日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

438年前~のフリーマーケット・世田谷ボロ市 あらセンター試験にも出ましたね

2016-01-16 21:07:09 | 日記
センター試験1日目ですが、今の学校では全く関係ないので親身になれず恐縮です。過去のセンター試験前の記事へのアクセスが多かったようですが・・・受験生の皆さんはベストを尽くしてください。日本内閣史ノートの記事へのアクセスもそこそこあるので、お役に立てていれば幸いです。あれは、私が高校3年の冬休みに手書きでまとめたものほとんどそのままです。

15日未明に起きたスキーバス転落事故も本当に痛ましいことになってしまいました。ちょうど、センター試験による大学休みを利用してスキーに出かけたのでしょうか。私が前の学校で担任していた生徒なども、今ちょうど大学生で同じ年頃なので、まさか乗車していなかっただろうかとどきどきしました。死亡者の中にはいないようですが・・・大学生になると、それぞれ活動範囲は大きく広がって、世界中を飛び回っているようで、そのアクティブさはすばらしいことですが、事件・事故には遭わないようにと願っています。

今回の事故によって、シートベルトの着用の重要性を、深く認識させられました。明日17日は、阪神淡路大震災から21年という日でもあります。過去の教訓を生かして、予測できる危険はできるだけ回避しなければいけませんね。

そんなことを考えながらも、今日、世田谷ボロ市に行って来ました。遠くはない所に住んでいるのですが、一度も行ったことがありませんでした。開催日が、曜日にかかわらず、毎年12月15・16日、1月15・16日と決まっているので、平日に当たるとなかなか行けません。今年は土曜日にも当たったし、今後いつ行けるかもわからないので、行ってみることにしました。

ボロ市には古文書なども出ているという情報を見たことがあるので、そういったものや、掘り出し物の骨董品・授業で使えそうな昔のもの、があるのを期待して、行ったのです。

ボロ市は、「430年以上の歴史を持つフリマ」などと形容されています。食べ物屋さんはもちろん、骨董品、着物、雑貨、植木などの露店700店ほどが出店しています。東京都の「無形民俗文化財」になっているようです。

「ボロ市」の名の由来は、パンフレットによると、

「戦国時代に楽市として世田谷新宿に開かれた市は、徳川時代になって市町(いちまち)とという名のもとに開かれていましたが、後に農家の作業着のつくろいや、草鞋に編み込むボロが安く売られるようになって、いつとはなしにボロ市の名が生まれました。
ことに草鞋をボロといっしょに編み込むと何倍も丈夫になるというので、農民は争って買いました。農家にとって農閑期の夜なべの草鞋作りは、大切な現金収入の副業だったのです。」

とのことで、農閑期の草鞋作りのために必要なボロを売る市が始まりだったんですね。12月・1月に開催されるのは、農閑期だからなのですね。

さらに、パンフレットによると、

「ボロ市のはじまりは、遠く430年の昔に開かれた楽市にさかのぼります。当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政は、世田谷城主吉良氏朝の城下町である世田谷新宿に、天正6年(1578年)に楽市を開きました。楽市と言うのは、市場税を一切免除して自由な行商販売を認めるというもので、毎月一の日と六の日に月6回開いていたので六斎市ともいいました。」

その後、北条氏が秀吉に滅ぼされ、江戸時代になって楽市はなくなりましたが、農具市・古着市・正月用品市として市が続けられてきたということのようです。

開催場所は、世田谷代官屋敷を中心としたエリアで、世田谷線の上町か世田谷駅が最寄り駅です。


代官屋敷前の様子です。

私は三軒茶屋から世田谷線に乗って世田谷駅で降りてボロ市会場に行きました。

土曜日だけあって、ものすごい人波でした。立ち止まってゆっくり見ている余裕はあまりありません。
骨董品のお店もそこそこ、着物の帯などを売っているお店も結構ありました。
全国のおいしそうな食べ物の屋台も来ていました。

