日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

夏休みの旅行から(諏訪大社)

2013-09-15 17:59:48 | 旅行
ちょっとごぶさたしました。まだ暑いですね。

夏休みの旅行(8月末)は、長野方面に行ってきました。諏訪湖、野辺山、清里周辺です。
歴史にまつわる話題を中心に少しだけここでとりあげます。

まず初日には、諏訪大社を訪れました。ここは、御柱(おんばしら)祭でも有名です。創建年代の古い神社にこのごろ興味があります。ここは、出雲のオオクニヌシの息子のタケミナカタが祭られています。『古事記』によると、オオクニヌシが国譲りを迫られた時、息子に聞いてくれといったところ、ヤヘコトシロヌシは無抵抗で承諾しましたが、もう一人の息子タケミナカタは、タケミカヅチと力くらべをすることになり、最終的にはタケミナカタは信濃国(長野県)の諏訪湖まで追い詰められて殺されそうになります。そこでタケミナカタは、この諏訪を離れては、どこへも行きません、と約束して、諏訪湖に鎮座することになったそうです。タケミカヅチは中臣氏つまりは藤原氏の氏神です。
この神社は、平安時代の『延喜式』神名帳(神社名簿)にも名前があり、創建は平安時代より古いことがわかります。

出雲大社に鎮座しているオオクニヌシの息子ということで、あの出雲大社の太いしめ縄とよく似たものが諏訪大社にもかかっています。出雲からこの長野県諏訪まで逃げてきたというのは、本当なんでしょうか?『日本書紀』や『古事記』には書いてありませんが、『先代旧事本紀』には、タケミナカタのお母さんはヌナカワヒメといって、越の国(越後付近)の生まれの人だと書いてあります。タケミナカタは、出雲から逃げて来る時に、お母さんの故郷の日本海側を通って、諏訪まで来たともいわれています。

諏訪大社は、諏訪湖をはさんで四か所に神社が分散しています。
茅野市寄りの上社 (かみしゃ) には、本宮 (ほんみや)と 前宮 (まえみや)があり、
下社 (しもしゃ)として 秋宮 (あきみや)と 春宮 (はるみや)が下諏訪にあります。全部回るのも大変なので、観光客は、行きやすい秋宮を見ることが多いようです。
私達は、下社の秋宮と春宮を見てきました。

出雲大社の神楽殿の大きなしめ縄と似たものが秋宮にも春宮にもかかっていましたが、大きさは出雲大社と比べたらだいぶ規模が違います。しかし、こういう特徴的なしめ縄の神社は、東日本ではめったにないでしょう。オオクニヌシの出雲大社とのつながりを感じさせられます。



御柱祭は、長野オリンピック(1998)の時のデモンストレーションが印象的でしたが、実際には、7年目ごと、寅年と申年に行われます。次回は2016年とのことです。4月上旬と5月上旬に開催されるそうです。
長野オリンピックで使われた御柱が、下諏訪駅前に建てられています。思っていたより小ぶりだなという印象。人々が柱の上に乗って勇壮に坂を下る映像を見ていたので、大きいのかなと思っていたのですが。
各神社にも御柱が建てられています。撮影してきました。神社に建てられている柱の方が大きいかなと思います。
写真は上が秋宮、下が春宮のものです。





周りに比べるものがないから大きさがわかりにくいでしょうか?

長野といえども暑くてへろへろでした。涼しい季節がいいようです。
秋宮から春宮までの途中に、甲州街道と中山道の分岐点がありました。



中山道には、皇女和宮が、公武合体で徳川家茂に嫁ぐために京都から江戸に向かう時に途中で宿泊した場所もありました。公開されていましたが余裕がなくスルー。

夜は、夏に毎晩やっているという諏訪湖の花火を鑑賞。8月15日の花火大会は、豪雨で中止になって大変だったようです。

とりあえず、今日は旅の初日の話題だけで終わります。続きはまた。