日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

唐古・鍵遺跡 絵画土器の楼閣はお神輿の原点?(学外授業から)

2014-10-26 23:29:10 | 大学通信 スクーリング
夏休みの話題から一つ。早くしないと冬になってしまいます。
夏休み中の大学通信教育部のスクーリングにて、学外授業の日がありました。
私が個人的にも行きたいという思いが募っていた、唐古・鍵遺跡、箸墓古墳、纏向遺跡に、バスをチャーターして、連れて行ってくれるというのです。なんとタイムリーな!と本当にうれしく、楽しみにしていました。
特に、唐古・鍵遺跡は、少し交通の便が悪いので、自分だけでは行きにくいなと思っていたので、渡りに船でした。

唐古・鍵遺跡は、教科書的には、弥生時代の環濠集落に分類されます。教科書の本文に出てくるほどの扱いではありません。楼閣の絵が描かれた土器が発見されたことから、卑弥呼の邪馬台国では?という説もありました。1990年代頃でしょうか、佐賀県の吉野ケ里遺跡(同じく環濠集落で物見やぐらがある)こそ邪馬台国、と話題になり、唐古・鍵遺跡はその陰に隠れたまま、私も教員になり、唐古・鍵遺跡については授業では触れますが、格別意識に留めていませんせした。

しかし、昨年来、多くの本を読み進めていく間に、唐古・鍵遺跡の重要性について、個人的に認識が高まってきました。
ここ数年、纏向遺跡の一帯が邪馬台国で、箸墓古墳が卑弥呼の墓では?という説が話題になっています。私の興味がどこにあるかということについては、唐古・鍵遺跡は、纏向遺跡よりも先に成立していた弥生の集落です、ということだけここでは書いておきましょう。

唐古・鍵遺跡は、奈良県磯城郡田原本町にあります。近鉄橿原線石見駅下車徒歩20分(約1.5km)とのことですから、ちょっと行きにくい所です。しかも、他の遺跡・観光地とはちょっと離れていますから、奈良に短期間しか滞在しない場合にはオミットされやすいでしょう。

唐古・鍵遺跡は、風変わりな名前ですが、田原本町の唐古と鍵と呼ばれる地域にまたがっているのでそう呼ばれます。
スクーリングの学外授業の日は、あいにく雨でした。レジュメが雨でふやけてしまったのが残念ですが、その中から少し拾いながら紹介します。

遺物量・種類の豊富さは日本でも一、二であり、まだ1割も発掘されていないそうです。
ここでは、銅鐸などの青銅器生産も行われていて、奈良では唐古・鍵遺跡だけだとのことです。
愛知県や岡山県などの土器も持ちこまれていて、当時の物流センターの役割も担っていたようです。
絵画土器が大量に出土しており、先ほども書いたように、楼閣の絵の他、シカ、建物、舟、シャーマンなどの絵画が描かれています。
物流センターとしての拠点集落であるとともに、祭祀でも重要な役割を担った集落の可能性があります。ひすい勾玉の入った褐鉄鉱の容器も見つかっています。

バスを降りて、まず向かったのは、あの土器に描かれた楼閣を、実際に再現して造られた楼閣です。
『魏志』倭人伝には、邪馬台国には「楼観」があったと記されています。
唐古・鍵遺跡のシンボルのような建物です。というか、他には、ほとんど目ぼしいスポットは現地にはありません。



この楼閣、これまでにも存在は知っていましたが、なんか、嘘っぽいな、と思っていました。しかし、先生の説明を聞いて、なるほど、と新しく思う所があり、嘘っぽさは少し私の中で緩和されました。

この楼閣は、しゅるるんとひげのようなものが軒先に伸びています。土器に描いてある絵は確かにそうなのですが。本当にそんなのが付いていたんだろうか?と思ってしまいますが(そもそも材質は?)、授業でいただいたレジュメに、土器の楼閣の絵と並べて、お神輿の図が載っていました。そのお神輿をよく見ると、お神輿の屋根にもしゅるんと先が丸まった飾りが付いています。これは蕨手(わらびて)というそうです。確かにわらびみたいですね。



また、復元楼閣の手すり様の部分には、木でできた鳥がとまっています。これも、絵に描かれているから再現したそうです。土器をよく見るとS字型の鳥が描かれています。そして、お神輿にも、蕨手の先に、鳥がとまっています!
赤丸は私がつけました。

