日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

科目修得試験と正倉院展(@奈良)

2015-10-25 23:05:33 | 旅行
大学通信教育の科目修得試験を、昨日奈良大学で受けて来ました。ついでに昨日は正倉院展も初日にあたり、見て来ました。日帰りです。朝6時に家を出て、22時半頃帰宅しました。

10月2回目の試験ですが、11月は土日に学校のイベントが多く、今月中にすっきりしたかったので東京でなく奈良で受けることにしたのです。今回は西洋史特殊講義、これでテキスト科目の受験は最後にするつもりです。試験の出来は、まあまあかな。たぶん前回と今回ともに合格だろうと計算させていただき、あとは卒論提出と、2月の二つのスクーリングで終わり・卒業です。

これで科目修得試験も終わりかと思うと、とてもすがすがしい気分です・・・とか終わった気になっていると、案外不合格になったりして。レポート再提出は経験しましたが、試験不合格は一度もありません。

お昼前に試験を終え、後から来るだんなと近鉄奈良で合流して、まず春日大社に行くことにしていました。
正倉院展は、2年前に初めて行きました。前回は11月の平日の昼間だったのですが、長蛇の列で入場まで30~40分かかって辟易しました。昼間より夕方の方が混雑は落ち着くと学習して、今回は、先に観光してから正倉院展に夕方頃行くことにしました。土日は19時までやっていますし、閉館1時間半前の入場はオータムレイトチケットといって、1100円→800円になるのでお得ですし、遅い時間の方が空いていていいようです。
私は奈良大学の学生なので、キャンパスメンバーズといってこういう企画展は400円で入れます。

そういうわけで、奈良に着いても正倉院展には直行せずに春日大社へ行ったのですが、この時期(観光シーズンの土日)は春日大社本殿行きのバスが本殿まで行ってくれず、「東大寺大仏殿・春日大社前」というバス停までしか行かないのでした。そのために、午前中も大学のキャンパスを歩いていたうえに、かなりの距離を歩くはめになり、昨日の歩数は、今のスマホの歩数計では過去最高の歩数を記録しました。2万2,500歩くらい。それでも意外と元気で、私も歩けるんだなと再確認しました。

道中シカさんにもたくさん会えて、シカせんべいをあげたり頭をなでたりしながら上までたどりつきました。とにかく外国人がたくさんで驚きます。外国の方々もシカさんとのコミュニケーションを楽しんでいました。
特別参拝といって500円を払えば奥の方まで入れたようなのですが、余計に歩くのも疲れるのでそこは行きませんでした。現在春日大社は式年造替中で入れる所がいつもと違うのか同じなのかよくわかりませんでした。



無料エリアから覗いた有料エリア おなじみの建物(中門)です。

結婚式もやっていました。残念ながら宝物館は工事中で入れませんでした。





だいぶ上の方まで上がってきていたシカさん。

そこから歩いて奈良国立博物館まで行きました。帰りは下りなので楽です。
東大寺は今回パスしましたが、その近くに、「夢風ひろば」という飲食系中心のお店が集まっているスペースがあって、気になっていたのですが、やっと今回立ち寄ることができました。
ちょっと暑いくらいでしたので、大仏プリンのソフトクリームを食べました。他にもおみやげ屋さんもあるし、おしゃれでおいしそうな料理・お菓子を出しているお店がいくつもあって、スクーリングの際の夕食などに使えないかなと考えたりもしたのですが、お店の閉店時間が奈良は全体的に早いんですよね。でも都合が合えば入ってみたいと思いました。

15時半過ぎ頃博物館に着いてみると、えー?建物の外に行列が?やっぱり初日だしこの時間でもまだ多いのかなあと思いましたが、周囲の出店などを覗いて少々時間つぶしをしたら、列はなくなっていました。いやーよかった。

中に入ってもほぼスムーズに観覧することができました。
今回の目玉は、ポスターチラシにも印刷されている、紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)で、パッと見て、なんか、ルイ・ビトンの柄に似ている・・・と私も思いましたし、ネット上でもそう思う人がたくさんいるようでした。やはりそうですよね。こげ茶色の具合もそっくりです。ビトンもこれを見たのかどうかわかりませんが、そうでなくても日本の家紋などからインスパイアされているとかなんとかというのをちらっと読みました。
いずれにせよ著作権などはとっくに切れていますから、デザインは使えると思いますが。