古文書を売っているお店も期待したのですが、戦前の教科書などが大量に積んであるお店があり、お客さんがかなり群がっていました。教科書はまあ、興味がないわけではないのですが、少しは持っているし、人が多くて、割って入って見る気にもなりませんでした。教科書以外もいろいろあったのかはわかりませんでした。



古銭を1枚100円くらいで売っている骨董屋さんもあって、ちょっとひかれましたが、なんとなく、周りがざわざわしていて落ち着かず、結局買いませんでした。

江戸~大正時代のお皿なども500円から数千円で売っていて、おもむきがあっていいな、と、ちょっとひかれましたが、相場がよくわからないし、衝動買いはしませんでした。





昔は農具市でもあったため、今でものこぎりとか刃物系を売っているお店もあり、写真のお店も、さまざまな刃物と、高価な砥石などを売っていました。

「弥生土器」も売っていましたけど・・・他のお客さんも笑っていましたが、あれはちょっと弥生時代のには見えませんでした。

買ったのは、ハニどらという生はちみつの入ったどら焼き、北海道のお店で半額になっていた昆布、乾燥しじみのパック、でした。端数はおまけしてくれたのがうれしかったです。めったに出店で買い物などしませんし。

ボロ市の時にしか売らない「代官餅」は、ネット上で、40分並んで買った、という人がいるのを見ましたし、一応現地を見た時もものすごい長蛇の列でしたので、やめました。並ぶ根性がなければ、平日開催の時にでも買うのが正解でしょうか。



今回初めてのボロ市でしたし、どんなものかをざっと見るのと、古文書・骨董品の掘り出し物をめあてにしていたので(初日にでも行かなきゃ売れちゃいますかね)、買い物は控え目に、帰って来ました。それにしても人出がすごくて、なかなか前にも進めず、なんだかんだで3時間弱の時間が経過していました。

本当ににぎわいがあって、お客さんも購買意欲が高く、興味津々でお店を見て回っていて、どのお店も必ず売れただろうと思います。

世田谷の代官屋敷は、昨夏見学していました。
江戸中期の建築で、世田谷の代官職を務めていた大場氏の屋敷で、代官役所としても使用されていたものです。


7月見学時の写真。



広々とした縁側?

そばに世田谷郷土資料館があり、今日は見ませんでしたが、夏に見ました。代官屋敷も資料館も無料です。
以前こちらで紹介した野毛大塚古墳からの出土品などが展示してあります。

「せたがやホタル祭りとサギ草市」(7月中旬~下旬の土・日曜2日間)というものがあるのを昨年の初夏に知り、そういえばサギ草ってかわいい可憐な花だよなと思い出させられ、サギ草買いたいし、ホタルも見られるなんて、魅力的なお祭りじゃないか、と思って、行きたくなったのです。ちょうど奈良にスクーリングに行く頃にあたっていたので行けず、その前の週(7月12日)に代官屋敷と郷土資料館を訪れました。

http://www.rurubu.com/season/summer/hotaru/detail.aspx?SozaiNo=130019

そういえば、サギ草についてはこの地域では悲しい伝説が残っているようで、資料館でも解説を見たような記憶があります。結構むごい話だったような・・・

代官屋敷も資料館も無料ですし、展示もよかったと思いますので、一見の価値はあります。
ボロ市の際に訪れてみるとよいでしょう。

そういえば、7月に代官屋敷と郷土資料館に行った帰りに、目黒区のパーシモンホールでホタル観賞会があるのを見られないかなと立ち寄ったのですが、すでに満員御礼で入れずに帰って来たのを思い出しました。
都内でも、似たような時期にちらほらとホタル鑑賞ができる場所・イベントがあるようですが、そんなわけで、目黒・世田谷あたりでは、ホタルを見るにも行列に並んだりと結構大変みたいですねというお話でした。これで、夏に見たもののトピックも一つ、ボロ市と合わせて整理させてもらいました。

今日はこんなところで。

追記:1月14日〆切の奈良大通信教育の卒論は、なんとか提出し、受領確認のハガキも届きましたので、とりあえず一安心です。これを書こうと思っていたのに抜けてしまいました。

