日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

東大寺にイノシシ出現! 考古学特殊講義スクーリングその1 

2015-07-26 10:05:10 | 大学通信 スクーリング
7月18~20日、奈良大通信教育部のスクーリングで考古学特殊講義を受講してきました。
その速報です。
何しろ近畿地方は暑かった。今回は、三日間とも学外授業だったので、体力勝負でした。夏の考古学特殊講義は、とにかく過酷の一言です。これを乗り切って、暑さに立ち向かう気力と体力がついて、暑さに強くなったような気もします。

そんなわけで、この勢いで卒論のための遺跡調査に行くぞ!と、今日は東北新幹線に乗って現地に向かう車中でこれを書いています。

さて、スクーリング初日は、午前中が大学で講義、午後から唐招提寺と西大寺を見学しました。昼食は大学で食べることができ、昼食後にバス3台に約120名の受講生が分乗して出発。文化財学講読2という授業もバスで出かけましたが、その時も3台でした。多いですね。でも皆さん集合時間などには遅れないできちんとしていらっしゃいます。これが高校生だったらそうはいきません(笑)。

考古学特殊講義という名称からは、見学するにしても古墳とか貝塚とかを対象とするイメージがありますが、この授業では、そうではなくて、飛鳥・奈良時代のお寺が多かったです。昔は、別の著名な先生が担当していらっしゃったようで、その頃からの伝統のコースということなのでしょうか?奈良時代あたりのお寺を考古学的な視点で見ることも、勉強になるかなと期待はしていました。

前日の17日は、近畿地方はとめどない大雨でしたが、唐招提寺に着いた時には太陽がさんさんと降りそそぐよいお天気(よすぎる)に。
唐招提寺に来るのは2回目か3回目か?教科書などでもおなじみの金堂とまず再会しました。

南大門を入ったところで、先生は延々と30~40分くらい解説をされたと思います。とにかくポイントポイントでの解説が長い=詳しい、ということだと思いますが、受講生は日陰を選んでお話を聞きますが、先生は日向でも太陽をまともに浴びながら平気で延々と講義されているので、なんてタフなんだろうと舌を巻きます。

暑いし、ずっと立っていると疲れて集中できず、また、私も一応日本史の教員で、古代史が専門でしたので、一般的に知っている話も多く(受講者の方々でも詳しい方はたくさんいらっしゃると思います)、あんまり聞いていませんでした。メモも結局あまりとりませんでした。暑いというのが一番の理由です。

細かい内容は後日にするとして、今回は、もしかして、今後この授業を受講する方が、いらっしゃる場合の参考になればという点を中心に紹介したいと思います。(今自宅にいないもので、資料もないので書けないというのもあります)

唐招提寺は、自分で訪れたことがあるのですが、やはり、こうして先生のご案内があると、自分では見ないようなポイントを教えてくださるので、有意義です。

たとえば、唐招提寺境内で、戒壇のある場所など、普通の観光客は行かないでしょう。向かって左手の奥の方に進んでいくとあります。不思議なドームがついています。異国情緒が感じられます。
また、鑑真さんのお墓とされる場所もぐるっと一回りしました。そこへ至る道の横にいい感じで苔が生えていました。静かで、とても趣のある場所でした。




・・・とにかく、よく熱中症だとかそこまでいかなくても具合が悪くてリタイア、という人が出なかったものだというハードな日程でした。春や秋ならともかく・・・私より何十歳も上の方々がみんな脱落しないでついてきているのだから、私が脱落してどうする?みたいな気持ちでした。

唐招提寺の後に西大寺に移動しましたが、そこでも夕刻とはいえ容赦なく太陽が照りつけました。オプションで、奥の院にある叡尊さん(西大寺を鎌倉時代に盛り上げた人)のお墓に行きますが、帰りたい人は帰ってもいいことになっていました。少数の人が帰りましたが、ほとんどの人は行きました。