私はスポーツ用品のブランドはともかくファッションのブランドには全く興味がないので、ビトンのものなど持っていませんが、ビトンと間違えられるのを期待して、この琵琶の柄のコースターを買いました。職場で使おうかなと(笑)。

現物は、本当に美しい精巧な模様でありました。他のデザインの琵琶(螺鈿紫檀琵琶など)も有名で見たことはありますが、これは今回初めて存在を知りました。中国は確実ですが、それよりさらに西の方の国から来たのでしょうか。

今回は、この琵琶の他、楽器がいくつか出ていて、蛇紋岩という石でできた笛があり、それを吹いた音も再生されていました。私も今の学校でお祭りをやるのでこの3年ほど横笛を練習していますので笛には少し興味がありますが、硬い石でよく造ってあるなあ、しかもデザインも彫刻してあってすばらしい、と感心しました。

あとは琥碧魚形(こはくのうおがた)という、コハクで魚の形をつくり、腰にぶら下げる装身具も見に行く前から気になっていました。5cmもないくらいの大きさの魚形で、横から見るとつやつやとした光沢がとても美しくて、生き生きした魚そのもののようでした。それをつなぐ細かい鎖は、現代のものと遜色ないような、繊細なつくりでした。

古代のフェルトも、初めて見ることができました。あったかそうなカーペットみたいです。どの宝物にも何時代のものかという情報まで表示はされていないのですが、奈良時代だとすれば、千年以上前のものが、きちんと保存されて残っているんですからすばらしいですね。

七夕のお祭り(乞巧奠 きっこうでん きこうでん)に使った針や糸も展示されていました。糸(ひも?太いです)も色が鮮やかに残っていました。大学時代の同級生は乞巧奠をテーマに卒論を書いていたなと思い出しました。古代では七夕の時にお相撲もやっていたそうで、その人はプロレス好きなので格闘技つながりでこのテーマを選んだとか。彼女も今年の正倉院展を見に来るといいのですが。

古代の定規も、きっちり目盛が刻まれていて、模様も描かれていて、繊細さに感動します。

日本の天平時代、中国の唐の時代あたりのこれらの宝物は、デザインが繊細で凝っていて、本当に見事です。

だんなも前回の混雑に懲りたかと思ったのに、喜んで来たので、意外でした。まあ、奈良に来ればシカさんに会えるというのも期待の要素の一つだったのかもしれませんが。
人ごみがちょっと大変ですが、空いている時間や場所もあるにはありますので、気候のいい秋に、正倉院展を見に奈良を訪れるのはおすすめです。この時期宿も確保に苦労するだろうし、料金も高くなっていると思いますが、奈良以外に泊まればいいのかもしれません。

紅葉には少し早いですが、色づいている木もありましたし、平城京跡を電車で通過した時に、ススキの波が広がっていて、ああいいなあ、と心を動かされました。ただし、セイタカアワダチソウがススキと勢力争いをするようにとなり合って黄色く咲いていて、これはまずい、なんとか征伐してほしい、と思いました。鳥取県ではセイタカアワダチソウにかなり侵略されてしまっていました。奈良もそろそろやばいです。

今回入ったお店としては、近鉄奈良駅前の柿の葉すしのお店「たなか」のイートイン、そして私が好きなコーヒー店ROCOCOでした。

今年は、「奈良ファン倶楽部」というものに入会してみました。会費が3000円でいろいろな特典が受けられるものです。私もこれまでに拝観料やおみやげ購入などで利用していくらか恩恵を受けています。折々に観光情報誌も送られてきます。多彩な講座やツアー参加もできるようですが、今年はその余裕はないですね。
奈良が好きでよく訪れる人には入会おすすめです。