追記その2(1/17):日本史教員でありながら、昨日は今年のセンター試験問題を見ないで記事を書いていたのですが、さっきざっと問題を見たら、世田谷ボロ市起源の北条氏の楽市・六斎市について出題されているではないですか!(第3問・16番)
出題した人は、今年のセンター試験がボロ市の日にあたっているのを知っていて、遊び心で出したのかな・・・?などとふと思ってしまいました。上で引用したパンフレットに、一の日と六の日で六斎市と書いてありましたね。
教科書だけでなく日常生活見るもの聞くものにアンテナを張り巡らせていると、いろいろと有機的に結びつく出来事があるものですね。
以上、ボロ市とセンター試験も無関係ではありませんでした、という話でした。
そもそも日本史教員ならセンター試験問題はすぐチェックしなさい、という話ですよね。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

スクーリング「地理情報システム」・・・地図の世界は奥深い。

2016-01-09 20:41:38 | 大学通信 スクーリング
卒論提出後の今、止まっていた時計が動き出したかのように、時間を遡って、夏の出来事について記しておきたいと思います。

8月の上旬、奈良大学通信教育のスクーリング科目「地理情報システム」を受講しました。この科目は、自由選択で、履修しても卒業単位には含まれません。PCを使って授業を行うので、人数制限もあります。
私は、今の学校で地理の授業も担当しているし、卒論で、遺跡の場所を地図上で表示するなどの技術が使えたらいいなと考え、卒業単位を稼ぐためではなく自分の勉強のために受講することにしました。

先生は2名で、三日間をちょうど半分ずつ担当されました。
前半を担当したF先生は、学内で2番目に若い先生だそうで、お話をうかがうと、とてもアウトドア派の先生でした。先生のゼミは、島流しゼミとかサバイバルゼミとかいわれているらしく(離島で魚を釣って食糧にするとか)、過疎地などに滞在してフィールドワークを行っているようです。
猛暑の日にご自宅から?大学まで何キロだったか忘れてしまいましたが、相当な距離をランニングして来られたり、かなり体力には自信のある先生のようでした。若いっていいですね。

「地理情報システム」という科目のタイトルは、「GIS」(Geographic Information System)の略で、一つの学問分野なのですね。その解説から始まって、最終的には、GISとは何か、についてまとめなさい、という、テストのようなレポートのようなものを授業の最後にPCを使って書いて提出させられます。

簡単に言うと、地図の表示とデータベースが結びついているもので、地図をクリックすると、いろいろな情報が見られるようなネット上の情報(例としてレオパレスの部屋探しのページや楽天トラベルなど)のこと、です。

授業では、一人一人がPCを使いながら、私達でも使える具体的なサイト・ソフトを紹介してくださいました。

まず、「今昔マップ」。これは、文字通り、その土地が昔どうであったかを左右に今と昔の地図を並べて表示するものです。今住んでいる場所とか学校などが昔どういう土地だったのか見るのも面白いですよね。
http://ktgis.net/kjmapw/

次に、「オープンストリートマップ」。これは自由に使える地図として紹介してくださいました。
Googleの地図などは、レポートなどに印刷して使ってはいけないのだそうで(ネット上で表示するのはよい)、このオープンストリートマップはOKとのことです。
これは、地図好きなボランティアの方が作っているのだそうです。自治会のマップにして配ってもOKだし、Tシャツやポスターを作る人もいるそうです。

https://openstreetmap.jp/

卒論には使いませんでしたが、何かの機会に使ってみたいですね。

午後には、先生が月1くらいで通って調査されている、島根県のHという過疎地について、映像などを交えて紹介してくださいました。ここは、初めて過疎という言葉が使われた場所だとのこと。
昭和38年の大雪、いわゆるサンパチ豪雪で被害を受けて集団移住せざるをえなくなり、過疎が進んだようです。

先生は、火曜の5限の授業の後、大阪から夜行バスで現地に向かい、帰って来て朝1で授業をやったりということもあるそうです。同行する学生さんの方が参ってしまうらしいです。タフですね。先生は意外と、細身なのですが、鍛え方なのでしょうか。私も、遅ればせながら、筋肉隆々の心身ともにタフな女になりたいのですが、年齢の上限てあるんでしょうかね?