しかしこれがまた意外に遠いんですね。西大寺の境内を一度出て、延々と灼熱の太陽の下歩き続けます。奥の院というけどすぐ近くかと思ったら、5分くらい歩いたのでは?一応私はペットボトルや濡れタオルなど持っていましたが、暑くて暑くて、まだ着かないのか?と不安になり、途中で帰ろうかな、という気持ちにもなりました。皆さんよくついていったと思います。私はメンタルが弱いのかもしれません。

ソフトボール部の顧問をやっていた3~7年前は、暑さと戦う気持ちがあって、負けていなかったのですが、すっかり弱くなってしまいました。
受講者の大半の人々は、知的好奇心がとても強いので、暑さも吹っ飛ばしていたのかもしれません。


そのようにしてたどりついた叡尊さんのお墓は、とても造形が美しく、立派な墓所でした。
叡尊さんの名前も心に刻み込まれました。
でも意外とお墓まで遠いので、暑さ対策の装備ができていない人は、素直に帰ったほうがいいかも。水分補給ができるようにして、日よけをしていれば大丈夫でしょうが・・・途中の自販機で飲み物を買っている人もいました。私は途中で飲み尽して帰りに1本買いました。

今回は大和郡山の宿をとりましたので、まずチェックインして、荷物を置いてから、大和郡山の探索に向かいました。とあるお菓子屋さんに行ってみたかったのです。こまごまとした話はまたの機会に。

翌日は、興福寺と東大寺を巡るということで、奈良公園近くに各自で集合しました。バスには乗りません。10時集合ですからゆっくりです。この集合場所でも先生は1時間近くお話をされました。皆さん日陰を探してちょっとずつ移動したりしてしのぎました(笑)。

いきなりお昼に飛びますが、お弁当を持ってくるようにと大学の事務局からの連絡にはありましたが、先生が、休憩時間を長めにとってくださって、解散場所は奈良公園の一角なので、どこかのお店に入って食べることも可能でした。お弁当を持ってこなくてもどうにかなるでしょう。国立博物館の地下にも気軽なカフェスペースがあっていいかもしれません。

午前中で興福寺を回り、午後から東大寺でした。興福寺も、考古学的視点からなので、建物の礎石の跡などを見ますが、阿修羅のいる国宝館には入りません。お昼休みに見てきた人もいました。国立博物館も見ようと思えば見られたのでしょうが・・・私はとにかく体力を温存したいので、見ませんでした。

東大寺は、3連休の中日ということで、すごい人出でした。興福寺はパラパラでした。一般の観光客は、奈良の大仏とシカさんだけが目当てで奈良に来るのかもしれません。本当に南大門付近から大仏殿の中あたりは、人の波がすごかったです。


そういうわけで、先生の解説も、南大門のすぐそばでというわけにもいかず、ちょっと離れた場所で、また先生は太陽をめいっぱい浴びながら、延々とお話をされ、私たちは木陰などで思い思いの格好で、聴かせていただきました。奈良大の学外授業は、FMラジオを各自が持ってきて、ある周波数にチューニングして、先生の声を遠くからでも聴けるようにして受講します。

東大寺は、何度も来ていますが、新たに知ったのは、七重塔の存在です。それがあった場所にみんなで立ち、先生の説明を聴きました。興福寺の五重塔の高さの2倍あったとのことです。五重塔を見たときに、先生がこの高さを覚えておいてくださいとおっしゃっていて、七重塔の所に来て、「覚えておいてくださいと言ったのはそういうことです」と。
相当な高さです。これは一つ勉強になりました。

大仏さまは見ましたが、不空羂索観音をはじめとする国宝のおわします法華堂の中は、入りませんでした。戒壇院の中もです。美術品の鑑賞の授業ではないので仕方ないですかね。

二月堂を過ぎて、戒壇院のあたりに来るころにはバテバテで、早く終わらないかなと終日時計を何度も見て確認していました(笑)。

戒壇堂の近くの広々としたスペースで、なんと、イノシシに遭遇しました。写真は、イノシシとシカさんが並んでいるところです。花札の猪鹿蝶の世界??

