)
9月の5連休はほぼ終日卒論執筆
10/3  草稿完成
10/5  草稿発送 書留速達1410円
11/13  草稿返却
11/28  西会津町芝草原遺跡(福島)
12/12  白河市横山遺跡(福島)
12/   質問票送付 すぐ回答来る

2016年
1/1~1/3 最終整理
1/5  印刷完了
1/6  製本、発送 簡易書留で送付
1/14 卒論受領書届く
2/6  卒論返却、合格

上記にさりげなく入れましたが、子持勾玉は、一宮や延喜式内社などの古社から出ている例が結構あります。大神神社のある大和をはじめ、陸奥、常陸、武蔵・・・と。
一応ここに挙げただけでも遺跡17ヵ所くらい。我ながらよく見て回ったものです。福島県内のもの(子持勾玉出土地)は全部。全部見るかどうか迷ったのですが、卒論の指導教授のT先生の、「全部見るつもりで」というお言葉に背中を押されて、全部見ることになりました。やはり、現地でじかに見る、という姿勢は、とても大切ですし、有益です。現地に立つことで、新たに発見・気付きがあり、雷に打たれたようになったこともありました。それについてはまたの機会に。
奈良大の、現地・現物主義は、文献史学をやってきた私には新鮮で、今後の勉強のあり方を考えさせられるものでした。


福島県白河市の建鉾山祭祀遺跡の看板です。この山の周辺で、古墳時代の遺物が大量に発見されています。看板に見える写真のように、建鉾山は三輪山のように円錐形をしており、陸奥国一宮の都々古別(つつこわけ)神社の奥宮になっています。三輪山における大神神社のような位置づけといえます。そして、この麓の三森遺跡から子持勾玉が出土しています。そして、西の方には、奈良の二上山と似た山が・・・?
今日は、これ以上書く気力がないので、やめておきます。
このブログでのハンドルネーム・ツツコワケは、この神社にまつわる不思議の解明を忘れないようにいつも心にとどめておくためにつけています。


子持勾玉出土地の近くには、このような、うっそうと草の生い茂る、雰囲気のある川が流れていることが多かったのです。
これは、福島県大玉村・供養壇遺跡近くの杉田川です。

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