さて、一応授業からメモ的に抜き出しますと、その過疎地を流れる高津川は日本一の清流といわれているとのこと。実際に、今ネットで調べると高津川は4年連続で日本一の清流(水質日本一)になっているようです。

映像を見ると、本当に驚くべき過疎地でありましたが、そういった地域に入って行って、地域の方・起業家の方などと交流される先生のお仕事ぶりは興味深いものでした。

その他、「QGIS」というソフトも操作しましたが、難しくてあまり記憶に残っていませんので省略。

後半の、S先生の授業はまたガラッと雰囲気等も変わって、内容もまた別の意味で濃いものでした。
S先生は、ご自分で「地図屋」とおっしゃっていたように記憶していますが、とにかく頭脳明晰、早口でできるだけ多くの情報を私たちに伝えようとされ、同時にPCを自由自在に操ります。スマホはなんと、お持ちでないそうなのですが、PC操作は神技的早さでした。

こちらの授業は、私が実際に使えそうな知識・ツールを教えていただいた感じがします。

例えば、国土地理院のHPにある地図。

http://www.gsi.go.jp/

私も卒論関係で地図を見る時に、国土地理院HPの地図を何度か参照しました。そういう時にネット上で検索するには、私の場合「GSI」と入力します。すると簡単にトップページが出てきます。

トップページの上部に、さりげなく小さな日本地図の画像があって、「地理院地図」と表示がありますが、これが結構便利なんです。
クリックして、どんどんスクロールしていくと、詳細な地図にアクセスできるし、二点間の距離も測れますし、地図上にさまざまな情報を加えた図も作って保存できます。とにかく、HP上ではさりげない地図に見えますが、中に入るとかなりいろいろなことができます。ただそれを印刷したり加工したりするためにはそのままは使えません。

私は、神保町の三省堂で2万5千分の1の地図をちょっと買ったりしたこともあるのですが、それを、ネット上で、「欲しい場所の地図を、大きさや表現を選択して購入できます。」というコーナーがあります。上で話題にしたトップページ「地理院地図」の横に表示されている「電子地形図25000」というものがそれです。すごいですねー。好きな場所を切り取って地図にして購入できるというのです。
いつか何かで使ってみたいと思いました。

「地図・空中写真閲覧サービス」もすばらしいです。これも、地域ごとの航空写真などの地理情報が、かなり古い時代、場所によっては明治時代などから見ることができます。
これのいろいろな見方を、時間もないのでハイスピードで先生の説明によって見ていきましたが、これも有意義です。

「地理院地図3D」のページでは、立体画像も見られるし、3Dプリンタで立体模型も作成できちゃいます!

以上、国土地理院のホームページは、知る人ぞ知る、という存在かもしれませんが、かなり使える面白いサイトですよ、と宣伝しておきます。自分も備忘のためにここに書いておきます。
「GSI」で簡単に検索できます。

それから、立体視用の青赤画像(アナグリフ)の作り方についても紹介がありました。
青赤メガネもいただいて、それを使ってアナグリフの画像を見て立体を体感しました。
以下授業のレジュメより。

「関谷氏のサイト「STEREOeYe‘3D’」http://www.stereoeye.jp/に無料ソフトあり。
デジカメ風景写真からも作成可能。青赤メガネの購入も可能。

アナグリフメーカーの使い方についても説明がありました。
自分達でもサンプル画像を使ってPCで作ってメガネで見たりしました。
先生が撮影した写真で作成した画像もありました。
自分で作れるらしいということがわかったのは収穫でした。