よく見ると近くにイノシシの絵の掲示があったので(写真は割愛)、この辺ではよく出没するのでしょう。ネットで調べると、戒壇堂の近くに出るという記事が散見されました。
東大寺の敷地も広大ですからねえ。猪突猛進の恐いイメージのあるイノシシも、ここでは、穏やかに、シカさんと変わらないくらいに、おっとりとして歩いていました。環境が人(動物)を作るのか?

戒壇堂の前まで来て、すでに時計は16時半を大幅に過ぎていて、この後転害門(てがいもん)はオプションとします、ということで解散になりました。これも多くの人が行ったようですが、私は限界と思って帰りました。その日はちょっとお土産を買ったくらいで、ほとんど寄り道せずホテルに戻りました。1万8千歩も歩いた1日となってしまいました。

三日目は、橿原神宮駅前集合。この日は、飛鳥の遺跡等をバスで巡りました。奈良大通信教育部のパンフレットなどでも象徴的な、石舞台古墳見学の写真。受講生の中には、飛鳥が好きで、この授業さえ受ければもうあとはいいくらいなの、と言っている方にも出会いました。
私も律令時代の勉強を前の大学でやっていたし、飛鳥が大好きだったのですが、昨年あたりから、桜井・三輪山付近に移り気してしまいました・・・もちろん、飛鳥も好きには違いないのですが、文字のない時代を少しでも遡って、本当にあったことを解明したいと思うようになってきたもので。飛鳥時代は文字のある時代です。

この日も、お弁当持参ということでしたが、実際には、石舞台古墳で休憩をとり、この周辺にはいくつかのお食事処があるので、食べようと思えばそこで食べられます。ただ、みんながみんなお店をあてにすると危険です。団体さんとかちあうと大変かもしれません。お弁当を持ってきて、緑いっぱいの広大な空間で食べるのもとても気持ちいいです。アイスクリームなど売っているので、デザートとして食べて、お弁当は持参したほうが無難でしょうね。


石舞台も灼熱でした。私も耐えられるか不安になって、濡れタオル(冷感タオル)をキャップの上からたらすようにして側面を隠し、前で軽くしばってしのいだら、結構涼しく感じて、いい方法を発見した、と思いました。どんなタオルでもいいと思いますが。
真夏に長袖を着ていらっしゃる方もいて、それも涼しいのか私は試す気にはならないのですが、もしかしたらいいのかもしれませんね。マスクをしている方もいましたが、それは涼しいのかなあ?風邪を引いていたんでしょうか?
とにかく炎熱の中、石舞台は木陰がないので、先生の説明も心なしか短く・・・日陰といえば石舞台の中ですが、それも120名もいますから順番にぞろぞろと流れ作業のようにして入っていく感じで、ゆっくりは見られませんでした。

そういえば東大寺でも暑くて私は途中からジーパンをまくり上げて歩いていました。そうすることで少し涼しく感じました。もう、夏のこの授業ではなりふりかまわず涼しい格好をしたほうがいいですね。私も、二日目に部屋着として持ってきたジャージのような薄い生地の短めのズボンにしようかと迷いました。ジャージみたいなのもありでしょう。別にそんなに他人のファッションなど見ていませんから。
日傘は、奈良大通信によると禁止だそうですね。

コンビニでペットボトルを凍らせたものが売っていますが、二日目にあれを持っていたらよかったかも、と思いました。三日目は、バスでの移動も多いので、逆に氷が溶けないかもしれませんが、二日目は十分溶けます。ペットボトルでなくても、ロックアイスの袋を買って持って歩きたかったくらいの暑さでした。