奈良は穏やかないい夕暮れでした。
卒論執筆その他夏の疲れもとれたようで、やっと例年のように秋を楽しめる元気が出てきたような気がします。試験も一区切りして、心が軽くなったということもあるんでしょうか。
昨夜は東京でも木枯らし1号が吹いたようですが、昼間は適温ですね。しばらく穏やかな気持ちで秋を味わいたいと思います。
ただ、それもあと1ヵ月ほどで卒論草稿が返却されてくるまでの間・執行猶予期間、という感じでしょうかね。

そして次の旅の計画を頭の中で練り始めています・・・来月、来年・・・旅の計画は楽しいものですね。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

土御門上皇(承久の乱)~科目修得試験で思ったこと

2015-10-12 22:47:26 | 鎌倉時代
今日は大学通信教育の科目修得試験を一つ受けて来ました。
ちょうど1週間前に卒論草稿を発送し終わって、さまざまな疲れがたまっているのか、体調もあまりよくなく、ただ運動不足は間違いないので、帰り道に余計に歩いて連日1万歩超えになるようにして、体調を整えたりすることに努めたりしていた1週間でした。
身を削るようにして(気持ちだけ?)執筆した卒論草稿でしたが、体重はあまり減っていません。おかしいなあ?まだぜい肉が邪魔なので、これでも食べる量が多いのかもしれません。

今日は、簡単に最近までの大学通信教育の状況を。
今年度は24単位修得で卒業の予定で、これまでに、スクーリングでは考古学特殊講義、地理情報システム、文化財学演習3の各2単位×3を修得しました。このうち、地理情報システムは卒業単位に含まれません。あとは2月に二つ受講予定です。

テキスト科目は、古文書学と民俗学の2科目を受験し合格、これで予定の8単位のうちの4単位を修得、今日は歴史文学論を受験しました。あとは西洋史特殊講義を受験して、もうテキスト科目はおしまいにしようかなと思っています。ですからテキスト科目は予定8単位ぎりぎりです。

テキスト科目はもう、去年と今年で12回も試験を受けました。ほとんど1科目ずつなもので・・・34単位分です。
あと1回受けます。多分、普通の人よりもテキスト科目の単位が多いと思います。
そんなに贅沢に奈良にスクーリングで何度も行く時間もお金もありませんので。テキスト科目を余分にやる気持ちはありましたが、もう疲れたかな・・・次回で最後にしたいかなという気持ちです。10月24日に 奈良大で試験を受け、正倉院展も見る目論見です。

卒論が8単位、おそらく大丈夫と皮算用して、今日の試験も大丈夫と仮定すれば、あとはスクーリング2回と試験1回で卒業可能となります。

スクーリングがまさか出席できなかったりすると、卒業できなくなりますが、その場合、卒論ができていれば科目履修生となって、授業料は支払わなくてもいいようなので、受けたいスクーリングは受けられなかったら来年度受けようという気持ちで、テキスト科目で補うのはやめます。

さて、タイトルの土御門上皇ですが・・・今日の試験は、問題番号が「7番」で、歴史文学論は「承久の乱について論述せよ」という問題でした。
私は一応日本史の教員ですから、この問題はラッキーでした。解答できて当然でなければなりません。テキストは『増鏡』で、それにまつわる設題なのですが、この7番以外の設題では、

9 後堀河天皇の即位と後高倉院について論述せよ。
4 後鳥羽院の和歌について論述せよ。

などは、ちょっとそれなりに調べないと難しいですね。
1問あたり原稿用紙1枚分の解答ではちょっと足りないので2枚前後用意します。

承久の乱は書きやすかったのですが、そういえば、私の先祖は承久の乱に出ていたとか、母親に聞いたことがあります。母親は、そのまた母親(私の祖母)の妹から聞いたらしいのですが、応仁の乱と混乱しているようにも思えたのですが(だいぶ時代が違ってテキトーな感じがしますが。)、「後鳥羽上皇が云々」と母親の口から出たので、承久の乱の方でいいのだと思いますが、後鳥羽上皇方の負け組で負けてお寺に入り、お坊さんになり、現代まで静岡でお寺をやっていたようです。先祖は昔々土佐や萩のあたりにいたと聞いています。母親から聞いた先祖の名字が土佐に多い名字なので、実際そうなのでしょう。そういうわけで、私は高知、山口、静岡、新潟、福島などがミックスしているので、どこの人間でもないと思っています。

話がそれましたが、先祖も関わっていたかもしれない承久の乱でもありますので、それなりに書けるわけです。それにしても、今回試験勉強をしていて、土御門上皇のことが印象に残りました。後鳥羽上皇の息子で、承久の乱の際には土佐に流された、ということは高校の日本史でもやりますが、土御門上皇は、承久の乱には加担せず、中立の立場だったのです。それにもかかわらず島流しになったとは・・・?