また、GISソフト「MANDARA」の使い方も簡単に学びましたがこれは私には有効で、卒論でこれを使った図を作りました。

MANDARAは無料ソフトで、WEBサイトからダウンロードできます。

http://ktgis.net/mandara/

非常に詳しいマニュアルもそのサイトにありますのでそれを読み込めば使えるようですが、参考書を買ってもいいというとで、私は参考書を買いました。

都道府県別の分布状況などを図で表すのにとても便利です。市町村レベルでもできそうです・・・

9月のスクーリングで卒論の骨格を各自発表することがあったのですが、私もそうですが他に同様にMANDARAを使って作図していた方がいらっしゃいました。お昼をご一緒したときに、やはり地理情報システムを受講したということがわかりました。

MANDARAもすばらしいです。こういうものが無料で公開されているというのがすばらしいです。

それから、地理院地図を使って、古墳の位置を記号などで表示するという方法も紹介してくださいました。時間がないので、先生のデモンストレーションで超早ワザ、目にもとまらぬ速さでしたので、自分でもできるかどうか・・・ですが。

簡単に概要を書きますと、まず表示したい古墳の表を作ります。
地理院地図の古墳の所でクリックすると下のタブに緯度経度の情報が出ます。
途中から私は画面を撮影し始めましたがもっと前の方からやっていればよかったです。


そのデータをエクセルの表にコピーします。その時に、そのままセルにコピーすると「スクリプト云々」と変なのが出てくるので、エクセル画面の上の方の「fx       」の□部分にコピーすると数字だけ入ります。

データの区切り位置というのが問題らしく、緯度経度の○度○分といったものを区切るのですが、計算式を作って変換しないといけません。詳しくはもちろんここでは省略。


もうこのへんは何をやっていたのかよくわからなくなっています。
MANDARAを使っていたのだと思います。


データを整理して入れてできあがった表。

表を作ってデータを入れ、古墳の形ごとに、円墳は○、前方後円墳は□、など、地図上にそれが表示されます。というか、おそらく、MANDARAで作成したものに国土地理院地図を重ねたものが以下の写真。


先生が超スピードでデータを加工して図を作成していくのを、受講生の私達はおおーっと声をあげながらあっけにとられて各自の画面を見つめていました。
自分の覚え用としても写真をここにアップします。
もしかして著作権上問題などありましたらご教示ください。

こうした作図をする上で必要な緯度経度の取得方法についても教えていただきました。
お店の名前と住所の表を作って、緯度経度を出す場合
住所を緯度経度に変換するサービス「アドレスマッチングサービス」というのがあるそうです。東大が提供しているらしいです。精度はわかりませんが。
遺跡の緯度経度については、奈文研のサイトを見ると、出てくるそうです。

何しろ時間が短いので、それぞれ簡単にしか触れられませんでしたが、要領よく、いろいろな方法を教えていただきました。活用できるかは、自分次第という感じ。

質問や相談などあれば、先生のメールアドレスや大学のeラーニング経由の方法で、という紹介もレジュメにありました。ありがたいことです。

卒論で、少し活用させていただいただけでも有益でしたが、他にもいろいろと、地図の世界も奥深いものだなということがわかって、そこにひたって、いろいろやってみたいところですが、当面、そういうこともなさそうです。しかし、やる気があっていろいろやりたいならば、先生は応えてくださるような感じがしました。

というわけで、かなり有益な授業でした。受講するかどうか検討される方には、お勧めします。どこか公開講座のようなものでこういうのをやっている所はないでしょうか?

今日は以上です。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村

卒論を発送→「博物館に初もうで」

2016-01-06 21:43:29 | 大学通信 卒論関係
なんとか奈良大通信教育の卒論を仕上げて、今日発送しました。
受付は明日7日~14日までなので、早めに提出して、すっきりすることにしました。

草稿段階からちょっと文章を書き加え、写真を足しただけで、自分としてもあせったりストレスになったりはしていないつもりでしたが、年明けから毎晩のように夢を見たり、体調もいまひとつだったりして、自分で意識していなくても、心身にプレッシャーを感じて、不調が出ていたのかもしれません。
10月の草稿提出の前後は、後から振り返っても、明らかに体調不良でした。