本当に三日間、皆さん無事に歩き通して、その体力、気力、知的好奇心に敬服しました。何より先生のタフさには恐れ入りました。考古学者は体力的にもタフでなければいけないのでしょうね。また、補助でついてくださった奈良大の通学部の若い学生さんたち、終始、羊飼い・あるいは牧羊犬のように、私たち受講生を誘導・サポートしてくださったことにも感謝です。

一応、盛夏や厳寒の季節よりはましかと7月のこの時期を選んだのですが、それでも暑かったです。8月の開講はあとで調べたらなかったですね。来年以降、夏に参加される方は、無理せず、無事にスクーリングを終えてほしいものだと願い、ここに記してみました。授業の内容については次回以降に少しふれたいと思います。他の学外スクーリングも同様ですね。

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崇神天皇の宮・磯城瑞籬宮跡(2015春彼岸奈良弾丸ツアーA)

2015-07-13 01:56:09 | 旅行
昨日今日ととんでもない暑さになりましたが、ここではやっと3月のお彼岸の頃の出来事を紹介するところです。

ちなみに、今週末から奈良へスクーリングに参ります。京都に前泊することにしたら、たまたま祇園祭の山鉾巡行の日に当たったようなので、それも見たいと思っています。近畿地方の暑さに負けず、立ち向かっていかなければ。と気合いを入れながらも戦々恐々としています。

3月21日に奈良日帰り弾丸ツアーを決行し、二上山に沈む夕日の写真をこのブログでもご紹介しました。その時のことを写真と共にもう少しご紹介します。

その旅は、要はいわゆる「山の辺の道」に沿ったもので、駅から離れた場所も回りたいし、かといって、東京から日帰りだしゆっくり歩いて回る余裕はない、ということで、桜井駅のレンタサイクルを利用することにしました。私が旅先で、一人でレンタサイクルを使うのは2回目。20年以上前に、自転車で飛鳥の遺跡を見て回りました。

お彼岸の奈良地方は、本当にうららかで、自転車をこぎ出した時の気分は最高でした。



三輪山を左手に見ながら、まず海柘榴市(これで「つばいち」と読みます)を通過しました。大和川(初瀬川)のほとりにある、古代(7世紀頃)の「市」です。男女が集って「歌垣」なども催された場所です。



その近くに、「仏教伝来の地」の碑があります。





欽明天皇の時代、百済の使者がここから上陸して、仏教の経典などを携えて、天皇のいる磯城嶋金刺宮に向かったとのことです。
桜の季節にはもっと美しい場所かもしれません。

そこからさらに、崇神天皇の宮があったとされる場所、今では志貴御縣坐神社(しきのみあがたにますじんじゃ)のある場所に向かいました。坂道が結構きつかったです。
山の辺の道を歩く人もちらほら見かけました。大人数ではありません。



崇神天皇の、磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)の跡とされるその神社付近は、高台にあります。山の中腹といったらいいのか。





自転車を停めて、鳥居から入って行くと、神社の境内には、誰も人はなく、がらんとした空間が広がっていました。山の辺の道を歩く人達も、この神社にはあまり興味はないらしく、ただ通過していきます。

実在した最も古い天皇と考えられている崇神天皇の宮の跡ということですが、それほど広くはありません。もし本当にそうだとしたら・・・と、静寂の中で一人、崇神天皇に思いをはせました。
この地のもう少し下の方に、天理教会があって、そのあたりが宮であったという話もあります。

そもそもこの旅は、春分の日に、大和朝廷発祥の磯城瑞籬宮跡から二上山に沈む夕日が見られるということを確認したかったがためのものでした。
前回の記事で同じようなことを書いているのでそちらを参照してください。
見晴らしがあまりよくないので、結局そこから日没を見ることはやめたのですが。
古代の昔はもっと見晴らしがよかったのでしょうか。

いずれにせよ、崇拝天皇の磯城瑞籬宮跡とされる場所は、今ではあまり人が訪れることのない場所として、ひっそりと静まりかえっていました。

今日はこのへんで。