日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

平成から令和へうつりゆく今思う 天皇の祖先神・アマテラスオオミカミは・・・

2019-04-29 16:59:12 | 旅行
3月末から4月にかけて、怒涛のような日々の中、やはりブログ更新ができませんでした。しかし、さすがに平成から令和へと天皇の代替わりのこの時期に何も書かずに、特に平成の終わりに書かずにはいられないだろうということで、一つ書くことにしました。

4月1日には、新元号の発表がありました。
前回の「平成」の元号を知ったのは、学生時代、部活動の終わりの夕方に、練習場で、仲間の一人がラジオで聞き、「平成だって。」と、みんなで共有した記憶があります。当時はインターネットなどなく、ラジオでというところが時代を感じます。

そして今回、奇しくも学生時代と同じ種目の部活動顧問として、生徒とともに練習場で元号発表を迎えました。その瞬間は休憩にして、練習場にスマホ持ち込みOKとして、映像をみんなで見ました。新元号は「令和?」みんなで感想を述べ合いました。きっと思い出に残ることでしょう。
私も、2回とも同じ種目の練習場でその時を迎えたことを感慨深く感じています。

さて、天皇代替わりのこの時、書いておこうと思ったのは、2017年1月に伊勢神宮にお参りに行った時の話題です。

伊勢は行ったことがなく、お正月にお参りするのがいいかな、ということで2017年1月5、6日に、伊勢・鳥羽方面を旅してきました。その一部は過去の記事で紹介しています。

「博物館概論・博物館資料保存論試験・江戸川乱歩館(鳥羽)」

ここでは伊勢神宮参拝に絞って書くことにします。

1月5日、名古屋まで新幹線、名古屋からは特急で伊勢市着。
そこからまず外宮(げくう)に参拝しました。


緑が豊かな場所で、外国人観光客は少なめ。やはり、見て何かビビッドなもの・印象的なものがあるわけではなく、極めて日本的な、信仰の空間なので、外国人はあまり興味を持たないのかもしれません。あの京都の伏見稲荷の赤い鳥居の連続みたいなのがむしろ人気なのでしょうね。





外宮から駅前に戻って、「いそべや」で伊勢うどん。やや混んでいました。あまり落ち着いて食べられませんでしたが、伊勢うどんってなるほど、こういうものなんだね、と味わって食べました。聞いていたとおり、麺がやわらかい。つゆは色が濃かった。

その後、バスで内宮(ないくう)へ。外宮と内宮はかなり離れているのです。

おかげ横丁の入口あたりにある参宮亭でコーヒーとロールケーキをいただいてから、内宮に向かいました。



よくテレビで見る宇治橋前は、やはりとても混雑していました。



五十鈴川のほとりまで行って、手をひたしてみました。おもむきのあるせせらぎでした。
神宮の敷地内はすべて、清浄な空間、という印象でした。

私は日本の神様に対する信仰は特にないのですが、それでも、特別な空間であるという感じはしました。何枚かの写真もたまたまハレーションだとは思いますが光が写り込んでいるなど光があふれる空間でした。

建物は、弥生時代の高床倉庫などに似た、素朴な建物群でした。
式年遷宮が20年ごとにあって、建て替えるための空き地も見ました。古代から営々と20年ごとに建て替えを繰り返してきたという、その仕組みも不思議だし、技術を引き継ぐための知恵も感じられます。


正宮の前は撮影禁止とのことで、階段の下からしか撮れません。上に上がると、特別な参拝のために、神官の方と塀の向こうを歩いている女性がいました。
全体的に、清浄に保たれた、自然が豊かな空間という印象でした。日本人の原始的な信仰の場として、このような空間がいつまでも変わらず、大切に保たれてほしいと思います。

その後おかげ横丁を歩き、とにかく寒くて寒くて、しかしお客さんは多く、赤福など食べる余裕もなく、やっと、五十鈴川カフェという所に席を確保して、ホットゆずを注文して休憩しました。

さて、タイトルに書いたように、天皇家の祖先神・アマテラスオオミカミ(天照大神・天照皇太神)は・・・という話題ですが、それは、卑弥呼ではないかということを書いておきたいと思います。これは私だけではなく、多くの人が同じような考えを持っています。

伊勢神宮は、天皇家の祖先神・アマテラスオオミカミを祀っているわけですが、まずそれが女性であるということ。そして、『古事記』や『日本書紀』には、天岩戸の神話があり、それは、太陽神アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れてしまって、また出てくるというのは、「日食」を表した物語であるといわれています。
一方、卑弥呼も、「247年かその直後に亡くなった」と具体的な死亡年が山川の『詳説日本史B』の教科書に記述があり、その年とその翌年に、皆既日食が起こっていることもわかっていて、日食との関係が考えられます。

卑弥呼(ヒミコ)は「日の御子」とも表記することができます。アマテラスも卑弥呼も太陽信仰に基づいていて、その死と日食には関連があります。

卑弥呼は魏から多数の「銅鏡」を贈られました。伊勢神宮のご神体は、「鏡」です。

天皇即位の儀式には三種の神器の継承の儀式があります。三種の神器とは、鏡と勾玉と剣であり、その鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮にあり、勾玉は天皇のそばにあるとのこと。勾玉については以前少し書きました。この三つは、弥生時代の頃・卑弥呼の時代には存在していた器物であり、天皇の祖先がその時代から統治を始めていたことを象徴しているのかもしれません。



崇神天皇の御代に・・・というこの説明板も覚え用として載せておきます。「御鎮座 垂仁天皇二十六年」とあるのは、『日本書紀』にその記述があります。

男尊女卑の風潮が根強かった日本において、天皇の祖先神は「女性」ということになっているのが興味深いです。日本は、そもそも男尊女卑の国ではない。日本女性の皆さん、自信を持ちましょう。

他にもいろいろと、神話というものも、すべてがでたらめではなくて、本当のことも含まれているようだ、日本人は、本当のことを正直に記録に残しているようだ、と思うことが多々あります。

千年、二千年以上前のこともきちんと記録に残してくれた古代の日本人に感謝しつつ、「令和」という、きたる新しい時代にも、そうして残された史料から、新しい事実を解明していく努力を、日本史に関わるものとして続けていきたいと思います。