発送してしまうと、呪縛から解き放たれたようで、今日も仕事は休みにしているのですが、午後から上野の国立博物館に出かけたりと、フットワークがよくなりました。

国立博物館では、「博物館に初もうで」というキャッチフレーズで、新年にちなんだ展示が行われているのをテレビで見て、行ってみたいなと思っていたのを行動に移しました。何しろ、学生の身分ですので、学割を生かさなければ。同時に開催されている平成館の「始皇帝と大兵馬俑」も見ることにして、一般が1600円のところ、大学生料金1200円で入場しました。

ちなみに「博物館に初もうで」は「総合文化展」といい、これだけならば、高校生以下は無料で見られます。

今年の干支のサル(申)にちなんだ展示「猿の楽園」で、いろいろなサルの作品が集められていました。この企画は、「申」から始まってもう十二支を一廻りして今年で2周目に入るのだとか。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」から「凱風快晴」(赤富士)や「神奈川沖波裏」などおなじみの作品もありました。

印象に残ったのは、長谷川等伯の「松林図屏風」(国宝)です。高校の日本史でも出てくる作品です。長谷川等伯といえば、京都の智積院襖絵などに代表されるように、金箔をふんだんに使い、緑や赤など鮮やかな色づかいの濃絵(だみえ)が印象的な画家であるのに、この「松林図屏風」は、水墨画のモノトーンの世界なんですよね。

日本史Bの授業では、たいてい図説の写真で見てもらうのですが、写真も小さいし、その見事さがよくわかりません。単なる地味~な墨絵とも見えなくはありません。私もよくわからないまま、しかしよく入試問題などでも出るので、教えていたようなものでした。長谷川等伯にはこういう絵を書く一面もあるんだよ、的な説明で終わりでした。入試問題の出し方としては、何文化の作品かという問いが多いでしょうか。水墨画というと、室町時代の東山文化などとも混乱しそうですが、これが意外に?安土桃山文化なんですよね。絢爛豪華なイメージの安土桃山時代だけれども、こういう作品もあるということに意外性があるからなのか、出題されやすいともいえますかね。

実物は、非常に大きな屏風に描かれています。二対で横幅8mくらいありました。霧の中でかすんで見える松を、墨一色で遠近が見事に表現されていました。

偉大な作品を前にすると、お客さんは気圧されるのか、近寄ることをはばかって、離れて見るようです。興福寺仏頭が東京に来たときもそんな感じでした。

もちろん離れて見た方がちょうどいいというのもありますが、近くで見ると、その筆致の意外な荒々しさなども見てとれるのですけれども、なんか皆さん遠巻きに見ている感じなので、前に出るのが悪いような気になってしまうのです。でも、前に出て見るおじさんなどもいるので、私も近くから見させてもらいました。解説によると、どのような道具を使って描いたのかよくわからないようでした。確かに、ただの筆ではなさそうな、バサバサ感がありました。

実物を・原寸大のを見ると、やっぱりすごいなあと直接感じることができます。実物を見る機会は大切ですね。しかし、高校の日本史教科書に出てくる作品を、すべてを実物で見るということは無理ですし、教員の方だって、すべてを見たわけではないのに教えているので、限界というものを感じざるをえないのですが・・・できる限り、臨場感を伝えられるように努力すべきでしょうか。

残りを駆け足で紹介しますと、平成館の「始皇帝と大兵馬俑」は、そんなに見たかったわけではないのですが(日本史の教員なので)、せっかくなので・・・

兵馬俑だけではなく、紀元前3世紀の遺物も数多く展示されていました。日本では弥生時代なわけですが、当時は中国の方が断然文明的に進んでいたなと感じさせられます。

一つ、日本の銅鐸とちょっと似ている鐘があって、銅鐸は日本オリジナルな雰囲気はあるけれども、ほんのちょっとだけ、こういう中国のものも影響しているのかもしれないなと思うことがあり、収穫でした。