というわけで、唐古・鍵遺跡の楼閣と、お神輿とは、共通点があるのです。

土器の楼閣には、はしごも描かれています。
出雲大社の本殿を再現した模型や、鳥取県の稲吉角田遺跡で見つかった土器に書かれた高層神殿も、長いはしごが描かれています。

他にも、舟の絵とか、鳥取県その他の絵ととてもタッチが似ている絵画土器があって、まさか鳥取で描いた人とこの奈良で描いた人と同じ人が土器に描いたんじゃ・・・?と、見た瞬間、ドキドキしました(一応、しゃれです笑)。

唐古・鍵遺跡から少し車で移動すると、「唐古・鍵考古学ミュージアム」があり、ここも見学しました。田原本町の生涯学習センターの立派な建物の2階です。そこには、唐古・鍵遺跡から発掘された興味深い遺物が展示されています。

昨日今日と泊まりがけで出かけていたものですから、このあたりまで書いて、やっぱり疲れもあるので、唐古・鍵についてはもう1回書くことにします。それではまた。

明日香村で超小型モビリティのレンタル「MICHIMO」がスタート

2014-10-18 18:48:16 | 新聞記事等
夏休みの話題を早く書いてしまいたいのですが、先日、わくわくする記事を見つけたので、ここに紹介してから、先に進むことにします。

その前に・・・前回、大神神社の話題を書きましたが、今、たまたまこれから紹介する明日香村のHPを見ていたら、天皇皇后両陛下が11月に奈良にいらっしゃるそうで、その日程も細々と報道発表されていて、天皇・皇后さまもその奈良滞在の間に、大神神社に参拝されるようです。

天皇皇后さまもいらっしゃるとは、時代の風は桜井市に??とわけのわからないことを書いていますが・・・私はもともと、奈良の飛鳥が大好きだったのです。なぜ過去形なのか、いや、今も好きですが、ちょうど、前の学校から異動してから急に、飛鳥への思いが以前より冷めてしまったようで・・・逆に、大神神社や箸墓古墳などのある三輪山周辺、山の辺の道に俄然注目するようになったのです。

私は、恩師・青木和夫先生のもと、律令に基づく古代国家形成のはじまりはいつか?ということにこだわって卒論も書きました。近江令はなく、天武・持統天皇の飛鳥浄御原令が日本の律令・体系的法典のはじまりである、ということを当時ははっきりさせたかったのです。しかし、今ではそれもだいぶ決着がついたように思います。
今では、飛鳥時代よりももっと前の時代の「国家」というものの様相に興味を持っています。

それに、大神神社はパワースポットとしても最近じわじわと有名になりつつありますよね。

そういうわけで、飛鳥よりも今は三輪山周辺に熱視線、なのですが、飛鳥ももちろんたまには行きたい!レンタサイクルでのんびり亀石とかを見て回る、あののどかな感じは忘れがたい・・・

それが今回、レンタサイクルではないのですが、何やら面白そうな乗り物で飛鳥を走り回れるらしい!
それが以下の記事です。

奈良の明日香村で超小型モビリティのレンタル「MICHIMO」がスタート」
(2014/10/14 17:02 Car Watch)

2014年10月11日開始

明日香村地域振興公社は、10月11日から日産自動車の超小型モビリティとソフトバンクモバイル提供のナビアプリを組み合わせたレンタルサービス「MICHIMO」をスタートさせた。それに先駆け、前日の10日にオープニングセレモニーを開催。テープカットが行われた後、超小型モビリティの体験試乗会も開催した。

11日にスタートした「MICHIMO」は、飛鳥地方(奈良県高市郡明日香村、同郡高取町および橿原市)一帯にある史跡などの名所を巡るのに最適な移動手段として、日産の超小型モビリティ「ニュー・モビリティ・コンセプト」を提供するレンタカーサービス。利用料金は1日あたり8000円(税別。保険・充電料金含む)、貸し出し時間は9~18時。

※このサイトから写真を1枚お借りしました。こんな形の乗り物。



EV+ナビ用タブレット+充電インフラを提供

MICHIMOで採用されたニュー・モビリティ・コンセプトは2人乗りのEV(電気自動車)で、回生ブレーキシステムなどを備え、満充電時の航続距離は約100km。最高速度80km/hの性能をもつ。飛鳥地方は古墳や城跡など数多くの史跡、棚田などの観光名所が点在しており、従来からレンタサイクルを提供するなど観光者向けの活動を行ってきたが、今回のMICHIMOによりEVのレンタルサービスが追加されることになる。
(中略)
また、超小型モビリティに車載する専用ナビアプリをインストールしたiPadも、ソフトバンクモバイルが提供する。あらかじめ収録されている飛鳥地方の名所を簡単なタッチ操作で検索し、そのスポットまでのルートを地図表示で案内してくれる(カーナビのような音声案内はない)。また、スポットの詳しい情報をテキストや画像で表示したり、音声ガイドで教えてくれるほか、MICHIMOで許可されている走行可能な範囲を外れた場合に警告する機能も備える。
(中略)
飛鳥地方は、幹線道路以外の名所につながる道路がかなり狭く、通常の軽自動車同士ですらすれ違えない道幅の個所も多数ある。超小型モビリティであればそういった場面でも普通自動車とすれ違えるほどの余裕があるので、運転に自信がない人でも困ることは少ないだろう。窓がないのでアイコンタクトもしやすく、停まっていると現地の人が興味深そうに近づいてきて気さくに話しかけてくれるのも旅行者にとってはうれしいかもしれない。