そもそも、土御門は、天皇になったものの、父の後鳥羽上皇からは、その穏和な性格が物足りなく思われたらしく、早めに弟の順徳に譲位させられて、上皇になります。
順徳上皇は承久の乱に際しては後鳥羽上皇よりも幕府打倒に積極的で、乱の後は佐渡に配流されます。土御門上皇は、承久の乱には関与していなかったので、幕府は土御門を島流しにするつもりはなかったのですが、お父さんが島流しになるのなら(後鳥羽は隠岐へ)、自分も、と言って、自ら土佐に行きます。最終的には阿波で亡くなります。

幕府は、その後、後鳥羽上皇の子孫の皇位継承は認めない立場をとり、順徳上皇の皇子についても皇位につけることを警戒した結果、土御門上皇の皇子が即位して後嵯峨天皇が誕生します。この後嵯峨天皇の後、大覚寺統と持明院統が発生し、南北朝問題に発展していきます。

要するに、性格がおとなしかったために父の後鳥羽上皇からは気に入られず早めに譲位させられてしまった土御門ですが、承久の乱でも中立だったおかげで、結果として子孫が皇位を継承していくことができたのだから、よかったのではないでしょうか。

試験勉強をしながら、土御門さんに興味がわいてきました。いい人だったのだろうな、と。

簡単に終わるつもりだったのに、また長くなってしまいました。

壇ノ浦の戦いで、海中に身を投げた安徳天皇と、後鳥羽上皇は異母兄弟です。両人のおじいさんは後白河法皇になります。
今日の写真は何にしようかな、無しにしようかなと思いましたが、安徳天皇が平家とつながりがあるということで、平清盛が後白河法皇に寄進した三十三間堂(蓮華王院)の写真にしました。

8月5日、猛暑の京都・三十三間堂を訪れた際のスナップです。


卒論草稿できあがりました。

2015-10-03 21:36:20 | 大学通信 卒論関係
10月8日〆切の、大学通信教育の卒論草稿がなんとかできあがりました。正副2冊をファイルに綴じるところまでやりました。発送は、あわてず月曜日にしようかなと思います。書留速達かな。

何やら、政府はマイナンバーのカードを全世帯に書留で6日から配達を始めるとかで、配達体制も増強しているらしいです。それとバッティングして、ちゃんと届けてくれなかったりしたら困るんですけど・・・

それにしてもですね、提出はB5版と決まっているのですが、しかもファイルは青色のフラットファイルと色まで指定されているんですが、文房具屋さんでも、いまどきB5のフラットファイルなんてなかなか売っていないんですよ。仕方ないので、通販で買いました。

そもそもB5の紙の買い置きもないので、これも通販です。
写真の印刷がかなり膨大で、〆切間際でインクがなくなったらしゃれにならないので、これも早めに買っておきましたが間に合いました。というか、プリンタが1ヵ月くらい前にお陀仏になってしまい・・・まあ10年くらい使っていたのですが・・・直るのかもしれないけど、〆切ぎりぎりに変なことになっても困るので、新しいものを買いました。(全部通販でしたね。)
いろいろ早めの準備をして、なんとか乗り切ることができました。

普通の通学部の学生ならば、卒論の提出も一発で、12月か1月〆切なんでしょうけど、通信教育なので、一度草稿を出して添削を受けるので、〆切が早いのですね。
2ヵ月後に添削されて戻ってくるので、それまでは、卒論のことはひとまず忘れて、残り2科目の試験勉強に没頭しようかな、と思っています。