いろいろな展示を見ていて、デザイン的には、直線を折り曲げたようなものが目立ち、日本とはやはり明らかに雰囲気が違うなと思いました。ラーメンのどんぶりの模様が想起されました。そういう器物の持つ雰囲気は、やはり中国と日本ではかなりはっきり異なっており、私は日本人だなあ?と感じました。

兵馬俑は、広々とした空間に、結構たくさん展示されていました。
民族ごとに顔が異なるなど、細かい部分までリアルに描写されているという話を聞いたことがありましたが、実物を見て、身長なども、等身大に近いサイズで造られているようだなと思われました。
8000体もの兵馬俑は、当時は彩色されていたとか。壮観でしょうね。会場でCGが上映されていました。中国は昔も今も恐るべし、でしょうか。

以上、疲れました。なんか骨まで痛いので、骨休めします。

テレビドラマの撮影などでも使われる、国立博物館本館の正面に、お正月の生け花が飾られていました。11日までだそうです。

2016年は希望の年に。

2016-01-02 14:41:02 | 奈良時代
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今の定時制高校に来てから、センター試験を受ける生徒が1年目には一人いたものの、去年今年と誰もいないような状態ですので、受験生の気持ちに添うことが難しいこの頃です。センター試験を間近に控えたこの時期、受験生はお正月気分にひたる暇もなく勉強に没頭されているのかなと推察します。

また、年末に前の学校の卒業生一人(担任だったのではないですが)とお茶を飲んできたのですが、昨春大学を卒業して就職した会社を数ヵ月で辞め、現在はホテルでアルバイトをしているとのこと。接客が好きという貴重な人材です。今のフロントの仕事は合っているようで、今後正社員に登用されるのだろうと思います。聞けば、この年末年始も仕事とのことで、ご苦労さまですと頭が下がります。

そんなふうに、お正月だからと休んだりできるわけでもない人達も世の中にはたくさんいて、奮闘している人達がいる、ということも念頭に置きつつ、私はありがたく休暇を過ごさせていただきます。

卒論の〆切が2週間後ですので、仕上げをぼつぼつやっております。まだ日があると思うと、本気が出ませんが、もうこのへんで踏ん切りをつけようかと思っているところです。

昨年の抱負としてここに書いたのは、まず、無事にいい卒論を書くということでした。なんとか無事に提出できそうです。
昨年は、卒論のための調査と奈良大の勉強のために、日帰りも含めのべ50日くらいは旅に出ていました。8月には奈良のウィークリーマンション5泊6日、そして遺跡調査のハイライトは、東日本大震災の被災地でもある南相馬市訪問(9月)だったかなあと思います。驚きの出会いがありました。現地調査の醍醐味を味わいました。
平均すると毎週どこかに旅に行っていた計算になります。よく動き回りました。

もう一つ、去年は、担任していた生徒の卒業についてハッピーエンドを願っていたわけですが、3月に卒業できた生徒については、よくがんばって卒業資格を得ることができた、とうれしく思いました。この学校では、卒業証書の重みを感じました。卒業は、決して当たり前のことではありません。

2週間で仕事を辞めて別の会社に就職した人、会社にとけこんでがんばっている人、在学中からのアルバイトを続けている人、短大でキャンパスライフを楽しんでいる人、と、さまざまですが、私が昨年度担任した生徒は、友達も多く、コミュニケーション能力はある人ばかりだったので、社会に出てもそれなりにやっていけるのではないかと期待しています。お寿司屋さんを2週間で辞めた生徒については、いつかお寿司を食べさせてもらおうと思っていたのに、残念でしたが・・・今は異なる仕事でがんばっているようなので、いいでしょう。

景気も悪くなく、求人は多いとはいえ、求人票と、勤務実態が異なっていることが多いようで、その点は、企業も誠実に採用活動をやってほしいと、この頃いろいろ実例を聞いて強く思います。卒業生は困っているようです。

先日会った卒業生のように、ホテル業界も就職先としてはなかなかよいですよね。これから東京オリンピックに向けて、ホテル業界はおもてなしの心、語学力を発揮できる分野だと思います。