「MICHIMO」サービスサイト
http://michimo.jp/

(以上 引用終わり)

かわいい乗り物ですね。いつかこれに乗って飛鳥を見て回りたいですねえ。

簡単ですが、今日は以上です。
この頃、ブログランキングに登録してみました。他の良質なブログにも出会う機会が増えるかなと思いまして。皆さんもランキングを覗いてみてください。
よろしくお願いします。

大神神社 おついたち参り(奈良県)

2014-10-13 17:37:25 | 古墳時代
8月は、のべ8日間旅に出ていました。時間は経ってしまいましたが、その間にあった出来事、写真などを、ここでもできるだけご紹介したいと思います。

まず、8月の1~3日に、大学通信教育のスクーリングがありました。私は出雲が好きですし、天津神・国津神という場合に、国津神の方に興味があって、出雲の神様は蛇神であり、諏訪大社もそうであり、この大神(おおみわ)神社もそうである・・・また、近年、卑弥呼の墓か?という期待?が高まっている、箸墓古墳も近くにある、ということで、このあたりに宿をとって、スクーリングに通ってみよう、と考えました。

そういうわけで、三輪駅の近くの宿をとり、朝少し早く出かけて近くを散歩など・・・ともくろんでいたのですが、全然そんな余裕はありませんでした。

ただ、奈良に来た初日は、ちょうど1日で、大神神社では毎月「おついたち参り」というものがあって、たくさんの人達が夜遅くまでお参りに来る日らしいとHPなどで知ったので、疲れていましたがそれには行ってみよう、と、スクーリングを終えて宿にチェックインしてから19時頃に神社へ向かいました。

大神神社は、いつも24時間お参りOKだそうです。
この日はおついたち参りの日だったので、いつもよりは夜の時間のお参りの人が多かったと思われます。車で乗りつけた家族連れなどが、暗闇迫る大神神社にちらほらとお参りに訪れていました。

実際はもっと暗かったのですが、写真では光の加減で少し明るめに写っています。ここが二の鳥居です。



参道には、ずーっと灯籠がつらなっていて、とても幻想的な雰囲気。涼しいし、歩いていて心地よい感じでした。






手水舎というのでしょうか、ここはさすがに蛇の神様らしいデザインでした。



大神神社の由緒はこの看板をご覧ください。
円錐形で美しい三輪山の麓にあり、大和国一ノ宮です。



拝殿はありますが、本殿はありません。御神体は三輪山そのものだからです。
山が御神体ということで、原始的な信仰の形を残しているといわれます。
高校日本史の教科書にも、大神神社は古墳時代の所に出てきます。
ここには珍しい三ツ鳥居があるのですが、それは見えませんでした。



驚いたのは、小さい子ども達も来ていたのですが、拝殿の前で、とてもうやうやしく頭を下げて、丁寧にお参りしていたということです。それがとても板に付いている感じがしたのです。
このあたりの人達は、大人も子どもも、本当にこの神様を大切にしているのだなあと感じられました。

そして、拝殿の前で、行進するようにして何度も行ったり来たりを繰り返しながらお参りしている人達が・・・お百度参りですね。若い女子二人組と、若い男性一人がやっておられました。とても真剣でした。

拝殿の横に、「巳の神杉」と呼ばれる杉の木があります。

「この杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。」(大神神社HPより)

とのことで、私も事前にいろいろな書籍類でこのお酒や卵をお供えしている光景を見ていたので、ここか・・・と思いながらそこにもごあいさつしました。大神神社は、全国の酒造業者の崇敬も厚いそうです。

暗闇の中で、お酒の匂いがむっと漂っていました。暗いけど写真も撮ろうかなと思ってカメラをさっと向けて撮ったのですが、どうしたわけか、何も写らず、PCなどで更新中の時にぐるぐる回るあれ、円環がぐるぐる回ったままで、画像が出なくなってしまいました。そこを撮った跡は1枚分残っているのですが、ぐるぐる回って更新中のままなのです。
神様の杉の木だから、撮ったのがいけなかったのかな(ゾゾゾ・・・)とか思いながら、後でその画像の部分は消去しました。