卒論の内容的には、まあまあこの時期にしてはできているんじゃないかと・・・前の大学の20数年前の卒論は、文献史学でしたので表1コくらいでしたけど、今回の考古学の論文は、写真と図表で40ページも。体裁を整えるのに神経を使いました。
前の大学の卒論は400字詰原稿用紙換算で100枚まででしたが、今回は、本文は50枚まで(ワープロの場合40字×25行で20ページまで)でした。
本文20ページ、注4ページ、写真等40ページで1冊あたり70ページ弱になりました。

卒論は、多めにとにかく気付いたことをとりあえず書いておいて、削っていったという感じでしょうか。間に合ってよかったです。ここ数日は文献がちらかり放題で大変でしたが、プリンタで原稿を印刷しながら片付けたりして、少しましになってきました。

卒論に本格的に没頭したのは、この1ヵ月くらいです。8月頃にも、ぼちぼちだらだら書き始めてはいましたが・・・特にこの3週間ほどは、休日はずっとPCに向かっていたし、お稽古ごとも行かず、とにかく運動不足と、鬱屈感で、体重は増え、体調もあまりよくなく、健康にはよくない日々でした。
終われば好転するはずだ、と、耐えてきました。今夜から元気になるはずです(笑)。

卒論のために、被災地の博物館にも行き、あらかじめ問合せをするなどした結果、思いがけない発見・出会いがあり、感謝感激でした。いつかそのことも書くと思います。旅先で初めてのお宅にいきなりお邪魔して上がりこんでお話を聞かせてもらって「現物」を見せていただけるとは・・・!という経験をしました。

奈良大学の現地・現物主義により、たくさんの遺跡を実際に見てきて、本当によい経験ができました。新しい人生が開けた感じです。



写真は、9月に訪問した被災地・福島県南相馬市の鹿島御子神社の大ケヤキです。樹齢1000年とか。すごい迫力でした。この神社は平安時代の『延喜式』にも載っている、古くから存在がわかっている神社です。

さて、卒論執筆も終わって、心軽く、これから羽を伸ばしたいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

卒論進捗状況その2

2015-10-01 23:25:44 | 大学通信 卒論関係
今日は都民の日で学校はお休み、私も休暇をいただいて卒論執筆をしていました。

今日は写真の部をなんと60枚、整理・作成しました。
卒論のために遺跡に10カ所以上行きましたから今年は写真を何百枚撮ったことか。

後はちょっとした図を作って、終わりにしようかなと思っています。
草稿なんですから。本番は1月締切だし、不完全な所があっていいんです。

残りの図を作るにあたって、フリーの地図ソフトMANDARAを使おうか考え中です。
これは夏のスクーリング、地理情報システムで教わりました。

マニュアル本を読んで、やってみたいのですが、やりたいことを全部一気にやろうとすると体がもたない、後が恐いので、無理しないことにしています。

今も横になっています。このところ卒論のために精神面も含めて疲れています。

やりたい、書きたいことは頭の中にあるんですが、それを机に座っていっぺんに全部ガーッとやってしまう体力は、もう若くないし、ないんでしょうね。

毎日ちょっとずつでも前進していけばいいかと思ってやってきて、もう一息ですかね。

目の前のいろいろを、同じように着実に一歩一歩進めていきたいと思います。

早く草稿提出を終わらせて、本当の安らぎを獲得して、涼しくなって良い季節でもありますから、おいしいものでも食べたいです。



写真は、春のお彼岸の時に日帰りで奈良に行った時のもの。
大神神社の摂社で、三輪山登拝の受付をする場所になっている狭井(さい)神社です。
私は登ったことはありませんが登山口だけ見てきました。
その日は3月とはいえ暑かったのですが、山の上から登山口の鳥居の方へ、びゅううーっと、ものすごく冷たい風が吹き下ろしてきていて、いやーこれは本当に神様が宿っている場所なのかな、と思わせるような、そういう(冷)気が流れてくる場所でした。



狭井神社では病気に効くといわれる「御神水」が売られています。私も売店で買いました。

いつか三輪山にも登ってみたいものです。

さて、卒論草稿完成まで雌伏の時、もう少し耐えます。雌伏→至福に到達できるように(笑)。