そして、一応、今年の抱負というか展望ですが、奈良大学は3月に卒業し、続けて学芸員の資格取得の勉強を始め、奈良に行く口実を作ろうか・・・と考えています。
それはそれとして、全体としては、私自身も大きな変化があるだろうという年になります。若くはありませんので、健康に気を付けて、目の前のやるべきことを一つ一つ着実に、誠実にこなし、前に進んでいきたい、新しい道を切り開いていきたいと思います。

さて、お正月に合うような写真は何かないかな・・・と探してみたのですが、あまりありませんで、せいぜい、鏡餅の上に載せる、だいだい(橙・橘)の写真でも・・・というところです。

昨年10月24日に正倉院展を日帰りで見に行って来た時の写真。興福寺南円堂のだいだい(橘)です。オレンジのピンポン玉のような実がすずなりでした。この写真を撮るのは私は2回目で、正倉院展の頃にこのような実が見られるのかなと思います。


この橘にまつわる話を、「サンホテル奈良」さんのブログを参考に、まとめさせていただきます。
私も9月にこのホテルに宿泊させていただきそのときはわからなかったのですが、たまたまこの橘について検索していたら出てきたもので・・・

興福寺南円堂の橘は、県(あがた)犬養橘三千代 の橘姓のシンボルだそうです。
藤原不比等は、夫人であった三千代のおかげで皇室と関係を深める事ができたとか。

不比等と三千代の間に生まれた光明子が、聖武天皇の妃となり、孝謙天皇誕生へとつながっていきます。

不老不死の非時香菓(※ときじくのかぐのみ 古事記に「是今橘也」とある)を愛した元明天皇より、宮中に仕える県犬養橘三千代に、杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰の姓が下賜されたのだそうです。

南円堂の橘は、別名ヤマトタチバナ。古くから日本に自生する固有の柑橘で、実よりは花や緑の葉が注目され、常緑が「永遠」を喩えるということで縁起が担がれたようです。

橘氏は、三千代の後にもその子橘諸兄(もろえ)、平安時代には橘逸勢(はやなり)と、橘姓の人物が日本史教科書にも登場しますね。
(以上藍色の文字はサンホテル奈良さんブログ引用)

たまたま見つけたサンホテル奈良さんのブログですが、軽妙な文章で楽しく、また、奈良観光に役立つ情報が結構盛り込まれていて、なかなかいいじゃないですか。と感心しています。
「素敵なお店(奈良県)」とか「季節の奈良」といったカテゴリがあって、奈良を訪れた際に参考になりそうな記事が多いです。奈良を訪れる方はご覧になってみては?

サンホテル奈良は、JR奈良駅近くのホテルで、私が9月に宿泊した時には、日本人よりも外国人が一杯、宿泊していました。アジア系の方々でした。安くて、空港から来るのにもJR奈良付近のホテルは便利なんでしょうね。
9月に宿泊した時の私のメモを見ると、テレビでやっていた「上半期の外国人奈良観光客は30%増」というニュースをメモしていました。驚きの数字じゃありませんか?
本当に、奈良は外国人の観光客が増えていることを実感します。特にアジア系。

サンホテルの系列では、夏にサンホテル大和郡山に宿泊しました。こちらはまだ新しいのか結構きれいで、コンパクトにまとまっており、フロントの方も感じがよく、また泊まってもいいかなと思うくらいでした。コインランドリーにもお世話になりました。レンタサイクル無料でしたが、昼間の学外授業で疲れ果てて、乗れなかったのが心残りでした。

奈良は日本で一番ホテル(宿泊施設)が少ないとのことで、意外ですよね。JR奈良駅そばの空き地にもホテル建設計画があるようでしたし、これからなのかなと思います。

だいぶ、ビジネスホテル利用の一人旅にも慣れた1年でした。今年以降はそんなにぶらぶらできなくなると思いますが、行きたいな、という気持ちがふわっと起こったら、奈良あたりなら気軽に行ける距離だな、と思えるようになったのは収穫かな、と思います。