大神神社・三輪山については、『古事記』『日本書紀』『万葉集』にたくさん登場します。神武天皇が大和に来るより前から大物主はここにいたのです。
書きたいことはたくさんありますが、収拾がつかなくなるので控えます。ただ、大物主=オオクニヌシという説も見るのですが、本当はどうなのだろうか・・・というのが、私としては気になる大きな疑問です。大物主は、オオクニヌシ(大己貴神)の幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)であると『日本書紀』には出てきます。『古事記』では似た場面がありますが、幸魂・奇魂の言葉は出てきません。

宿のご主人によると、奈良は自殺者が全国で一番少ない、それは、大神神社もそうであるし奈良には神社仏閣が多いので、みんな神仏を大切にしている(信仰心がある)、天理教もある、だから悩みも少なく、心の健康が保たれ、自殺する人も少ないんだ、という趣旨のお話でした。

私もちょっと調べてみました。男性の自殺率については奈良県が最少というのを見ました。また、妊娠中絶率では全国で奈良は最低であるというデータを見ました。中絶のような、倫理にもとるような行為に至ることは奈良の人達はなかなかしないのですね。すばらしいと思います。
宿でも話題になりましたが、
「大坂の食い倒れ、京都の着倒れ、奈良の寝倒れ」
という言葉があり、奈良は歓楽街も少なくお店も早く閉まってしまうので夜は早くに明かりが消えて遊ぶ所がない、と、いささか奈良は皮肉られていますが、むしろ、その方が少年少女は健全に育つのでいいことじゃないか、と、東京で高校教員をしている私は思います。

本当に、三輪周辺はコンビニもなくて、東京から来ると不便で心細い気持ちにもなりますが、それもまた、たまにはよしです。
長くなりました。今日はこのくらいで止めます。

今年は女子大生やってます・・・

2014-10-05 23:42:14 | 大学通信 全般
そういえば、今年4月から、大学の通信教育の学部に3年生として編入したのをここでちゃんとお知らせしていなかったようですね。

去年から定時制高校に勤務するようになり、勉強するための時間がたくさんできたものですから、ここにいる間に猛勉強しよう!と思っていました。

私は大学では文献史学をやっていて、考古学には興味がありませんでした。しかし、以前にも書いたように、飛鳥時代より前の、古墳時代以前に興味がわいてきて、去年から多くの本を読んで来ました。そうしている間に、その時代を解明するためには、文献史学も、考古学も、神話伝承も、民俗学も(さらには国文学も)、総合して研究しなければいけないなあということが実感されてきたのです。

自分が勉強したい部分は、やはり、考古学的な「モノ」に関わる知見も必要で、しかし、今まで全然教わったこともないし、これから首を突っ込むのは、「今や遅し」かなとも思いました。
でも、現在籍を置いている大学の通信教育部ならば、

(1) スクーリングで何度も私の好きな奈良に行ける
(2) 考古学を(気軽に)勉強できる

という理由で、いいんじゃないか、と思ったのです。
考古学ができる通信教育の大学は少ないですし、あっても、東京だとあまり意味がないというか、それなら通信じゃなくて通学すればいいし、ということになります。

そういうわけで、3年次に編入して、2年間で卒業を目指すことにしました。
通信教育課程は、思っていたより大変です。レポートを書いて、合格したら、次は筆記試験を受けて合格しなければなりません。
4月からこれまでレポート8本・原稿用紙にして90枚近く書きました。試験も3回受けて来週4回目です。
今日も試験準備でひーこら勉強していました。どの科目の勉強も、直接間接に自分のためになっています。
なんだかんだ言って、それなりに勉強する時間が作れるのはありがたいです。

夏休みには、奈良に2回行くことができ、満足です。

というわけで、今年からいい齢をして「女子大生」やってます。学割もたまに使う機会があり、Amazon studentも利用しています。学生の身分をそれなりに利用したいと思っています。

一応、新たな母校の写真です。校舎が完成した時期からいって、バブリーな雰囲気が漂っています。





通信教育部の学生さんは、男性は定年退職後以上の年代の方がほとんど、女性は若い人から年配の方まで、結構ばらつきがあります。いずれにせよ、何歳になってからでも、やる気・熱意があれば勉強を始めるのは大丈夫ですよ、ということは言えると思います。

それでは、今日はこのへんで。
次回は、もう少しスクーリングの時の様子などをご紹介できればと思っています。

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